秘密の能力

 イラージュ=センテニオは、魔族軍を除隊しようと本気で考えていた。


 ―――メルルと出会うまでは……。


 イラージュの生家センテニオ家は代々、魔族軍に人材を送り込んでいた“優秀”と言って良い一族であった。

 センテニオ家に生まれた者は魔族軍の戦士として不足の無い力と魔力を備えており、歴代の当主も魔王に忠誠を誓う、所謂「忠臣の一族」であったのだ。

 

 そんな中で、イラージュは正しく「異端」であった。


 身体能力や魔力は至って普通……一般人並みしかなく、彼女自身にも得意とする武芸が無い。

 武器を持った立ち回りも凡庸で、魔法の行使も平均以下であった。

 そんな彼女に失望する声は、魔族軍だけではなく一族からも上がっていた。


 勿論、イラージュは必至で努力を重ねた。


 それこそ、センテニオ家に生まれた者にとって魔王軍で中枢を担う事は当たり前に期待される事だ。

 それが叶わないと言う事になれば、それは正しく彼女自身の存在価値レーゾン・デートルを否定される事に他ならない。

 しかしそんな彼女の勤苦も虚しく、イラージュの能力は一向に向上しなかったのだった。


『あんた―――……面白い能力を持っとんな―――』


 そんな彼女の人生を変えたのは、正しくメルルの放ったこの一言であった。

 魔族軍魔導部隊を一通り見て回ったメルルは、イラージュの持つ特殊な能力に目を付けた。

 それは……「魔法を使う事無く他者の外傷を治癒すると言う能力」であった。

 

 イラージュがその能力を保持していると言う事は、当然周囲の者も知っていた。


 ……役に立たない能力として……。


 イラージュの能力は、確かに魔法では無い力で他者の傷を癒す事が出来る。

 だがそれは、ほんの小さな傷や打撲程度の……改めて治療が必要とは思えない程の軽傷に限ったのだった。

 故にイラージュ本人も、その能力自体を有効だとは考えていなかった。

 

『あんた―――……イラージュゆーたか? ウチに付いておいで―――』


 そんなイラージュの能力を“面白い”と言ったメルルは、自らの自室や研究室へと彼女を頻繁に連れて行った。

 当初は不信感をアリアリと浮かべていたイラージュであったが、メルルの研究に内に、自身に現れた大きな変化に歓喜するようになる。

 

 イラージュの能力が……大幅に向上しだしたのだ。


 それは何も、彼女だけが持っていた「外傷を治癒する能力」の効果が上がっただけではない。

 身体能力も魔力でさえ……今まで全く好転の兆しさえなかった自分の力が、ハッキリと自覚出来るほどに強くなっていったのだ。


『あんたは、回復魔法に適性が高いみたいやな―――。よっしゃ、ウチが教えたるさかい、回復魔法を覚え―――』


 魔界では……少なくとも魔族軍では、回復魔法は余り重宝されていない。

 それでもイラージュには、拒否すると言う考えは僅かも脳裏を掠めなかった。


 ―――この人の言う通りにすれば、私は魔族軍に居場所を作る事が出来る。


 今まで諦めようとしていたものが、途端に現実となって目の前に見えてきたのだ。

 その喜びや切望に比べれば、少しくらいメルルの言葉が突飛であっても何ら疑問視する必要等無かったのだった。


 勿論、メルルがイラージュに目を掛けたのは、何も彼女を気の毒に感じたからだと言う訳では無い。

 研究の過程で、メルルは確りとイラージュより有益なものを得ていたのだった。

 そしてそれは、身体能力を劇的に向上させる“秘薬”として結実する事になったのだが……。





 イラージュが、致命傷を負い倒れたジェルマへと手を翳す。

 彼女の掌からは、今まで使っていた「回復魔法」とはまた違った光が発せられ、ジェルマの傷口を照らしていた。


 その直後。


「……う……あ……あれ……?」


 あれ程にジェルマの身体を抉っていた傷口は見る間に消え去り、当のジェルマが意識を取り戻したのだ。

 剰え、その意識もハッキリと覚醒していた。


「き……傷口が―――」


「き……消え去りはった―――!?」


 それを見ていたシリカとメルカも、驚きの余り目を丸くしている。

 しかしそれも、ほんの僅かな間だけであった。


「ぐ……は……」


 まるでジェルマと入れ替わるかのように、今度はイラージュが胸の辺りを抑えて悶絶し倒れ込んだのだ。


「くそ……っ!」


「イ……イラージュさんっ!」


 それを見ていたセヘルとアエッタが、即座に駆け寄り彼女の胸に手を翳した。

 2人の手からは、魔力のものだと分かる光が輝いている。


「……イラージュはん―――」


「……どうしはったん―――?」


 理由を知らない双子の姉妹は疑問の声を上げ、立ち上がったジェルマもどうにも要領を得ずに立ち尽くしている。


「ジェルマ……無事で何よりでした」


 そんなジェルマに、エルナーシャが優しく声を掛けた。

 呆然自失だったジェルマであったが、エルナーシャの声に我を取り戻したのか機敏な動きで彼女の方へと向き直った。


「はっ! ……あの……エルナーシャ様……これはその……一体……?」


 ただ彼の方でも疑問が解消された訳でも無く、すぐにそう質問を返した。

 

「あなたは老竜の一撃で、相当な深手を負ったのです。そこは……覚えていますか?」


 ゆっくりとジェルマの反応を探りながら、エルナーシャがジェルマに問いかける。

 それにジェルマは、ゆっくりと首を縦に振った。


「今の私達に、あなたが受けた傷を回復させる事の出来る者はいません。ですからイラージュは、自身の能力を使用してあなたの傷を治したのです」


 そこまで説明されて、ジェルマの脳裏には自身がどの様に深手を負ったのかが蘇って来ていた。

 ただ一人……真っ先に老竜の飛来を察したジェルマは、考えるよりも先にのだ。

 その結果ジェルマは老竜の爪に引き裂かれ、重傷を負う事となったのだった。


「し……しかし……。では何故、イラージュは倒れているのでしょうか……?」


 自分が回復されるまでの経緯は理解出来ても、それでイラージュが倒れている理由までは分からない。

 ジェルマはエルナーシャに、続けて疑問を呈した。

 そしてその事はレンブルム姉妹も興味を惹いている事の様で、エルナーシャとジェルマの問答に耳を傾けている。


「イラージュの能力を使えば、どの様な外傷であってもたちどころに直す事が出来る。しかしそれには、当然代償が求められる」


 だがそれに答えたのは、エルナーシャでは無くセヘルであった。

 立ち上がったセヘルが、まるでジェルマへと詰め寄る様に前へと出る。

 未だアエッタがイラージュを診ているのだが、先程よりもイラージュの容体は安定している様で、どうやら深刻な状態は乗り越えただろうと推察出来た。


「……ジェルマッ! 貴様……何故俺の前に出たっ! 何故余計な真似をしたのだっ!」


 ただしセヘルは、イラージュの能力に纏わる秘密を答える前に、激しくジェルマへと怒鳴り散らしたのだった。

 それを受けたジェルマは、当然の事ながら彼の怒っている理由が分からずに後ずさりしている。


「な……何故って……。そんな事、いちいち考えてる訳ないだろ? 仲間の危機に、あれこれ考えるなんて出来るかよ」


 気圧されながらもそう返したジェルマの言葉に、今度はセヘルの方が絶句を余儀なくされていた。

 言うまでもなくジェルマが傷を負った理由は、標的となっていたセヘルを庇った結果によるものであった。

 その理由を詰問したセヘルであったが、余りにも非論理的で……当たり前だと言う風に返されては、彼もそれ以上言葉をっ続ける事が出来ずにいたのだった。


「……イラージュは確かに、どの様な外傷もたちどころに治す能力を持っています。しかしそれを行えば、彼女自身にもその傷と同じ苦痛が発現するのです。今イラージュは、あなたが受けた致命の一撃と同じ苦しみを負っているのです」


 そのやり取りが可笑しかったのか、エルナーシャは僅かに笑いを堪える様な素振りを見せながらそう説明を続けた。

 それには今度は、ジェルマやシルカとメルカが絶句させられる事となる。

 エルナーシャの話す内容は、決して「笑いながら」出来る様なものではない。

 それでも彼女が……いや、レヴィアもアエッタでさえ僅かに緊張した雰囲気を緩めていたのは、イラージュの容体が安全圏にまで確保されたと分かったからであろう。

 

「外傷まで引き受ける事はありませんが、痛みや苦痛は想像を絶するものでしょう。何よりもその痛楚つうそによって、幻痛による内臓の損傷も考えられ、場合によっては死に至ってしまう可能性も……考えられます」


 ただしその後に語った内容は深刻であり、エルナーシャも顔を引き締めてそう締め括った。

 ジェルマがゆっくりと、意識の無いイラージュへと目を向ける。

 彼女がどれ程の覚悟で自分を助けてくれたのか、ジェルマにも漸く理解出来たのだった。


「エルナ……ここは……任せた」


 それまで老竜の方へと注意を向け、その一挙手一投足を逃さなかったシェキーナがエルナーシャへとそう声を掛けた。


「……はい。母様かあさま


 エルナーシャがそう答えると、シェキーナはエルナーシャ達に顔を向ける事も無くゆっくりと歩き出した。


 その先には……2体となった老竜が、悠然とした空気を発して待ち構えていた。

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