第二章 猛火、渦巻く
御前会議にて
シェキーナが王龍ジェナザードに謁見してより10ヶ月。
彼女が魔界の王位についてより1年が経過していた。
その間彼女は精力的に内政の指揮を執り行い、軍務にも精を出していた。
と言ってもそれは、以前のような心身ともに酷使すると言うものでは無くなっている。
それもその筈で、着任当初こそ一人で全てを執り行おうと気張っていたのだが、今は効率よく作業を振り分けているからであった。
誰が味方で懇意的か分からなかった以前と違い、王龍との謁見を済ませた後はそれなりにシェキーナの事を認めて協力的となった。
それは元より賛同を表明していたアヴォー老率いるディナト族だけではなく、更に広い範囲に及んでいた。
シェキーナが王龍に認められてより、帰順を示す部族が少なからず増えたのだ。
そもそも彼女が王位に付いた事も、この魔界を思っての事である。
もっとも本当は、彼女達の娘であるエルナーシャの為であるところが大きいのだが。
兎も角、事が魔界の行く末に関係しているとあっては、いつまでも不服従と言う訳にもいかないと理解したのだ。
それにより、魔界の政務はある程度の機能を発揮し、シェキーナの負担も必然として減った事になった。
「……各地の……視察だと?」
そして区切りとも言える就任1年を迎えるに当たり、シェキーナはアヴォー老から提案を受けていたのだった。
「はい……。支配者として一定の期間を迎える今日、魔王様の治める地域を視て回る事は各地に威光を示し、民たちに支配者が誰であるかを改めて知らしめる行為になりますじゃ」
シェキーナの反問に、アヴォー老は穏やかな笑みを浮かべてそう返した。
「……ふむ……」
それに対してシェキーナは、顎に手を当てて考え込んでいた。
彼女としては、各地の視察などに余り興味はない。
更に言えば、シェキーナにとって自らの威光を示そうと言う気など全く無いのだ。
今彼女が魔王として魔界の平定、そして国力の増強に尽力しているのは、偏に娘であり次期魔王たるエルナーシャの為であった。
だからアヴォー老の提案にも、シェキーナは余り乗り気では無いのだが。
「それに各地の視察を行う事で、より一層魔界の民は魔王様に対して協力的となりますじゃ。更に言えば、逆に非協力的な者を直接見極める事も出来るですじゃ」
しかしアヴォー老が付け加えたこの言葉には、シェキーナも流石に無視する事など出来なかった。
「……分かった……少し考えさせて貰えないだろうか?」
いつもならば固辞していそうな案件であったが、珍しくシェキーナは回答を保留としたのだった。
シェキーナとしても、アヴォー老の誘導染みた言い回しを見抜けない訳ではなく、その真意も漏らす事無く汲み取っていた。
シェキーナとしては、自身に好意や悪意が集まるのはどうでもいい事だ。
だが、その事が延いてはエルナーシャの為になると言うのであれば無視も出来ない。
好意は兎も角として、悪意や嫌悪などはエルナーシャの治世には必要の無いものだ。
それを早くに見極めて取り除く機会であると、アヴォー老は暗に示唆している。
そしてシェキーナは、彼の言葉の裏を読み取って即答を避けたのだった。
そしてその日の内の御前会議で、シェキーナは領地の視察について意見を求めていた。
その会議に参加しているのはいつもの面々……。
愛娘であり次期魔王の、エルナーシャ=センシファー。
「大賢者メルル」の教え子であり彼女の養子である、アエッタ=マーキンス。
全3元帥であったアスタル達にエルナーシャの様々な傍仕えを言い渡され、それを未だに忠実に実行している、レヴィア=シェシュターク。
この3人を始めとして、
親衛隊長を言い渡された、ジェルマ=ガーラント。
親衛隊副隊長を任されている双子、シルカとメルカのレンブルム姉妹。
魔王軍魔導部隊長である、セヘル=エルケル。
特殊な回復魔法を持つ魔導部隊所属の、イラージュ=センテニオ。
先の王龍謁見に同行した面子にアヴォー老を加えたこの8人が、主にシェキーナの執り行う会議に出席するメンバーであった。
実際に会議を行うならば、政務を取り仕切る国務長官なり軍務長官なりも同席するのが普通である。
だが、政務の殆どはアヴォー老が掌握しており、軍務はシェキーナが直々に指揮している。
有名無実の人員を加えるよりも、気心の知れたメンバーで固めた方が忌憚のない意見も出ると言うものだ。
「
だからエルナーシャの嬉々とした態度もこの様な発言も、完全に気を許している状態であるからであって、普段の彼女はもう少し弁えている筈……である。
「エルナーシャ様が同行するのであれば……当然私もお供します……」
エルナーシャの意見が既に決定事項とでもなっているかのように、すぐに随伴を唱えたのは彼女付従者であるレヴィアであった。
「……私も……行きます……」
そしてアエッタもまた、すかさず同行の意を示したのだった。
メルルよりエルナーシャの事を任せられている彼女としては、その意見は当たり前のものと言って良かった。
「隊長はん―――」
「ウチ等は―――」
「どうするんどすか―――?」
次々とシェキーナの共をする意見が出る中で、シルカとメルカはのんびりとした口調で隣に座る隊長に問いかけた。
もっともその表情には戸惑いも見せておらず薄っすらと笑みまで浮かんでおり、彼がどの様な答えを返すのか既に分かっている様でもあるのだが。
「答えるまでもない。俺は親衛隊隊長で、魔王様が行かれる所なら俺が付き従わないでどうすると言うんだ。当然……お前達もだ」
そしてジェルマの答えは、双子の意図したものと寸分変わらないものであった。
まるで鏡映しの様なシルカとメルカからは、その答えを聞いて更に意地の悪い笑みが浮かび上がっていた。
「……なんだ、イラージュ? お前はどうするのか、発言をしないのか?」
どんどん着いて行くと言う意見が出る中で、未だ発言をしていないのはこのセヘルとイラージュだけである。
そしてセヘルは、怪訝な表情でそうイラージュに問いかけたのだが。
「あたしの意見をわざわざ聞く―――? なんなら、今から行動を以て表明しましょうか?」
「……いや……いい」
そんなセヘルにイラージュは、目にギラギラとした光を浮かべてそう答えたのだった。
それを聞いたセヘルは、即座にそう返答していた。
彼女が、流石にこの御前会議と言う場で羽目を外さない様に自重している事を気付いたからだ。
そしてそれを以て、彼女の意見は聞くまでもないと理解していた。
そしてイラージュの方も、セヘルの性格はある程度把握している。
彼はシェキーナから言い渡されれば従うだろうし、そうでなければ魔王城に残る事も厭わないつもりなのだ。
そしてそんな様子を、アヴォー老は笑みを浮かべてただ静観していたのだった。
元々、この提案を持ち掛けたのは彼である。
反対意見が出ないこの状況は、正しくアヴォー老の望んだ展開でもあったのだ。
そしてシェキーナもまた、静かにこの成り行きを見守っていた。
エルナーシャ達がこう言い出す事など、彼女にとっては正しく想定の範囲内であった。
考えるまでもなく、エルナーシャがシェキーナとの旅行に異を唱える筈など無いとも核心していたのだ。
勿論、魔界各地の視察は決して私的なものではなく、あくまでも公務の範疇である。
しかしそんな事など、エルナーシャにしてみれば全く関係ない事であった。
シェキーナとしては、もう少し次期魔王候補として自覚して欲しい処だが、やはり彼女もエルナーシャの事に限っては甘くなってしまうのだ。
そしてもう一つ、アヴォー老の考えも透けて見えており、その事にも反論するつもりが無かったからだ。
アヴォー老も、もう随分と歳を重ねている。
この機会に、政務を任せられる人材を育てようと考えているのだ。
そしてそれは、軍務についても同じ事だ。
シェキーナが取り仕切っている軍務を、彼女が不在の内に他の者に任せてみようとしているのだ。
これは何も、シェキーナから権力を取り上げて無力化しようとしているのではない。
当たり前の話だが、シェキーナもいずれは魔王の座を退く。
シェキーナ自身は長寿を誇っており、この魔界の誰よりも長生きするのは間違いないのだが、それでもエルナーシャと言う後継者を定めている以上、いずれはその身を退く事が予想されるのだ。
そうなった折に煽りを受けるのは、間違いなく経験不足の次期責任者達だ。
エルナーシャが王位についたとしても、それはまだまだ未熟の範疇を抜ける事は無く、それを補佐する者が重要となる。
そう言った人材を育てる為には、どうしたってシェキーナの存在が邪魔……とまではいかなくとも、頼れる存在には一定期間公務から離れて貰う必要があったのだ。
「……分かった。日程に関してはアヴォー老に一任する。2週間以内に取りまとめ、皆に通達する事。皆もそのつもりで準備を進めてくれ」
「はいっ!」
シェキーナがそう言ってこの場を占め、一同は返事と共に起立してその旨を了承した。
彼女もまたそれに頷いて応え、ゆっくりと立ち上がると会議室を後にしたのだった。
こうして、シェキーナによる魔界各地の視察巡行が決定したのだった。
だが、それが実行される事は随分と先になる。
新たに舞い込んだ……優先事項によって。
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