エルフ郷 ―断絶の炎―

 既にエルフ郷の戦闘は、終盤に差し掛かっていた。

 その事を、この戦闘に参加していた者全員がつぶさに感じ取っている。

 戦いの叫声は既に散発的となっており、シェキーナより下された鏖戦おうせんは完了しつつあったのだ。

 そこかしこからは、家屋から燃え立つ炎が上がっている。

 その火は弱まるどころか徐々に広まり強さを増して、このエルフ郷の全てを焼き尽くさんと言う勢いだ。

 もはや……エルフ郷の運命を覆す事など、誰にも出来ないのは自明の理だった。


 その様な中で、戦闘の始まりから今までまるで表情を変えない人物……闇の女王シェキーナは、ある方向へと向けて歩を進めていた。

 周囲の風景は、幼い頃から見慣れたものである。

 僅かに集落から離れた一軒家……そこが、シェキーナの目指している処だった。


「……変わらないわね……ここも……」


 そう呟いたシェキーナだが、その表情には感傷に浸っている様なものは見受けられない。

 眇めた目も、懐かしさを抱いているのでは無くまるで……嫌悪している様であった。

 そして実際シェキーナは、この懐かしいと言える景色を見て……厭悪えんおしていたのだった。


 今のシェキーナの眼に入る風色が記憶のものと変わらないと言う事は、この郷に大きな変化など訪れていないと言う事だ。

 いつまでも変わらないと言う事も一方で大切な事ではあるが、それも時期と場所……世界の動向に依る処が大きい。

 戦乱の時代に合って尚、大きな変化を伴わないと言う事は……それはこの郷が、その戦禍から遠い場所にあったと言う事だ。

 全く関係なく、一切の関りを持たずに今まで来ていたのならば問題はない。

 しかしこのエルフ郷は、人界と魔界の争いに少なからず関与して来た。

 それにも関わらず直接の被害を……痛みを伴わず、まるで時の流れから取り残された様な景観……。

 それがシェキーナの癇に障っていたのだ。


「ここも……昔のままか……」


 そしてシェキーナは、目的の場所までやって来ていた。

 そこはシェキーナが……そしてラフィーネが共に、過ごして来た場所であった。

 十数年前には他界しており、それからはラフィーネと2人で過ごして来た思い出の場所である。

 だが残念ながら、今のシェキーナにとってそこは……忌むべき場所でしかなかった。


「……やはりここにいたのね……ラフィーネ……」


 そんな疎ましい場所よりドアを開いて、一人の女性が現れた。

 それを見たシェキーナは、迷うことなくそう声を掛けたのだが。


 その動き……雰囲気は、以前のラフィーネとは程遠い。

 明るく快活であった彼女の面影はそこには無く、前髪を垂らして顔全体を隠し、背を丸くして音も無く歩く姿はまるで幽鬼そのものだ。

 手をダランと前へ垂らし、シェキーナの問い掛けに応える事無く蠢く様はとても同一人物だとは思えない。

 何よりも。

 あの美しく銀糸を思わせる髪は、今はまるで血の様な真紅に染め上げられていた。

 もっとも、驚きだったのは彼女の方ではなく、それを見て全く動じた様子を見せないシェキーナの態度の方なのだが。


「……シェキーナ……」


 そんな一見して別人であるラフィーネは、シェキーナと対峙する位置まで来ると静かに……地の底より絞り出すような声音でそう呟いた。

 その言い様は、先のシェキーナの問い掛けに応えたものではない。

 まるで……仇敵を見つけた様な、憎悪さえも込められているかに思えた。


「お前は……何をしているの?」


 そんな変わり果てたラフィーネを前にしても、シェキーナに動じた様子はない。

 それはまるで、ラフィーネがその様に変貌する事を知っていたかのようであった。

 ただしそれは、若干ニュアンスが異なる。


 シェキーナは、この様な変貌を遂げた者を以前……


 知っていたから、動じることなく彼女の変容を察する事が出来、また受け入れる事が出来ていたと言える。


「……シェキーナ―――……お前は―――……」


 ラフィーネの様子は、もはや会話が成立するかどうかも怪しいものだった。

 先程から、ただ只管にシェキーナの名を憎悪の籠った声で呟き続けている。

 それでもシェキーナは、そんな彼女を見ても苛立った様子さえ見せない。

 それどころか、瞳には侮蔑な表情を湛えて口角を上げて見据えている。


「ふん……聖霊ネネイにそそのかされたか。己の未熟を補うに力を求めるとは……ラフィーネ、お前は何度間違えれば気が済むというの?」


 そして明らかに軽蔑した声音で、対するラフィーネに向けてそう言ったのだった。

 流石にラフィーネの方もその声が癇に障ったのか。

 漸くその顔を上げて、顔を隠す紅い髪の間から見開いた眼をシェキーナへと向けた。


「お前に……お前に何が……何が分かると言うのだ! 私に課せられた重責……私の苦悩……私の……哀しみの……何が―――っ!」


 最後は正しく叫び出しながら、ラフィーネはその右手をシェキーナへと振るった。

 その直後、現れた火の精霊が即座にシェキーナへと向けて火線を吐きだしたのだ。


「……ふん。水の精霊ウンディーネ


 恐るべき速度で襲い来る熱線に対して、シェキーナは慌てた様子もなく精霊を召喚した。

 滑らかに、そして驚くほどスムーズに展開したのは、水の精霊ウンディーネの作り出した水の障壁。

 物理防御力よりも魔法に対する耐性に特化した精霊の作り出した障壁は、あっさりとサラマンダーの攻撃を防ぎ切り、殆ど同時に双方の精霊はその役目を負えて姿を消した。

 そして周囲には、もうもうと立ち込める水蒸気がまるで霧の様に立ち込めるだけだった。

 互いの攻撃は相殺された形となったのだが、それに対してシェキーナが驚いた風も、そしてラフィーネが悔しがっている様子も見受けられない。

 ただ互いに視線を交錯させ、決して逸らそうとしていないだけであった。


「ラフィーネ。お前は今、郷がどの様な状況に陥っているのか……分からないの?」


 一つの攻防が終わり再び無言の対峙が行われるかと思いきや、シェキーナの方がまた口を開いた。

 会話を欲しているのは、シェキーナの方なのだ。


「今この郷は、魔族の軍勢に襲われている。作戦は、この郷の殲滅。そしてそれは、もうすぐ成し遂げられようとしている。そんな最中、お前は一体何をしていると言うのかしら?」


 シェキーナがラフィーネに向けた現状報告は、まるで他人事のように聞こえる。

 言うまでもなく、この郷を攻撃し滅ぼす事を決めたのは誰あろう……シェキーナなのだ。

 勿論、この言い様はラフィーネに対する挑発であり。


「そう仕向けたのは……そうしようとしているのはシェキーナっ! 貴様の差し金であろうっ!」


 そしてラフィーネの方も、そんな事は重々承知している筈である。

 そうにも関わらず語気を荒げ、シェキーナの注文通りの返答を返してしまったのだ。


「ふむ……それは理解していると言うのね。それでは再度問おう、ラフィーネ。お前は郷が襲われエルフ族が死んでいく最中に、こんな村はずれで一体何をしていると言うの? 族長として人々を助ける事もせず、指示も与えず、まるでコッソリと息をひそめて隠れているかのように……こんな場所でお前は、何をしていたのかしら?」


 先程からラフィーネは、冷静には程遠い。

 怒り……憎しみ……嫌悪……。

 その他に考えられる「負」の感情が心を占めており、だからこそシェキーナの言葉にいちいち突き掛るような言葉でしか答えられないでいたのだ。

 それに対してシェキーナは、初口より冷静に話している。

 本来ならば、そこにこそアドバンテージがあり、このまま戦闘を開けばシェキーナが優位に進められる事は明らかだった。

 しかし当の彼女に、未だその様子は伺えない。

 まるで……心行くまで話をするつもりであるかのようでもあった。


「お前を……お前を倒せば……全てに片が付くのだっ! お前さえいなければ……この郷もこの様な事にはならなかったのだっ! 全ては……お前のせいだ、シェキーナッ!」


 そして再度、ラフィーネは手を振るった。

 彼女の呼び出した精霊は、今度は氷の精霊リョートであり、ラフィーネはその精霊に無数の氷礫を吐きださせた。

 それも召喚したのは1体ではなく、3体同時であった。

 3体もの精霊を同時に召喚させるのは、並の術者では非常に難しい事である。

 しかもそれだけではなくラフィーネの攻撃はその速度も、そして威力も通常より遥かに強力となっていたのだった。

 それでも、シェキーナに動じた様子は見受けられない。

 それもその筈で、先程シェキーナは数だけならばこれを上回る火の精霊サラマンダーを呼び出しているのだ。

 勿論、攻撃力はラフィーネの出現させた氷の精霊とは段違いに弱かったのだが、それでも技量では引けを取っていないと言える。


木の精霊ドライアド


 それを証明するかのように、またも慌てる事無く滑らかに精霊の名を告げたシェキーナの前には、周囲の樹から無数の枝葉が伸びまるで彼女を守る様に展開した。

 そして申し合わせたかのようにラフィーネの放った氷弾は全てその樹の盾に防がれて、シェキーナへはただの1つも到達しなかったのだった。

 ただし今回は、それで終わり……と言う事は無かった。


「お前を殺しっ! 魔族共を全員屠りっ! 元のあるべき姿へとこのエルフ郷を戻して見せるっ! この力で……私がそうして見せるっ!」


 今度は右掌をシェキーナへと突き出しながら、ラフィーネがそう叫び狂う。

 それと同時に出現した業火の精霊ヴァルカンが、すぐ様彼女の求める魔法を行使した。

 シェキーナの足元からは、天を突く巨大な炎の竜巻が渦巻き、瞬く間に彼女を呑み込んだのだった。

 その攻撃は、余りにも一瞬。

 普通に考えれば、シェキーナがそれに対抗する魔法を行使する時間など無い。


「……余りにも愚かで……余りにも哀れな妹……」


 その様な状況で業火に呑まれている筈のシェキーナの口からは、やはり慌てた様子もなく落ち着いた口調でそう紡がれたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る