新たなるエルフ郷

 ジェルマ達の引き連れた親衛騎士団との合流を果たしたシェキーナは、そこから暫く進んだやや開けた場所で改めて陣を取った。

 凡そ1000人の兵士達は闇の女王を前にして見事に整列し、誰一人口を開く事は無い。

 大勢の兵がひしめき合うその場所は、何とも奇妙な静寂が周囲一帯を包んでいた。


「これより、進軍を再開するっ! それに際して、部隊の編成にやや変更を加えるっ!」


 一同がシェキーナへと目を向ける中で、まず口を開いたのは団長であるジェルマであった。

 隅々まで響き渡るその声量や、そんな彼が口にした内容にも誰一人途中で口を挟む事は無く、ただ沈黙を以て続きを待っていた。


「エルフ郷は、ここよりもおよそ1日半進んだ先にある。今より可能な限り進軍し安全な場所で野営を行い、翌日エルフ郷へと赴き戦端を開く事となるだろう」


 そしてジェルマの言葉を継いで、シェキーナが話を続けた。

 騎士団の視線は、ジェルマから今度はシェキーナへと移る。


「だが、先の精霊獣との戦闘で、アエッタ、セヘル、イラージュが負傷した。恐らくは、明日の戦闘に参加する事は出来ないだろう」


 しかし次にシェキーナが紡ぎ出した言葉は、一同の動揺を誘うに十分だった。

 ざわつく兵達を叱り付けるような事はシェキーナも、そしてジェルマもする様な事はせず、ただ収まるのを待っていたのだった。

 もっとも、その様などよめきなどいつまでも続けるような親衛騎士団ではない。

 彼等は、自身の力を最も頼りにし纏まって行動する事を苦手とする魔族にあって、一早く集団行動に重きを置いた訓練をして来た部隊なのだ。

 いわば精鋭と言って良い集団であり、恐らくは魔族軍の中でもを有している事に間違いはない。

 統率の取れた集団は、各々が好き勝手に長々と行動し続けるような事は無かったのだ。

 暫時の後、再び周囲は静まり返った。


「次の休憩地まで、交代で倒れた3人を運ぶよう分担を即座に決めよ。明日の攻略時も、その担当者たちはアエッタ達に付きその身を保護する様に。ジェルマ、人選は任せる」


「はっ!」


 シェキーナがこの話をこう締めくくり、ジェルマがそれに答えて恭しく頭を下げた。

 それにシェキーナは鷹揚に頷くと、クルリと踵を返して進む先に目を向ける。


「全部隊、進軍! 可能な限り歩を進め、野営に適した場所を見つけるぞ!」


 そしてそのまま、先頭を切って歩き出した。

 それにすぐさま、エルナーシャとレヴィアが追随する。

 親衛騎士団の一行は、その人数に見合わぬ静けさを以て行軍して行ったのだった。





「あの……母様かあさま? アエッタは……セヘルとイラージュもですが、明日は戦いに参加しないのでしょうか?」


 野営地と定めた場所で部隊を休ませ、シェキーナ達はやや離れた場所で翌日の戦いに対する軍議を開いていた。

 そこに集っているのはシェキーナ、エルナーシャ、レヴィア、ジェルマ、シルカとメルカ……当然の事ながら、アエッタとセヘル、イラージュは不参加である。


「当然だ。あれ程疲弊していては、参加させる方が危険だろう」


 そんなエルナーシャの問い掛けに、シェキーナはさも当然と言った風情で答えた

 そしてそれを聞いたエルナーシャは、心なしかシュンとして押し黙ったのだった。

 エルナーシャにしても、その様な事は聞かずとも分かる事ではあった。

 だが、自分の未熟さでアエッタをあのような状態にしてしまったと言う思い込み……罪悪感が、彼女にその様な質問をさせていたのだった。


「エルナ……。自分のせいで……なんて考えは、あなたの傲慢よ。精霊獣は強かった。あの戦いに赴いた全員が、全ての力を出し切らねば勝てなかったでしょう。そしてあの場では、イラージュが……そしてアエッタがその事に気付いて、自ら率先して実践した。もしもあなたが、彼女達が倒れた事に責任を感じていると言うのならば……次はあなたが率先してみんなを守れるようにしなさい」


 それを察したシェキーナはやや優しい口調で、彼女を言い聞かせるようにそう話したのだった。

 それは、普段シェキーナが取る魔王の顔では無く……まさに母親の表情だった。

 そしてそれを聞いたエルナーシャは小さく頷き顔を上げて、シェキーナへと微笑みかけたのだった。

 それに対して、シェキーナもまた微笑み返し頷いたのだが。


「もっとも……あの娘たちは戦線離脱をした方が幸せだったかもしれないな。明日の相手は獣では無く……人だ。エルフ族は間違いなく人と同じ姿をし、我々にも理解の出来る言葉を話す事が出来る。果たして……お前達に同じ『人』を殺す事が出来るのかな?」


 その後に続けた彼女の話を聞いて、その場の一同は押し黙ってしまった。

 それは至極当たり前の事で。


 人を殺める……と言う事は、生半可な覚悟で出来る事では無いのだ。


 世に戦闘狂や殺人狂と言うものが存在する。

 そう言った人種は、そもそもの思考が一般人のそれとは違う……捻じれているのだ。

 その様な者達は当然の事ながら論外として、普通の感性を持っていれば人が人に手を掛けると言うのは、到底簡単な事ではない。

 明日は国家の……軍の作戦として、それを行う。

 その理由も、エルナーシャ達は十分に理解していた。

 先にエルフ郷を抑え込んでおかなければ、遠くない先に魔界が苦境に立たされることは火を見るより明らかだ。

 これは戦争であり、こちらが手心を加えれば相手も退いてくれると言う様な事は無い。

 例え、エルナーシャ達や親衛騎士団の面々が対人戦闘が初めてであったとしても、それが理由で手を退く訳にはいかないのだ。


「いずれ……いずれは通る道です。避けられない道ならば……乗り越えるまでです!」


 それでもエルナーシャは、その眼に強い力を宿してそう言い切った。

 それを聞いたレヴィアやジェルマ、レンブルム姉妹は、彼女に同意する様に頷いていた。

 それは一方で、自身に言い聞かせている様にも見える。

 もっともその瞳の奥に揺らぐ不安や葛藤を、シェキーナだけは気付いていたのだが。


「決意を固めるのは結構だ。だが、気負い過ぎるなよ。いつもの訓練通りに戦えば良い。それよりも、お前達には他の者とは別に任務を与えておく」


 それを踏まえた上で、シェキーナは話しを続けた。

 今ここでどれ程各々が覚悟を口にしようとも、どれだけシェキーナが心得を説いた処で、結局はその場に直面しなければその時の対処など分からないのだ。


「明日、エルフ郷に攻め入った折、お前達は先行してエルフの子供を保護してもらいたい」


 それよりもシェキーナは、以前より考えていた事をここにきて彼女達に説明したのだった。

 しかしそれは、これまでシェキーナが口にしていた「殲滅」とは正反対の言葉でもあったのだ。


「シェキーナ様―――」


「どうしはりましたん―――?」


「ここにきて―――」


「慈悲の心に目覚めはったんどすか―――?」


 それを聞いた一同の内、シルカとメルカがその様に反問した。

 ただしそれには敬意など含まれておらず、その薄っすらと細められた目には嗜虐の色さえ浮かんでいる。

 もっとも、その考えは何もこの2人だけが抱いたものではない。

 程度の違いはあれ、レヴィアやジェルマも疑問を浮かべた表情をしているし、何よりもエルナーシャでさえ困惑の顔となっていたのだ。


「慈悲や良心の類ではない。これは、魔族の益となる事なのだ」


 そんなレンブルム姉妹の視線に含まれた意味など全く意に介さず、シェキーナは淡々と話を続けた。


「魔族は総じて、攻撃の魔法には長けている。ただし逆に言えば、他の魔法に対して適性が低いと言って良い。それに対して人族は、扱える魔法の種類も豊富だ。精霊魔法の使い手も少なくないし、神聖魔法は防御や回復で脅威だ。更には幻獣魔法を扱える者もいる。肉体的に優位であっても、それを覆す事の出来る『魔法』と言う技術を豊富に有している人族は、今後も魔族にとって油断ならない存在となるだろう」


 一同の顔を見回す様にシェキーナはそう説明し、それにエルナーシャ達は異論を挟まず聞き入っていた。


「そこで私は、を滅ぼし、と考えている」


 そしてシェキーナの言い切ったその言葉に、一同は瞠目し今度は言葉を失っていたのだった。

 それも当然と言えば当然であり、今より……正確には明日には攻め滅ぼそうかと言うエルフ郷を、シェキーナは自ら新たに作ると言うのだ。

 その様な手間を掛けずとも、力で従えてしまうのが早いであろうし、事実人族もそうしてエルフ郷を傘下に置いているのだ。

 そして従属を強いられる方も、今と言う時代では少しでも強く自分達に益を齎してくれる方に靡く。

 それもまた戦禍の絶えない時代の、小国の在り方なのだ。


「その様なお手間を掛けずとも……私が主要なメンバーの首を……獲ってまいりましょうか……?」


 その場の皆が考えていた事を、レヴィアはその眼に冷酷な炎を灯して提案した。

 それは、決して功を焦っている訳でも、己の力を過信している訳でも無い。


「侮るな、レヴィア。人族の間抜けな王族ならそれも容易いだろうが、相手は全員が精霊魔法の使い手だぞ。完全に察知されずに忍び寄るなど、如何にを以てしても不可能だ」


 それを十分に理解しても尚、シェキーナはレヴィアを嗜めたのだった。

 そしてそれが、決して頭ごなしで無いと分かるレヴィアだからこそ、自身の言葉が過ぎたものだったと思い至り、頬を赤くして俯いたのだった。


「多少の時間が掛かる事は致し方ないのだ。二度と主をえる事の無いよう、根本から魔族のシンパに仕立て上げねば意味はないからな」


 ここまで話されれば、エルナーシャ達もシェキーナが何を目論んでいるのか嫌でも理解出来ると言うものだった。

 そして、先程シェキーナは「保護」と言っていたものの、その実それは「誘拐」や「拉致」の類である。

 それはエルナーシャ達が考えている様な、平和裏でも人道的でも何でもなかったのだった。

 声も出せない一同を前にして、シェキーナは淡々と話を続ける。


 揺れ動く焚き火の炎に照らされたシェキーナの顔は、陰影も相まってどうにも悪逆非道に映り、エルナーシャ達は何だか途轍もない悪だくみをしている様な錯覚に陥っていたのだった。

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