エルフ郷 ―前日 愚妹の苦悩―

 精霊界で大規模な戦闘が行われている事を、シェキーナの実妹でありエルフ郷の統治者であるデルフィトス=ラフィーネは具に感じ取っていた。

 何処の誰かは分からないが、感じた精霊を認識してしまった事で実体化させ、その「半物質半精霊ファータ・マテリア」との戦闘を余儀なくされているだろう事は、樹々の騒めき……戦闘の規模を考えれば、ラフィーネには簡単に想像出来ていた。

 ラフィーネは強力な精霊力の持ち主だ。

 その力は以前ならばシェキーナをも凌駕し、自他ともに認めるエルフ郷随一の精霊魔法の使い手であると言う程に。

 そんな彼女が少し精神を集中させれば、精霊界のかなり広範囲を探る事が出来、何事かが起こればそれを把握することぐらい造作もないのだ。

 だがラフィーネは、その事を村の者達に伝えようとは思わなかった。

 それどころか、その様な事に興味を持とうと言う気持ちさえ湧かないでいたのだった。

 自身の家に閉じこもり窓を全て閉め、仄暗い部屋の中で頭を垂れ、ただブツブツと何事かを呟いている。

 これは、以前の彼女ならば到底考えられない事である。

 エルフ郷を纏める者として……一族を率いる者として、村に起きた出来事だけでなく、この精霊界で感じられる様々な事象の変化にさえ目を光らせていた。

 しかし今は、そんな往時の彼女の面影など、一切感じられなかった。

 それは、以前に起きた複数の事件に起因していた。


 ラフィーネは、誇り高きエルフ……その上位種たるハイエルフである自分に、大きな自信と誇りを持っていた。

 先人より引き継いできたこのエルフ郷……その中立と独立を、彼女もまた次の世代へ引き継ぐために全力を尽くそうと心に決めていたのだ。

 本当ならばその役目は、姉であるシェキーナの務めだ。

 だが当の実姉は、勇者に心惹かれて郷を出てしまっていた。

 なし崩し的にエルフの村のまとめ役となったラフィーネだが、彼女はその事に何ら思うところなど無い。

 自分に出来なかった「村を出る」と言う事を、何の躊躇もなくやってのけたシェキーナに呆れはしたが、その実大きな尊敬と僅かな羨望を抱く程度であった。

 実際の処、ラフィーネは村長と言う仕事は姉よりも自分の方が向いていると考えていた。

 シェキーナ程のカリスマ性は無いにしても、それを補って余りある堅実性があると冷静に自信を分析していたからだ。

 そして、それは強ち間違いでは無い。

 激動に晒されず平穏に過ぎゆく中では、姉のように自由で奔放な行動など和を乱す要因にしかなり得ない。

 ラフィーネの役割は、時に現れるそう言った「イレギュラー」に対して冷静に対処し、そこに住む人々の動揺を煽らない事なのだ。

 そしてシェキーナがエルフ郷を去り、それまでのしきたりに則って彼女を「闇堕ちのエルフ」と位置付ける事で、再び平静を維持できていたのだ。

 自分は上手く出来ている。

 ラフィーネは自分にそう言い聞かせ、実際に穏やかな日々を手に入れていたのだった。


 しかし先年、その自負も……自信や矜持や村長としての責任、その他の彼女を形成していた様々な想いは全てが壊され、崩され、霧散する事案が多々起きた。


 アルナ=リリーシャの来訪だ。


 勇者エルスが魔族に与した事で、アルナはこのエルフ郷にもやって来たのだ。

 エルスの謀反に、姉であるシェキーナが加担しての事でもあった。

 その事について、ラフィーネに思う処は特になかった。

 むしろ「姉らしい……」と、僅かに失笑を溢す程の想いでしかなかったのだった。

 だが、その後のアルナの行動がラフィーネの平穏を打ち壊し、延いてはエルフ郷の運命をも決したと言える。

 アルナは見せしめがてらに、古よりエルフ郷の門番を務めていた老竜エルダー・ドラゴン「グリーンドラゴン」を屠り、エルフ郷に人族への従属を強制したのだ。

 いや……明確な返事はラフィーネもしていない。

 そんな冷静な判断が取れるような事態で無かったからだが、それを迫ったアルナ達も返事を聞く様な状況に無かった。

 しかしそこで繰り広げられた余りに凄惨な事件は、ラフィーネの冷静な判断力を奪っていた事に違いはない。


 そして、その後2度訪れたシェキーナの往訪だ。


 一度目では、断絶を言い渡された。

 古くからの盟友である老竜を殺され、エルス達の受け入れを拒んだ時に、シェキーナはラフィーネ達に「失望した」と言い渡され、見捨てられたのだ。

 この時点では、ラフィーネにも言い分は多々あった。

 もっと聞いて欲しい事がたくさんあった筈であった。

 しかしそれも叶う事無く、姉妹はそれぞれ違う道を歩む事となったのだった。


 二度目のシェキーナので、それは決定的となった。

 それは“正式に”魔族として現れたシェキーナとの押し問答で、ラフィーネがつい口走ってしまった一言……。


 ―――老竜は、一族ではない。


 この言葉に端を発している。

 客観的に見れば、その言葉に間違いはない。

 種族として、エルフ族と龍族は決定的に違う。

 容姿は言わずもがな、話す言葉も生態も全く違うのだ。

 寧ろ、共通点を見つけ出す方が難しい。

 だがシェキーナは、その様な“表面的”な事を言っている訳では無いし、ラフィーネもその事は分かっている筈だった。

 だがそれでも、シェキーナとの話の中で気圧されていたラフィーネは、思わずそう口走ってしまったのだ。


 それは、口にしてはいけない一言であった。


 老竜「グリーンドラゴン」は、シェキーナやラフィーネが生まれる遥か以前から、エルフ郷の人々とよしみを結んで自らエルフ郷の守護を買って出てくれていた。

 本当ならばその様な責務など存在しないし、エルフ郷に縛りつけられる謂れも無い。

 それでも老竜はエルフ郷の入り口に居り続け、やって来る者を選別し郷を守り続けてくれていたのだ。


 とても長い間……。


 ましてや、シェキーナやエルナーシャとも少なくない繋がりがある。

 それどころか、エルフ郷の人々にも愛される存在であったのだ。

 そんな老竜を、言葉の綾とは言え「一族ではない」と言ってしまってはもう、ラフィーネに弁解の余地はない。

 少なくともシェキーナは、そして彼女自身もそう受け取ってしまったのだ。

 その様に信義にもとる考えを持つラフィーネに、シェキーナは最後通牒を突きつけて去って行った。

 そして、その時の戦闘でシェキーナの存在を脅威だと感じたラフィーネは、老竜を殺したアルナへと縋ってしまう。

 この時点で、舵を切り損ねているラフィーネの……そして、彼女が治めるエルフ郷の転落は、もはや止めようの無い速度となっていたのだった。


「……一体……何が……? 何処で……誤って……? いえ……私は……間違っていない……。私は……私は……一族の為に……」


 そして時は流れ、アルナも前線を退き、本当であったならばエルフ郷に脅威を与える存在などシェキーナ以外に居ないとも思えた。

 シェキーナとの間に横たわる溝は決して浅くは無いが、それも時間と誠意を以てすればいずれは埋まると彼女が考えていた矢先の出来事であった。


『エルフ郷は人族の軍に兵を出し、来たる魔族との戦いに協力せよ』


 先日やって来た人族の使者は声高に、そして威圧的にそう来たのだ。

 ラフィーネとしては、人族の軍門に下ったつもりなど毛頭ない。

 確かに、アルナの脅威については、彼女への恐怖も相まって従っていた事は否めない。

 ラフィーネにしてみれば、アルナ個人に従属したと言われれば反論のしようも無いのだが、人族に隷属したと言われる事には激しい拒絶を覚えていたのだ。

 それを人族は何を勘違いしたのか、エルフ族に対して協力の要請では無く強制的な徴兵を持ち出して来たのだ。


『そ……そのような要望に、我がエルフ族が応える謂れなど……』


『尚、この要請は、我が“光の神教団”の高司祭であらせられ元勇者パーティの一員でもあったアルナ=リリーシャ様の承認する処だ。努々ゆめゆめ拒む事の無いように』


 当然、即座の拒否を伝えようとしたラフィーネだったが、その直後に続けられた使者の言葉に、その様な気概など根こそぎ奪われてしまっていたのだった。

 絶句し答えられないラフィーネに一瞥をくれて、人族の使者はそのまま去って行った。

 そして残されたラフィーネに、採れる選択肢は無かったのだった。





「……こんな……これでは……。皆が……エルフ郷は……」


 ラフィーネを苛んでいるのは、只管に後悔と自責の念だけであった。

 既に人界へと、先発として十数人のエルフの若者を送っている。

 数週間後には、本体として郷の殆どの若者を……数百を超えるエルフ達を進発させる予定でもあった。

 このままでは……いや、これではまるで人族の属領に過ぎない。

 現実的な脅威としてアルナは去った……と思っていたラフィーネであったが、事実はそうで無かったと思い知らされたのだった。

 アルナの名を出されては、彼女にはどの様な人族の要望も拒む事は出来ない。

 いずれはアルナの寿命も尽き天に召されるだろうが、それまでに一体どれ程の協力……と言う名の命令を聞かなければならないのだろうか。

 それを考えただけで、ラフィーネは闇の牢獄に囚われた気持ちとなっていたのだった。


「あらあら……随分と悩んでおいでの様ですねぇ」


 そんな彼女の前に光と共に現れたのは、輝く4枚の羽根を持つ、ラフィーネに勝るとも劣らない美しさを持った女性……聖霊ネネイだった。

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