壮絶なるチェックメイト

 疲労の色を濃くその表情に浮かべるアエッタ。

 

「だ……だいじょう……っ!」


 そんな彼女に、隣で同じように大量の汗を搔いているセヘルが声を掛けようとして……言葉を紡ぐ事を止めた。

 元より、セヘルとアエッタの間柄は、親しい関係とは言えたものではない。

 普段から親密では無いのだ。

 この様な状況だからと言って、殊更に気を使ってやるのはおかしいと思ったであろうし、何よりもそれは違うと考えたのだ。

 勿論……照れもある。

 いつもは言葉さえ交わさないにも関わらず、この様に窮地に陥った時だけ都合よく会話する。

 そんな都合の良い自分の行動を、セヘルは僅かばかり恥じたのだ。

 そして何よりも、彼自身も他の者に気を使う様な余裕など無かったのだった。

 

「だ……大丈夫です……。い……行きます……!」


 そして、よもやセヘルがその様な思案に苛まれているとは思いもよらないアエッタは、正しく決死の瞳を浮かべてそう声に出した。

 いや……呟いたと言って良いだろう。

 

 そして……此処からはアエッタの独壇場となった。




 

 アエッタが開始の合図を口にしたと同時に、セヘルもまた

 

「く……くく……」


 彼の口からは、更に痛楚つうその声が零れ落ちる。

 そしてその額からは、今のアエッタに勝るとも劣らない量の汗が滴っていた。

 

 既に魔法を完成させている……様に見えたセヘルだったが、実のところそうではない。

 いや、攻撃できる段階まで進んでいた事に間違いはない。

 彼が掲げている様に見える炎塊をそのまま放ったとしても、敵に対して大きなダメージを与える事が出来るだろう。

 セヘルの使用した魔法は、中級上位魔法。

 下級、中級、上級と振り分けられた中で中位に属し、その中でも下位、中位の更に上、上位に分類されている。

 このクラスの魔法となれば、使用者の技量で非常にユニークな能力を見せるものが多いのだ。

 

 因みに、上級の上には「特級」が存在するが、これは分類上魔法となっているもののその実スキルに近い。

 アルナ=リリーシャが使用した「超回復術式」やメルル=マーキンスの得意とした「第三の眼テルツォマティ」等がそれにあたるが、その殆どは余人に使える様なものではなく、そして威力は上級上位魔法を軽く凌駕していた。


 セヘルが今まさに使おうとしている魔法「紅玉炎塊榴クリムゾン・ブリッツ」は、使用者が上手く魔力を込めれば込める程に……

 そしてそれに反比例するように、放出速度は上がり威力は急激に高まるのだ。

 ただし、目的とした敵の座標へと達する前に障害物などに触れたり、敵に躱される様な事があれば瞬く間に霧散し消えてしまうと言う特性も持っていた。

 威力は中級に似つかわしくないものの、その使用はかなり制限されていると言って良かったのだった。

 

「く……お……。こ……これが……今の限界……か……」


 セヘルが全霊を以て魔力を込めた「紅玉炎塊榴」はその大きさを二回りほど小さくし、今はセヘルが両手を広げたほどの直径となっている。

 それでもこの魔法にはセヘルの保有する魔力が今の彼に扱える限界まで込められており、それをコントロールする為に精神が擦り切れる程の集中を要していたのだった。

 それを確認したアエッタもまた、いよいよ行動を開始する。






「魔力より作られし矢弾よっ! 我が標的を狙い打てっ! 魔弓光弾マジック・ミサイルっ!」


 アエッタの初手。

 彼女の選んだのは、先程セヘルの使用した魔法と同じもの。

 この魔法も出が早く、そしてそのスピードも中々のものなのだ。

 アエッタは躊躇する事無く、その魔法を精霊獣目掛けて放ったのだった。


「アエッタ……っ! お前……っ!?」


 それと同時にに目を見張ったセヘルであったが、彼はそれで彼女の段取りをすべて把握し、絶妙のタイミングで手に掲げる「紅玉炎塊榴」を解き放った。

 丁度アエッタ達に精霊獣はその攻撃を目視できず、容易にアエッタの魔法が着弾するのを許す事となる。

 しかしこの魔法では、精霊獣の強固な防御力を抜く事は出来ない。

 それでも、僅かながら精霊獣の意識は後方へと向けられた。


「ケエエエェェェッ!」


「きゃ―――っ!」


「うわ―――っ!」


 そしてその刹那、今度はセヘルの魔法が命中した。

 弱い魔法の攻撃を受けて、煩わし気に後方へと意識のみを向けた精霊獣の、正しく“油断”していたタイミングを逃さずに捉えた事となる。

 もっとも、もしも精霊獣が油断していなくとも、のだが。

 アエッタの、既には済ませられていたのだから。


 精霊獣と接触した「紅玉炎塊榴」は、その直後に激しい爆発を見せて巨大な紅蓮のドームを形成しその中に精霊獣を取り込んだのだった。

 今のセヘルが威力を最大限まで高めたのである。

 それは、聖霊獣の身を焦がすに申し分のない威力を有していた。


「グ……コフッ!」


 それと同時に、小さく咳き込んだかと思うとそのまま喀血した。

 彼女の表情は更に険しく、顔色も蒼白となり、汗は止め処なく流れている。


「む……無茶の……し過ぎだ……」


 そう案ずる声を上げたセヘルだったが、彼の方も全力を尽くした魔法を使用したばかりなのだ。

 既に片膝を地面に付き息も絶え絶えで、今にも倒れ込んでしまいそうであった。

 それでも彼は、そのまま目を瞑る事など出来なかった……いや、のだが。

 そんなセヘルの声などまるで意に返さないかのように……いや、まったく聞こえていないかのように、アエッタの眼は未だに精霊獣を捉えている。

 そう……ここまでが、正しくだったのだ。


 セヘルの魔法の効力が薄れ、やがて霧散して消えた。

 爆心地に残されたのは、体中から黒い煙を立ち昇らせている満身創痍の精霊獣だった。

 それでもその眼は殺意にギラつき、自分をこの様な姿にした敵へ射殺す様な視線を向けていた。


 後衛に……アエッタへ向けて……。


「キョアアァァァッ!」


 奇声と言って違い無い鳴き声を発したかと思うと、精霊獣はすさまじい勢いで彼女の方へと駈け出した。

 その動きは精霊獣の激怒も相まって、これまでに見た事も無いほど俊敏で且つ力強いものだった。

 エルナーシャ達が呆然と見つめる中、精霊獣はアエッタへと肉薄しようとし。


「ギョ……!? ギョワアアァァァ!」


 その速度を違和感に困惑した声を洩らしたのだが、それでもそれを意に介さずに直進し続けていた。

 そして。


「ギョブッ!?」


 今度は本当に、精霊獣は何とも奇妙な声を上げ……その動きを急停止させられていたのだった。

 言うまでもなくそれは、精霊獣がアエッタの作り出した魔法の盾に激突した為である。

 本気の精霊獣に激突されれば、今のアエッタにそれを防ぐだけの防御障壁を形成する事は不可能だ。

 だからアエッタは精霊獣にぶつかられても耐えられるように、その精霊獣ののだった。

 

「ガフッ!」


 しかしそれでもその衝撃や負担は相当なもので、アエッタは更に夥しい量の血を吐く事となった。

 しかも出血は、それだけには留まらない。

 鼻から……眼からも……そして耳からでさえ、真っ赤な血が彼女の白い肌を真紅に染めている。

 それでも……それでも。

 

「セ……セヘルさんっ!」


 アエッタがその気を弛めるような事は無く、彼女の作り出していた魔法の盾が破られる様な事は無かった。

 そしてその様な状態でありながら、アエッタは策の仕上げをセヘルへと告げる。

 

「邪なる猛襲を防げっ! 硬盾スクリロ・ザシチータっ! 我が魔力の高まりは何者をも寄せ付ける事能わずっ!」


 スラスラと、そして朗々と、その声を待ち構えていたかのようにセヘルが魔法を唱える。


(感服……というやつだ!)


 正しく最後の力を振り絞ったセヘルの魔法が完成するその直前、アエッタもまた残る全ての気力で

 そして、セヘルの作り出した“魔法の盾”がその姿を現した。


 ―――精霊獣の真後ろに。


「ギョヘッ!?」


 セヘルの作り出した盾は、精霊獣の攻撃から身を守るために非ず。

 彼の盾は、後方から精霊獣をアエッタの盾へと押し付けたのだ。

 硬盾は防御用でありながらその前面に無数の突起を持ち、迂闊に攻撃して来た者を傷つける効果も持っていた。

 だが今は、挟み込んだ精霊獣の身体に食い込んで逃さない役目を担っている。


「エ……エルナ―――ッ!」


 精霊獣が魔法の盾で挟み込まれ自由を奪われた瞬間、アエッタが本当に最後の仕上げを叫んだ。

 残る全ての力を注ぎ込み、肺に残る全ての酸素を使い果たしたかのようなその声は、まるで魔力でも含んでいるかのように周囲へ……エルナーシャの耳に確りと届き。

 

「アエッタッ!」


 その瞬間、エルナーシャは弾かれたかのように駆けだしていた。

 それはまるで、自分が何をすれば良いのか既に知っているかのような、一切の迷い無い動きだった。

 風のように走るエルナーシャは、瞬く間にアエッタ達のいる場所まで接近し。


「イヤアアァァッ!」


 気合いと共に彼女の持つ「エルナの剣」を構え、そのまま精霊獣へと突っ込んでいったのだった。

 そのタイミングを見計らってなのか……それとも、丁度その瞬間に意識が途絶えたからなのか。

 エルナーシャが精霊獣と接触する直前に、セヘルの作り出した盾は消え失せた。


「ギャ……ヘ……」


 そして何の障害も無くなったエルナの剣は、動けなかった精霊獣の身体を見事に捉え、その刀身を深々と埋めたのだった。

 会心の一撃を急所に受けた精霊獣は……僅かに声を上げただけで絶命し、その巨体を横たえた。


 それと同時に、後衛2人の身体もまた……糸の切れた人形のようにその場で崩れ落ちたのだった。

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