不可思議な戦場

 シェキーナと思われる姿を確認した……そう報告を受けたベベルは即座に行動を開始し、中央大陸南部に位置する「ラヴニーナ平原」へと赴いていた。

 何故だかその場所で動かない魔族軍3個師団30000人に対して、ベベルも戦闘に耐えうると判断した兵からなる部隊、3個師団を率いての出陣である。

 同数では到底勝ち目がなく、彼としては何としても一戦を避けたい処だ。

 故にベベルは、新兵からなる全軍……残り2個軍団60000人を後方に控えさせていたのだった。

 勿論、これはあくまでも威嚇である。

 まともに戦闘すれば、人族軍は僅か3万の軍勢に蹴散らされる事は想像に難くなかった。

 ただしそこに、ベベルが参戦すればその限りではない。

 不本意であっても彼が前線で大立ち回りをすれば、3個師団の魔族軍程度ならばなんとかなると言う考えもあった。

 もっともその条件を満たす為には、シェキーナが動かない事……彼女と個別に相対しない事が条件となるのだが。


「ちっくしょ―――が……。なんてぇ数だよ……」


 戦場に到着し現場を確認したベベルは、思わずそう毒づいていたのだった。

 魔族の陣容は報告通り、一所に留まって動く気配はなかった。


「……いや……あれはまさか……長蛇の陣……か……?」


 ただ彼の眼にそれは無造作に集団を作っているのではなく、3つの部隊がそれぞれに長方形の陣を取り、それを横に繋げたような形で待機している様に見えたのだ。


「まさか……奴らは魔族ですよ? そんな陣形なんて、作れるわけがないじゃないですか。奴らの戦法は昔から一つ、突撃陣による一点突破ですよ」


 そんなベベルの呟きを聞いた参謀役のヴァイゼ=レントは、如何にも彼らしい返事を返したのだが。

 それを聞いたベベルは、ヴァイゼの方を軽く一瞥しただけでそれについて何ら意見を口にする事は無かったのだった。

 それなりに優秀であり、その発言は常に通論ではあっても間違った事は殆ど無い識者でもある。

 しかし言い換えればそれは凡庸であると言う事であり、ベベルを退屈とさせるには十分と言って良かった。

 だがそれはあくまでもベベル視点で考えれば……と言う事。

 ヴァイゼや他の一般人、一般兵から見れば、ベベルの考えこそが突飛であり……奇異であったのだ。

 ただし今回は、彼の考えこそ正しいと言えたのだが。





「魔族軍に動きありっ! 軍を3つに分け、左右の部隊が展開している様に見えます!」


「何!?」


 ベベルが魔族軍の目的に考えを巡らせていると、突如物見の兵からその様な伝令が発せられ、それを聞いたヴァイゼが驚きを以て答えたのだった。

 即座に敵軍方向へと目を向けたベベルたち首脳陣は、そこに今までにない魔族の動きを見ていた。

 中央の部隊を残し、左右に展開して部隊が大きく距離を取り僅かに前へと突出を開始したのだ。

 それは未だに軍を動かさず中央に集めて編成している人界軍を、まるで包囲しようかと言う陣形……鶴翼の陣だった。


「……間違いない……。ありゃあ、鶴翼の陣だ。シェキーナの野郎……とんでもない事を魔族に仕込んでいやがった……」


 魔族軍の動きを察したベベルは、苦々しそうにそう口にした。

 もっとも周囲の者たちは、彼の言った事が即座に理解出来ずに動きを止めて絶句していたのだが。


「ま……魔族が……魔族軍が陣形を取って戦うなどと……そのような事は、今までにありませんでしたぞっ!」


 それでも何とか再起動を果たしたヴァイゼは、信じられないと言った気持ちを言葉に込めてそう言い放ったのだ。

 いや……信じたくないと言った方が正しいのか。

 そしてその気持ちは、ベベルを除いて全員が同じだった。

 猪突猛進が代名詞だった魔族が、人族の十八番とも言うべき「連携」を使って来たのだ。

 それも……軍隊規模でである。

 これが驚き……と言う表現では生ぬるい、驚愕で無くて何というのだろうか。


 そんなベベルを除く首脳陣の考えをあざ笑うかのように、魔族軍は規則正しい動きで部隊を動かし、正しく両翼を広げて人族軍を取り囲むように展開したのだった。

 勿論、軍を預かる全軍副司令官のレギオー=ユーラーレはシェキーナより戦端を開く事は厳しく禁じられており、その距離を勝手に詰めるような指示はしていない。

 また、人族軍が集結する前に全軍へと檄を飛ばし、命令の徹底した順守を厳しく命じていたのだ。


「いいかぁ、お前達ぃ―――っ! ここでの戦いは絶対にしてはなんねぇかんな―――っ! もしも命令さ破ったもんがおったらぁ―――っ! オラがそいつを殺すから心すんだぞ―――っ! オラがそいつを許しても―――っ! シェキーナ様が直々に八つ裂きさするっちゅう事さ言ってたかんな―――っ!」


 その話しぶりや性格は兎も角として、戦闘能力だけは比類ないレギオーの実力は万人が認める処である。

 真剣に彼と対面した者は、どれだけレギオーが手加減しようとも五体満足で立っていられないと皆が知っていた。

 その彼が手を下すとなると、それは避けられない死が待っていると言う事に等しいのだ。

 それに、シェキーナが直々に……と言う言葉も、殺し文句としては申し分なかった。

 元勇者パーティの一翼を担い、今や魔界を統べる闇の女王である。

 昨年には古龍の王、王龍ジェナザードとの対面も果たしており、その記憶はまだまだ新しい処なのだ。

 この場には居ないからと言って暴走を行おうと言うものなど、流石に誰もいなかった。

 代償は……己の命なのだから。


「だが……見るからに弱そうだぞ、人族は。一気に蹴散らせるんじゃあないのか?」


「ばか……やめとけ。人族を何人か切った処で、誰も褒めてくれないどころか殺されるんだぞ? 割に合わねぇだろが」


「……そりゃあそうだな」


 ただし、その様な会話が部隊のあちこちから囁かれるのは致し方ない事ではあった。


「……こりゃあ、演習……。実践を肌で感じるだけでええっちゅ―――んは分からんでも無いんだけんどなぁ……」


 そしてそんな考えは、指揮権を預かるレギオーも同様であった。

 自惚れでも慢心でさえなく、レギオーの眼から見ても人族の陣容は薄いと感じていた。

 統率されるようになった今の魔族軍ならば、目の前の軍など物の数ではないと思えてならなかったのだ。

 どれだけ自他ともに認めるのんびり屋だと言っても、彼にも魔族の血が流れているのだ。

 この様に大掛かりな陣容を目の当たりにすれば、血が騒がない……と言う訳でも無かった。

 しかしそこは彼の為人ひととなり……シェキーナの人選の妙と言う処か。

 他の魔族には無い強固な自制心で、逸る気持ちを確りと抑え込んでいたのだった。





「くっそ―――……これじゃあ、動けねぇじゃねぇか……」


 そして人族軍を纏めるベベルの方もまた、展開した魔族軍を目の当たりにして困り果てていた。

 3つに分かれた魔族軍は、1部隊に付き1万人規模を有している。

 それに対して人族軍は3個師団……3万人の部隊を分けずに、いまだ集中させている状態だ。

 それだけで考えれば人族軍が圧倒的に……であった。

 魔族軍は3部隊に分けた事で、人族軍は3倍の兵力で各魔族軍に対処できる。

 決して広い戦場では無いが、一気に敵を圧倒するだけの戦力差を以てすれば、各個撃破も不可能ではないのだ……が。


 ―――それも、あくまでも数の計算をしたならば……だ。


 魔族は1体で人族3人分の戦闘力を有していると言われている。

 そして、いままで直に魔族と戦って来たベベルの感想から言えば、その評価は強ち間違いではないのだ。

 つまり人族軍は今、それぞれ3万の部隊に3方向から睨まれている事になる。


「ちぃ……。シェキーナめ……ここまで考えていやがったのか……」


 この戦場では、大軍の運用は余りに難しい。

 今現在対面している、双方3万ずつと言うのが部隊を動かすには限界だろう。

 それを見越した上で、シェキーナは3個師団を投入して来た……ベベルはそう考えていたのだが。





 実際の処、シェキーナに人界軍を打ち負かそうと言う気概は……ない。

 戦闘となれば致し方ないのだが、シェキーナが在位中に魔族軍の勝利を望んでいる訳では無いのだ。

 彼女にはそんな気など更々無いし、そんな事は次の世代……エルナーシャに任せようとまで考えていた。

 彼女が考えていたのは、シェキーナの代で敵を全て潰してしまっては、次の代がさぞつまらないだろう……そんな本気とも冗談ともつかない考えであったのだ。

 本当の所はこの場で戦端が開かれようとも、それすらどうでもいいと考えていた。

 だが、そんな彼女の真意など、当然の事ながら誰も気付けない。

 今回の作戦も、ある程度理にかなっているのだから誰からも反論など出なかったのだ。


 故に、何とも不思議な戦場となった「ラヴニーナ平原」では、動きたくても動けない両軍が只管に睨みあうと言う図式が出来上がっていたのだった。

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