悲壮なる、そして切なる
聖霊ネネイがそれまでの態度を一変させたのを見たシェキーナもまた、纏っていた雰囲気を弛めていた。
油断している訳では無いが、もう聖霊ネネイに悪意のある問答を持ち掛けられないと理解していたからだ。
彼女に対して、無駄に力を籠める必要が無くなったとも言える。
「ねぇ……どうして分かったのかしら?」
ただしこのやり取り自体が茶番……ネネイの改まった言葉がそう告げていた。
「それこそ、言うまでもない事だ。お前……今回は私の所へ初めに来ただろう? らしくない行動を目の当たりにすれば、そう考える方が自然だろ」
そしてその事を、シェキーナの方も理解しているようであった。
もっとも、ネタがバレれば何の事は無い、その考えに帰結して当然であったのだが。
今まで聖霊ネネイは、正しく暗躍と言って良い行動を取って来た。
若しくは、交渉相手に対して選択権を与えない様な論法を取って来たのだ。
今回のような見るからにストレートな物言いなどは、彼女のやり方……そのスタンスにそぐわなかったのだ。
「あらぁ、そうかしら? もしかすれば、もう人界側に情報をリークしているかも知れないじゃない?」
「その場合はわざわざ私の前に現れないだろうし、現れた処で私に手の打ちようはないな。もっとも、今回は向う側に知られた処で、あちらの方が打つ手も無いのだろうがな」
ネネイの厭らしい「仮定」の話を、シェキーナは間髪入れずにやり返している。
その反論が余りにも正鵠を射ており、リリスは何も口を挟めないでいた。
「それじゃあ……」
「大体、私の行動は概ねでお前の利害と一致している筈だが?」
「ぐ……」
「それに、もしもお前が私より先にエルナーシャや他の者と接触していたなら、それこそ私がそれを見抜けない筈なんてないしな。特にエルナの奴は……嘘が下手だ。私に隠し事も出来ないだろう。良くも悪くもそう言う処は父親似だからなぁ……あいつは」
それでも何か言おうとする聖霊ネネイの声に自らの言葉を被せたシェキーナは、失笑を溢しながらそう言って聞かせた。
それを見たネネイは全ての反論を諦めたのだろう、小さく息を突きながらやはり笑みを溢していた。
「……確かにね。あの娘は必死でなりふり構わず隠そうとするでしょうね……私と接触した事を」
“必死でなりふり構わない行動”をとれば、それがどの様なものであれ相手に「おかしい」と察せられてしまう。
それが分かっているのかそうでないのか、エルナーシャなら……そして彼女の父であるエルスもまた、全力でそれをひた隠そうとするのだ。
その様な情景がまるで目に浮かんでいるのか、視線を交わしたシェキーナとネネイは殆ど同時に笑みを浮かべた。
「それで……母親であるあなたは、これから……どうするつもりなのかしら?」
ただし2人は、互いの顔を見つめ合って笑い合う様な仲ではない。
そしてネネイは、笑顔の中に真摯な瞳を湛えて、改めてシェキーナへとそう問いかけたのだった。
彼女もまた初めから、この対話を寸劇で終わらせるつもりなど無かったのだ。
「ふ……ふふふ……。これから……か……」
そんな聖霊ネネイの問い掛けに、シェキーナは顔を僅かに上げるとどこか遠くを見るように目を眇めた。
その瞳には、まるで何かが……愛おしいものが映っている様でもある。
「……これまでの世界は……一見すれば人界を善、魔界を悪と断ずる勧善懲悪の世界だった」
しかし話し出したシェキーナの口からは、ネネイの質問に対する返答からはかけ離れたものが紡ぎ出されていた。
「だが、実はそうではない。この世界はカードの表と裏か……若しくは、意図的にバランスよく振られた天秤の両側の様なものだ」
未だ遠くを見つめているシェキーナの話を、ネネイは微動だにせずに聞いていた。
ただその沈黙が、逆にシェキーナの話を肯定している様にも見えたのだった。
「人族の勇者が、悪の権化たる魔族の王を屠る……。そして人族は善となり平和が訪れるのだが、実はそれだけでは終わらない。人族の勇者に蹂躙された魔族は、新たな憎悪を膨らませ、自分達に危害を加えた“悪の”人界へと復讐を開始する……。そして再び焼き払われた人界では、魔界への憎しみが増幅するのだ……」
シェキーナの語るそれは、連綿と紡がれて来た人族の……そして魔族の……いや、世界の歴史でもあった。
「魔界は悪のまま……善たる人族に討たれる役を強いられ続ける……。人界は悪のまま……善たる魔族に虐殺される。互いに迫害され続けて来た憎しみが、当然の反発になる。それが互いにとっての悪役となる事も分からずに……演じ続けさせられてきたのだな」
それは正しく、聖霊ネネイが勇者エルスに語った内容に合致していた。
そしてまた、以前に聖霊ネネイから齎された話を反復している様にも見える。
「だが、この状況……。選ばれる筈の無かった者が魔界の王となり、人界と相対する。これは正しく、この世界が……そしてお前でさえ、予期出来なかった事では無いのか?」
ここで初めてシェキーナは、聖霊ネネイにそう話を振った。
だが、聖霊ネネイは沈黙して答えず、僅かな動きすら見せなかった。
ただその瞳の奥底に、凍てつく様な冷たさだけを湛えている。
そんな聖霊ネネイの表情などに一瞥も与えず、シェキーナはただ遠くを見る眼差しで話し続けたのだった。
「これから私が行うのは……世界の刷新だ。天秤の揺らぎを止める……いや、一方に傾いたままで止めておく事かも知れないな」
ここでシェキーナは、漸くその眼の照準を聖霊ネネイへと合わせた。
その眼差しは、どこか優しい色を帯びている様にも見える。
だが……聖霊ネネイは見抜いていた。
シェキーナの瞳の奥の更に根底には、途轍もない怒りと憎しみが渦巻いている事を。
「エルナーシャの治める世界に、醜い争いも憎しみの連鎖も必要ない。ただ純粋な力で、民の上にあり続ければ良い。……私の役目は、その下地を作る事なのだ」
詭弁だ。
聖霊ネネイは、シェキーナの言葉に耳を傾けながら、その真意を確りと見抜いていたのだった。
勿論、彼女の言葉に嘘偽りなど無い。
シェキーナの語った世界の在り様は、正しくその通りなのだ。
更に言えば、そうなる様に仕組んでいたのは誰あろう聖霊ネネイだった。
だからネネイには、シェキーナの話したこの世界の形も、そして彼女の目指す世界の姿も否定できない。
真実など何処にも存在しない以上、自らの信じた正義が正しいと意を決し邁進するより他に無いのだ。
しかし残念な事に、聖霊ネネイですら反論出来ないその話でさえ、シェキーナにとっては自らの心を隠す戯れ事にしか過ぎないのだ。
だからこそ、己の行動に信念を持つ聖霊ネネイだったが、シェキーナの言に反論しなかったのだ。
何故なら。
―――憎悪を撒き散らすと言うのなら、それは聖霊ネネイにとっても益となる事に他ならないからだ。
「なら……あなたのお好きな様にすれば良いわ。私はただ、成り行きを見守るだけ」
聖霊ネネイの導きにより人界を襲うのではなく、自らの意思でそれを行う。
シェキーナは、自ら望んで乱世を起こし、そして死地へと向かおうと言うのだ。
「あなたの『これから』を、楽しみにしていますわ……シェキーナ」
思っていた以上の答えを引き出す事が出来て、聖霊ネネイは満足そうにそう答えていた。
何とも壮大な
恐らくは……ただ一つ……たった一つの想いを完遂する為だけに……。
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