エルフ郷 ―闇の咆哮―

 天を突く巨大な炎の竜巻を目にして、その場へと集まったのはレヴィアと彼女に背負われたエルナーシャ、そしてジェルマとシルカにメルカ……この5人であった。

 他の親衛騎士団員も、立ち昇った火柱を確認出来ていたし、その下で行われている戦闘にもある程度の予想は出来ていた。

 しかし……いやだからこそ、誰もその場へと向かおうとは思わず、率先してここを訪れたのはエルナーシャ達だけだった。


「なんやおもろい事に―――」


「なっとりますな―――」


 十分に距離を取った場所であっても、その戦闘の凄まじさは伺う事が出来る。

 何よりも。


「あ……あれは……何だっ!?」


 絶句するジェルマが目にしたのは、遠目にも分かる赤と青の人型の巨人。

 そしてそれは、その場に集う他の者にも確認出来ていた。


「あれは……母様かあさまの……精霊……!?」


 この場の誰にも、精霊魔法に深く精通している者など居ない。

 だからエルナーシャの呟きは以前に読んだ本を基にした推察だったのだが、それは正鵠を射た意見であり、その場の全員が納得出来るものであった。


「……あれだけ巨大な精霊では……その影響は計り知れないかと……」


 そしてエルナーシャの言葉を是とした上で、レヴィアが至極もっともな言葉を口にする。

 精霊魔法の及ぼす効果など彼女達は良く知りもしないが、それでもそれを使用しているのはシェキーナであり、相手も……恐らくはエルフ族長であるラフィーネも同等の力を示している。

 それだけで、この場にいる者達の想像を絶する戦いが視線の先で行われている事は安易に予想出来たのだ。


「うん……シルカ……メルカ……お願い。……親衛騎士団に通達して、不測の事態に備える様に……。はぁ……はぁ……防御魔法に長けた者を前に配置して……魔法戦闘の余波に供えていつでも防御障壁を発動出来るように……」


「……エルナーシャ様……。まだ……無理なさらぬ様に……」


 それを察したエルナーシャが的確な指示を下したのだが、その調子は未だ戻っておらずどこか苦しそうでもあった。

 それでも彼女は、この戦闘を見る事を強く切望し、その熱に押された形でレヴィアが連れて来たのだった。


「この場を離れるんは―――」


「あんまり気乗りしませんけど―――」


 いちいち一言付け加えるシルカとメルカだが、直属の上司に命令されては拒否する事など出来ない。

 彼女達はそれだけを口にすると、そのまま元来た道を風の様に駆けて行ったのだった。


「……母様……」


 そして残された者たちの視線は、再び戦闘が行われている方向へと向けられたのだった。





 炎の障壁を破ったのは、シェキーナの振るった「エルスの剣」。

 その剣と自分自身に輝氷の精霊シヴァが精霊魔法で強力な冷気を纏わせ、豪熱を以てなる猛焔の精霊イフリートが作り出した超高温の壁を斬り裂いたのだ。


「あ……ああ……」


 そしてシェキーナは、その余勢をかって妹であるラフィーネの腕を……斬り落としたのだった。


「なんだ……良い声で鳴くじゃない……」


 激痛で悲鳴を上げたラフィーネに対し、シェキーナはその口角を歪に吊り上げてそう言い放った。

 そこには、肉親に向ける一切の情など感じられない。

 もっとも、シェキーナとラフィーネに明確な血縁関係など無いのだが。


 ハイエルフであるシェキーナとラフィーネは……共に「半物質半精霊ファータ・マテリア」としてこの世に生を受けたのだ。

 ただし、先に戦った精霊獣の様に、「誰か」に意識され認識されて生まれ出た訳では無い。

 ハイエルフは……精霊神によって認識されて生まれ落ちるとそう……信じられていた。

 明確な理由は、誰にも分からない。

 ただある日突然に、郷にある精霊神を祀った社に……寝かされているのだった。

 大きく遡れば、エルフ達も精霊である。

 今でこそ他の種族と同じ様に人としての営みを育んできていたが、その始祖は実体を持たない精霊だったのだ。

 故に、何処からともなく現れるハイエルフの赤子であっても、エルフ達は然して気にする様子はなく接し、育てる事が出来たのだった。

 それに、ハイエルフは精霊神の社に必ず出現しており、エルフ達にとっても尊い存在である。

 そんなハイエルフの子供を、郷を上げて育て上げる事は当然であった。

 そしてシェキーナがこの世に出現し、その翌年にはラフィーネが生まれ落ちた。

 それ故にこの2人は姉妹とされ、その様に育てられてきたのだった。


 苦痛に喘ぐラフィーネは、自分を見下ろすシェキーナへと向けてイフリートに攻撃の指示を出した。

 指示を出す……と言っても、何かアクションが必要な訳では無い。

 既に支配下にある精霊には、頭で考えるだけで命令を与える事が出来るのだ。

 イフリートの巨大な腕が、シェキーナへと振り下ろされる。

 それをシェキーナは軽やかな動きで躱し、そのまま大きく距離を取ったのだった。

 シェキーナが再び先程の位置まで戻った事で、期せずして当初と同じ位置取りとなっていた。

 しかし大きく違うところがある。

 それは、ラフィーネが左腕を斬り落とされており、その優劣が浮き彫りとなっている処であった。


「……姉さん……いえ、シェキーナ……あ……あなたは……」


「なんだ? まさかこの期に及んで、自分は最後には助けられる……なんて思ってるんじゃないでしょうね?」


「シェキーナ―――ッ! 貴様―――っ!」


 暫時、呆然自失となっていたラフィーネであったが、シェキーナの言葉に我を取り戻すと、叫声を上げてシェキーナの名を口にした。

 そして、残された右腕を大きく振り落とす。

 それと同時にイフリートはラフィーネの前面……シェキーナへと接近すると、その手に燃え盛る巨大な戦斧を作り出し、それをそのまま彼女に振り下ろしたのだ。


「……ふん」


 それの大してシェキーナは一歩も動かず迎撃の姿勢を見せ、右手を横に薙ぐ。

 それを受けたシヴァもまたシェキーナの前面へと躍り出て、顕現させた氷の盾でイフリートの攻撃を受け止めたのだった。

 高温の戦斧を極低温の盾で受け止めた事で、周囲には熱気と冷気の鬩ぎ合う音と蒸気が立ち上る。

 それはそのまま、シェキーナとラフィーネの力比べでもあった。

 ただし、シェキーナの方もそのまま……と言う訳では無い。

 再び彼女が手を薙ぐと、シヴァは空いている方の手に氷のサーベルを出現させ、そのままイフリートを斬り付けに掛かったのだ。


「……くっ!」


 それに対してイフリートもラフィーネの指示を受け、空いている方の手に猛炎を纏った盾を具現化してそれを受け止めたのだった。

 双方が武器を手に、それぞれの攻撃を盾で受け止められている姿は、正に千日手のそれだ。

 どちらにも即座に決定打はなく、勝敗を左右するのは……シェキーナとラフィーネの精霊力に依る。


「……中々……粘るわね」


「……くく……」


 だがその拮抗も、永遠に続くと言う訳では無い。

 少なくともラフィーネには、そしてシェキーナにも精霊力には限界があるのだ。

 精霊力を大量に消費する「最上級精霊」を呼び続けていれば、それもそう長い先の事では無かった。


「……かはっ!」


 そしてその刻は、不意に訪れる事となる。

 イフリートとシヴァの互角の競り合いは、延いてはシェキーナとラフィーネの力の均衡でもあった。

 互いに余裕の無い表情となり、額には汗を浮かべていた。

 シェキーナとて最上級精霊を維持し続けるのは一苦労であり、流石に涼しい顔で……と言う訳にはいかなかった。

 しかしそれ以上に、対するラフィーネの表情は苦悶そのものだった。

 必死の表情で堪えていたラフィーネであったが、終にはその限界を超える事となり。

 喀血と共に片膝を付き、肩で大きく息をついていた。


「はぁ……はぁ……。何故……何故だっ!? 私は神の恩恵を受けたっ! 神より大いなる力を授かったのだっ! なのに……それなのに、何故あなたは……シェキーナ、お前はその私を上回るっ!?」


 ラフィーネの疲憊ひはいと共に、イフリートもまたシヴァの圧力に押されて後退する。

 先程までシェキーナの至近でつばぜり合いしていた両精霊だったが、今はシェキーナとラフィーネ双方の中間点まで引き下がっていた。


「まだ分からないの? そんな事は簡単な話で、あなたのその想いの根源でもあると言うのに」


 更にシヴァが、イフリートを押し下げる。

 それをラフィーネは、歯を食いしばり気力を振り絞って耐えていた。

 必死のラフィーネに、シェキーナの言葉が届いているのかどうかは不明だ。

 それでもシェキーナは、話を止めるような事は無かったのだった。


「それは怒り……そして憎しみよ。私はラフィーネ……お前に怒り、憎んでいる。郷をこの様な運命に導いたお前に対して、私の心には憤怒と憎悪が渦巻いているわ。……お前はどうなの、ラフィーネ。今のお前には、その様な感情はもう無いと言うの? お前の戦いは神に捧げたものであり……郷の者達に向けたものだとでもいうのかしら?」


 まるで蔑んでいるかのような表情を浮かべたシェキーナの声音は、苦しみうずくまる片腕を失った妹を侮蔑しているかのようであった。

 そしてそれを受けて、ラフィーネに大きな変化が訪れる。

 それまで後退を余儀なくされていたイフリートの歩みが……止まった。


「……違う……違うっ……。違うっ、違うっ、違うっ! 私の戦いは、私のものだっ! この痛みも苦しみも、私の受けたものだっ! 神も……エルフ郷の者達にも関係ないっ! 私はただシェキーナ……お前を越えたいっ! お前を凌駕したいのだっ!」


 それまで膝を付いていたラフィーネだが、その言葉を聞いた途端にスックと立ち上がりそう叫んだのだった。

 その顔にはもう……かつてのラフィーネの面影など無い。

 ただ敵を……姉を……シェキーナを射殺す様な視線を湛え、決死の表情を浮かべていた。


「ふふ……。良い表情ね……ラフィーネ」


 それを受けたシェキーナの顔にもまた……恐ろしい程の極悪が浮かび上がっていたのだった。

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