うこさべんのゆううつ

「なぁにぃ―――? まぁた魔獣の群れが現れただってぇ―――?」


 部下からの急報を執務室で聞いたベベル=スタンフォードは、苦虫をかみつぶしたような表情でそう吐き捨てた。

 もっとも、普段から「昼行燈ひるあんどん」等と言う陰口を叩かれる様な風情の彼がその様な表情をしたところで、どうにも面倒臭そうに言い放っている様にしか見えないのだが。

 それに、彼自身もその事に……そして、部下達から陰で色々と言われている事について、何とも思っていないのだから嘆かわしい。

 ただ、その様に軽く見られているにも関わらず、ベベルがその事について否定も箝口かんこうも行わないのには訳がある。


 ベベルは常日頃から、自身が暇であればあるほど良いと思っている。

 その理由の一番手は言うまでもなく、自分が楽をしたいからに他ならない。

 そして最大の理由もまた、その事に起因しているのだ。

 人界軍の総司令官などと言う大層な役を受けてしまった自分が暇と言う事は、それだけ人界が平和だと言う事だ。

 勿論、全く争いの無い世界であるかと言えば、そうではない。

 魔獣や野獣は大なり小なり人里を襲うし、人族同士のいさかいも皆無じゃあない。

 それでもそれらの揉め事や事件は、全軍司令官たるベベルの出る幕ではない。

 そんな事は内輪で解決するなり、自警団が沈静すれば良い事なのだ。

 ベベル自身が動く時は即ち、人界にとって大きな争いが勃発した時に他ならない。

 だからベベルはそうならない事を祈っているし、部下達が怠け者の司令官に頼るような事が無ければと考えずにはいられないのだ。

 だが残念ながら、その様な平静は見事に破られる事となる。


「は……はっ! 北の極大陸より異界通路ゲートを通って多数の魔獣が出現っ! 魔獣の群れはそのまま北の街「セーヴェル」を襲撃っ! 現在、治安部隊と激しい交戦中とのことで、こちらにも援軍の要請がっ!」


「……ちぃ……シェキーナの奴……。それで……数は? 規模はどの程度なんだ?」


 詳しい内容を部下から聞いたベベルは、思わず舌打ちしてそう毒づいた。

 だが、いつまでも魔界に君臨した旧知己に思いを馳せている訳にもいかない。

 彼は即座に、より具体的で詳しい情報を求めた。


 以前から、明らかに魔界より送り込まれていると分かる魔獣の群れが、人界の村落に襲い掛かって来る事はあった。

 もっともそれは小規模であり、未だ編成途上である人界軍であっても十分に対処可能な数であった。

 ただその事が、新たに集めた新兵たちの練兵に支障をきたしていた事は否めないのだが。

 勿論ベベルは、それがシェキーナによる妨害……と言うか、嫌がらせだと察していた。察していて、それでもあえて魔界と決定的に対峙する事を避けてきたのだ。

 それは言うまでもなく、人界の戦力不足が理由の第一ではあるが。

 何よりも、シェキーナと相対する事の出来る人物が、今のところ彼……ベベルしかいないからであった。

 彼女との戦闘で、ベベルが勝てばいい。

 しかしそうでなかった場合は、それはそのまま人界の敗北を意味しているのだ。

 その事で、一気に人族が滅亡すると言う事にはならないだろう。それは魔族とて同じことが言える。

 ただ、受ける被害は甚大だろう事が容易に想像出来たのだ。

 そしてベベルは、シェキーナも同様の理由で本格的な戦闘を仕掛けてこないと言う事まで見抜いていた。

 だから彼は、ある意味で不思議な安堵感を抱いていたのだが。


「はっ! 中型魔獣『巨熊グリズリー』クラスが目視出来るだけで凡そ20! 小型魔獣『双頭虎アンク・ティーガー』クラス50! その他の小型魔獣が200以上! ……大軍ですっ!」


 それを聞いて、ベベルは思わず絶句してしまっていた。

 これまでの規模を遥かに超えて、その数は人族1個連隊3000人に匹敵する。

 中型魔獣「巨熊」クラスの体躯は、人界に生息する最も大きな野獣「大熊」の軽く倍はあり、強さに至っては言うまでもない。

 それに加えて「双頭虎」は小型魔獣のジャンルに含まれてはいるものの、その大きさと凶暴さは十分に中型魔獣クラスと言えるものだった。

 他の魔獣も十分に脅威だが、ベベルにとってはこの2種だけでも頭が痛い処であったのだ。

 これではそれなりの防壁を持つ「セーヴェル」と言えども、そう長くはもたないと即座に察したのだった。


「ちくしょう……奴め……人族と本格的に事を構えるつもりか!?」


 シェキーナの考えが即座に見抜けず、ベベルはそう毒づくと共に、どう対処すべきかを思案していたのだった。

 そしてその時間は、非常に僅かな間でしかなかった。


「しゃあねぇな―――……。俺が行くわ。すぐに出る事の出来る兵士を1個旅団5000人程度集めといてくれ」


「い……1個旅団ですかっ!? それ程の規模が必要なのですかっ!?」


 襲って来た魔獣の数で言えば、300以上……ただし500もいかないだろう。

 それに対してベベルは、戦闘経験のある兵士を5,000人規模で動員すると言っているのだ。

 部下の男が驚きの声を上げるのも、それは仕方の無い事であった。


「ああ……いいかぁ? 魔獣ってのは、案外やっかいなんだぞぉ―――? こっちの野獣程度に考えてたら、手痛い目に合うんだからなぁ。圧倒的な数で、可能な限り安全な策を取らんと、想像以上に被害が出ちまうんだよぉ」


「はぁ……はっ!? はいっ、了解いたしましたっ!」


 ボリボリと頭を掻きながら、ベベルは気怠そうにそう説明した。

 その様な姿を見せられては部下の男も思わず気を抜きそうになったのだが、話の内容が時間差で脳に到達したのだろう、背筋を伸ばした部下はそのまま了承の返事を取るとそのまま足早に部屋を後にしたのだった。


「……ったく……シェキーナの奴……。俺等を揶揄からかって、遊んでやがるのか?」


 一人になったベベルは、意図の読めないシェキーナの行動にそう愚痴を言う事しか出来なかったのだった。




 ベベルは、即日に準備を纏め城を後にしていた。

 兵は神速を尊ぶ……。

 兵法の初歩中の初歩とも言えるこの名言を、ベベルは見事に実践してみせたと言える。

 しかし残念ながら、それを活かしきる事は出来なかったのだった。

 何故なら。


「なにぃ―――っ!? 南極大陸から、魔族軍が大挙して押しかけているだと―――っ!?」


 その報を聞いたのは、彼が率いた兵と共に1日ほど進軍し野営をしている最中であった。

 北の街セーヴェルは、通常行軍ならば神聖国家「エテルニア」の首都である「エテルノ」よりおよそ8日の場所にある。

 ベベルの動きは、それを出来る限り短縮するものだった。

 だが齎された凶報により、彼自身がこれ以上進む事など出来ない事を余儀なくされていた。


「……くっ……。俺は王城に戻って、全軍の指揮を執る……。セーヴェルの事はお前達に任せた……」


 ベベルは苦虫をかみつぶした表情で、隊長補佐の兵にそう告げたのだった。

 この決定は単純に、新たな敵が出て来たからであるとか、南から現れたのが魔族軍だからであると言う理由だけではない。

 これほどの規模で進軍して来る以上、シェキーナも出向いて来ると言う事が容易に想像出来たのだ。

 そして彼女に相対できるのは、今のところベベルだけである。

 ただし今現在で、シェキーナの所在は正確に確認されていない。

 明らかに陽動と思われる北側の攻略にシェキーナが加わっている事も考えられるし、定石通り魔族軍を率いている可能性も高い。

 つまり、どちらにも対応出来るように中間点である「エテルノ」で双方の動向を注視する必要があったのだ。

 後の事についての簡単な指示を部下に与えると、ベベルはすぐに馬を駆って元来た道を戻る事となった。


「ちくしょう……あいつの狙いは、これだってのか?」


 馬を操りながら、ベベルはシェキーナの思惑に考えを巡らせていた。

 シェキーナがその姿を現さなければ、ベベルがエテルノにある城から簡単に動く事は出来ない。

 それは延いては、戦力を大幅に削減させる事となるのだ。

 勿論これはどちらも不正解なのだが、それとは知らないベベルは何とかシェキーナの動きを推察しようと頭脳を働かせていたのだった。


 結局彼が姿を確認出来たのは、それから2日後の事であった……。

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