エルフ郷 ―攻略開始―
魔族軍と人族軍が動くに動けない夜を越え2日目の朝を迎えていた頃、シェキーナ達もまた早々に進軍を再開していた。
本当ならば夜通し行軍し夜明けと同時に襲い掛かるか、夜も深まった時間帯を狙うのが奇襲の定石だ。
しかしシェキーナはその様な策を取らず、正面から堂々と攻撃する戦法を採用した。
そして正午に差し掛かろうかと言う時間となって、エルフ郷の正門を望む位置にまで進んでいたのだった。
本来ならば此処には、エルフ郷の門を守る
だがその老竜は、先年その役目を強制的に解かれている。
―――アルナの手によって……。
そしてそれが、今回の攻略に優位に働いていた。
無駄な説得も、無謀な戦闘も行う事無く、そして僅かな犠牲を出さずにエルフ郷へと攻め込めるのだ。
これは大きなアドバンテージであり……エルフ郷を治めるシェキーナの実妹「デルフィトス=ラフィーネ」にとっては大きな誤算でもあった。
『……忘れるな。例えこれより生き永らえたとしても、いずれ魔族である私がお前達を滅ぼしに来るだろう。それまで、お前達の望んだ……選んだ“平和”とやらを満喫しておくんだな』
シェキーナがラフィーネと袂を分かっておよそ2年……。
壁画にある古の女神の如き美しさを持った2人の姉妹は、他者が呆れるほどに見せつけていた睦まじさなど過去のものとし、敵味方として相対する事となったのだった。
エルフ郷へと続く道には、魔族軍親衛騎士団1000人が待機していた。
それだけの人数がひしめき合っていると言うのに、僅かな話声どころか、衣擦れさえ聞こえないでいた。
びっちりと道を埋め尽くしているものの、絶妙の間隔で前後の間を取り整然と居並んでいる。
その先頭にはシェキーナ。
そしてその横には、エルナーシャやレヴィア、ジェルマにシルカとメルカが並んで立っていた。
「これより、エルフ郷攻略を開始する!」
そしてゆっくりと振り返ったシェキーナが、澄んだ良く通る声音でそう宣言した。
それは怒声では無く、さりとて叫声でもない。
だがしかし彼女の声は、部隊の最後列まで確りと聞こえる程であった。
シェキーナがそう宣言した事で、知れず騎士団の緊張感は高まりを見せていた。
「エルナーシャ、レヴィア、ジェルマ、シルカとメルカを先頭にエルフ郷へと侵攻せよ!」
シェキーナの命令に対して、親衛騎士団の誰一人として返事などしなかった。
それもその筈で、ここで1000人もの兵士が呼応しようものなら、たちまち村の外に魔族軍が集結している事実をエルフ達に知られてしまうからだ。
もっともそんな懸念など、実際の処は無用なものであったのだが。
何故ならシェキーナの声は、大きすぎると言う事は流石に無かったが、村にまで聞こえるだけの声量があったからだし。
何よりも森の民であるエルフ達は、精霊界の住人ではない者達が近づいてきている事をとうの昔に察していたからだった。
「これより、エルフ郷に混乱を齎す! その攪乱に乗じて、一息に制圧せしめよ! 混乱はそう長くない! 疾く行動し、時間を無駄にするな!」
そこまで話したシェキーナにエルナーシャ以下全員が頷いて応え、それを見て取ったシェキーナは再びその正面にエルフ郷の正門を納めた。
シェキーナは自身もエルフである事から、既にエルフ郷には自分達の接近が知れている事を悟っている。
それを証明するかのように、いつの間にか門の前には十数人のエルフが、各々の武器を構えて陣取っていた。
軽装であり、その武器の殆どは
一見すれば攻撃力に乏しく、魔族の戦士達を押しとどめるには余りにも脆弱に思える。
しかしそれを扱うのがエルフであれば、必ずしもそうは言えない。
エルフは、生まれながらに精霊魔法を得意とする種族でありまた、森の狩人でもあるのだ。
エルフの振るう突剣や射る矢に風の精霊を纏わせれば、攻撃範囲が飛躍的に向上したり威力を増す事も不可能ではない。
魔法を纏っているので、通常の防具を容易く斬り裂き貫通する事も可能なのだ。
故に、シェキーナは門の前に群がるエルフ達を決して侮ってはいない。
「
そしてそれ故に、シェキーナは躊躇なくこの精霊を呼び出したのだ。
右手を高らかに上げ宣言する様に精霊を呼び出した彼女のすぐ近くに、ポッと小さな炎が出現した。
当初は極小だったその炎塊は、見る間に渦を巻き大きさを増して、すぐに人型の姿を取ったのだった。
その姿は、筋骨隆々の凛々しい男性に見える。
ただし、全身隈なく炎紅であり、その髪は轟轟と燃え盛り、まるで文字通り怒髪天を突いている様である。
もっとも、その表情は不敵ににやけており、どこか邪悪で恐怖を感じる表情でもあった。
そんな業火の精霊に、やはりシェキーナは目配せで何かを指示し、それを受けた精霊は鷹揚に頷いて応えた。
そして次の瞬間には、シェキーナの隣から姿を掻き消していたのだった。
果たして、精霊はどこへ向かったのか。
それは言うまでもない事であり、その場の全員が理解している事であった。
「全軍、突入せよっ!」
そしてシェキーナは、然したる説明をせぬままに親衛騎士団へと突撃の命令を下した。
―――おうっ!
そんな彼女の合図に、今度は部隊の全員が短く一斉にそう応えたのだった。
その見事に揃った声は、正しく合戦を開く鬨の声に他ならなかった。
親衛騎士団の一団はエルナーシャを先頭とし、立ったまま動かないシェキーナをスムーズに躱して駆けだしていた。
その彼等が目を向ける前方では、巨大な火柱が立ちエルフ達が一瞬で恐慌を来しているのが伺えた。
突如村の中に出現し巨大な火柱を上げた業火の精霊に、さしものエルフ達も完全に虚を突かれパニックとなっていたのだった。
俗に、エルフは火の精霊を嫌う……とされているが、実のところはそうではない。
実際に戦闘時、エルフが火の精霊魔法を使う場面は多く目撃されている。
属性の持つ相克関係がある程度有効である事を考えれば、これも当たり前に考えられる話ではある。
それに火を司ると言っても精霊の一種に違いなく、この精霊界に居を構えているのだから他の精霊と何ら違うと言う事は無いのだ。
ただ当たり前に、火の精霊を扱う事に慎重を来しているに過ぎないだけだった。
炎は象徴として、浄化と再生を意味している。
しかしそれは破壊の後に齎されるものであり、この場合の破壊とはすなわち……死である。
全てを焼き尽くした後に新たな命が芽吹くとしても、その前準備として炎による蹂躙が行われるのだとすれば、それを忌避するのは当然かもしれない。
そして、この精霊界は多く樹木を有している。
生命を育む存在として人界や魔界でも多くの木々が生い茂っている様に、この精霊界でも生命の象徴は「樹」なのだ。
エルフは、そんな精霊界の森で生活しており、火はその樹を燃やし尽くすのだから、自然と彼等が火の精霊を積極的に使わないのも頷ける話だった。
だが、如何に精霊を使役するエルフだったとしても、炎の中級精霊が突然出現したなら混乱を来すのも無理はない。
元々エルフとしてこの郷で過ごしていたシェキーナにそこまで見透かされては、彼等エルフ族が虚を突かれたのも仕方ない事であったのだが。
これが致命的であったのは言うまでもない。
シェキーナの号令一下、親衛騎士団はエルナーシャを先頭にしてエルフ郷への侵攻を易々と達成していた。
慌てて応戦して来るエルフの攻撃も然程脅威にはならず、前哨戦は一先ず魔族軍側に軍配が上がったと言える。
「さて……ここからだな」
ここまでは、シェキーナの読み通りだった。
しかしここからは、流石のシェキーナもどの様に展開するのかは分からない。
戦闘には勝利する。
これは彼女も疑ってはいない。
例えシェキーナ一人であっても、彼女にはこのエルフ郷を滅ぼす確信があった。
故に、この戦いの勝敗に興味はない。
ただ、エルナーシャやレヴィア、ジェルマにシルカやメルカ、そして親衛騎士団の面々……。
彼女達の中で、一体どれだけの者を生き長らえさせる事が出来るのか。
これだけが、彼女の懸念事項であったと言って良かった。
「……行くか」
これは戦争であり、人は必ず死ぬ。
シェキーナが憧れ、その強さに惹かれ、恋焦がれたエルスでさえ、戦闘で死んでしまったのだ。
ならば、シェキーナだけが戦い続ければ良いのかと言えば、そんな事も無い。
彼女とて万能でも全知でも無いのだから、シェキーナの与り知らぬ処で戦いが起こるかもしれない。
その時、自分の身を守るのは自身の力だけであり、その力には経験がどうしても必要なのだ。
そして経験は、往々にして生き残った者のみが得る事が出来るのだ。
「遅いか……早いかの違いだ……」
諦念からか、それとも自分に言い聞かせているのか。
それは、経験を積む時期の事を指しているのか。
それとも、人生の幕を引くタイミングについてなのか。
シェキーナは一人そう口にすると、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます