そこに仄めくもの
アエッタの放った一言は、その場で戦う仲間達の時間を奪い、その場に縫い留めてしまった。
もっとも、動きを抑制されたのは何も魔族の面々だけではなく。
一斉に大声で一言叫んだかと思えば、その直後にピッタリと静止した敵に、精霊獣の方も驚き動きを止めてしまったのだった。
「……セヘルさん……聞いて下さい」
その何とも奇妙な停留空間において、ただ一人その影響を受けていない少女が小さく、しかしハッキリとした声音でセヘルへと話しかけたのだった。
その声が魔法を解く呪文であったかのように、セヘルの刻も動き出した。
そうは言っても彼が時間に縛られていたのはほんの僅か……正しく刹那でしか無かったのだが、それでもそれが未だ縫い止められている者達と比べれば大きなアドバンテージとなる。
「……そんな事を本気で言っているのか!? もしも失敗すれば、僕たちは……。それに僕たち後衛の崩壊は、前衛の全滅に繋がるぞ」
アエッタの話した内容に、セヘルは即座の否を示した。
だがそれは、感情的な気持ちに従ったものではない。
確かにセヘルはアエッタを忌避……と言うよりも、過度のライバル視をしている事に間違いはない。
それが彼女とのコミュニケーションの障害となっていた事は、強ち間違いでは無いのだ。
しかしだからと言って、彼の思考能力にまで影響すると言う事は無い。
そして、まるで刻が緩やかに流れているかのような今の世界であっても、セヘルの思索には何ら
「でも……今のままでは……私達に勝ち目は……ありません」
セヘルにそう答えたアエッタの声と呼応するように、漸く全ての時間が正常に動き出す。
「ケエエェェッ!」
まず精霊獣がけたたましく鳴き声を上げ。
「くぅっ!」
「はぁっ!」
前衛で戦う者達もそれに呼応して動きだした。
まるで先程までの続きを始めた様に、精霊獣がその脅威の身体能力でエルナーシャ達を攻撃し、彼女達は全力でそれを防ぎそして躱していた。
ただし、先程までとは違う光景も展開されている。
それは。
「アエッタはん―――」
「攻撃を止めるて―――」
「どういう事なんどす―――?」
戦闘を繰り広げながら、シルカとメルカが後衛の方へそう声を飛ばし。
「そうだぞ、アエッタッ! どういう事だっ!」
ジェルマも精霊獣の攻撃を盾で受け止めながら、やはり抱いた疑問を解消すべくアエッタの方へと叫んでいた。
もっとも、当のアエッタとセヘルはその問い掛けに応える事はしなかったのだが。
「確かに……このままでは、僕たちが精霊獣にやられるのも時間の問題かもしれない……だが……」
アエッタとセヘルは、未だに作戦内容の一致を見ないでいたからだ。
セヘルとて、このまま時間を無為に過ごす様な真似は望んでいない。
このまま戦いが長引けば、それだけエルナーシャ達は追い詰められていくのだ。
実践ほど、多くの経験を得る機会はない。
それは何も「人」だけに言える訳ではなく、むしろ「野生に身を置く者」の方が僅かな行動で多くの体験を身に付けると言えるだろう。
常に生死の狭間に身を置く者は、より生を引き寄せる為にその術を素早く身に付ける必要があるのだ。
そして今、精霊獣は驚くべきスピードでその動きに無駄を省いて行き、効果的な攻撃手段も手に入れているのだった。
このままでは、本当に
そしてそうなってはもはやエルナーシャ達に打つ手はなく、精霊獣に蹂躙されるより他は無いだろう。
「戦っているのは……後衛も同じ……。後方が安全だと言うのは……誤りです」
中々決心の付かないセヘルに、それでもアエッタは落ち着いた……静かな声音で諭すようにそう話しかけた。
それは何とも、激戦の最中にはありえない程の落ち着いた言い様である。
そしてその語中に、セヘルは以前に何度も言い聞かされた「声」を確かに聞いていた。
アエッタの口にした台詞は、生前のメルルに何度も言われていた事だったのだ。
この場面でその様な演出をアエッタが狙った訳では無いだろうが、不意にその様な事を思い出させられてはセヘルが動揺するのも仕方が無いだろう。
驚きと焦りを覚えた彼は、思わず彼女を凝視していた。
そんなセヘルの視線など意に介していないかのように、アエッタの達意は続けられる。
「それに……このままでは……シェキーナ様にご助力を仰がないと……いけないでしょうねぇ……」
そしてその声を聞いたセヘルは、背中に冷たいものを感じて凝固してしまったのだった。
勿論、魔王シェキーナに精霊獣を倒すよう仰せつかったセヘルは……いや、その他の誰も、シェキーナの参戦を望んではいない。
寧ろそんな事をされては面目も丸つぶれ、シェキーナの信頼も地に堕ちようと言うものだ。
セヘルにとってそれは耐え難い苦痛であり、この上ない屈辱でもあるのだ。
それは彼だけではなく、エルナーシャやジェルマも同じ様に捉えるだろう。
アエッタの言うような、シェキーナに助けを乞うと言う事だけはしてはならない……いや、在ってはならないのだった。
しかしそれにも増して彼の思考を奪ったものは、アエッタの醸し出す雰囲気に他ならなかった。
―――声は……当然ながらアエッタのものだ。
―――喋り口調も……なんらアエッタのもので間違いはない。
―――だが……僅かに伸びた最後の語尾。
―――これがセヘルには違った声音……違った語調……まるで違う人物が話している様に感じられたのだ。
『それにこのままやったら、シェキーナに助けを求めんと……アカンやろなぁ』
そんな有り得ない声、有り得ない言葉がセヘルの中で何度も何度も反芻し、彼は様々な感情に見舞われていたのだった。
それは……驚愕……そして畏怖……更に焦燥……。
あるいは嫉妬か……それとも
だが確かにあった……
瞬間、そんな色々な感情に襲われて、セヘルはその場に膝を付きそうになる脱力感に見舞われた。
しかし彼は膝を折る事無く踏み止まり、そしてアエッタの方へと確り目を向けた。
(……くそっ! こんな小娘の中に、メルル様の姿を垣間見るなんて……くそっ!)
セヘルは、心の中でそう毒づいていたのだった。
もっともそんな心境とは裏腹に、彼の表情には笑みが浮かび上がっていたのだが。
「いいだろう。お前の好きにするが良い。その作戦に乗ってやる」
セヘルはその口角を吊り上げたままアエッタへと返答し、それを受けたアエッタもまた強く頷いたのだった。
「
「まず私が……攻撃を仕掛けます……。セヘルさんはその後、少し遅らせて魔法をお願いします」
凄まじい魔力をその魔法に込めているのだろう、呪文を唱え終えたセヘルは額に大粒の汗を浮かべている。
「ああ……分かった」
そして掲げた右手……天を向いたその掌には、巨大な火球がその姿を現していた。
紅い……比喩でもなく血の様に紅いその炎塊は、まるで今にも沈もうとしている太陽の様である。
それだけで、この魔法が今彼に使える最上級のものであると言う事も、それがどれだけの威力を秘めているのかも分かろうと言うものだった。
だがしかしその隣でアエッタは、そんなセヘルよりも更に必死な……悲壮ささえ含ませるほど真剣な表情で、そして尋常ではない汗を浮かべていた。
未だ彼女は、魔法を唱えてはいない。
それでも、これ程の集中力を捻りだしているのだ。
それだけこれから行おうとする作戦はアエッタが鍵であり……成否は全て彼女に掛かっている事が伺えたのだった。
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