因縁の訪客

 人界の報告を受けつつ、シェキーナ達の精霊界攻略準備は着々と進んでいた。


「気合を入れろっ! 敵は精霊魔法の使い手、エルフだぞっ! 油断してると、すぐに魔法に呑み込まれるんだからなっ! 特にシルカッ、そしてメルカッ!」


 ジェルマは普段以上に気合が入っており、それはそのまま親衛隊の演習に反映されていた。

 親衛隊員たちもまた、迫る戦いの刻を肌で感じて、俄然やる気を漲らせていいたのだが。


「今から―――」


「そんな気張って―――」


「どないしますんや―――」


 副隊長と言う地位にありながらも、シルカとメルカのレンブルム姉妹はマイペースを貫いており、それがジェルマを苛々とさせていたのだった。

 もっとも、だからと言って彼女達が気を抜いているだとか油断したり相手を甘く見ている……と言う事は無い。

 態度には出さないものの、その動きや技の切れは普段よりも冴えているのが誰にも分かる程だったからだ。

 だからこそジェルマも余り強く言えず、それが彼のフラストレーションになっていたのだった。




 そしてその気合は、何もジェルマ達だけが持っていた訳では無い。

 魔王軍魔導部隊を率いるセヘルもまた、部隊の指揮に意気込みを漲らせていた。


「我等は部隊の後詰ごづめ! 今回は前線に出る事は無いだろうが、それでも実戦と同じ気持ちで取り組むんだ!」


 彼の統率力により、魔導部隊は実に息の合った連携魔法を見せていた。


 魔法は単体で掛けるよりも、複数の者達で仕掛ける方が効率は高い。

 ただしそれも、タイミングがピタリと合わなければ意味をなさないのだ。

 そしてそれは、こう言った地道な鍛錬から発揮される事でもある。

 魔導部隊は、初の実戦……その場に臨む高揚感から、いつも以上の集中力を高めていたのだった。




 各部隊がその練度を急速に上げている。

 勿論それは、魔族軍主力部隊も同じ……いや、それ以上とも言えた。

 そしてその理由は、言うまでもない事であった。


「部隊間の連携を意識しろっ!」


 シェキーナ直々に練兵を指揮しているのだ。気など抜ける筈も無く、寧ろさらに気合が入っていったのだった。


「人界の奴らは、何よりも協力攻撃が上手いっ! そしてこちらは、奴らよりも連携が拙いっ! 奴らに一日の長があるのは仕方の無い事だっ! だがそれも、意識して鍛えれば得る事が出来るのだっ!」


 シェキーナの檄に、全軍が一斉に返事を返す。

 それは返事と言うよりは、怒号に近しいものだ。

 ただそれも仕方の無い事で、魔族の戦士はどちらかと言えば荒くれ者が多く、その素行はあまり良いとも言えない。

 そんな魔族が、数万人規模でシェキーナに答えるのだ。その怒声が天をつんざくほどの響きとなってもおかしい話ではないのだ。

 そしてそれはそのまま、部隊の練度へと繋がっていた。

 魔界の長が自ら率いての練兵は、普段よりも数倍の効果を発揮していったのだった。




 こうして、人界……精霊界への侵攻の機運は日増しに高まっている。

 今回の戦いで一つ有利なのは、進軍のタイミングをこちらで計れると言う事だろう。

 今は意図せずして停戦状態に近く、人界魔界共に互いの世界へ仕掛けようと言う考えはない……いや、無かった。

 勿論、その為の準備を進めているのは両軍ともに同じであり、人界首脳陣による精霊界への協力要請はその一環と言って良かった。

 もしもこの援軍が成っていれば、魔界は苦戦を余儀なくされていたに違いない。

 だからこそ、その様な状況に陥る前に仕掛けようと言うのだ。


「ふぅ……」


 だが、連日に及ぶ力の籠った演習に加え、長時間に及ぶ軍議、そして政務も熟すとあっては、さしものシェキーナも疲れが見えると言うものだ。

 一人自室で寛いだシェキーナは、椅子に深く沈み込み無意識に大きく息をついていた。

 良くも悪くもこの魔界は、シェキーナの独裁政治で成り立っている。

 如何に随分と楽になったとはいえ、この様な非常事態ともなれば彼女に掛かる負担は相当なものなのだ。

 そして“彼女”は、そんなタイミングを待っていたのかもしれない。

 ただし。


「……そこにいるのだろう? 隠れていないで、姿を見せれば良いだろう……聖霊ネネイ」


「んもぅ―――。知っていたのなら早く話しかけてよねぇ―――」


 シェキーナの方もまた、聖霊ネネイの登場を察していたのだった。

 声のした方……部屋の隅の一際暗い部分よりまるで染み出す様に現れたのは、シェキーナの言う通り聖霊ネネイであった。

 その姿は、一年前にエルス達の前へと現れた時と寸分違わぬものだった。

 僅かな刻の流れであっても世は移ろい、人はその容姿を変えて行く。

 エルス達はすでにこの世に無く、当時は子供であったエルナーシャも成長を遂げていた。

 緩やかな時を生きるシェキーナでさえ、その形貌けいぼうは兎も角として纏う衣装や雰囲気は随分と様変わりしているのだ。

 そんな中に合って、目の前の人外は時間の流れの埒外に居る事を如実に物語っていた。


「こちらが話しかけようが無視しようと、どのみち出てくるのだろう?」


 足を組みひじ掛けに肘を突き、軽く握った拳を頬に当てたシェキーナがどこか呆れたようにそう返答した。

 その姿は聖霊を前にして尊大であり、以前のように畏敬の念を込めている様には見えない。


「うふふ……。それはそうなんだけどねぇ―――」


 そんなシェキーナのある意味不遜な態度などお構いなしに、聖霊ネネイはクルクルと踊りながらシェキーナの前へと滑り出てきた。

 優雅と言って良い動きだが、その瞳は笑ってはいない。

 そしてそれを、シェキーナも感じ取っていた。


「それで? 今回は何用で私の前に姿を現したんだ?」


 一方のシェキーナは、表情にこそ変化が無いがその瞳は楽しそうに笑っていたのだった。

 まるで対照的な、古の女神を描いた絵画を思わせる容貌の2人が暫し見つめ合う。

 現在を生きる画家たちが溜息を付きそうな構図だが、残念ながらその様な刻は長く続かなかった。


「知れた事……。即座に軍を退きなさい、シェキーナ……いえ、擬製ぎせいたる魔界の王よ」


 そう告げた聖霊ネネイの表情に動きはない。ただその声音だけが、低く暗いものへと変化を遂げている。


「断る」


 その通告に、シェキーナは間髪入れず返答した。それはまるで、聖霊ネネイの質問を前もって知っていたかのような果断である。

 ただ即答で拒否されたと言うのに、聖霊ネネイの方にもたじろいだ様子など無い。


「……言い方を変えましょう。シェキーナ、あなたが魔王を名乗り続けたいのなら、余計な事はせずに本来の役目を負い続けなさい。……あなたの愛したエルスがそうしようとしたように……ね」


 そこまで口にしたネネイの声音が初めて、可笑しそうな……楽しそうな色を帯びる。

 それに併せた様に、その瞳にも嗜虐的な火が灯っていた。

 シェキーナの方も、エルスの名を口にされては僅かとは言え表情の変化を抑える事など出来なかった。

 再びシェキーナの私室を、押し殺したような静寂が支配する。

 その均衡を、シェキーナの強く短い吐息が崩した。


「残念ながら、そのには乗れないな。お前が私をそう評した様に、私は“偽物”だからな。お前の思惑通りに歩くような事はせぬよ」


 そう返したシェキーナの声音には、エルスの名を先蹤せんしょうとして挙げられた事に対する怒りや悲しみなど無い。

 それどころか。


「それにお前は、どうにも勘違いをしている。エルスは魔界の王を演じていた訳じゃあない。エルナーシャを愛し育てる為に、魔王と呼ばれる事を甘んじて受け入れていたのだ。残念ながら、エルスも私もお前の言う“本来の目的”など眼中にないと言う事だ」


 能面の様な顔となったシェキーナが、淡々とそう答えて聖霊ネネイに相対する。

 その言葉を聞いたネネイの顔は、一気に冷めたかのように詰まらなさそうなものになった。それと同時に、彼女から発せられていた不穏な気配も霧散する。


「……な―――んだ……詰んない。脅しても賺しても効果が無いんだもの。張り合いがないわ―――」


 そしてそのまま、お道化た様な物言いでシェキーナに背を向けたのだった。

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