虚威と虚勢の戦場

 シェキーナ達が野営を取り休息しているその最中であっても、一時も気の抜けない夜を過ごしている人物が少なくとも……2人いた。

 それは言うまでもなく、人界軍最高司令官の地位となっている元勇者パーティのメンバー「ベベル=スタンフォード」と、魔族軍にあって全軍副司令官の地位にある「レギオー=ユーラーレ」である。

 現在両軍は、人界南部に広がる古戦場「ラヴニーナ平原」に於いて、睨みあいの状態を続けていたのだった。

 両軍の総兵数を比べれば、圧倒しているのは人界軍だ。

 3個軍団90000人からなる大兵力は、内容を加味しなくともそれだけで脅威に値する。

 しかし実際は、その人数程の戦闘力を発揮する事は出来ないのだった。


 人界軍側で今現在、集団戦闘に耐えうる準備が完了しているのは実に……1個軍団30000人のみ。

 残りの2個軍団は数こそ揃えど、言い方は悪いが正に「烏合の衆」に他ならないのだ。

 新兵がその大半を占め、練度も低く戦闘能力も論外である。

 その様な集団が悪戯に戦場へと赴けば、無用な屍をただ増やすだけとなってしまう。

 それが分かるベベルだからこそ、1個軍団を3つに分けで3個師団として展開し、残りの2個軍団は後詰として後方に配置するに留めていたのだった。


「……奴ら……なんで動かない……? シェキーナの奴……な―――に考えてやがんだ?」


 動かない敵軍に対して軍を動かす事の出来ないベベルは、夜が耽っても魔族軍の動向から目が離せないでいたのだった。





 そして眠れない夜を過ごしているのは、相対している魔族軍全軍副司令官のレギオーも同様であった。


「動くな―――……動かねぇでくんろ―――……」


 まるで憑りつかれた様にそう呟きを繰り返すレギオーに、周囲にいた近従の者は何も声を掛けられない状態だった。


 正面切って対峙している兵力は、双方で互角。

 しかしながらその内容は、大きく異なっていた。

 魔族兵の戦闘力は人族のそれを大きく凌駕し、魔族兵1人は人族兵3人以上に値する。

 それを考えれば、今向き合っている戦力は3対1と言う事になるのだ。

 この兵力差ならば、余程の悪手でも打たない限り負ける事は無い。

 そしてそう思うからこそ、魔族兵は全員が打って出たい気持ちに駆られており、それは兵権を預かるレギオーも論外では無かった。

 だが、間違っても魔族軍から攻撃を仕掛ける訳にはいかなかった。

 それは何よりも、魔王であるシェキーナの命である事が第一の理由であるからだが。

 レギオー自身も不安を抱えている事実があったからに他ならない。


 魔族軍は確かに、今までにない「集団戦」と言う戦法を手に入れた……いや、手に入れつつある。

 しかし残念ながら、足並みのそろった戦法を取れるのかと言われれば……そうでも無かったのだ。

 兵を養うには、一朝一夕では不可能である。

 練兵とは兵個人の戦闘力も然る事ながら、集団戦における動きやその理解度を高めると言う事にも繋がっている。

 命令通りに動けるようになるのは最低限の条件であり、その行動にどの様な意味があるのかを個々で理解しなければ、最大限の効果など望むべくもない。

 そして現状、魔族軍が取れる作戦行動は……今の状態で限界だった。

 乱戦になれば魔族軍とて望むところであり、その場合は個の力量に勝る魔族軍が有利だろう。

 だがもしも集団戦での戦いとなれば、やはり人族に一日の長がある事は容易に想像され、負けないにしても大きな犠牲を払う事となるのだ。


「たのむ―――……誰も動かねぇでくんろ―――……。シェキーナ様―――……お早いお帰りを―――……」


 まるで何かに祈りを捧げるようなレギオーは、その巨体を小さく小さくして只管に願っていたのだった。





 そして、長かった夜が明ける。

 全軍に大きな動きは無く、日が昇ると同時に双方とも戦闘態勢を取りだしていた。

 そんな中、示し合わせた様に……と言うよりも期せずして、ベベルもレギオーも敵軍の動向を注視する役目は腹心に任せ、仮眠をとっていたのだった。

 昨晩は両者ともに、眠れぬ夜を過ごしたのだからこれはある意味で仕方がない。

 しかも、ただの徹夜ではない。

 敵軍の動きは勿論、自軍が暴発しない様に、双方に気を配る必要があったのだ。

 当然、その神経は倍……いや、3倍はすり減らされ、その疲労たるや筆舌に尽くしがたい状態なのだった。

 流石にここまでシェキーナが読み切っていたのかどうかは定かでは無いが、これにより更に時間が稼げたことは言うまでもない。

 両軍のトップが、命令を出せる状態でも無いのだ。

 敵軍が仕掛けてでも来ない限り、勝手に戦端を開く様な事は誰も出来ずにいたのだった。


 実のところ、人界軍では昨夜の内に戦線を離脱しようとする者が少なくない数で続出し、ベベルはそれを押さえるのにも心労を割いていた。


「ちっ……。そりゃ―――、逃げ出したくもなるってもんだ……。我ながら、情けねぇとは思うけどよぉ―――……」


 ベベルはそれを、何とか押し留める事に四苦八苦したのだった。

 それと同時に、自身の不甲斐なさにも呆れていたのだ。


 暗闇は、人の心に潜在的な恐怖を植え付ける。

 如何に精鋭を以て編成した部隊であろうとも、不気味なほど動きを見せない魔族軍に畏怖を感じたとて、それは仕方の無い事であった。

 魔族軍の精強ぶりは、人族の兵ならば皆が知っている事である。

 そして魔族は白兵戦やゲリラ戦に長けており、闇夜に紛れての奇襲も得意だと言う事も広く知れ回っていた。

 そんな魔族と、夜通し向き合っていたのだ。

 心を折らずに堪え抜け……と言う方が難しい注文であった。

 結果として、魔族軍の「動かない」と言う戦法は、相手に心理的圧力を与える事に成功していた。

 そしてそれに対して有効な策を見いだせない自分の情けなさを、ベベルは痛感していた。





 一方魔族軍の方でも、動き出そうと言う話は……あった。

 部隊を動かす事はせずとも、夜行性の魔獣をけしかけて奇襲とし、人族軍に少しでも損害を与えようと言う案である。

 策としては悪くない。

 闇に乗じて魔獣に襲わせると言う作戦は、古来より幾度も使われて来た戦法でもあった。

 それに戦うのが魔獣ならば魔族軍に損害が出る事は無く、シェキーナの言いつけを破った事にはならない。


 しかし、レギオーは首を縦に振らなかった。


 それは臆病風に吹かれた……と言う事ではない。

 この案を言い出した魔族の「腹」が読めていたからに他ならなかった。

 この作戦を実行すれば、たちまち人族軍は混乱に陥るだろう。

 そしてそれは、魔族軍側の陣営にも飛び火するかもしれない。

 彼等は、それをこそ狙っていたのだった。

 人族軍から手を出してくれば、なし崩し的に戦闘へと移行できる。

 彼等は……いや、多くの魔族はそれをこそ望んでおり、戦いたくてウズウズしている事は誰の目にも明らかだったのだ。


「だめだぁ―――。許可出来ね」


 それでもレギオーは、頑として首を縦に振らなかった。

 それが作戦なのだから、彼が頑なに拒否をするのも頷ける話だ。

 しかしそれ以上に、その様な勝手をシェキーナの不在時に行う事などとても出来る事では無かったのだった。

 それは単に、シェキーナに臆した……と言うだけではない。

 それならば、作戦を勝手に変更した者が処断されれば済む話であり、レギオーが与り知らぬ様に差配する事も不可能では無いのだ。

 それでもレギオーが周囲の要望を黙認できなかった理由、それは。


 対峙した者だけが分かる……シェキーナの底知れぬ怖さは、畏怖や畏憚いたんでは生ぬるい……戦慄すら覚える程の圧倒的な恐怖に他ならなかったのだった。


 シェキーナとて、暴君ではない。

 齎された提案を黙認し、跳ね上がりの魔族が勝手にしでかした事だと言い訳すれば、もしかすれば許してくれるかもしれない。

 だがレギオーには、到底その様な楽観的憶測など出来よう筈も無かった。

 潜在的に知っているのだ。


 シェキーナに……嘘もごまかしも通用しない……と。


 その様に認識してしまっているレギオーに、実行者の命だけではなく自らの生命も欠ける事など出来なかったのだった。





 こうして、夜の間にも双方の軍に動きを見せる気配はなく、驚くほどの静けさの中で朝を迎え、それでも膠着状態が解消される事は無かったのだった。

 そして精霊界を進むシェキーナ達も朝を待って進軍を再開し、正午前にはエルフ郷の至近にまで到達していたのだった。

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