安堵の一時

 シェキーナの前方では、倒れたアエッタ、セヘル、イラージュに寄り添っているエルナーシャ達が、思い思いの言葉で声をかけている。

 しかし、誰も適切な処置を出来ないでいた。

 それも当たり前の話で、彼女達は戦士であり戦う技能は身に付けていても、倒れた仲間を癒す術など持っていないのだ。

 回復薬などは持っているのだが、そもそもアエッタ達は戦闘で直接受けた負傷により倒れている訳では無い。

 これでは、エルナーシャ達に治療を施す様な事が出来る訳がない。

 彼女達が、倒れた仲間を前にしてオロオロとするより他は無かったのも致し方ない事であった。


「か……母様かあさまっ! アエッタがッ! アエッタがっ!」


「落ち着きなさい、エルナ」


 近づいて来たシェキーナに向けて、エルナーシャは半ば狂乱気味にそう叫んでいた。

 如何に精霊獣を倒すためとはいえ、アエッタ達はその過程で昏倒したのだ。

 特にアエッタなどは、尋常な倒れ方ではなかった。

 口から……鼻から……耳から……眼からも、真紅の血液を流していたのだ。

 誰がどう見ても、それは自らの身体に多大な負担を掛けた結果であり、とても無事である様には見えなかったのだ。


「でも……でも……」


 やがて、エルナーシャは大粒の涙を流し、声を震わせて泣き出してしまったのだった。

 そんなエルナーシャに、傍に控えていたレヴィアが優しく肩を抱く。

 しかし彼女を支えるレヴィアの手もまた震え、その顔は蒼くなっていたのだった。

 彼女とて、人が倒れ命を失う処を見るのはこれが初めてと言う訳では無い。

 それどころか、レヴィア自身の手は既に清らかと言う訳では無いのだ。

 そんな彼女とて、何事においても動じない精神を既に身に付けている……と言う訳ではなかった。

 特に、人知れず闇黒の世界で戦って来たレヴィアにとって、身近な存在が倒れるなど初めての事であり、心を乱されずにはいられなかったのだった。


 また、他の者にしてみてもそれは同様である。

 戦っている時は、現在の状況に冷静な目を向ける事の出来る者は意外に少ない。

 どれほど己の心を律し沈着を心がけようとも、戦いの高揚感と言うものがそれを妨げるのだ。

 最たるものはその時に浮かんだ考えや見えている事実を過少に評価し、何事もポジティブに捉え、深刻な状況には目を瞑ると言うものだろうか。

 倒れた仲間がどの様な状況なのか、何故その様な行動を取らねばならなかったのかを考える事は後回しにし、結果だけを……勝利だけを追い求めてしまうのだ。

 その結果、その仲間がどれ程の英断を下し、どれだけ負担を引き受けているのか、戦闘の只中にあっては気付きもしない。

 全てを悟るのは大抵……全てが終わった後なのだ。

 今、ここに立っている者たちはそれを痛感し、誰も……あのレンブルム姉妹でさえ軽口をきこうとはしない。

 それほど凄絶な結果であり……大きな犠牲の上に成り立った勝利だったのだ。


「……大丈夫よ」


 そんなエルナーシャの頭に手を遣り、シェキーナは優しく微笑んで撫でてやった。

 不思議なもので、たったそれだけの行為で震えていたエルナーシャの身体は落ち着きを取り戻し、その表情にも赤みがさしていた。

 それに呼応するかのように、隣にいたレヴィアの動揺も治まってゆく。

 それを確認したシェキーナはゆっくりと頷き、今も倒れて動かないアエッタの傍にしゃがみ込んだ。

 倒れているアエッタは呼吸が荒く苦悶の表情を浮かべているものの、その意識は無い。

 重体なのに疑いなく、実際は兎も角としてまるで危篤状態を思わせるものであったのだ。

 エルナーシャ達が心配するのも仕方の無い事であった。


「……煌きの精霊センテリュオ


 横たわるアエッタの頭を右腕で抱きかかえたシェキーナが、僅かに中空へと目を遣り左腕をその虚空へと掲げる。

 そして、まるで呟くように口にしたその言葉は、精霊魔法……精霊を呼び寄せ配下に置き、その能力を行使する呪文に他ならない。

 シェキーナが呼び寄せた精霊は光の聖霊……その上に位置する。

 中級精霊だが、その能力は下級の「光の精霊ルークス」よりもはるかに強力であり、生物の精神にまでその影響を強く及ぼす事が出来るのだ。


 シェキーナの掲げた掌には、眩い程の光が集まっていた。

 それは先程セヘルの見せた魔法「紅玉炎塊榴クリムゾン・ブリッツ」に似ていなくもない。

 だがその場で見守るエルナーシャ達の眼にそれは、まるで別物の……何とも温かな光を醸し出していたのだった。

 そんな中シェキーナは、集めた眩い煌球を伴った掌をアエッタの額へと宛がった。


「……光が……アエッタの……中に……」


 レヴィアの呟いた通り、シェキーナの集めた光はアエッタの身体を包み込んだかと思うと、そのまま吸い込まれる様にアエッタの中へと消えて行ったのだった。


「……輝水の精霊グウレイグ


 呆気にとられる一同を尻目に、シェキーナは続けざまに次の精霊を召喚した。

 その呼びかけに応じて、シェキーナのすぐ傍の中空に人型大の蒼い液体が現れた。

 エルナーシャ達が見守るその先で、その宙に浮く流動体は表面を急激に変化させてゆく。

 滑らかに美しい流線型を形作ったその液体は、見る間に美麗な女性の姿となったのだった。

 彼女の呼び出した蒼き美女は、その口元に淑やかな笑みを浮かべて佇んで……いや、浮遊している。

 全身が蒼一色だと言う事を除いて、その容姿は人のそれと大差ない。

 驚きを露わに彼女を見つめるエルナーシャ達を余所に、シェキーナは無言で……そして眼だけで合図を送り、それを受けたその女性もゆっくりと頷いて応えた。

 その女性……輝水の精霊が優雅な動きで何もない空間を掬いあげると、その手には青く煌めく水が貯められていた。

 精霊がそれをゆっくりとした動きで振りまくと、その清水はキラキラと光を放ってアエッタへと降り注いだのだった。


「……う……はぁ……」


「……アエッタ!?」


 その直後、今まで発していた呻き声とは明らかに違う喘ぎ声を洩らしたかと思うと、アエッタは大きく息をついて、今度は規則正しい呼吸を取りだした。

 その声に、漸く我を取り戻したエルナーシャがアエッタの名を呼ぶ。

 ただし呻き声を洩らしたものの、アエッタの意識が戻るような事は無い。


「落ち着きなさい、エルナ。アエッタの精神と肉体には、とりあえず処置を施しておいた。自然に回復するでしょうが、すぐに元気になる訳ではない。私には神聖魔法のような回復術を使えないからな」


 そんなエルナーシャに、ゆっくりと立ちあがったシェキーナが微笑みながらそう説明した。

 彼女の話を聞いて、エルナーシャの表情に漸く笑みが戻って来た。

 不思議なもので、エルナーシャの緊張がほぐれると共にその場の雰囲気も和らいだものとなり、どこか緊張気味だった一同の身体からも力が抜けていたのだった。

 張り詰めた空気が薄らいでゆく中、シェキーナは立て続けにセヘル、そしてイラージュの処置を済ませた。

 セヘルとイラージュもまた、先程とは打って変わった様に容体が快方へと向かっていることが分かる表情に変化していた。


「ジェルマ、後方で待機している部隊を此方へ合流させろ。……進軍を開始する」


 どこか全てが終わったかのような空気が流れる中、一人真剣な表情へと戻っているシェキーナが、やや厳しい口調でそうジェルマに命じた。

 ただそれだけで、それまで気の弛んでいたジェルマの表情に真剣味が蘇る。

 実際の処は……まだ何も始まってはおらず……当然、終わってもいない。


「は……はいっ! 付いてこいっ! シルカッ、メルカッ!」


 そしてシェキーナの命を受けたジェルマは、副隊長である2人に声をかけて駆けだしたのだった。


「なんでウチ等が―――」


「付いて行かなあかんのどすか―――?」


「隊長はんお一人で」


「ええんやおまへんか―――?」


「うるさいっ! お前達も副隊長だろがっ!」


 のんびり口調でそう答えたレンブルム姉妹ではあったが、その言葉とは裏腹にジェルマに遅れる事無く動き出していた。

 親衛騎士団を統率するのは団長たるジェルマの仕事であり、その副団長であるレンブルム姉妹にもその責任は課せられる。

 団長が自ら動くのであれば、副団長もそれに付き従うのも当然の話である。

 そんな当たり前の事を、まるで何かの掛け合いのように言い合う3人が可笑しくてエルナーシャは、そしてレヴィアも僅かに微笑んでいた。

 もっとも、シェキーナだけはどこか呆れ顔ではあったのだが。


 そしてしばらくの後、シェキーナの元へ親衛騎士団を引き連れたジェルマ達が合流を果たしたのだった。

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