野生の本能
イラージュの感じた不安……つまり「勘」は、然して時間を置かずに現実のものとなった。
精霊獣が作り出した5つの竜巻。
その1つ1つが、エルナーシャ達にそれぞれ襲い掛かったのだ。
「く……くぅっ!」
襲い来る竜巻を、彼女達はそれぞれに険や盾で受け止めて堪えていた。
気体流で形作られた竜巻……それを盾は兎も角、剣でも受け止める事が出来るのは、それが偏に魔法で作られたものだからだ。
それを僅かに躱そうとする動きを見せた者もいたが、竜巻の動きがそれを追尾する挙動を見せた為にそれも諦めて防御に徹したのだが。
「があっ!」
「きゃあっ!」
それも今回は、裏目に出た結果となったのだった。
細い竜巻の胴体部からは、長く鋭利な真空の刃が無数に出現し、その場に踏み止まって竜巻の接近を防いでいた彼女達を切り刻んだのだった。
それでもアエッタやセヘルの掛けた防御魔法が功を奏し、誰も大きなダメージを受けた者など居なかったのだが。
「あ……あのような魔法の運用など、今まで見せなかったというのに……」
後方でその様子を窺っていたセヘルが、愕然とした表情でそう呟いた。
アエッタもまた、唖然とした顔をしたまま声を出せずにいたのだった。
ただイラージュは、歯噛みをしてその悔しさを滲ませている。
それもその筈で、彼女は精霊獣の展開した竜巻が真空刃を出すだろうと言う処までは読み切っていた。
だがそれは、先程まで精霊獣が見せていた短く弱い風刃であろうと言う処までだった。
さしものイラージュも、まさかこの短時間で精霊獣の使う精霊魔法の“質”がここまで変化するとは読み切れなかったのだ。
幸いだったのは、精霊獣が作り出した刃旋風の効果はそれほど長く続かなかったと言う事だ。
程なくして、5つの竜巻はその威力を弱めて行き
ただし
エルナーシャ達5人は、戦闘に支障を来す程ではないにしても多分に傷ついていたのだ。
今更だが、精霊獣の知能は低い。
それは、今この時に至っても変化など無い。
それも当然で、経験と同じく知能を上げる為には、それなりに時を使い“学習”が必要となるからだ。
精霊獣がこの世に生まれ落ちて、未だに1日と……半日と経っていない。
それどころか、まだ
これではどれ程学習能力に長けていたとしても、大して身に付く事は有り得ないだろう。
しかし、先程の精霊獣は実に効果的な精霊魔法の使い方をしていた。
これはイラージュの想定を超えるものであり、どうにも理に適っているとは言い難いのだ。
では今現在、彼女達の目の前で起こっている現象はどういった事なのであろうか。
精霊獣には……いや、生きとし生けるものにはそれを凌駕する特性がある。
……本能と言っても良い。
つまり。
―――今の精霊獣には、生存本能が発現しているのだ。
生命の危機に晒され、精霊獣は生き残る事に必死となっている。
その生きる事への貪欲さが、如何にすればこの窮地を脱する事が出来るのかと言う純粋な考えに結果を齎しているのだ。
今、精霊獣は、ただ只管に生きる事に必死であり、その為に襲い来る魔族達を全力で倒す事しか思考していなかったのだった。
「
精霊獣の魔法がその効力を失った事を確認して、イラージュがすぐに回復魔法を行使した。
その韻は、アルナ達人界の者が唱える神聖魔法とはかなり違う。
それもその筈で、アルナ達人界の者達が神にその奇跡を願う相手は「光の神」であるのに対して、イラージュ達魔族の者が願うのは「闇の神」……多くの魔族が信奉する神であるからだ。
しかし、光だろうと闇であろうが神は神であり、どちらも神聖魔法に違いないのだ。
イラージュが魔法を唱え終わると同時に、エルナーシャ達前衛5人の身体が淡い光を放ち、先程傷つけられた個所がみるみると回復して行く。
「イラージュ! ありがとう!」
それだけではなく、疲弊した体力も回復していたのだった。
それを実感したエルナーシャは、そうイラージュに対して礼を口にしたのだが。
「エルナーシャ様っ! 危ないっ!」
ほんの僅かな気の緩みをついてなのか、恐るべき速度で精霊獣がエルナーシャへと最接近を果たす。
完全に虚を突かれたエルナーシャはそれに反応出来なかったのだが、もっとも近くにいたレヴィアは彼女の前に躍り出て精霊獣と対峙した。
その結果。
「レ……レヴィアッ!」
エルナーシャの眼の前で、レヴィアが精霊獣の体当たりを喰らっていたのだった。
辛うじて手に持つ小太刀で直撃だけは防いだのだが。
「ぐぅっ!」
女性でありスリムなレヴィアであったが、それでも信じられない勢いで吹き飛ばされて後方の立木に強かに打ち付けられた。
「……ぎぃっ!」
そして精霊獣の攻撃はそれだけで収まるものでは無かった。
レヴィアを薙ぎ払った精霊獣はその余勢をかって、そのままエルナーシャへと嘴攻撃を仕掛けたのだった。
身を盾にして守ってくれたレヴィアに気を取られたエルナーシャであったが、だからと言ってそのまま精霊獣の攻撃を喰らうものではない。
エルナーシャは持っていた剣をクロスさせて、精霊獣が突き刺して来た可愛らしい嘴を受け止めた。
その見た目とは裏腹に、凶悪な身体能力の精霊獣の攻撃を正面から受け止める形となったエルナーシャだが、それでも大きく吹き飛ばされず何とか耐える事に成功していた。
これはアエッタの使用した防御魔法も然る事ながら、エルナーシャの能力全般が以前よりも向上しているからに他ならない。
老竜に手も足も出なかったのは、実に10か月以上も前の話である。
それから更に身技を鍛えたエルナーシャは、以前のように手も足も出ないと言う様な事は無かったのだった。
それは何も、エルナーシャ一人の話ではなく。
エルナーシャを攻撃し、その愛らしく鋭い嘴を止められた精霊獣だが、そのまま執拗に攻撃を続けると言う事は無かった。
周囲を取り囲む魔族全てを敵とみなし、それら全員を倒して初めて生き延びられると「思い込む」精霊獣は、そのまま自身の後方で構えを取るレンブルム姉妹へと襲い掛かった。
「甘いどす―――っ!」
「喰らわんえ―――っ!」
しかし素早く反応を見せたシルカとメルカは、突進してくる精霊獣を左右に分かれてヒラリと躱したのだった。
以前の彼女達ならば、間違いなく精霊獣の攻撃を食っていただろう。
それでも反応出来たのは、警戒心を最大限にしていた事が功を奏したのと、何よりも2人の身体能力もかなり向上していたからに他ならない。
強さは
これならば如何に彼女達とは言え、その攻撃を躱すだけならばなんとか出来る程に実力は伴っていたのだった。
「えっ!?」
ただし能力が向上しているとは言え、全員がエルナーシャやレヴィア、シルカにメルカのような心構えであるとは言えず。
「ぐはっ!」
シルカとメルカの2人にその攻撃を避けられた精霊獣はそれでも止まらず、そのまま次のターゲットに肉薄したのだった。
その標的とは……言うまでもなくジェルマだ。
先のエルナーシャと同じく、瞬間的に気を緩めていた彼は、急襲を受けたエルナーシャを見て驚きを露わとし、吹き飛ばされたレヴィアを見て驚愕し、更にエルナーシャが精霊獣の攻撃を受け止めた際にも何も出来ずに立ち尽くしていた。
その後にシルカとメルカへと襲い掛かる様にも反応が遅れたジェルマは、今度は自分に攻撃が来た事にさえ対応しきれなかったのだった。
「ジェルマッ!」
「おや―――? ジェルマはん―――」
「やられましたんかえ―――?」
その結果、ジェルマは吹き飛ばされる事となった。
それも、先程レヴィアがそうなった様な状況とは明らかに異なる。
エルナーシャを庇う為にその前面へと躍り出たレヴィアの場合は、精霊獣の勢いと力、そして体格差から、攻撃を受けたとは言っても確り防御姿勢はとれていた。
だが今回のジェルマの場合、鋭い嘴の攻撃こそ左手に持つ盾で防ぐ事に成功したのだが、その結果その盾は大きく弾かれ無防備となり、そこへ精霊獣の強烈な体当たりを喰らったのだった。
「ガハッ……ゴフッ!」
凄まじい勢いで後方へと押しやられたジェルマは、強く大木の幹へと打ち付けられ、多大なダメージを負う事となった。
そして咳き込む彼は口から吐血し、そのまま前のめりに倒れ込んだのだった。
「ジェルマッ! あのバカッ!」
それを見たイラージュが、そう悪態をつき駈け出そうとする。
前線で大ダメージを負い、更には昏倒をしたのだ。
彼女の今持つ魔法では、ジェルマを即座に回復させる事は出来なかった。
だからイラージュは、即座に彼の元へと駆け寄ろうとしたのだが。
「イラージュッ!」
「イラージュさんっ!」
それをセヘルとアエッタが慌てて呼び止めた。
それも当たり前の話で、近接戦闘能力に秀でていない後衛陣が戦闘の只中に飛び込むと言う事は、それはそのまま自殺行為に等しいと言えるのだ。
「セヘルッ、精霊獣の足止めをっ! ジェルマに目がいかない様にしてっ! アエッタ様っ! 後を……お任せしますっ!」
それでもイラージュは止まらず、そう2人に後を託すと再び走り出したのだった。
倒れたジェルマの元へ。
彼を……回復させる為に。
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