艱難辛苦に見舞われて

 シェキーナの策にベベルが見事に振られたお陰もあって、魔族軍3個師団30000人は何の障害も無く人界への侵攻を果たしていた。

 その威容……大軍勢は、まさに1年前の人界軍による魔界進出を攻守逆にした様である。

 もっともその時の人界軍は、メルル=マーキンスの驚愕すべき大魔法により一蹴されてしまった。

 そして今回の魔族軍は、何の障害を受ける事も無く進軍していたのだった。


 魔族軍は驚くほど規律正しく、途中にあった幾つかの村や集落には目もくれずに進んでいた。

 それは、以前までの魔族では考えられない事でもあった。


「……これが、シェキーナ様が鍛え育てている……軍隊と言うやつなのね……」


 その光景を、少し離れた場所からチェーニとゲミニーが驚きを以て眺めていた。

 魔族は暮らして来た環境、そして種族特有の内なる感情により、誰であれ少なからず破壊衝動を抱いている。

 好戦的な種族が多く、戦っては奪う行為を繰り返して来た者も少なくはない。

 そしてそれは個人的な問題ではなく、長く続いて来た魔族の歴史そのものでもあった。

 そんな魔族の軍勢が、脇目も振る事無く目的の為に……命令に従って行軍しているのだ。

 少しばかりその事を理解しているものならば、チェーニのように瞠目するのも決して大げさではないのだ。

 そしてそれは、その横で控えているゲミニーも同様で、呟いたチェーニに深く何度も頷いて応えていた。


 チェーニとゲミニーが部隊より離れているのは、何も壮観な光景を楽しむ為ではない。

 いや、少なくともゲミニーの出番はまだまだ先であり、そう考えれば今のところ気を抜いても問題とはならないだろう。

 チェーニを含めた“影”の者達は、表には現れない「裏」の戦闘に従事していた。

 大挙して訪れた魔族軍を、人界側が指をくわえて見ている……等と言う事は流石に無い。

 ベベルが軍を動かせないでいる間も、間者や密偵と言った“暗躍する者達”は魔族軍の情報を少しでも得ようと、人知れず「招かれざる軍団」に接近を試みていた。

 それを先んじて阻止し排除するのもまた、チェーニ達“影”の仕事である。

 そして今のところ、それはほぼ完璧に達成出来ていたのだった。

 人界側のスパイたちは、魔族軍の中枢どころか外郭にさえも辿り着けないでいた。

 人族の魔法使いが放った使い魔も、魔族側の魔導部隊に即座に察知されて消されていたのだ。

 結局人族側は大した情報を得る事も出来ないまま、魔族軍が中央大陸南部に広がる「ナンノ森林」を素通りさせるしか無かったのだった。





 森林を抜けた先は、暫くの間平原が広がっている。

 人族の間では「ラヴニーナ平原」と呼ばれている、古くから人界でも戦の絶えない古戦場である。


「ほんとはシェキーナ様……ここに来たくないから、エルフ郷の攻略に回ったんじゃないのかしら」


 その広大な原野を眺めながら、チェーニは傍らに控えるゲミニーにそう零し。


「ふふふ……」


 ゲミニーはそれに、失笑で答えたのだった。


 この平原には、古くから激戦の絶えない戦場であったと言うほかに、もう一つの「いわれ」があった。

 それはここに名付けられた別称からも分かる、人界では比較的有名な話だった。


「……『エルフの頭エルフェン・カプト』……ね……?」


 ゲミニーは重く感じる黒髪が顔に掛かるのを気にした様子もなく、様々な意味を込めてこの平原に名付けられた名称を口にした。


「……そうそう。森をうっかり出たエルフが、この平原で何人も人族に捉まっただとか殺されたとか、逆に野蛮な人族を見たエルフが多くの人族を虐殺したとか……ね」


 ゲミニーの言葉に、チェーニは自身も人界で得た知識を披露してみせたのだった。

 実のところ、チェーニの話した由来の真偽は、どちらも本当である。

 未だ人界と精霊界の相互理解が進んでいなかった昔には、エルフは非常に珍しく美しい、人族にとっては“貴重な”生き物であった。

 見世物にするにも慰み者として飼うにしても、エルフ達は実に高額で取引されていたのだ。

 力の無いエルフが森を出れば、そんな野心溢れる人族に捕まるのも仕方の無い事であった。

 そして逆に、力あるエルフに手を出した人族の末路は総じて決まっていた。

 そうして人族もエルフも、この平原に無数の亡骸を重ねて行ったのだ。

 例え「闇堕ちのエルフダーク・エルフ」となったシェキーナと言えども、その様な場所に好んでやって来る訳がないのだ。


「さぁ、ゲミニー。予定通り、そろそろ軍の中に紛れるわよ」


 雑談を切り上げたチェーニが、並び立つゲミニーに向けてそう声をかけた。

 その言葉にもゲミニーは、ただ頷いて応答しただけだった。

 その見た目通りに、ゲミニーは極端に口数が少ないのだ……普段は。

 チェーニの前だけは比較的話す方なのだが、それでも積極的に言葉を発する事は無かった。

 ただ当然だが、術を使い姿を変えている時はその者を演じ切るだけの技量はある。

 その辺りは彼女も、ある程度は割り切って演技をしているのだろう。

 音も無く、それでいて素早く動き出したチェーニに遅れる事無く、ゲミニーもまた行動を開始したのだった。




 刻々と齎される情報で、ベベルにも襲来した魔族軍の全貌が明らかになって来たのだった。


「……3個師団……。それは間違いないのだな?」


「はっ!」


 最新の報告を聞いたベベルは、痛む頭を堪えてそう問い返した。

 そしてその問い掛けに伝令役の兵は、面白みのない短い返答を返しただけだった。

 そんな当たり前の反応が疑問を挟む余地など無いと知らされ、それがまたベベルの頭痛を助長していたのだった。


「……ったく、何考えてやがんだ……。そんな魔族の大軍勢に、今の人界が抗える筈なんてないだろうが……」


 出来るならば今すぐにでも自身の役処を変わって欲しい気持ちで一杯のベベルは、半ば捨て鉢気味にそう言い放った。


「ですが……全軍を集約すれば、数の上では我が軍の方が有利では……」


「……あのな―――……。一戦場に全軍を終結させるなんて、現実的に不可能だろう―――がよ―――。大軍で有利なのは同時多方に部隊を仕向ける時か、消耗戦を仕掛ける時ぐらいだよ……」


 ベベルの考えに異論を唱えた参謀役であったが、即座にベベルにそう切り替えされ閉口を余儀なくされた。

 ベベルの物言いは、ともすれば相手を小馬鹿にしている様にも聞こえるのだが、普段からその様な口振りを気怠そうに繰り返す彼に、いつの間にか誰も彼もが慣れてしまっていたのだった。


「相手の軍勢……3個師団に対してこっちも同じ数だけぶつければ、個人の戦闘力で劣るこちらが圧倒的に不利だなぁ―――……。縦深陣を敷いて、出来るだけ奴らを懐深く誘き寄せて袋叩き……ってのが、こっちの取り得る最良の策なんだがなぁ―――……」


「何か……問題が?」


 半ば呟くように溢したベベルの台詞に、参謀役は怪訝な表情でそう問いかけた。


「……奴らが、そう簡単にこっちの思惑通り動いてくれるかって事なんだよなぁ」


 そんな参謀役に、ベベルは睨め上げるように半眼となった目を向けたのだった。


「数が多いと言っても、奴らは知性も無く統率も取れない魔族です。案外、あっさりとこちらの策に乗ってくれるのでは?」


 そんなベベルの懸念に、参謀役はどこか楽観論と思える考えを述べたのだった。

 今までの魔族ならば、それも十分に考えられた。

 魔族の戦法と言えば、全軍一丸となってただ突っ込んでくると言うものだったのだ。

 それはそれで、突進力と言う意味では脅威だったが、それでも人界軍が統率の取れた動きで策を用いれば、驚くほど容易に打ち破る事が出来ていたのだ。

 そしてそれこそが、人族の軍が魔族の軍勢に太刀打ちできる唯一の長所であった。


 ただし今回は、ベベルには手放しで喜べるほど気楽になれない理由があった。

 言うまでもなくそれは、シェキーナの存在である。

 彼女の存在は、間違いなく魔族に今までとは違う風を齎している。

 少なくともベベルには、脳裏に浮かぶ不安を払拭してくれるだけの言葉とはなってくれなかったのだった。


「兎に角……闇の女王だなぁ……。奴の姿を一刻も早く確認する様に、全軍に通達しておいてくれや」


 シェキーナの姿を見つける事が出来なければ、ベベルとて動く事など出来ない。

 彼は参謀役にそう伝えると、頭を抱える様にフラフラとした足取りでその場を後にしたのだった。

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