謁見の終わり

「お主が……魔王……とな……」


 美しい女性の姿をした王龍ジェナザードが、その瞳を丸くしてマジマジとシェキーナを見つめていた。

 それは驚いた……と言うよりも、どちらかと言えばシェキーナの身体を隅々まで観察している様にも見える。

 それを裏付けるように、見られているシェキーナは恥ずかしそうに身を捩り、どうにも所在なさげであった。


 神々しい美しさを醸し出す女性が、絵画の如き美しさの女性を愛でている。

 そして一方は、その行為に恥ずかしさを滲ませている。


 そんなある意味「有り得ない情景」に、エルナーシャを始めとした一同は言葉を失い見入っていた。

 まして男性でもあるジェルマとセヘルに至っては、顔を赤らめて喉を鳴らしそうな勢いだ。


 もっとも……頬を染め息を呑んで見つめているのは、何も男性陣だけではなく。


 シルカとメルカ、そしてイラージュもまた、同姓であるにも拘らず何故か食い気味に見ていたのだが。


 ただしそんな、一部の者に目の保養となる行為をいつまでも続けるシェキーナでは無い。


「私が魔王では……何か、問題でも?」


 王龍ジェナザードの視線攻撃を断ち切る様に、シェキーナは抱いた質問をジェナザードへとぶつけた。

 シェキーナの問い掛けを受けて、ジェナザードも漸く平静を取り戻したのかその居住まいを正したてシェキーナへと向き直った。


「ふむ。と言う事が初めての事でしたので。興味に駆られてつい熟視してしまいました。……しかし……」


 シェキーナに対して、ジェナザードはその言葉とは裏腹に然して恐懼きょうくする素振りも見せずにそう言い返したのだった。

 そして彼女の言葉は、それで終わりと言う事でも無かった。


「たしかは既に決しており、その後見の者も居た筈でしたが……。たしか……人族の“エルス”とか申す青年でありましたか……」


 ジェナザードは以前に顔を合わせたエルスとエルナーシャの事を口にしたのだった。

 訪れた当時は赤子であったエルナーシャだが、今は立派に成長している。

 ジェナザードが気付かないのは仕方ないかもしれない。


 もっとも、その成長速度が尋常でないと言う事も加味しなければならないのだが。


 そして。


「以前、あなたと面会したエルナーシャならば此処に」


 シェキーナに促されて、エルナーシャはおずおずと彼女の横まで進み出た。


「ふむ……あの時の赤子がもうこんなに……」


 そう零すと再びジェナザードの眼が丸くなり、マジマジとエルナーシャを観察し始めた。

 そして先程のシェキーナ同様。

 全てを……表面だけでなく内面まで見透かすかのようなジェナザードの視線を受けて、やはりエルナーシャも身を捩って恥じ入っている。


「あ……あの……」


「……ふむ。確かにこの娘には、魔王の素養が秘められております。以前にわたくしが見た赤子に相違ありませんね」


 しかし幸いなことにその時間もそう長くはなく、エルナーシャの呟きに被せる様にしてジェナザードがそう結論付けた。


「……そして……後見を務めていたエルスなのですが……」


 エルナーシャへの見定めが済んだことを理解したシェキーナが、続きをジェナザードに話そうとした。

 あまりシェキーナとしても口にしたくない真実だが、この事をぼかして説明した所で意味はない。

 シェキーナは軽く吐息をついて、を発しようとしたのだが。


「あの若者……エルスは死んだのですか?」


 シェキーナが告げずとも、ジェナザードがその続きを話したのだ。

 そのお蔭で、シェキーナはジェナザードに頷くだけで済んだのだった。


「そうですか……中々に見どころの有る若者であったのに、残念ですね。少し前に南の極大陸で起こった戦い……あれが原因なのですね?」


 ジェナザードはそのまま、質問の形を取ってシェキーナに確認した。

 再度シェキーナは、頷いて肯定する。


「……ふぅ……。魔界の危機に際して、手を貸す様に言われておりましたが。ただ魔界に侵入した人族の軍勢は、によって打ち消されました。故に静観していたのですが……」


 頬に手を当てたジェナザードは、憂いを帯びた瞳を湛えてそう独り言ちた。

 その姿は悩ましい程に美しく、誰からともなく感嘆の吐息が零れていた。

 そしてジェナザードに“恐るべき力”と言わしめたのがメルルの使用した攻撃魔法である「破界クェアダムンド・炎星コミティス・招来インボカシオン」と察したアエッタ、セヘル、イラージュは、一様にどこか誇らし気に顔を上げていたのだった。


「ですが、死んでしまったものは仕方ありませんね。そこなエルナーシャ様も、未だ魔王の力を開眼してはおられぬ様子。貴女が後見を務めると言う理由も理解出来ます。ですが、魔王を名乗るには、些か力が不足しているのではありませんか?」


 見る者の魂を奪う様な姿を解いたジェナザードは、シェキーナを見つめてそう問いかけた。

 その瞳は、先程の様に興味に駆られても憂いを帯びてもおらず、強く射る様な力が込められていたのだった。


 その視線を真っ向から受け止めて、シェキーナは胸を張りジェナザードに対する。


「この魔界も、立て続けに起こった戦乱によって人材が不足しているとの事。私が魔王を名乗る事に難があった事は否めませんが、誰かが先頭に立ち導く必要がありました。力足らずではないかと話し合いもしましたが、人族の脅威も払拭されない危局の折、止むを得ず魔王の名を襲名した次第です」


 そしてシェキーナは、彼女が魔王を名乗るまでの経緯を簡潔に説明した。

 対するジェナザードは目を瞑り、何かを思案する様な姿を取っている。

 暫しその状態であったが、やがてジェナザードがゆっくりと眼を開いた。


「……良いでしょう、分かりました。元より魔王を名乗る事にわたくしの許可が必要であると言う事はありません。魔王には資質が必要でありそれを持たぬものを私は魔王と認めませぬが、魔族がそう定めたならば是非もありません」


 静かに、そして威厳を以てジェナザードがシェキーナへとそう告げる。


 確かに、歴代の魔王がジェナザードとまみえるのは慣例であって義務ではない。

 また、王龍の承諾が無ければ魔界を統率できないと言う訳では無いのだ。

 ただし、代々の魔王がわざわざ王龍の元まで赴くのには訳がある。


「それで……そなたは私に何を求めるのでしょう?」


 魔王となった者は王龍の元へと訪れそのよしみを交わし、長く魔界を見守って来た守護龍にその庇護を求めるとされている。

 勿論、全ての魔王が魔界の安寧を求めただけではない。

 自らの大きすぎる欲望を口にし、王龍の怒りを買ってそのまま戻らなかった者も居たのだ。


 つまり、ジェナザードの問い掛けに対するシェキーナの返答によっては、魔界の行く末……延いてはシェキーナ達の命運も決まってしまうのだが。


「何も……。今まで通り、この魔界の為にそのまなこを光らせて頂ければ幸いです」


 シェキーナの返答は、その場にいる一同の考える通りであった。


 シェキーナが私利私欲を望むのであれば、それはいとも容易く達成される事だろう。

 少なくとも、魔界統一と言った俗な欲望であったならばだが。

 今現在で、シェキーナに敵う者など魔界には存在しないのだ。

 渡り合うどころか、その抑止力となれる程の人材も見当たらない。

 エルナーシャ、レヴィア、アエッタ、ジェルマ、シルカ、、メルカ、イラージュ、セヘル……。

 彼女達が束になってシェキーナに戦いを挑んでも、シェキーナは彼女達を一蹴してしまうだろう。

 それ程に力の差があるのだ……今は。

 故にその様な願望であったのなら、わざわざ王龍に望む必要等無い。


「……それはわたくしも自らに課している処。否やはありません。ですが……それだけで良いのですか?」


 王龍の再度の問い掛けにも、シェキーナは揺らいだ様子を見せずに頷いた。


「せめて、このエルナーシャが成人して“魔王”を襲名するまで、この魔界に動乱の火種を呼び込みたくはないのです。私も可能な限りの手立てを講じますが、及ばない部分を貴女に補っていただきたいのです」


 シェキーナがそう話す間、ジェナザードは彼女の眼をじっと見ていた。

 それはまるで、シェキーナの言葉に裏があるのかどうかを測っている様である。


 暫し……無言の刻が流れ。


「分かりました……。貴女の些細な願い……聞き届けましょう」


 そしてジェナザードは、僅かに笑みを浮かべて了承した。

 それに対してシェキーナもまた、笑顔で頷いて応えたのだ。


「それではもう帰るが宜しいでしょう。此処は、人が何時までも留まって良い領域ではありません。同族に危害を加えられたならば、とならざるを得ないでしょうから」


 ジェナザードが告げた言葉の真意を正確に汲み取ったシェキーナは、王龍に対して腰を折り深々と頭を下げると、クルリと身を翻して山を下り出したのだった。

 慌てたようにシェキーナと同じ所作を取った一同もまた、彼女の後に続いて行く。


「今度は……“魔王様”となったエルナーシャ様に、私の方から挨拶に向かいます由」


 そんなシェキーナの背中に、ジェナザードはそれだけを声かけた。

 そしてシェキーナは、歩を止める事無くその言葉を受け止めたのだった。

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