魔法使いの役割

 知能は。

 知識は……力である。


 古龍エンシェント・ドラゴン老竜エルダー・ドラゴンが恐れられているのは、それが最強の魔獣である龍族ドラゴンであると言う事も然る事ながら、高い知能を宿している事にも起因していた。

 知能は知性や理性にも影響し、広い見識からなる洞察力と、感情に振り回されない冷静さを齎す。

 強靭な体躯に恐るべき魔力……これだけでも、龍族は驚嘆に値する。

 そしてその上位種には知能が備わっており、これがこの世界に生きる全ての生物から恐れられる由縁なのであった。


 そしてそれは、何も龍族に限った事ではない。

 人族がこの世界でも生き長らえてゆけるのは、偏に知性を活かしているからである。

 もっとも、他の種族や生物に対して優れているのがそれだけだと言う事もあるのだが。

 兎に角、比較的身体能力や魔力に劣る人族であっても他種族に抗えるのは、その知性で欠点を補っているからに他ならない。





 目の前の魔族共を倒した……と思っていたのであろう精霊獣は、エルナーシャ達の姿を認めて驚きを露わにした。

 しかしそれも束の間、急激に敵意を高めた精霊獣はそれを彼女達にぶつけて来たのだった。


「来るわっ!」


 真っ先に警告を出したエルナーシャの声に反応して、他の面々も改めて戦闘態勢を取った。


「キョエエェェェッ!」


 それに呼応したかのように、精霊獣が彼女達へと襲い掛かかる。

 大きな羽を広げたかと思うと、それを羽ばたかせたのだ。

 勿論それは、大空へと舞い上がるためではない。


「くぅ!」


 放たれた強風を受けて、一同はその場で正に釘付けとなった。

 各々が顔に手を翳して、飛ばされまいと何とかそこで踏ん張っている。

 その姿はどうにも無防備である訳だが、その虚を突いて精霊獣が追撃して来ると言う事は無かった。

 そう言った詰めの甘さ、戦術の拙さを考えても、精霊獣が老竜と同等とは言い難いかも知れない。

 ただしその事に気付いている者は、今のところ見当たらないのだが。





 ―――実際の強さは老竜エルダー・ドラゴン程と考えても差し支えないだろう。


 そう評したのはシェキーナであった。

 そしてその評価は、一方で誤っていたと言って良いだろう。

 知能が低い精霊獣の戦いぶりは、どうにも無駄だらけで隙も多い。

 単純に比較したならば、その力は老竜よりも数段下に位置付けられても仕方がないだろう。

 では、シェキーナの観察眼が間違っていたのだろうか。

 そうではない。

 彼女の批評は誤りではなく、精霊獣を過大評価した訳でも無かった。

 確かに、戦闘技術と言う点では老竜に見劣りする。

 しかし。




 強風で足止めを喰らっているエルナーシャ達を見て、精霊獣がその羽ばたきを止めて次の行動に出る。

 隙だらけな彼女達に追い打ちをかければ簡単にダメージを与えられるものを、そうしないのはやはり精霊獣ならではなのだが。


 いや……そう出来ないと言うのが本当だ。


 精霊獣はこの世界に形作られたばかりであるが故に、身に付けている経験が極端に乏しい。

 そしてそれは、この戦闘で如実に現れていたのだ。

 突風を止めた精霊獣が、今度は空気塊を作り出した。

 圧縮された空気が周囲の空間を歪めその大きさを物語っている。

 砲弾のような大きさとなったそれをエルナーシャに……そして次々と同じ物を作り出してはレヴィアに、ジェルマに、そしてシルカとメルカに向けて順に放って行った。

 その攻撃力は大したもので、彼女達が砲弾を躱したその後方では爆風が巻き起こっていたのだった。


 しかし……それだけである。


 誰か特定の者をターゲットにして襲い掛かるのならばまだしも、こうもバラバラに攻撃をしていたのでは如何にエルナーシャ達が未熟だとしても、それを避ける事は不可能ではないのだ。

 それでも、エルナーシャ達が畳み掛けて攻撃を取ると言う事は出来ないでいた。

 これまでに目にして来た精霊獣の攻撃力は本物であった。

 それを加味すれば、彼女達が慎重になるのも頷ける話であるからだ。

 当たらない攻撃に苛立ちを覚えたのか、精霊獣が再び羽を羽ばたかせて突風を発生させる。

 その力は本物であり、更には僅かに含まれている真空刃がエルナーシャ達の身体に少なからず傷を与えていた。


「な……なんだってんだよっ!」


 どうにもちぐはぐな攻撃を受けて、困惑する一同を代弁する様にジェルマがそう叫んでいたのだった。





「……精霊獣は……戦闘に……慣れていないのかも……」


 真っ先にそれに気付いたのは、後方でエルナーシャ達の戦いぶりを見ていたアエッタだった。


「アエッタ様、それはどういうことです?」


 アエッタの呟きに、イラージュが反応してそう問い返したのだった。

 アエッタがその事に気付けたのは、彼女が「魔法使い」であったからに他ならない。

 魔法使いの主な役割は、後方より魔法を放ち敵を攻撃し、時には補助魔法で味方を援護する事にある。

 ただし、ガムシャラに魔法を唱え続けていれば良いのかと問われれば、当然ながらそれだけではない。

 その立ち位置より戦場全体を俯瞰して眺め、戦局を確認しながら前衛に適宜指示を与えて行くのもその仕事なのだ。


「シェキーナ様のお話では……精霊獣は……その姿を与えられて初めて……現世に具現化する半物質半精霊ファータ・マテリア……。それまでは……他の精霊と同じ……不可視の存在で……ただ精霊界で……浮遊しているだけ……。と言う事は……生まれたばかりだと言う事……」


「そうか! つまり生まれたばかりだから、戦闘の経験が全くないって事ですね―――?   それに気付くなんて、さっすがアエッタ様!」


 アエッタの見解を聞いたイラージュは、大袈裟とも言えるアクションで両手を広げて大喜びした。

 今にも抱き付いてきそうなイラージュにやや距離を取りながらも、アエッタは面と向かっての大絶賛に頬を赤らめて頷いたのだった。


 もっとも、アエッタのその洞察力や観察眼は、全てメルルから受け継いだ「知識の宝珠」から齎されたものだと言う事を当の彼女も気付いていた。

 そうでなければ、僅か11歳の少女がその様な事に気付ける筈も無いからだ。

 経験がない……と言うならば、それは何も精霊獣だけではなく、このアエッタもこの場の誰よりも経験が無いと言える。


「それが分かったとして、肝心の対処はどうするのだ? 私達もそうだが、前衛も何とかさせないと、このままでは埒が明かないどころか、いずれは全滅してしまうぞ。もっとも、そうなる前にシェキーナ様が手を貸して下さるのであろうが……」


「……それは……ありません……」


 セヘルの疑問はもっともで、精霊獣の経験が低くそれが攻撃力に影響している事が分かったのならば、それに対する方策を立案し実行するべきだと告げていたのだ。

 その事にはアエッタも賛成だった。

 と言うよりもそれが魔法使いの役割なのだから、彼女もその事に否やは無い。

 アエッタが否定した事……それは、この戦闘にシェキーナが介入してくる可能性についてであった。


「……え……?」


「それは……どう言う事だ?」


 アエッタの呟きにイラージュは声を詰まらせ、セヘルはその疑問をそのまま口にした。

 言うまでもなく、シェキーナは魔界を統べる闇の女王であり、エルナーシャの母親でもある。

 魔界の住人に対して責任があり、彼女はエルナーシャを愛している。

 それを考えれば、エルナーシャやレヴィア達の危機に無関心を貫くとは考え難い事であった。

 もっともそれは、魔族側の主観に立ったであり、シェキーナがそう明言した訳では無い。

 そして実際の処は、シェキーナの想いはアエッタの言った通りなのだが。


「それよりも……陣形を整えて……協力して戦えば……勝機はあります……」


 アエッタは、セヘルたちが抱いた疑問から話題を逸らす様にそう呟いた。

 確かに今、アエッタ達はのんびりと議論を交わしている暇はない。

 目の前では、エルナーシャ達が未だに苦戦を強いられているのだから。


「……イラージュさん……」


「は……はひっ!」


 いきなり話を振られたイラージュは、驚きと嬉しさにより裏返った声でそう返事をしたのだった。

 それも仕方の無い事で、イラージュがアエッタから話しかけられると言うのは、実のところ余りないのだ。

 2人が近くにいる時は、イラージュが一方的にアエッタへと話しかけていたし、離れている時はイラージュがアエッタを探すという構図が出来ており、改めてアエッタが彼女を呼ぶと言う事が無かったからだ。


「私が……指示を出します……。あなたは……ここからエルナーシャ様達に向けて……声を出して……」


「それはだめです、アエッタ様」


 だがアエッタの出した指示に対して、イラージュはその全てを聞く前に即座の拒否を示したのだった。

 その余りに早く、そして確固たる意志の込められた言葉に、アエッタは絶句してしまっていた。


「アエッタ様、それはあなたが自らする必要があるのです」


 そしてそんなアエッタにイラージュは、確りとした口調でそう言い聞かせたのだった。

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