足並みを揃えて

 魔族軍と人族軍が睨みあいを続けている。

 この場合、戦力的に有利な筈の魔族軍から動いて然るべきな状況だ。

 しかしその様に一般的な考えを覆し、魔族の軍勢は攻勢に出ようとはしなかった……そんな素振りさえ見せなかったのだった。


「……なんで奴らは動かない……? シェキーナの奴……何考えてやがるんだ……?」


 故にベベルはその思惑に思考を巡らせ、それが判別できない内は打って出るような事など出来ないと考えていた。

 彼がたった一人で戦っているのならば、それもまた一興と飛び出していたかもしれない。

 ベベルの性格を考えれば、相手に主導権を握られ続けると言うこの戦況を何とか打破したいと考えるだろうし、その為には多少の無理や無茶は止むを得ないとも判断しただろう。

 事実彼は、今にも飛び出したい気持ちを必死で自制していたのだが。

 殊更に好戦的と言う訳では無いが、敵のペースのままで在ると言う事自体が耐えられないのだ。

 だが今の彼に、そんな事が出来よう筈がなかった。

 ベベルは今、全軍司令官なのだ。

 将兵全員の命を任されており、彼の軽挙妄動でそれらはアッサリと失われてしまう。


 ―――ああ……昔が懐かしいなぁ……。


 間違いなく……そして何度もベベルは、そう考えては遠くへ目をやり眇めていたのだった。

 ……まるで……現実逃避でもするかのように……。




 ベベルがその様に思考の迷宮で悩まされていると言う事を、精霊界にいるシェキーナは……知っていた。

 勿論、人界の情報は未だこの地にまで届いていないのだ。

 こうも彼女の策が隙間なく嵌る等とは思っていなかったであろうが、それでもある程度の足止め効果は出来ると確信していたのだった。

 この辺り、僅かな月日とは言えシェキーナの方がより多くの経験値を稼いだと言える。


 もっとも……その代償は大きすぎたのだが。


 兎に角シェキーナは、派遣した魔族軍と人界軍が睨みあい、それを打破しようとして出来ないベベルまで想像出来ていた。

 そして、その様に両軍が膠着した状態は少なくとも2日は続くと……長くて3日は継続されるだろう事もシェキーナは読んでいた。

 数万人規模の軍勢が動員されているのだ。

 一度動きを止めてしまったのなら、動き出すにもそれなりの時間を要する。

 そしてシェキーナとしては、その数日の間にエルフ郷との決着を……かつての故郷を滅ぼそうと考えていたのだった。


 そんなシェキーナ達の眼前に、障害物と言って良い精霊獣が横たわっている。

 このままシェキーナ達に気付かず、何処かへと飛んで行ってくれれば幸いなのだが、見るからにその様な素振りを見せない。

 元来、精霊は自由で気まぐれな性質を持っている事を考えれば、いずれ精霊獣が道を開けてくれるのをのんびり待つと言う選択肢も取り得なかった。


「エルナ……お前達であの精霊獣を倒すのだ」


 そして、シェキーナの下した結論はこうであった。


「……えっ!? 母様かあさま、それは……」


 それに対してエルナーシャは、絶句して反論も尻切れトンボとなっていた。

 それは何も、彼女だけの気持ちではない。

 アエッタやシルカにメルカもまた、見るからに愛らしいその精霊獣を殺す……と言う事に、少なからず忌避感を抱いていたのだった。

 そしてそれは、他の者もある意味で同様であった。

 もっともレヴィアやイラージュ、ジェルマやセヘルの考えはエルナーシャ達とは別の所にあったのだが。


「母様、その……あの様な容姿の動物……精霊獣を討つと言うのは、少しその……」


 エルナーシャは必死で言葉を選び、何とかシェキーナへと翻意を促している。

 どの様な人であっても、可愛らしく愛らしい動物には少なからず愛着が沸くものだ。

 特に、年頃の少女や女性ならば、その傾向は顕著であろう。

 エルナーシャ達がその様な感情を抱く事は、シェキーナでも容易に想像出来ていた。


 しかし……だからこそなのだ。


 この状況は、シェキーナが懸念していた通りになってしまっていたのだが。

 残念ながら、エルナーシャ達は肝心な事を失念していた。

 それは。


 ―――シェキーナ達は今より、エルフ郷へと赴きエルフ達を蹂躙しようとしている。


 と言う事だ。

 今は戦時下であり、エルフ郷は魔族側と敵対している陣営に与した。

 これは魔族側がエルフ郷を襲うのに、十分な理由となる。

 だが、そこに暮らしているのはエルナーシャ達が心底毛嫌いする様な容姿をした化け物ではない。

 彼女達と同じか……それ以上に整った容姿をした種族が暮らしているのだ。

 中には、女子供もいるだろう。

 しかし魔族の為に、更に言えば自分の為に、それらを虐殺しなければならないのだ。

 その時、可愛いから……愛らしいからと、手心を加える事が出来るだろうか。

 いや……そうなってはならないのだ。


「エルナ……見た目に惑わされている様では……お前が死ぬぞ。はあのように恍けた風体をしていても、その力は強力と言って良い精霊獣なのだ」


 エルナーシャの異論に、シェキーナはややきつめの語調でそう返答した。

 その物言いは、その見た目とは裏腹に精神年齢が低いエルナーシャや、その見た目通り未だ子供の域を出ないアエッタには厳しいものだった。

 そしてエルナーシャはそれだけで、何も言い返せなくなってしまったのだ。

 それは何も、娘が母親に起こられてしょげているから……と言う訳では無い。

 アエッタも、それにシルカとメルカもまた、反論する言葉を持てずに押黙ってしまったのだった。


「……ですが……いえ……だからこそ……私達だけで……勝てるのでしょうか?」


 次いで、言葉を発したのはレヴィアであった。

 そしてその意見に他の者……イラージュやジェルマ、セヘルが頷いて賛同していた。

 レヴィアには、相手の素性や生い立ち、容姿がどうであれ、与えられた任務を熟す事が出来る……それだけの精神力とが彼女には有った。

 だから彼女は……いかに自分が形を与えてしまったとは言え、外見が可愛らしいと言う理由だけで躊躇すると言う事は無い……そのような感情には無縁だった。

 もっとも、イラージュは単に趣味が合わなかっただけであるし、男性陣は興味が無かったと言うだけなのだが。

 レヴィア達が懸念している事は、もっと現実的な理由からであった。


「……あの精霊獣は、シェキーナ様のお話ですと……老竜エルダー・ドラゴンクラスの力があると……。今の私達に……老竜に敵うだけの力が……あるのでしょうか?」


 シェキーナに目で続きを促されたレヴィアは、やや不安を顔に滲ませてそう続けたのだった。

 そしてその気持ちは、他の者も同様であるようで。

 ジェルマやセヘルは、緊張感も露わとした表情を浮かべていた。


「勝てるかどうかは……お前達次第だな」


 そんな彼女達に、シェキーナは何とも曖昧な返答をした。

 そしてそれを受けたレヴィア達は、どうにも愕然としていたのだった。


 改めてシェキーナに言われるまでもなく、勝てるかどうかは自分達次第だと言う事はレヴィア達にも分かっていた。

 それを踏まえた上で、精霊獣と彼女達の力量差を聞いたつもりだったのだ。

 しかしだからこそ、知り得た事がある。

 そしてその事を、意外と言って良いのだろう……イラージュだけが理解していた。

 つまり。


 個々の能力では、精霊獣に劣っている……と言う事だ。


 個人で老竜に……眼前の精霊獣に太刀打ち出来るようならば、シェキーナもこの様な言い回しなどしないであろう。

 それでもその様な言い方をしたのは……そうとしか言いようが無かったからだ。

 そして……個人で勝てなくとも、協力して連携すればその限りではない……と読み取れる。

 それも、近しく慣れている者たちだけでの連携では物足りない。

 この場にいる者全員で、足並みをそろえる必要がある……少なくともイラージュはそう理解していたのだが。


「それはシェキーナ様……我々が個々で全力を出し切れば、勝利に届く……と言う理解で良いのでしょうか?」


 シェキーナの返答に、セヘルが言葉にしてそう返したのだった。

 ただし、イラージュ以外の考えは彼と同様であり、この辺りはまだまだ魔族としての考えや戦い方が根付いていると言える。

 唯一魔族ではないアエッタでさえ、その様な考えに僅かばかりでも侵食されていたのだ。

 シェキーナとしては、そう言った考えこそ改善させたいと考えていたのだが……その道のりはまだまだ長いようである。


「まぁ……そう言う事だ」


 それに対してシェキーナは、またしてもあやふやな言葉で濁したのだった。

 言葉で説明した所で、すぐに実践出来るような事ではない。

 だがいつまでも取り組まないでいれば、進展など望めるべくも無いのだ。

 シェキーナが珍しく……と言うか、少なくともエルナーシャ達が初めて見る煮え切らない態度を取り、その様子を見た彼女達が怪訝な表情を浮かべていると。


「それじゃあ、せいぜい死なない様に頑張りましょうか! ね、アエッタ様? エルナーシャ様?」


 イラージュが殊更に明るい声音で、まるで鼓舞するかのようにアエッタに……エルナーシャに……そして他の者達に声をかけた。

 やや戸惑いながらも、周囲の者たちはそれに同調する様に頷いている。


 そしてシェキーナと視線の合ったイラージュは、自信の籠った目を彼女へと向けたのだった。

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