エルフ郷 ―死神の囁き―
シェキーナとラフィーネ、共に最上級精霊を呼び出した二人は、暫しの間対峙していた。
同格の精霊に上下の差は無く、その力は拮抗していると言っても過言ではない。
ここからは、互いの精霊力が勝敗を分けるのは間違いないのだ。
しかし。
「最上級精霊を呼び寄せ……
火の最上級精霊である
他の精霊とは違い、最上級精霊はただそこに存在するだけで事象に影響を及ぼす。
それはつまり、指の動き一つで強力な精霊魔法を行使すると言う事なのだ。
それが証拠に、イフリートがただそこに立っているだけで周囲の木々は燃えだし、最も近いものは既に炭化しているほどであった。
それ程の存在をこの世界に維持させ続けると言うのは、口で言う程簡単な事ではない。
ラフィーネがシェキーナに感心したのは、正にその事を意識した上での事だった。
ラフィーネはシェキーナの想像通り、聖霊ネネイに導かれ、大いなる光の神より偉大なる力を授かった。
その力を以て、漸く最上級精霊を召喚出来るようになったのだ。
因みに、以前ラフィーネがシェキーナと対峙した折に使用した木の精霊魔法は上級精霊魔法であった。
当時のラフィーネは、それを使用するだけで自らが持つ精霊力の殆どを使わなければならなかったのだ。
「ラフィーネ……下らない力に頼らねばならないお前と比べられるとは……私としては不本意極まりないのだけれど」
明らかに上からの物言いだったラフィーネに対して、やはり氷の最上位精霊である
シヴァの現世に及ぼす影響も相当なもので、周囲の木々は凍り付き近くの樹々などは粉々に砕け散っていたのだ。
そしてシェキーナとラフィーネの丁度中間に当たる場所では、共に相容れぬ存在を凌駕せしめようとでも言うように、灼熱の熱気と凍てつく冷気が
対してシェキーナは、当然聖霊ネネイの力など借りてはいない。
彼女の得た力は、紛う事無くシェキーナ自身が悲哀と絶望、そして巨大な憤怒と憎悪から得た力だ。
その余りに危い力で、彼女は本当はすぐにでも目的を達成したかった。
しかし……出来なかった。
それはエルスの想い、そしてメルルとの約定を果たす為。
自らも燃やし尽くす力を行使すれば、シェキーナは魔界へとは戻って来れないだろう。
そうなれば、エルナーシャを見守り育てる事など出来ない。
故に彼女は、即座の目的遂行を諦めた。
だからシェキーナは、その力を留めると同時に抑え込む事に尽力した。
自らも疲弊し、また周囲にも悪影響を及ぼすその力を、シェキーナはコントロールする必要があったのだ。
3日間自室に閉じこもった彼女は、漸く「抑圧の封壺」と言う封印呪を作り出し、必要な時にだけその蓋を開けられるようになったのだった。
そして今、シェキーナはその封壺の蓋をほんの僅か……開いたのだ。
「……くっ……シェキーナ……。あなたは、いえ……お前はいつもいつも……そうやって私を見下して……」
「黙れ、愚妹が」
ラフィーネの言葉を、シェキーナはその声に怒気を孕ませて遮った。
その余りの迫力に、ラフィーネは口を
ラフィーネの目には、先程までの彼女の良く知るシェキーナは映っていない。
そこにいたのは……怒りと憎しみを纏った、激情の権化であったのだ。
「お前の愚策のせいで、このエルフ郷は今日……滅亡する。それも……この私の手に掛かって……ね。これがどれ程苦渋に満ちた行為なのか……お前に分かるか……? お前の、自分の能力を顧みない施策はこのエルフ郷の運命を決し……此処に住む全てのエルフ達の命運をも決したのよ。そしてそうしたのが……まさか共に育ったお前だと言う……。これほど嘆かわしい事は無いと思わない?」
嘆いていると言ってはいるが、その表情に浮かんでいるのは憤怒の相だ。
その圧力に完全に呑まれているラフィーネだが、彼女の言い分をそのまま受け入れるような事は出来ない……出来よう筈がない。
「ふ……ふざけるなっ! ならば……ならば、私だけを狙えば良かったのだっ! 何も……何も、この郷を滅ぼす必要など……郷の人々を皆殺しにする必要など……どこにあったのだっ!」
そしてそんなラフィーネの言葉に呼応するかのように、イフリートがその
その途端、シェキーナの周辺に巨大な炎がうねり、周囲一帯を火炎の海へと変えたのだ。
一気にその炎海へと呑まれたと思われたシェキーナだが、その直後にはその炎が……氷と化して固まったのだ。
ラフィーネの攻撃に併せてシェキーナがシヴァへと命じ、右手を翳したシヴァの魔法が発動したのだ。
イフリートの炎はシヴァの冷気で固まった直後に砕け、氷粒となって四散したのだった。
「……何故そうも責任を転嫁するのか、理解に苦しむわね……。その様な事は、言わずとも知れた事でしょう」
そして今度はシェキーナがラフィーネを指差し、それと同じ動きを背後のシヴァも取ると、その指先から青く煌めく冷線が発せられたのだ。
「くっ!」
今度は、ラフィーネの方が防御に回る番だ。
一直線に彼女を狙った冷気の煌きは、ラフィーネの身体に当たる直前に防御へと回されたイフリートの腕によって防がれた。
だがそのタイミングが余りにもギリギリであったため、防御に成功した彼女の表情に余裕はない。
「……分からないの? こうなってしまったエルフ郷に、もはや先は無いのよ。この郷で最も強い力を持っていたお前が膝を屈した。他の誰に、人族の命令に逆らえる事が出来ると言うの?」
しかしシェキーナの話はそれで終わらず、そして彼女の攻撃も1度では終わらない。
2度、3度……シヴァの指先からは、続けざまに無数の冷線が放たれた。
一旦防御に回ってしまったラフィーネは、その連続攻撃に反撃する機会を見出せず、只管イフリートに防がせるだけで手一杯となった。
「今更お前だけを殺しても、エルフ郷はいずれ滅ぼす事となるでしょうね。つまりこうなっては、もはや手遅れだと言う事。そしてそうなった全ての原因はラフィーネ……お前にあると言う事なのよ。お前の最初の決断が、この現実に結実したの。だから……」
「あああっ!」
シェキーナの攻撃は、彼女の話が進むにつれて苛烈さを増していった。
そしてとうとうイフリートの腕だけでは防ぐのが難しくなったラフィーネが、叫びと共に炎の壁を展開させる。
彼女の前面に巨大な炎の防御壁が作り出され、シェキーナの攻撃はその炎に呑まれていった。
「お前も、私に責任を擦り付けるような議論は止めて……本気で……全力で私を殺しに来なさい」
その直後、死神の如き深く沈んだ声音が、ラフィーネの耳元で囁かれたのだった。
戦闘時に、己の視界を塞ぐ行為と言うのは避けるべきだろう。
敵が目の前にいるのだ、そんな事は言うまでもない事である。
攻撃であれ防御であっても、逃走や回避であろうとも、敵を視認出来ないような行為や術、魔法を使ってしまっては、敵に隙をさらけ出してしまう可能性が高いのだ。
だから先程のシェキーナの攻撃も、ラフィーネは防御系のこの魔法を使わずに済ませていた。
シェキーナが広範囲の魔法を使用して来たのならば、彼女も躊躇なく炎の防壁を展開してそれを防いだことだろう。
自分の魔法の影響下にある場所へと自らが飛び込んでくると言う事は考え難く、少なくとも魔法が有効な間はシェキーナが接近するような事は考えずとも良いからだ。
だが先程の様に、効果範囲が非常に狭い場合はそうはいかない。
それを危惧して、炎の壁で視界を遮るような事は避けていたのだが。
攻撃の圧力に負けて、ラフィーネはとうとうその魔法を使用してしまったのだった。
そしてその結果は。
「ギャアアアァァッ!」
シェキーナの、炎の壁を絶った接近を許す事となり。
そしてラフィーネは、死の女神の囁きを聞いた直後に……左腕を斬り落とされていたのだった。
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