エルフ郷 ―上位妖精の少女―

 エルナーシャの剣閃が過ぎ去った後には、胴体との繋がりを絶たれたエルフ族の頭部が床へと転がり落ちていた。

 そんな凄惨な状況にあり、そしてその様なむくろ達を作り出した張本人であるエルナーシャだが、先程のように動揺する事は無かった。

 それどころか、僅かな震えすら起こす事無く、傍目には冷静そのものだ。


「……エルナーシャ様」


 そんな彼女の姿が逆に不安だと感じたレヴィアが、下階より中2階へと飛び上がりエルナーシャの隣に並んでそう問いかけたのだ。


「エルナで良いのよ、レヴィア?」


 そんなレヴィアの心配をよそに、当のエルナーシャに大きな変化など見られない。

 普段通りの対応……普段通りの言葉遣いに声音……。

 これには問いかけた方のレヴィアが驚きの表情を露わとし、返されたエルナーシャの言葉に反応で出来ないでいたぐらいであった。


 エルナーシャの変わり様は、何も特別な心境に依る処ではない。

 単純な話だ。


 彼女はただ……強がっているだけであった。

 意地……と言っても良い。


 先程交わしたレヴィアとの会話でエルナーシャは、心の寄る辺を見つけ出したのだ。

 ただそれだけで、自身の蟠りが消えると言う事は無い。

 しかし、紛れもなく切っ掛けにはなったのだった。

 吹っ切れた……と言うよりもどちらかと言えば、踏ん切りがついたとでも言おうか。

 兎も角今のエルナーシャに、戦闘に於いての不安要素は殆ど無い。


 そして……エルフ族を斬ると言う事においても。


 ただしそれは、全くの無傷と言う訳にはいかない行為だ。

 無理をする……我慢をすると言う事は、心身共に負荷をかける事となる。

 いずれは、何らかの代償がエルナーシャには求められる事となるのだが。


 倉庫内での戦闘は、蓋を開けてみれば余りにもあっさりと終結していた。

 エルナーシャとレヴィアが倒した7人のエルフ戦士。

 これがこの場で戦闘能力を持つエルフ達の全てであった。

 戦いが始まった当初こそエルナーシャは動く事も出来ずにいたのだが、我に返ってからはあっという間に3人を屠っている。

 もっとも彼女達の戦闘能力を考えれば、この結果は当然ともいえるのだが。

 そして残されているのは。


「あ……ああ……」


「どうか……どうか……」


 3人の乳飲み子とそれを抱いたエルフ女性。

 そして、見た処5歳くらいのエルフ幼女だけであった。

 涙を流して自らの運命を嘆いている母親たちに対して、エルフ幼女はまるで立ち塞がる様にエルナーシャ達を睨みつけている。

 ただしその眼からは大粒の涙を流し、身体は恐怖からか震えが止まらないでいた。

 怖いものを……本当の恐怖を知らない、実に子供らしい行動ではあったのだが。


「そこを退きなさい」


 エルナーシャの言葉には、どこか有無を言わせない圧力が込められている。

 別にエルナーシャは声を荒げた訳でも、怒気を纏わせた訳でも無い。

 だと言うのにその宣告を受けたエルフ幼女は、まるで見えない何かに押された様に数歩後退ってしまったのだった。

 それには……エルナーシャの纏う雰囲気とはまた別の理由があったのだが。


「……お……お姉ちゃんは……わ……悪い人なの……?」


 そして少女はエルナーシャを見据えたまま、何故かその様な質問を投げ掛けた。

 この質問は、傍で聞いていたレヴィアには何とも奇妙なものに聞こえた。

 それも当然である。

 目の前で同族を殺して回るエルナーシャは、少女にとって悪人……それも極悪人である。

 その様な事が分からない年齢だと言う訳でも無い筈である。

 しかしその答えはエルナーシャの口からではなく、また違う処から齎されたのだった。


 ―――ポトリ……と。


 エルナーシャの足元の床に、どこからか水滴が落ちた。


「……違うわ」


 少女の問い掛けに、エルナーシャは先程と変わらぬ口調、そして変化の見えない表情でそれだけを返答した。

 エルナーシャの言う事は、大筋では間違っておらず決して嘘をついている訳では無い。

 今回の作戦は、国家間の争いから端を発しており、魔族の行動はある意味で正当なものである。

 シェキーナがエルフ郷殲滅を決意しなければ、いずれはエルフ族と人族が手を取り合って魔界へと侵攻して来る事は既に知れていたのだから。

 魔族としては先制攻撃を行使しただけであり、その行為に善悪など無い。

 ただしそれは、大義名分でと言う話であって。


 そう答えたエルナーシャの瞳からは、大粒の涙が止め処なく流れている。

 だが、彼女にその事を気にしている様子はない。

 そしてレヴィアには、そしてエルフ少女にもエルナーシャが悲しんでいる様には感じられなかった。

 それどころか、恐怖や忌避、苦しみや痛みと言った、凡そ涙が出る理由に当て嵌まる感情の一切が見て取れない。

 端的に言えば。

 何故エルナーシャの瞳から涙が滴っているのか、傍で見る限りでは誰もその理由が分からないのだった。

 更に付け加えるならば、当の彼女でさえ自分が涙している事も、その訳柄さえ理解していないのだが。


「じゃ……じゃあ、なんでお姉ちゃんたちは郷を襲うの? 何で郷の人達を……殺したの?」


 エルナーシャの否定の言葉に、エルフ少女は更に質問を続けた。

 それに答える事は無くエルナーシャはその視線をツイと逸らすと、身を固め震えているエルフ女性達の方へと向けたのだった。


「その子供達を、この少女に預けなさい」


 そして彼女は、そのエルフ女性達へと向けて静かにそう命じたのだった。

 エルナーシャにしてみれば、ここで少女の拙い考えや疑問に答えてやる謂れも、そしてそんな時間も無い。

 剣を突きつけられてそう命令されては、エルフ女性達に抗う術など無かった。

 そして何よりも彼女達は、をその言葉から見出していたのだ。

 おずおずとした動きでエルフ少女の元まで移動したエルフ女性達が、少女に抱きかかえていた幼子を託しながら。


「アコ……。この子の事……お願いね?」


「アコニータ……あなたは……強く生きるのですよ?」


 それぞれにを少女……アコニータへと掛けていたのだった。

 それは、自身の運命を受け入れた切なる願いであり……俄かに現実となった我が子の助命を切望する言葉でもあり。

 今まで「上位妖精の皇女ハイ・エルフのみこ」として郷を上げて育てて来たアコニータに対しての、元気づける別れの言葉でもあった。


「……はい……」


 これからどのような事が行われるのかは、この場にいたものならば老若男女を問わずに分かる事だ。

 多分に漏れず、アコニータも子供を託してくる女性達がどうなるのかは……知っていた。

 ただ、その別れの場面を目にして、レヴィアは僅かに違和感を覚えていた。

 この場にアコニータの親が居ないと思われる事実。

 それは、取り乱した様子を見せない彼女の態度からも推察出来た。

 そして何よりも、アコニータが余りにも落ち着いて見えると言う事による。

 もしも親と逸れたのだとしても、少なくとも子供ならば……頼っていた大人たちが居なくなると言う事を思えば、もう少し泣いたり叫んだりしてもおかしくないだろう。

 この様な場面ならば子供は心細い筈であり、それを補うために周囲の大人達へ寄り添うのが当たり前である。

 それがエルナーシャの手によって、強制的に引き離されようとしているのだ。

 どれ程精神的に強い子供であっても、アコニータのように毅然と振る舞えるはずは無いのだ。


 エルフ女性達の想いに頷いて応えたアコニータを確認して、子供を手放した彼女達はゆっくりとアコニータ達から十分に距離を取った場所まで移動した。


眠れ、眠れ、クバーレドルミル罪深き者よエグリマティアス我が魔力はユマンマジア夢へと誘う道標なりソムニウムダローガ……睡魔の誘惑ナイトメア・テンプテーション


 そしてそれを見て取ったエルナーシャは、ゆっくりと魔法を詠唱し発動させた。

 中級下位魔法「睡魔の誘惑」は同じ眠りの魔法である「眠りの雲」と違い、対象の人物へ個別に効果を及ぼす事が出来る。

 その効果時間や人数などは魔法を使う者の技量にも依るのだが、使用すると言う事だけならば魔力が足りていればエルナーシャでも問題ない。

 そして彼女はエルスの力を受け継ぐ次期魔王候補。

 アエッタやセヘル程魔法に長けてはいなくとも、使用に関しての条件はクリアーしていたのだった。

 エルナーシャが魔法を向けた人数は……4人。


「……あ……」


 アコニータを含めた、4人の子供達に向けてだった。

 その効果は覿面であり、魔法の発動と同時に子供達は即座に深い眠りへと落ちたのだった。

 魔法は使えてもそれに精通していないエルナーシャでは、エルフ女性達に魔法を耐えられてしまうかもしれない。

 それは、レヴィアが使用しても恐らくは同じ事である。

 しかし今眠りについた子供達は違い、いともあっさりと魔法の効果が発現したのだった。

 子供達が静かになった事で、これから移動させるにも暴れられる事は無く、そして……目の前で起こる惨劇にも騒がれる事は無い。


「……エルナーシャ様」


 エルフ女性達に剣を向けたエルナーシャに、レヴィアが後ろから声を掛ける。

 明らかに無抵抗な者達をこれから手に掛けるのだ。

 どう考えても汚れ仕事であり……慣れない者には躊躇する行為である。


「大丈夫よ、レヴィア」


 それを代わりに行おうかと申し出て来たレヴィアの気遣いを察したエルナーシャは、それだけを答えて三度、その剣を振るったのだった。

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