精霊界、侵攻

 御前会議の2日後。

 その報告は、いつもとは違う内容を齎した。


「……愚かな事だ」


 そしてその知らせを聞いたシェキーナは、ただ一言ポツリとそう呟いて押し黙ったのだった。

 彼女の心情を測りかねている近従の者たちは、シェキーナに何と声をかけて良いのか分からずに、ただその沈黙に耐えるしかなかった。

 また、シェキーナの素性を深く知らない一部の者は、齎された話を聞き彼女がさぞ嘆いているとも考えていた。

 しかし実際は、シェキーナに悲嘆の感情など皆無だった。

 彼女はただただ、繰り返される愚行に呆れ、そして静かな怒りを抱いていたのだった。


「これより、軍議を行う。主だった者達を会議室へ」


 シェキーナは玉座から立ち上がると侍従の者へとそう告げ、自らは足早に魔王の間を後にしたのだった。





「人界に動きがある」


 召集されたのは、先日もここに集まった者達。エルナーシャ、アエッタ、レヴィア、ジェルマ、シルカ、メルカ、セヘル、イラージュ、アヴォー老の9人であった。

 今やこのメンバーは、シェキーナの治める魔王軍の中枢と言って良かった。

 故に何かにつけて、この面子が揃う事は至極当然と言えるのだ。


「また……人界軍の編成が大規模になっているのでしょうか?」


 シェキーナの発した議題を聞いて真っ先にそう口にしたのは、誰あろうエルナーシャであった。

 彼女には人界軍に苦い……と言うには苦すぎる記憶がある。

 彼女の父である勇者、エルス=センシファーがその命を散らせたのも、人界軍による大規模な魔界侵攻の直後であった。

 実際の死因は別の所にあり、それはエルナーシャとて知っている。

 だが事実認識と感情は別の所にあり、彼女にとって人界軍の襲来は悪夢の再来と言って良かったのだ。


「いや……規模は徐々に膨らんではいるが、今はまだそれ程脅威ではない。勿論今回の作戦如何によっては、人界軍にも当面こちらに目が向かない程の痛手を被ってもらう事になるだろうが」


 そんなエルナーシャの不安を、シェキーナがそう言って払拭しようとした。

 シェキーナに気遣われていると感じたエルナーシャは、健気にも笑みを浮かべて頷いた。

 エルナーシャは彼女なりに、シェキーナに心配かけまいとしているのだろう。


「詳しい報告は、彼女にして貰う」


 それを感じ取ったシェキーナは、これ以上他の者にも要らぬ想像が膨らむ前に、事実を知る者に話させる事を選択した。

 彼女はそう言うと会議室に備え付けられている楕円形の卓、シェキーナより最も遠い末席に座っている女性に目配せをし、それを受けた女性は静かに立ち上がって一礼した。

 一同の眼が、一斉に彼女の方へと向けられる。


「彼女は……シェシュターク家直属の諜報員であり……人界方面の調査を行っています。……チェーニ、もう一度報告をお願い……」


 席を立った女性……チェーニをそう紹介したのは、彼女の主であるレヴィアであった。

 レヴィアにそう促されたチェーニは、小さく頷くと一同に目を遣り話し出したのだった。


「先程魔王様がおっしゃられた通り、人界軍は急速にその勢力を回復しつつあります。これまでに魔界より魔物を送り込みその妨害工作を行ってきましたが、それも限界に近いようです」


 そこまでの話を聞いて、その場の者達の反応はそれぞれであった。

 ジェルマやセヘルは舌打ちをしたり苦々しい顔を浮かべたりとしているが、一方でレンブルム姉妹の顔にはどうにも嗜虐的な笑みが浮かび上がっている。

 彼女達はこの展開を、面白いと感じている様であった。

 ただしここまでは、その他の者達に表情の上で変化は見られない。

 無表情に、ただ事実だけを咀嚼している様にも見える。


「そして人界側はそれに伴って、精霊界のエルフ郷に人界軍への協力を要請したようです。ただしこの場合は強制的な……徴兵に近いもののように感じられますが」


 だがその後の言葉で、その場の空気は一変した。

 ざわついた雰囲気がその場を占め、全員の意識がある一点に向かったのであった。


 即ち、シェキーナの方へと……である。


 言うまでもなく、精霊界にあるエルフ郷はシェキーナの故郷である。

 今は決別したとはいえ、そこには一族が住んでおり、何よりも肉親である彼女の妹がその郷を治めているのだ。

 そのエルフ郷が、人界軍に手を貸そうとしている。

 そしてそれはそのまま、シェキーナに究極の二択を迫る事となるのだった。


「人界軍も脅威だが、エルフの民が加勢する方が更に問題だ。もしも精霊たちと合流した人界軍と魔族軍とがぶつかった場合、こちらの被害が予測できないどころか、看過できないものになるだろう」


 そんなある種、シェキーナを慮る空気が流れる中、当のシェキーナはそれを気にした様子もなくまた、何の感情も抱いていない声音でそう口火を切った。


「私はこれを機に、この様なエルフ郷は滅ぼしてしまおうと思う。なまじ立ち入り難い精霊界になど居を構えそこに引き籠っているから、奴らは正しい判断がつかないのだ」


 そして続けられた彼女の言葉には、その場の全員が息を呑む事となる。

 シェキーナは自らの手で、自身の故郷を滅ぼそうと言うのだ。

 唖然とする一同の中で、真っ先に再起動を果たしたのはやはりと言おうか……エルナーシャであった。


「か……母様かあさまっ! そ……そうは言ってもエルフ郷はその……母様の故郷ではありませんか!?」


 エルナーシャの発した言葉は、間違いなく正論であった。

 そしてそれは、その場にいる全員の意見を代弁していた。

 もっとも……その言葉に込められる内容は若干異なるが。


 エルナーシャやアエッタ、レヴィアと言った結びつきの強い者達は、シェキーナの言葉を偽りと捉えてはいないのだが、それと同じくらいに彼女の気持ちを心配している。

 そしてその手で故郷を滅ぼすと発言したシェキーナに、心苦しい気持ちすら感じていた。

 一方で新たにシェキーナの元へと集ったジェルマやセヘル、イラージュなどは、どちらかと言えば半信半疑だ。

 本当にそんな事が出来るのか? と、どこか高を括っている様にも伺えた。

 そして最も異質な反応だったのがやはりと言おうか……シルカとメルカである。

 彼女達はその眼に嬉々とした色を浮かべて、実に面白そうに事の成り行きを見守っている。


「……エルナ、私に故郷など、今はもう無い。……いや、今やこの魔界こそが、私の故郷と言って良いだろう。『ダークエルフ』と評される私には、この魔界こそが故郷と呼ぶに相応しい」


 そんなエルナーシャに、シェキーナは残忍な笑みを浮かべてそう答えた。

 彼女が殊更にそう意識しての事ではないだろうが、その笑い顔を見た一同は例外なく、息を呑んで言葉を失っていた。

 それ程にシェキーナには、言いようのない迫力があったのだ。


「ですがシェキーナさま―――?」


「わざわざエルフ郷を滅ぼす必要なんて―――」


「あるんですか―――?」


 そんな中で真っ先に質問を投げ掛けたのは、レンブルム姉妹であった。

 彼女達はそう問いかけてはいるものの、その表情は楽しそうと言って差し支えない。


「エルフ達が―――」


「どれ程の力を持ってるんかは知りまへんけど―――」


「藪をつついて蛇―――とかになるんとちゃいますやろか―――?」


 そしてその言葉は、どちらかと言えば作戦に対しての確認と言う側面が強い。

 流石にシェキーナの気持ちを察していない……無視しているとも取れるこの発言には、隣に座るジェルマやセヘルから批難の色をした視線を投げ掛けられていたのだが。


「そうだ。エルフの力は、この魔族をも凌ぐと言って差し支えない。魔族は生まれながらに戦士だが、奴らは生まれた時から精霊魔法の使い手だからな。藪をつついて……と言わず、我等はその蛇の巣穴に赴こうとしているのだ」


 もっともシェキーナの方は、そんな双子の言い様に然して気にした様子もなくそう答えたのだった。

 そしてそれは、正しく偽りのない言葉だった。


「お前達も、舐めてかかると手痛い逆撃を喰らう事になるぞ」


 そして逆に、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべてそう答えたのだ。

 シルカとメルカはそれを受けて、やはり口端を吊り上げた笑みを浮かべて応じていた。

 その会話の流れで一同は、もはやエルフ郷攻略が覆る事の無い決定であると痛感していたのだった。


「この作戦は、今後人界軍と向き合う上で後顧の憂いを無くすためのものでもある。その為にも、をこの際徹底的に叩き、その存在を滅亡させてやるのだ。奴らだけではない、それを見ている者共に、人界側に付く事の愚かしさを見せつけてやる。この戦いは、そう言う側面もあると心得よ」


 再び表情を引き締めたシェキーナの言葉に、エルナーシャ達はピリッとした緊張感を感じて自然、背筋を伸ばして聞いていた。


「この作戦に伴い、魔界全土の視察は先送りとする。作戦内容は決定次第随時報告とする。チェーニは先に人界へと戻り、再びその動向を注視せよ」


 そう言い切ったシェキーナが立ち上がる。

 それに続いて、エルナーシャ達一同も席を立ち直立不動の姿勢を取った。

 その様子を見たシェキーナは小さく頷くと、彼女達が見守る中会議室を後にしたのだった。

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