エルフ郷 ―前日 聖霊の御導き―

 どうしてこうなってしまったのだろう……。

 私は、ただこの郷の事を思って……この郷の為に選択して来たのに。

 この郷の長として、最良だと思う選択肢を取ってきたつもりだった。

 そしてその考えに、郷の皆も良く付いて来てくれたと思う。

 でも……その結果は……。


 私の望んだ方向とは、全く違う先へと向かっている……。


「……どうして……何故……?」


 いくら自問自答しても、こうして声に出してみても、答えなんて一向に見えない……誰も答えてはくれない。

 数日前に訪れた人族の使者……。

 その使者が私を見る、蔑んだ様な視線……。


 あれが、忘れられない……。


 あれは、私達エルフを同胞として見たのではなく、明らかに格下……下僕として見ているとしか思えない眼だった。

 2年前にここを訪れてエルフ郷の門を守ってくれていた老竜「グリーンドラゴン」を屠った人族の司祭、アルナ=リリーシャに膝を屈してから、私達エルフの生活環境、その全てがガラリと変わってしまった。

 以前は元勇者であり魔族へと寝返った大罪人、エルス=センシファーへの協力の拒断と、彼ら一党の動向を報告する事が義務付けられていた。

 もっとも、定期的に郷の者を人界へと向かわせ、精霊界の状況を報告する程度の事ならば甘んじて受けて来た。

 その程度の事でグリーンドラゴンを倒したアルナの要望を満たしていると言うのならば、まだ我慢も出来ようと言うものだった。

 そしていずれ、戦いも終わる。

 エルスが勝とうともアルナが勝利を収めようが、どちらかが倒れればそれでこの戦乱にも終止符が打たれるのだ。

 そうなれば、この辛酸を嘗める日々にも終わりが来る。

 シェキーナ姉さま……いや、シェキーナには辛辣な言葉を投げ掛けられたが、それでもそれも、そう長い間ではないと……そう考えての事だった。


 でもその日が来る前に、再びシェキーナが襲来して来た。

 そして郷を襲い、村の一部を破壊して、改めて私達に宣戦を布告して去って行った……。

 彼女は完全に魔族へと寝返っており、その強大な力は以前よりも遥かに増していた。

 そして私は……私達は、だからこそ尚更アルナの庇護から抜けられなくなっていたのだった。


 そして……戦いは終わった。

 それも……私達にとっては最高の形で……。

 魔王と化したエルス=センシファーは、メルル、カナンと言った主だった者達と共に討ち死に、シェキーナも失意と共に魔界へと残っているという。

 そして今回とは言え、アルナもまた腹心のシェラとゼル、そして自身の右腕を失っている。

 それと共に、彼女は一戦を退いたと言う話が風の噂で流れて来た。

 これで……漸くこれで、人族に関わる必要は無くなったと……私はそう考えていたのだけれど……。


 現実は、私の考えている通りには……運ばなかった。


 例えアルナ達が戦線を離れ、直接エルフ郷に何かを命じ無くなっても、その意を笠に着た人族は変わらず私達に要求を突きつけて来たのだ。

 断ろうにも、彼等は事ある毎に「アルナ=リリーシャ」の名を口にした。

 そして私は、その名を出されては……断れない。


 一度屈してしまった膝は……もう二度と立つ事が能わないと言う事かも……知れない。


 結果として、アルナが居なくなったことで私達エルフは、更なる厄災に見舞われる事となったのだから……。


「あらあら……随分と悩んでおいでの様ですねぇ」


 誰も答えてはくれない問い掛けの螺旋の中にいる私に、聞き知った美しい声が掛けられた。

 ゆっくりと顔を上げて声の方へと目を向けた私は、そこに神々しいまでの姿をした女性の姿を見止めた。


「聖霊ネネイ様……!?」


 一体いつ……何処から現れそこにいたのかは分からないけれど、その女性は迷い子の導き手にして神の御使いである……聖霊ネネイ様だった。

 彼女は、以前に私の前へと現れた時のように、穏やかで優しい笑みを浮かべている。

 そして私は、その聖霊様の笑顔を見た瞬間に……ゾッとした。

 彼女は確かに笑っている。

 でも……眼が笑っていない。

 どこか面白そうに……それでいて嗜虐的な瞳を湛えているのが、私にはすぐに分かった。


「悩みがあるのなら……わたくしが聞いて差し上げますが?」


 ですがそれは、私の勘違いだったかもしれない。

 暗い考えに囚われているから、そう思えてしまったのかも……。

 何故なら、そう声をかけて下さった聖霊様の瞳は……表情は、先日お会いした時と何ら変わらなかったから。


「聖霊様……」


 そしてそのお顔を見て、私の眼からは大粒の涙が流れ出した。

 きっと……安堵してしまったのだろう。

 郷の長たる私に、誰かに相談をすると言う事は許されなかった。

 長は村人たちを率いる存在であり、決して弱みを見せてはいけないのだから。

 そして私はこれまでの事……思い悩んでいる事を全て、嘘偽りなく話した。

 私の、涙ながらの告解を、聖霊ネネイ様は何も口を挟まずにただ聞いてくれた。

 誰かに悩みを話す事が、これほど気持ちを軽くしてくれるなんて、思いもよらなかった……。


「私だって……私だって、精一杯頑張って来たつもりなのです……。この郷を守るために……皆の事を思って……私は!」


 話せば話す程に……私の口は軽くなり、終には心中に蟠っている有漏うろまでをも言葉にしていた。

 全てを話し終えた私の心は少し軽くなり……気が晴れた様な気になっていたのだが。


「そう……。それは……すべてあなたの愚かさに起因しているのねぇ」


 そんな私の気持ちなど一切関係なく、聖霊様の一言が投げ掛けられ……私に突き刺さった。


「……え……?」


 思わず私の口からは、その様に呆けた言葉が洩れ出した。

 そう……どこか私は安堵し、それで許されて気になっていた。

 でも……そうじゃ無かった。

 ここで私の想いを聖霊様に告白しても、何も解決しない……何一つ事態は変わらないというのに。


「だって、そうでしょう? あなたは老竜を殺されてもアルナに立ち向かおうとはせず、それどころか協力した。姉のシェキーナに対しては拒絶して、歩み寄るどころか対立の姿勢を示した。それどころか、更にアルナに頼るような行動を取った。これじゃあ人界のお偉方があなた達エルフを傘下に置いたと思うのも当然だし、あなたのお姉さんが敵対するのも仕方ないわよねぇ」


 絶句してしまった私に、聖霊ネネイ様はまるで独創劇を即興で演じるかのように、身振り手振りを交えてそう話された。

 確かに、聖霊様のおっしゃられる事はその通り。

 でも……でも。


「でも……私には……私達には、他に取るべき手立てがありませんでした!」


「そう……それ。その“私達”って言うのが、そもそも誤りなのよ」


 私の必死の反論に、聖霊様はニヤリと口角を上げ、立てた人差し指を私に突きつけた。

 言葉を失う私に、聖霊様は更に話を続けられる。


「まるでエルフ族の総意であるような言い方だけれどあなた……一度でも全員を集めて、その事を話し合った事があったのかしら? そうじゃないならそれは……あなたの身勝手な思い込みと言う事になるのだけれど……」


「それ……は……」


 頬に手を当てた聖霊ネネイ様は、どこか困った様な声音でそう私に説いた。

 それを聞いた私は……私は、絶句して声を出す事さえ出来なかった。

 聖霊様の言い様は、それまでの私の全てを否定している様にも聞こえる。

 いえ……聞こえる……などと言う曖昧なものではなく、明確にいなんでいるものだった。

 でも……それでは……。

 今までの私の行いは……努力は……水泡に帰すと言う事……。

 違う……そもそも……無駄だったと……何も成し得なかったのだと言われているに等しかった。


「無能で非才のあなたが、誰の話も聞かずに勝手に事を進めるのだもの。そりゃあ、こういう結果にもなるわよねぇ」


「無能で……非才……」


 もう……私には……。

 聖霊ネネイの言葉を反芻するより他に出来る事は無かった。

 まるで卑下されているかのような言葉でさえ、今の私にはそれが真実だったのだと気付かされる語句でしかない。

 そう……私は……無能だ。

 郷を纏め、村人たちを正しい方向へと率いているつもりで、実際は破滅へと導いている……。

 そして……私は……非才だ。

 冷静に決断する事が出来ず、恐怖におののき、反抗する気力も持てず、時勢に流され、何一つ自分で決める事も出来なかった。

 それなのに私は……間違っているなどとは、ただの少しも思わなかった……。

 私以外にこの重責を担う事の出来る者は居ないと……思い込んだ。

 これほどの愚かしい事が他に……あるだろうか。


「あら―――? ちょっと言いすぎちゃったかしらぁ? でも―――、それが真実なんだから―――仕方ないわよねぇ」


 本当に、一片の反論も持てない……考えられない状態になれば……言葉はおろか、呻き声すら出せないと言う事を、私は初めて知ったかもしれない。

 何かを言い返そうと言う気概すら、根こそぎ奪われてしまったのだから。

 聖霊ネネイ様の言い様は、どこか私を馬鹿にしてただ卑しんでいる様に見える。

 それが証拠にネネイ様は、クルクルと踊る様に私の周りを踊り廻っていた。

 それはまるで、虐めている子を輪の中心にして揶揄い続ける虐めっ子にも見える光景。

 でも私には、聖霊様が児戯でその様な事をしているのではないと感じていた。


 事の張本人だけは分かる。

 この窮状に私を……村の皆を……エルフ郷を追い込んだのは、誰でもない……私自身なのだと……。

 そしてそれに気付いてしまったら……もう……。

 聖霊様にしても、この様に愚かしい告白を真面目に聞き続ける事なんて出来やしないのかもしれない。

 聖霊様の輪舞ロンドは更に早さを増して、それは優雅に美しく踊り続けていた。

 まるで私の存在など歯牙にも掛けていない様に、聖霊様は楽しそうに……笑っている。

 そして聖霊様の踊りが空気を震わす程に私は……沈淪ちんりんして行く。


 暗く昏い闇の中にある、深く不快な沼の中に囚われ沈んで行く私に、聖霊ネネイはそれでも……


「でもねぇ……。あなたの過ちを……償う方法がない事も無いのよぉ―――?」


 沈殿して行く私の身体が……意識が、ピタリとその進行を止めた。

 そして意識体の私は、ゆっくりと顔を上へと向ける。

 そこには。

 一筋の光明が射していた。


 ああ……あれは……。


 あれこそは……救いの光……。


「デルフィトス=ラフィーネ。あなたに……その業苦から解放される最後の機会を与えます。我が神の審判をその身に受け、見事に打ち勝ちなさい。そうすれば……ね?」


 聖霊ネネイ様の声は……まさに天上から降り注ぐ鈴の音のように聞こえた。

 私に……それに抗う術など無かった……。


 ……抗う?


 何故、抵抗する必要があるのだろう……。

 取り返しのつかない結末へと導いてしまった愚かな私に、聖霊ネネイ様は救いの手を差し伸べて下さっているのだ。

 これを拒むことこそが、本当に愚かな行為では無いのだろうか。

 いつの間にか私は、聖霊様に縋る様に手を伸ばしていた。


「そう……良い娘ね。それじゃあ、心を全て解き放ちなさい。何もかもを受け入れるのです。そうすればあなたには新たな道が開け……すべき事が見えるでしょう。そして……それをなせるだけの力も……」


 その直後……。

 私の視界は真っ赤に染まり……。

 私の耳に……いえ、頭に直接、心に染む声がなだれ込んで来たのだった。





 ―――その夜。

 デルフィトス=ラフィーネの住む家屋には、天へと昇る真っ赤な光が多くのエルフ達に目撃された。


 デルフィトス=シェキーナのエルフ郷侵攻は……その翌日であった。

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