手負いの獣の逆襲

「キョエエエエェェッ!」


 地面に縫い止められた精霊獣の悲鳴が響き渡る。

 動きを抑制された精霊獣に、四方からエルナーシャ、レヴィア、ジェルマ、シルカとメルカの5人が一斉に襲い掛かったのだ。

 彼女達の武器には、アエッタの魔力附与エンチャント・ウェポンが掛けられている。

 これにより普段よりも格段に高い切れ味を得た各自の武器は、精霊獣の固い羽根の防御を突き破って、本体に深手を与えて行く。

 その中でも格段の切れ味を誇っているのは……アエッタの魔法のエルナーシャの攻撃であった。


「やぁっ!」


 裂帛の気合いを込めたエルナーシャの斬撃が、精霊獣の左羽に大きなダメージを与える。


「ギャバアアアァァッ!」


 激痛に苛まれた精霊獣は、今までに聞いた事も無い様な奇声を発してその痛みを表現していたのだった。


 エルナーシャが両手に持つ武器の1つは、以前にエルスから贈られた「エルナの剣」である。

 古龍エンシェント・ドラゴンの角より造られたその剣は、シェキーナの持つ「エルスの剣」と同様に特殊効果で守られた体表や鎧を、その影響を受ける事無く攻撃する事が出来るのだ。

 それにより、与えるダメージは所有者の純粋な力量に左右される事となる。

 しかしその技量が確りと備わっていれば、追加効果や切れ味のみを追求した武具よりも遥かに高い痛手を与える事が可能なのだ。

 そして今、エルナーシャの断斬により精霊獣の左翼は大きく斬り裂かれたのだ。

 辛うじて体に繋がっているものの、それは僅かに皮一枚でぶら下がっているのと大差なく、もはや翼を羽ばたかせる事も不可能だと誰にも理解出来るほどだった。


「よしっ!」


 それを見て取ったジェルマが、思わず歓喜の声を上げる。

 そしてそれは、その場の全員が感じている事であった。

 先程まで彼女達にとって精霊獣は、攻撃も儘ならない相手だったのだ。

 それを一転、深手を与えるまでに至ったのだから、この喜色は当然だとも言えた。


「まだよっ! まだ精霊獣は、くたばっちゃあいないっ! 気を抜かないでっ!」


 その直後に、後方からイラージュの怒声が飛んで来た。

 ハッとしたエルナーシャとレヴィアは、その場より大きく後退して得物を構え直したのだった。

 それはイラージュの言葉と、セヘルの掛けた魔法「雷縛槍ライトニング・バインド」の効果が切れるのは殆ど同時だったのだ。

 それを裏付けるように、先程よりも鈍いと思われる動きで、精霊獣がその上体を起こそうと動き出していた。


「なんだよ? もうコイツ、虫の息だろ?」


 そんな中で、ジェルマは完全に油断していたのだった。

 いや、彼だけではなく。

 それはシルカとメルカ、そしてセヘルとアエッタも同様だった。

 見るからに深手を負っている精霊獣を目の当たりにすれば、そう考えるのも仕方がない。


 ……もっとも、それが油断と言うものなのだが。


「クキャアアアァァッ!」


 一際甲高い声を上げた精霊獣が周囲の風を巻き上げ、巨大な竜巻を作り出したのだ。

 それも、先程のように狭域での展開ではない。

 一瞬で作り上げたその激風は、瞬く間にその効果範囲を広げて作り上げられたのだ。


「うわっ!」


「「きゃ―――っ!」」


 当然と言おうか、精霊獣の傍らで構えていたジェルマと、その僅か後方にいたレンブルム姉妹は即座に巻き込まれた。

 そして、その影響はそれだけには留まらず。


「きゃ……っ!」


「くぅっ!」


 距離を取った筈のエルナーシャとレヴィアをも巻き込んだのだ。


「アエッタ様っ! セヘルッ!」


 その光景を見たイラージュの叫びは、後ろで控えている2人に向けた声でもあった。

 彼女がただ名前だけしか呼ばなかったにも関わらず、それだけで2人は何をすべきかを即座に感じ取り実行した。

 凄まじい勢いで後方へと飛ばされる前衛5人に対し、アエッタとセヘルは魔力の緩衝材を作り上げて各人の身体を守る様に展開させたのだった。

 魔力のクッションとも呼べるその術のお蔭で、吹き飛ばされたエルナーシャ達が立木に激突して大きな手傷を負うと言う事は無かった。

 魔法ではなく魔力だけで形成するこの技術は、こう言った刹那に驚くべき効果を発揮するのだ。


「あ……ありがとう、アエッタ」


 五体無事だったエルナーシャが木々の間から出てくるとそう謝意を示し、レヴィアも僅かに頭を下げている。

 それに対してアエッタは、僅かに安堵の吐息を溢し、微笑んで頷き返していたのだった。


「いたたた……セヘル、助かった」


「いやいや―――……」


「さっきのはほんまに―――……」


ぶのおましたなぁ―――」


 そしてジェルマも、セヘルに対してそう礼の言葉を掛けた。

 もっとも、シルカとメルカはそう言った礼を言う様な素振りは無かったのだが。

 それでも、セヘルの方でもその様な事を望み期待していた訳では無い。

 レンブルム姉妹にはもちろん、ジェルマの方にも応える事無く、どこかムスッとした表情で精霊獣の方を見据えていたのだ。

 そして精霊獣は、より一層敵意と警戒心を顕わにしてエルナーシャ達を睨みつけていたのだった。

 事ここに至れば、既にその容貌には「可愛らしい」と言った面影など微塵も残っていない。

 ただ手傷を負い、より狂暴化した巨大な鳥型の魔物が一匹……凄まじく狂暴な気勢を発してそこにいるだけであった。

 そしてエルナーシャ達にも、もうその様に浮ついた気持ちなど皆無であった。

 可愛らしい……愛らしい……そのような生き物に、彼女達は正に殺されかけたのだ。

 エルナーシャ達の眼にはもう、ただの精霊獣が一匹立ちはだかっている……そうとしか考えられないでいたのだった。





「キョエエエェェッ!」


 第2回戦の幕開けは、精霊獣からであった。

 叫声を発したと思うと精霊獣は、その周囲に無数の細い竜巻を出現させた。

 それは先程よりも……いや、最初に展開させたものよりも遥かに細い。

 ただしその数は……5本。

 丁度エルナーシャ達前衛陣と同数であったのだ。


「……やばいねっ! アエッタ様っ! セヘルッ! エルナーシャ様達に防御魔法をっ!」


 それを見て取り、更には危機感まで覚えたイラージュがアエッタとセヘルにそう指示を出した。

 だが、後方の2人には何が「やばい」のか良く分かっていない。

 それでも、今は指示役となっているイラージュが出した命令には従うより他なく、アエッタはエルナーシャとレヴィアへ、セヘルはイラージュとレンブルム姉妹へと防御魔法を唱えたのだった。


 忘れられがちだが、イラージュ=センテニオは魔族でも武門で名門の出自である。

 文武共に優れた歴代のセンテニオ家当主は魔王の下に馳せ参じ、その統治の、または魔族軍の要職に就いたのだ。

 また当主でなくとも、一族の者は例外なく魔王の下で働く忠臣の一族でもあったのだった。

 そんな中でイラージュは、余りにも異質な存在として生まれた。

 それは……全ての能力が平凡以下……と言う特異体質でである。

 そんな彼女であったが、決して自身の生まれに絶望して何もかもを諦めた……と言う事は無い。

 負けん気だけは強かったイラージュは、兎に角己を鍛える事に徹した。

 生まれついての資質には恵まれなくとも、それを努力で補おうとしたのだった。

 ただ残念ながら、それが実を結ぶ……と言う事は、無かったのだが。

 身体能力で劣る彼女は、勉学にも精を出した。

 それこそ、魔王の下で役に立つと思える事ならばどの様に難解な書物にも目を通したし、どんな戦術書や兵法書も読み耽ったのだった。

 そしてそれは、メルルに見初められる事で一気に開眼する事となる。

 イラージュの思い描いた結果では無かったが、それでも魔族では珍しい「神聖魔法」の使い手として開花したのだ。

 そしてその事は、それまでに血肉としたものを活かす事となる。


 それは……後衛としての、幅広い知識となって……であった。


 想像力は、経験に勝るとも劣らない武器となる。

 経験とは、実体験から得る事が殆どであるが、見聞きしたものより取り入れる事も可能なのだ。

 勿論、ただ見て、聞いただけでは経験とはなり得ない。

 そこから想像の翼をはためかせ、如何に自身が体験している様に感じる事が出来るのか……ここが肝要なのだ。

 その場に居なくとも、時は違えども、まさにそれをリアルタイムで実感する事が出来れば、それはそのまま経験となるのだ。

 当然の事ながら、想像と事実には大きな隔たりがあり、そのままそれを鵜呑みにする事は出来ない。

 しかしそれを得ているか否かでは、実際に目の当たりにした時の対処法が変わって来るのだ。

 そして、そこから得る事の出来る「勘」と言うものは、何となくと言う曖昧なものよりも明確であり信頼出来るものなのである。


 そしてそんなイラージュの「勘」は、アエッタ達の眼前で事実となって展開される事となる。


 ―――エルナーシャ達に襲い掛かって……であるが。

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