決意
精霊獣の一撃を受けたジェルマの元へ、イラージュは血相を変えて駆けだした。
前線で意識を失う……かどうかは兎も角として、戦闘不能状態でいる事は、それは即ち死に直面している事に等しい。
―――セヘルッ、精霊獣の足止めをっ! ジェルマに目がいかない様にしてっ! アエッタ様っ! 後を……お任せしますっ!
それを
「……イラージュさん……」
そんなイラージュの背中を見つめながら、アエッタは不安げに彼女の名を呟いていた。
イラージュにその後を託されたと言う事は、アエッタがその後の指揮を執ると言う事になる。
彼女の身も心配だが、それ以上に今のアエッタは託された事に対する憂いがその心の大半を占めていたのだった。
「レヴィア、シルカ、メルカッ! もっと精霊獣を引き付けてっ! 精霊獣の意識をこちらに惹きつけるのですっ!」
「はっ!」
「そんなんは―――っ!」
「言われんでも―――っ!」
「分かっとりますえ―――っ!」
そんな後衛のやり取りを知らないエルナーシャ達であったが、彼女達はその場の判断で行動を起こし精霊獣の意識がジェルマへと向かない様に立ちまわっていた。
もっともそれは、とても連携とは言い難い。
レヴィアは論外として、シルカとメルカに至ってはエルナーシャの指示を拒むと言う事は流石に無くとも、とても協力して事に当たっているとは言えない。
目的は同じである事から互いの邪魔にはなっていないのだが、それでも効果的かと言えばそうでも無かったのだった。
精霊獣と渡り合う……と言う事は無理であっても、防戦に徹し引き付けるだけならば今の彼女達でも十分に応戦が可能だ。
それだけの身体能力は既にエルナーシャ達も身に付けており、だからこそシェキーナもエルナーシャ達だけで精霊獣と戦うように指示したのだ。
彼女達は精霊獣の気を引くように、それぞれで突出と後退を繰り返している。
それに気に取られて、精霊獣も今のところはジェルマの方に意識を向けるような事は無い。
実際の処、精霊獣としては動けなくなった者を気にしている余裕などなく。
放っておいても、ジェルマの方に攻撃を仕掛けると言う事は無かったのだ。
しかし残念ながら、そんな事をエルナーシャ達が知る由もなく。
結果として散開し攻撃をする……と言う手段が採れなくなっていたのだった。
そして、イラージュがジェルマの元へ到着する。
可能な限り音を立てず気配を殺したイラージュは、ジェルマの下に辿り着くとそのまま治療行為に入った。
それは、彼女の使える神聖魔法ではなく。
彼女自身が持つ……彼女だけが使う事の出来る「特殊能力」であった。
その
魔力さえ必要としないその能力は、例えイラージュ本人の魔力が底を突いていたとしても使用可能である。
しかも、効果が現れるのに時間も殆ど必要とせず。
「ぐ……あ……あれ?」
苦悶していたジェルマが、呆けた声で瞬く間に復活する程であるのだ。
スックと立ち上がったジェルマが、自身の身体を触り異常がない事に驚いている隣で。
「う……うう……」
今度はイラージュが、呻き声を上げてその場に崩れ落ちたのだった。
「イラージュ!? イラージュ!」
そんな彼女の姿を認識し、そして倒れ込んだイラージュを見たジェルマは、一体今何が起こったのかを即座に理解してそう声を出していた。
「ジェルマッ! 目が覚めたのねっ!?」
「そこにおったら―――」
「イラージュはんが危険ですよって―――」
「とっととこっちに来とくれやす―――」
そしてそんな彼に、女性陣から行動を急かす言葉が投げ掛けられたのだった。
確かに、言うなればイラージュはジェルマの代わりに行動不能となったに他ならない。
彼女の能力を使えば、どの様な損傷も即座に回復出来るのだが、それにはそれ相応の“代償”が必要となるのだ。
そしてその代償とは言わずもがな、イラージュが回復した人物の損傷……その痛みを引き受けると言うものだった。
先程まで、大の男であるジェルマでさえ苦悶に喘ぎ意識も絶え絶えだったのだ。
女性であるイラージュがその様な激痛に耐えられる術もなく、今彼女は気絶している状態であった。
そしてそんなイラージュが横たわる処でジェルマが立ち往生していたならば、何時精霊獣の意識がそちらに向くのか知れたものではない。
「お……おうっ!」
自身を呼ぶ声に応えて、ジェルマは駈け出して精霊獣へと向かって行った。
エルナーシャ達の奮闘は、近くで倒れるイラージュを考えれば当然の事である。
だが精霊獣の戦闘能力、そして持っている精霊魔法を考えれば、ただその意識を逸らしただけでは足りない……アエッタはそう考えていた。
「我が敵を捕えよっ! 彼の者を貫けっ! 地よりいずる楔持ちて、其の血を贄として吸い尽くせっ!
そしてセヘルは、彼女の隣でイラージュが言い残した通り、精霊獣の足止めを行う魔法を唱え終えていた。
そして彼が前方へと手を翳すと、精霊獣の足元から無数の鎖が飛び出し絡め捕ろうとしたのだった。
捕える……と言っても、鎖の先端には楔が付いている。
そのまま突き刺して捕える事は明確であり、それがただ単に標的をその場に留まらせる魔法では無い事を物語っていた。
正しく、絡め捕ると言うよりも縫い止める……その表現が適切であろう。
勿論、その魔法が決まれば……であるのだが。
足元の地面に異変を感じた精霊獣は瞬時に、そして大きく横方向へと跳躍してその魔法攻撃を避けたのだった。
「くそっ!」
魔法としては中級中位と中々に強力であり、それだけに多くの魔力も必要な魔法を躱され、セヘルは思わず毒づいていた。
もっともそれは当然の結果と言え、魔法の行使、成型、出現、攻撃……そのどれもが、威力は兎も角速度的に通用するレベルに達していなかったのだ。
しかしそれは、ある意味で仕方がないと言える。
日夜メキメキと力を付けているセヘルではあるが、一朝一夕で……そして一足飛びに魔法使いとしてのレベルを向上させる事が出来る訳では無い。
セヘルの名誉の為にあえて言えば、彼のキャリアでここまでの魔法をこのスピードで扱えるのは瞠目に値するのだ。
だが現実問題として、精霊獣に通用しないレベルなのだから仕方がない。
結果として、セヘルの攻撃は不発に終わったのだから。
(……だめ……これじゃあ、だめだ……でも……)
各人でそれぞれ最善と思える行動を取っている。
その事は、アエッタとて重々承知はしていた。
しかし結果としては精霊獣を倒す算段も立てられず、本来の目的である「倒れて意識の無いイラージュを精霊獣の攻撃範囲から外す」と言う事も出来ていない。
勿論、精霊獣の意識がイラージュに向く事は無い……今のところは。
エルナーシャ達の頑張りにより、精霊獣の意識は彼女達へと向いているのだ。
だが、精霊獣は広範囲精霊魔法も行使出来る。
もしも精霊獣がその場でその魔法を使えば、イラージュの倒れている処も効果範囲に含まれてしまうだろう。
そうなれば、無防備な彼女がどれ程のダメージを受けるのか想像も出来ないのだ。
そして前衛の面々は、今はその事にも頭が回っていない。
(こ……声を出さなきゃ……。エルナーシャ様に……伝えなきゃ……でも……)
それに気付いているアエッタなのだが、先程から彼女の脳内ではグルグルと答えの出せない言葉が巡っていた。
明確にすべき事は分かっている。
だがそれを実行しようとすると、すぐに反問が湧いて来て、彼女の行動にストップを掛けるのだった。
私の言う事を聞いてくれるのか……?
そもそも、エルナーシャ様に指示などしても良いのだろうか……?
エルナーシャ様やレヴィアが従ってくれても、ジェルマやシルカとメルカはどうだろうか……?
それにセヘルも……不快に思うのではないだろうか……?
この様な考えばかりが浮かんでは消えまた浮かび上がり、アエッタの動きを完全に止めてしまっていたのだった。
大抵の場合、こう言った考えに囚われた者の答えと言うのは決まっている。
つまり……自身に都合の良い……楽な方へと流れるのだ。
アエッタは、このメンバーでは間違いなく最年少であり且つ最も低い地位にある。
実際は兎も角として、名目上はそうなっているのだ。
それが彼女の免罪符となっている。
そう言った指示は、リーダーであるエルナーシャや年上のセヘルがすればいい。
様々な言い訳の中で、現実であり最も自身を納得させるこの言葉がアエッタの思考を埋め尽くしていたのだが。
『アエッタ様、それはあなたが自らする必要があるのです』
そのとき不意に、アエッタの耳元で先程イラージュの言った言葉が反響する。
『アエッタ様は今後、前衛に指示を与える役を担って行く事でしょう。他の者でもその任に堪えなくもないでしょうが、やはりメルル様の力を引き継ぎ、名実ともにメルル様の後継者たるアエッタ様がその役目を負うに相応しいと考えます』
更に、先程の彼女の台詞が一言一句、違う事無く再生されていった。
そして、特にアエッタの心を掴んだのは。
『……名実ともにメルル様の後継者たるアエッタ様が……』
この部分であった。
今、この場で事をやり過ごして、果たして「メルルの後継者」である事を胸を張って言う事が出来るだろうか。
そんな考え……いやこの場合は不安が、アエッタの心中を満たして行った。
そしてそれが、アエッタに強迫観念を植え付け。
「エ……エルナーシャ様っ、レヴィアッ! それに……みんなっ! セヘルの攻撃に併せて……攻撃を止めて下さいっ!」
アエッタに決断させたのだった。
「「「「「「ええっ!?」」」」」」
ただしその指示は、全員が驚きの声を上げるものだったのだが。
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