出陣の鬨

 ―――光陰に関守せきもりなし……。


 シェキーナの推し進める精霊界「エルフ郷」攻略準備は整い、いよいよ後は進軍するのみとなっていた。

 その段にあって、シェキーナは魔王の間にて軍議を行っていた。

 だがそれは、常日頃のような意見を言い合い物事を決定するものではなかった。


「各員、報告をっ!」


 これは、進発に際しての準備確認。

 そしてシェキーナによる、大号令を発する儀式だった。

 シェキーナの脇に控え議事進行を担当する秘書官の女性魔族が、声高にそう告げる。

 それを、シェキーナの眼前で部屋いっぱいに居並ぶ武将官僚が、一言も発する事無く聞いている。


「全軍副司令官!」


「はぁ……」


 そして秘書官……ムニミィ=ディナトが発言者を指名すると、それに応えて何とも気の抜けた返事を発する者が一歩前に進み出た。

 そんな全軍副司令官……レギオー=ユーラーレを、シェキーナや他の者は可笑しそうに見ていたのだがただ一人、ムニミィのみが強い眼差しを向けていたのだった。


 ムニミィ=ディナトはその名からも分かる通り、アヴォー老の一族に連なる者……ディナト一族である。

 アヴォー老としては常に、そして逸早く情報を得る意味合いで、一族でも才女と評されていた彼女をシェキーナの秘書として薦めたのだが。

 当のムニミィは、シェキーナの執務能力の高さに感銘し、今では彼女の忠実な秘書としてシェキーナの役に立っていたのだった。

 そんな彼女が嫌うもの、それは……怠惰である。

 そして彼女の眼から見ればどうにも全力を出し渋っている人物……レギオーは、忌避すべき存在だとも言えた。

 ただし実のところ、レギオーは決して無能でも無ければ、怠けている訳でも無い。

 そうでなければ、シェキーナが彼を全軍副指司令官に据える訳がないのだ。


 レギオー=ユーラーレは動きこそ緩慢と思われがちだが、実はそうではない。

 アスタルを思わせる筋骨隆々な巨躯は、ボサボサで緑色の頭髪と気合の入らない赤い瞳を覗き見れば、何とも宝の持ち腐れであると思わせてしまうだろう。

 だが実際は、その身体に見合ったパワーファイターであり、その力は全軍でも彼に並ぶ者がいないほどだ。

 だからと言って力に頼る猪武者ではなく、その穏やかとも言える性格は冷静さにも繋がり、単騎行動から全軍指示まで、常にどの様な局面でも的確な判断を下す事が出来るのだ。

 もっとも、その見た目と雰囲気通りに覇気は無く、ある意味で言えばその戦闘能力を死蔵しているに等しい。

 だからこそ、シェキーナは彼を全軍副司令官に据えたのだが。

 残念ながら、ムニミィにはその意図を察せられても尚、納得されていない様である。


 最前列より一歩前に出たレギオーは、彼なりに不動直立の姿勢を取っているつもりである。

 しかしどう見ても、その気だるげな雰囲気からピリッとしたものは感じられず、結果としては面倒臭そうな印象を周囲に与えていた。


「レギオー……全軍の準備はどうか?」


 そんなレギオーに、シェキーナは静かにそう尋ねた。

 その表情は見る者が見れば、薄っすらと微笑んでいる様でもある。


「はぁ……全軍、準備に抜かりはねぇっす」


 そして彼の振る舞いから意気が感じられないのは、このなまりの強い話し方にも合った。

 ただし、シェキーナを始めとして彼女の近従にその様な事を気にする者はいなかったし、ムニミィにしてもただそれだけの理由で彼を排除するような事は出来ない。

 それにムニミィとて、レギオーの能力を認めていない訳では無いのだ。

 だからこその彼女の感情……なのだが。


「宜しい。次に奇襲部隊、報告を」


 シェキーナの小さな頷きを確認したムニミィが、次の部隊に報告を要請する。


「魔獣の準備は既に出来ております! 暗示の深度も申し分なく、多少過酷な状況でも命令に忠実な働きをしてくれるでしょう!」


 それを受けて元の位置に戻るレギオーと入れ替わるように一歩前へと出たのは、金色の髪を短くまとめた、凛々しいと言って良い“少女”であった。

 ベスティア=ソシオの一族は、古くから「獣使いビーストテイマー」の能力を有している。

 他の魔族でも低級な魔獣なら魔力で操る事が出来るのだが、彼女の一族はその能力に長けていた。

 その力は強く、低位のドラゴンですら操る事も不可能ではない。

 そして今まで魔界から人界へと魔獣を送り込んでいた役目を負っていたのは、何を隠そう彼女の一族であったのだ。


「中位魔獣は、どの程度用意出来ている?」


 緑色の瞳に煌々とやる気を漲らせているベスティアに、やはりシェキーナは優しい笑みを湛えてそう問いかけたのだった。

 それは何もシェキーナが彼女を特に可愛がっているとか、年齢の割に背伸びをしている処が可笑しいから笑いを浮かべていると言う訳ではない。

 ベスティアは今年で109歳になる、立派な女性と言って良かった。

 その年齢だけで言えば、レヴィアよりも年長になるのだが……。

 彼女の姿は、どうにも「少女」と形容して良いものだったのだ。

 一目見ただけならば、彼女の姿は今年で11歳となったアエッタと、余り大差ないと言って良かった。

 だからこそだろう……それがベスティアのコンプレックスとなっているからこそ、彼女は殊更に男勝りな喋り方や立ち居振る舞いをする傾向にある。

 だがそうした所で、彼女の「愛らしさ」が際立つより他は無く。

 それがシェキーナの失笑を買う事となっていたのだった。


「はっ! 巨熊グリズリークラスの魔獣を20、揃えましたっ! 人界の者どもに、大きな混乱を与える事に疑いなど無いでしょうっ!」


 そんなシェキーナが向けた笑みを、ベスティアは信頼の証だと受け取ったのか。

 殊更に誇らしく胸を張った彼女が、声を弾ませてそう答えたのだった。

 もっとも残念ながら……その胸部は「まな板」と形容されるに過言無いのだが……。

 ただしベスティアの揃えた魔獣は、今回の作戦に投入されるには過剰に過ぎると言って良かった。

 そしてそれだけの結果と能力を見せた彼女に、シェキーナも強い信頼を寄せていたのだった。


「最後に、アレの準備はどうなっている?」


 そしてシェキーナが、玉座の横……エルナーシャの隣に控えるレヴィアへそう問いかけた。

 それを受けてレヴィアもまた、場の雰囲気に則って礼儀正しく、それでいて優雅に前へと踏み出た。


「はい……。準備に怠りはありません……。ゲミニー……ここへ……」


 レヴィアの呼びかけに答え、彼女の背後……玉座の後ろに張られた幔幕より、一人の女性が歩み出てきた。


「こ……これは……!?」


「シェ……シェキーナ様!?」


 それと同時に事情を知らない者達の間からは、動揺を含んだ声が沸き立つ。

 それも仕方の無い事であり、歩み出てきたのは正しく玉座に座る人物に瓜二つの……シェキーナだったからに他ならない。

 彼女……ゲミニーの存在を知っていたのは、シェキーナの側近であるエルナーシャ、アエッタ、アヴォー老、ジェルマ、シルカにメルカ、セヘルとイラージュ、レヴィアは勿論だが、その配下であり“影”の統率役であるチェーニであった。

 彼女達はゲミニーの素顔も知っていたが影武者……と言う役処から、その正体を多くに知らせる訳にはいかないのだ。


「狼狽えるな……。この者は私の配下……。当然だが、この姿も術を以て変えているだけだ」


 動揺を隠せないそんな一同に向かい、レヴィアが殊更に低くした声でそう告げた。

 それを受けたその場の者達は、息を呑む様にして押黙ったのだった。

 本当は、疑問を口にしたい衝動に誰もが駆られていた。

 しかしその様な醜態を魔王の……シェキーナの眼前で晒す事など出来ない。

 静まり返る面々の前で、シェキーナは美しい所作で立ち上がるとその姿を見せつける様に晒した。

 そんな神々しいとも言える立ち姿に、諸将は先程と違う意味で息を呑み魅せられていたのだった。


「これにて、全ての準備が整った事を宣言する! これより作戦を発動し、順次出兵へと取り掛かる!」


 そして、聞くものの魂を掴むかのような凛とした美声でそう発したのだった。


「奇襲部隊は1日早く城を発ち、北の極大陸へ向かえ! 異界通路ゲートを用い人界に侵入後、北方最大の人族都市『セーヴェル』へと赴き攻撃を仕掛けるのだ!」


「はっ! お任せください、シェキーナ様っ!」


 シェキーナの告達に、ベスティアが身体を逸らすほど無い胸を張ってそう返答した。

 先陣は武人の誉れ……と言われる様に、例え奇襲部隊とは言えこの大規模作戦の序幕を任されるとなれば、彼女の気合いが天井知らずに高まるのも頷けようものだ。


「ただし、魔獣をけしかけ人族の混乱が顕著となれば、お前達は直ちに人界より撤退するのだ! 決して功を焦るなよ! お前達が窮地に陥っても援軍は出せんし、お前達を失う様な事になって欲しくないからな」


「シェ……シェキーナ様……」


 そしてシェキーナが次に続けた言葉で、ベスティアは涙ぐむほどに感無量と言った処だった。

 そんなベスティアに頷いて答え、続けてシェキーナはレギオーへと目を向けた。


「次いで魔王軍3個師団を以て、南極大陸を目指すのだ! レギオー、指揮を頼んだぞ!」


「へぇ! 任せてくんろ!」


 シェキーナの下知に答えるレギオーの声は、今までにないくらい気合の籠ったものだった。

 だが残念ながら、その言葉はやはりどうにも気の抜けたものに聞こえてしまう。

 ただし今回は、誰からもその事にツッコミや非難の視線が向けられる事は無かったのだが。


「主力軍は、人界南方に広がる『ナンノ森林』を超えて半里2Kmの地点で布陣! 予定通り部隊を3つに分けて、鶴翼の陣を敷いて待機し、やがて来る人界軍に相対せよ! ただし、これは擬態だ! 決して戦わぬ様に注意し策を弄せ! 良いな!」


「分かってるだっ! 期待に応えてみせるだよ!」


 どうにも気の抜けるやり取りとなってしまったが、それでもレギオーの表情に巫山戯ている様子もなく、シェキーナの方も真剣そのものの表情だ。


「……ゲミニー。私の代わりに、主力軍への同行を命じる。危険な役回りだが、頼んだぞ」


 次いでシェキーナは、レヴィアの背後に控えていたもう一人の自分……ゲミニーにそう声をかけたのだった。

 その言葉に、ゲミニーは何も口にせずただ黙って頷いたのだった。

 ゲミニーの「変貌」は、実に良く出来ている。

 姿は勿論、身長や体重、そして何よりもその声まで真似る事が出来るのだ。

 一見して、彼女の術を暴く事の出来る者など居ないだろう。

 だからこそ、ゲミニーはどの前線よりも危険な場所へと赴く事になるのだ。

 何故ならば、敵将を討つ事ほど戦闘に勝つ手段はないからだ。

 それが分かっているゲミニーだから、その表情は引き締まり蒼ざめている様でもある。

 しかしシェキーナは、それ以上彼女に言葉を掛けるような事はしなかった。

 どう転んだところで、ゲミニーに影武者を演じさせる事を変更するなど無いのだから。


「精霊界侵攻は、当初の予定通り私と親衛隊、そして選りすぐった者で行う! 以上だ! 全軍、移動を開始せよっ!」


 シェキーナが宣言を終えると、魔王の間は叫声に包まれた。

 武官文官全員が、手を上に掲げて雄叫びを上げている。

 今回の目的は人界の攻撃では無いが、それでも人界侵攻は魔族が潜在的に持っている悲願でもあるのだ。

 天をも突く士気の下、魔族軍の行動が開始された。


 シェキーナが自ら率いる精霊界攻略メンバーは、エルナーシャ、アエッタ、レヴィア、そして親衛隊1000人、親衛隊長ジェルマ、副隊長レンブルム姉妹、更に魔導部隊よりセヘルとイラージュであった。

 魔導部隊は軍主力に従軍しており、今回は戦闘が前提ではない事から、シェキーナの同行を申し付かったのだった。


「アヴォー老、後を頼みます。ムニミィ、頼んだぞ」


 そしてシェキーナはアヴォー老と秘書のムニミィにそう声をかけた。

 アヴォー老はうやうやしく、ムニミィは敬意を以てそれに応えたのだった。

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