エルフ郷 ―うそつきの涙―
全てを終えたエルナーシャ達は、子供達を抱えて倉庫から出てきた。
周囲では、戦闘の音が殆ど無い。
この辺りにまでまだ親衛騎士団の攻撃が及んでいないのか、それともこの辺りでエルフ達が潜んでいたのは此処だけだったのか。
「……エルナーシャ様っ!?」
それは、現れた4人の騎士団員たちによって明確となったのだった。
「みんな……ご苦労様。この辺りの様子はどうですか?」
「はい。この周囲一帯にエルフ達の姿は確認出来ませんでした。……ところでエルナーシャ様、その赤子は……?」
エルナーシャの問い掛けに応えた親衛騎士団員は、彼女達がエルフの子供と赤子を抱えている事に疑問を抱き、それをそのまま問いかけてきたのだが。
「私達は……シェキーナ様の別命で……この子供達を保護した所です。……丁度良い……あなた方はこの赤子を連れて……入り口付近まで退避しなさい」
その質問に答えたのは、エルナーシャではなくレヴィアだった。
その返答を聞いた彼等は、あからさまに困惑の表情を浮かべていた。
親衛騎士団がシェキーナから与えられた任務は、エルフ郷に住むエルフ達の殲滅である。
戦闘の意思を示した者達だけに限らず、女子供さえ問わずにエルフは全て殺すよう命じられていたのだ。
それに対して今レヴィアが口にした答えは、その命令に反するものである。
彼等が戸惑うのも、それはそれで仕方の無い事なのだ。
「良いですか……まだエルフ達の残党が残っている可能性が高い……。決して油断せぬよう……無事にこの子達を連れ戻るのです……。私達も……すぐに後から参ります……」
しかしレヴィアの有無を言わせぬ物言いとその迫力に、親衛騎士団員たちは頷いて応えるしかなかったのだった。
そしてそれぞれに子供を抱くと、元来た道を早足で去って行った。
「……それではエルナーシャ様……我等も参りま……!?」
親衛騎士団員たちの姿が見えなくなり、振り返ってエルナーシャにそう声を掛けようとしたレヴィアは、彼女に現れた変化に驚き……絶句していた。
「エ……エルナーシャ様……。大丈夫……ですか!?」
慌てたレヴィアがそう声を掛けた彼女の眼には、一目見て分かる程震えて自らの身体を抱きながら
そしてその瞳からは、先程よりも大粒の涙が止め処なく流れ落ちている。
「だ……だい……じょぶ……だから……」
そう答えるエルナーシャだが、その尋常ではない震えを見ればそれが平気だ等とは誰も思わないだろう。
それ程に今の彼女は……弱々しく、そして脆く見えたのだ。
「……エルナーシャ様……」
「少し……休んだら……大丈夫……だから……」
そう口にするエルナーシャだが、誰がどう見ても……先程とは違う意味で強がっている様にしか見えない。
それを感じたレヴィアは、漸く先の戦闘時にエルナーシャが変貌した理由を理解したのだ。
なんて事は無い、彼女は……エルナーシャはただ、やせ我慢をしていただけだったのだ。
ジェルマのように、思考を停止させるでも無く。
レンブルム姉妹のように、理性を手放すのでも無い。
エルナーシャは自分は自分のままで、恐怖や忌避感……その他の罪悪感や背徳感までも、その強靭な意志で抑え込んだのだ。
それを行い実行するには、かなりの覚悟と強力な精神力が必要になる。
心が否定している事を、それを捻じ伏せて実行する事は存外に……難しい。
心と体の関連性は、明確に解明されてはいない。
しかし体の痛みが心にもダメージを与える様に、心に負荷がかかると行動にも支障をきたす事は既に多くの事案で実証済みであった。
思考で理解し命令を下した事でも、心が拒絶した場合、身体が動かなくなると言う事など往々にしてあるのだ。
だがエルナーシャは、そんな心情を無理矢理に抑圧し、自らの意思を断行したのだった。
「ですが……エルナーシャ様……」
エルナーシャがどれ程の決意を以て先の戦闘に望んだのか、レヴィアにはそれが痛い程分かっていた。
彼女とて、最初から何の感情も抱かずに人を殺める事が出来た訳では無い。
それでもレヴィアの場合は家業がそうであったため、比較的そう言った行為には免疫があり、割と自然に無理なく慣れて行った経緯がある。
それにその様な家柄であったために、メンタル面のケアにも深い造詣があったのも大きい要因であった。
しかしエルナーシャは、その様な環境にはなかった。
寧ろ彼女の周囲は、レヴィアの時とは真逆だと言って良かったのだった。
エルナーシャの周囲には彼女への愛が溢れ、エルナーシャ自身も周りの者達を愛している。
その様な境遇なのだ、人を手に掛けると言う事に対しての心構えが育める訳もない。
勿論、戦士としての修練は彼女も受けて来ている。
ただしそれは、戦う技術を叩き込み戦闘に際しての気組みを教えるものであった。
結局、人との戦闘に於いての心情をどの様にコントロールするかは個々の気の持ちように委ねられているのだ。
言い様は悪いが、人を殺す事に対する適性が左右すると言っても良い。
魔族軍に志願して所属した者は、少なからずその心構えと言うものが出来ているものである。
だがエルナーシャの場合は、他の者とはやや事情が異なっていた。
彼女は、有無を言わせず魔族軍に所属する事が義務付けられていた……いや、運命づけられていたのだった。
次期魔王として生まれたエルナーシャに、魔族軍に所属しないと言う選択肢は存在しなかった。
彼女の気持ちや思いを誰も鑑みた事は無く、エルナーシャ自身も軍に所属する事を疑問に思った事は無いのだ。
「……大丈夫……大丈夫だから……。私は……大丈夫だから……」
呟くように……自分にそう言い聞かせるようなエルナーシャの言葉だが、ガタガタと震えが止まらず蒼白な表情となっている彼女を見れば、それが平気ではない事は一目瞭然である。
自己暗示や自己催眠……とまではいかなくとも、それに近しい強靭な気持ちで抑え込んでいた感情が、今になって発露した状態だ。
そして大丈夫と言われてしまえば、傍に控えるレヴィアにはそれ以上の声を掛ける事も、何かをしてやる事さえ出来ずに、ただエルナーシャの復活を待つ以外に無かったのだった。
戦闘は未だ続いており、遠方では叫声や怒声や剣戟に爆発音まで響いていた。
通常で考えれば、ここでのんびりと復調を待つと言う選択肢はない。
しかしレヴィアにとってはエルナーシャが全ての起点であり、彼女の復活を待つ事こそが何よりも最優先され、その為にこの場を死守する事こそが今のレヴィアに課せられた最上級の使命なのである。
それでも、その様な状態はそう長く続かなかった。
暫くの後にゆっくりと……ゆっくりと、蹲っていたエルナーシャが立ち上がったのだ。
「……ごめんね、レヴィア……。私はもう……平気だから」
そう言ってレヴィアへと向けて微笑むエルナーシャの瞳からは、相変わらず大粒の涙が流れ続けており、震えも止まってはいない。
そして今回はレヴィアであっても……誰であっても理解出来ていた。
彼女の言葉は……全くの嘘であると。
「……私にはとても……そうは思えませんが……」
レヴィアはそう感じたから……そして、主に無理をさせたくない一心から敢えて反論の言葉を口にした。
未だここは戦場であり、何時戦いになるのか分かったものではない。
今のエルナーシャでは、次の戦闘には耐えれそうにないと判断したのだ。
「で……でも……早く……みんなの所に……母様の所へ……うぷっ!」
それでも気丈に振る舞おうとしたエルナーシャだが、今度は吐き気を催したのか口を押えて再びしゃがみ込んでしまったのだ。
「エ……エルナーシャ様!」
そんな彼女を、レヴィアが駆け寄り介抱する。
エルスやシェキーナ、メルルやカナンのように強き心で作戦に望もうとした彼女の気持ちは大したものなのだが、心の拒絶を抑え込んでまで取ったその行動は、彼女の心身の均衡を崩すと言う結果を齎していたのだ。
「う……く……」
体は
それでも、心身が不調を来していても尚……這ってでも進もうとするエルナーシャに、レヴィアもこれ以上ここに留まるよう進言する事は出来ず。
「……エルナーシャ様……こちらに……」
彼女へと背を向けてしゃがみ込んだレヴィアが、エルナーシャを背負う用意をする。
「……レヴィア……ありがとう……」
ここでこれ以上強がっても、一歩も前へは進めないと悟ったエルナーシャは、レヴィアへと感謝の意を伝えるとその背におぶさった。
「……行きましょう」
背中に彼女の
「あ……あれはっ!?」
「……っ!?」
そうして歩を進めていたエルナーシャとレヴィアの眼前に、巨大な火柱が立ち上っていたのだった。
それが、尋常でない戦闘模様を現わしていた事を。
この戦いが、既に終焉へと差し掛かっていた事を。
そしてそこでは、誰が誰と戦っているのかを。
高く立ち昇る大規模な炎柱が、その全てを物語っていたのだった。
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