悪夢、急襲

 竜哭山りゅうこくざんの遥か上空……。

 超超高度と言って良いその場所を、一体の老竜エルダー・ドラゴンが悠然と翼を広げて旋回していた。

 地上からでは、余程の事でもない限り察知することの難しいその場所で、その老竜はただ刻だけを見計らっていた。

 地上から容易に観測出来ない様に、上空からも眼下に映る山の……そのすそ野に群生する森林の……その中で繰り広げられている戦いを知る事など出来ない筈である。


 ―――一般的に考えるならば。


 不意に、老竜の身体が向きを変えた。

 それは、旋回する方向を変えた訳では無く、正しく頭を下にして……滑空の姿勢を取ったのである。

 一度急降下を開始すれば、その質量である。

 見る間に加速して行き、まるで一つの流星ででもあるかのように、迷いなど見せずにへと向かって行った。


 それは……地上で繰り広げられている戦いに参戦する為であった。





 シェキーナは剣を片手に、軽やかな動きで老竜の攻撃を回避し翻弄する。

 ハイエルフであるシェキーナはその持ち味である素早さを十二分に生かし、老竜の繰り出す凶撃をいとも鮮やかに躱していた。


 勿論、それだけではない。


 ドラゴンの攻撃を寸でで躱した直後には大きく肉薄し、その手に持つ剣で老竜の身体を斬り裂いていた。


「ガアアァァァッ!」


 その攻撃に、老竜の方はを含んだ咆哮を上げる。

 何故ならば、シェキーナの攻撃は先程から、どうにも本気であるとは思えない程……生易しいものであったからだった。


 そもそも、ハイエルフ……「森の狩猟民」と謳われる一族のシェキーナが、剣を以て接近戦を挑むと言うのはどうにも違和感を覚える話である。

 彼女の持ち味は、弓をつがって中距離、遠距離より攻撃を放つ事にあるのだから。

 そして本来、シェキーナ自身もその攻撃方法を得意としている。


 それでも彼女が、敢えて剣を手にし近接戦闘を仕掛けているのには訳があった。


 一つは、彼女の「魔王」と言う立場に対する認識がそうさせていた。

 魔王は魔界を統べる者であり、魔王軍の最高司令官であり、魔界最高戦力である。

 その様な存在に求められるものは、自ら先陣に立って剣を振るう、所謂「戦士」としての力強さであるとシェキーナは考えたのだ。

 そしてそれは、強ち間違ってはいない。

 勇猛果敢な指揮官に率いられれば、それに続く兵士達がいつも以上に力を発揮する事は疑いようの無い事実である。

 更にはその最前線で戦う兵士達も、最高指揮官である「魔王」が先陣に立つ姿を求めている事は言うまでもない。

 その際の武器としてはやはり、弓よりも剣の方が勝手が良いのだ。


「ふんっ!」


 気合い一閃。

 シェキーナの振るった剣が、強固な筈の老竜の鱗を、まるで羊皮紙を引き裂くかのようにいともあっさりと斬り裂いた。


「ジャアアァァッ!」


 新たな傷をつけられて、老竜の叫びには怒りが多分に含まれている。

 龍族の鱗はその強度から、様々な武器の攻撃を寄せ付けない。

 とりわけ老竜の鱗は堅固であり、龍族の特殊能力も相まってそう簡単に傷つける事など難しい。

 それにも関わらずシェキーナの攻撃は……その剣は、老竜の身体に幾筋もの傷をつけていた。


 シェキーナが剣を持ち戦うもう一つの理由。


 それは彼女の持つ剣が……「エルスの剣」であったからに他ならない。

「エルスの剣」は古龍エンシェント・ドラゴンの牙から造られた剣であり、敵に掛かっている様々な特殊能力……とりわけ、攻撃力を軽減されてしまう様な能力を無効化する事が出来るのだ。

 それにより、繰り出した攻撃を不可思議な力で防がれる様な事は無い。

「エルスの剣」の切れ味と、それを振るう者の純粋な技量が問われるのだ。

 そして技量で言うならば、シェキーナは申し分ないと言って良かった。


 先の戦い……エルス達とアルナ達の戦いが終わり、焼け野原となった大地にはエルスの剣や防具、メルルのローブや杖、その他にもカナンやシェラ、ゼルの愛用していた武器防具が残されていた。


 ……いや……焼け残っていたと言うべきだろうか……。


 周囲を隈なく焼き尽くした「メルルの炎」。

 その熱波に晒されて尚、それらの武器はその場で原形をとどめて残ったのだ。


 ……消え去った主たちを残して……。


 それを見つけたアエッタはレヴィアへと報告し、彼女は自身の配下にそれらを回収させていたのだった。

 勿論その事はシェキーナへと報告され、その大半は保存、封印されている。

 ただその中でも勇者エルスの武器であった「エルスの剣」は、シェキーナが「闇の女王」へと就任する折に彼女の武器として選ばれたのだった。


 エルスの形見として……。


 そして、エルスと共に戦うと言う決意と共に……。





「はは……はははっ!」


 シェキーナは老竜の死角を突く動きを取り続け、手にする「エルスの剣」を無数に見舞っていた。

 彼女が剣を振るう度に、まるで星を振りまいた様な煌きと共に老竜の血も宙に舞う。


「グワアアアァァッ!」


 それでも、その傷のどれもが致命傷は言うに及ばず、全くの深手でない事が老竜の苛立ち……いや、怒りを買っていたのだ。

 先程から上げる老竜の咆哮は、手を抜かれていると分かる攻撃に依るものだ。

 勝負の場において、真剣に応じない。

 これほど相手を侮辱している行為があるだろうか。

 それが例え自身の敗北を知らせる事になろうとも、やはり手を抜かれると言う行為は到底得心の行くものではない。


 勿論それも、場合に依るのだが。


 シェキーナが本気で……全力でその手を振るっていない様に、老竜もまた全力には程遠かったのだった。


「……あぶなっ!」


 それは……本当に偶然であった。

 エルナーシャ達は全員、誰一人例外なくシェキーナの戦いに釘付けとなっていた。

 目の前で高度な技と駆け引き、そして目で追うのもやっとと言う程の動きを見せられれば、そうなっても仕方がないと言えるだろう。

 だからジェルマが、上空から驚くべき速度で滑空して来る老竜を捉えたのは、全くの偶然であった。


 ジェルマの見た老竜は、脇目も振る事無くこちらへ……ジェルマ達が固まって待機している場へと迫っていた。


 誰を狙っているのか。


 誰が標的なのか。


 どの様にこの事態を告げるべきで、如何に回避すべきか。


 その様な思考すら追いつかない程の速度であった。

 そして彼の行動もまた、確りと考えてのものでは無かった。

 巨大な質量が着地した風圧に襲われながらも、エルナーシャはその光景を目の当たりにする。


「ジェ……ジェルマッ!」


 エルナーシャの悲痛な叫びが響く。

 その場にいる一同もまた、襲い来る強風に手をかざしながら、エルナーシャが告げた者の方を見やった。

 そこには。


 老竜の、恐ろしいまでに鋭利な爪で引き裂かれたジェルマの姿があったのだった。


「ちぃっ! しまったっ!」


 それまで、どこか戦闘に余裕をもって楽しむ様子を見せていたシェキーナであったが、後方での混乱を確認してそう毒づいた。

 シェキーナは何も、戦いに没頭し過ぎて周囲が見えなかったと言う訳では無い。

 だが、周囲の警戒が疎かになっていた事は否めない。

 それも仕方の無い事で、優勢に事を進めていたシェキーナであっても、決して片手間で戦っていた訳では無いのだ。

 優位な戦況は、シェキーナが全力とは言わずとも集中を高めていた証拠である。

 そもそも老竜を相手に、手抜きで完勝出来るほどにシェキーナに力はない。


土の精ノームッ!」


 シェキーナは即座に精霊を使役する。

 その声に応じて地面からは無数の石柱が起立したかと思うと、即座に相対していた老竜を包み込み巨大なドーム状の牢獄に捕らえたのだった。

 足止めでしかないその魔法の結果を確認する事無く、シェキーナは後方に出現した老竜の方へと跳躍していた。

 急襲するシェキーナに気付いたのか、老竜は再び羽ばたき上空へと逃れる。

 シェキーナもまた、そんな老竜を追撃する事無くエルナーシャ達との合流を優先したのだった。


「ジェルマッ! ジェルマ―――ッ!」


 エルナーシャの彼を呼ぶ声が辺りに木霊する。

 ジェルマの受けた傷は、肩から腹にかけて深く抉り取られる様に走っていた。

 咄嗟に盾で防いだのだろう、彼の持つ盾もまた真っ二つに斬り裂かれている。

 即死では無かったのは、その盾と彼の着ていた鎧によるところが大きい。


 それでも……致命傷である事には変わりなかった。


「イラージュさんっ!」


 いつになく慌てふためいているアエッタの声と殆ど同じタイミングで、イラージュもまた動き出していたのだが。


「……これ程の傷……私の魔法では……」


 彼女の口から零れた言葉は、余り現状を打破出来る様なものでは無かった。

 イラージュが、ジェルマへと向けていた視線をシェキーナの方へと向ける。

 それを受けたシェキーナが、ゆっくりと頷いて返した。


「……アエッタ様……」


 そしてイラージュは、今度はその眼をアエッタへと向けそう呟いた。

 その視線を受けたアエッタは、手にした杖をギュッと強く握りしめた。


「……お願いします……イラージュさん……」


 そして、震える声でそう答えたのだった。

 それを見て取ったイラージュは、二っと笑みを浮かべて再びジェルマへと眼を落とす。

 最早虫の息であるジェルマの傷に、イラージュがゆっくりと手を翳した。

 するとその手からは、彼女の操る魔法とはまた違う光が輝きだしたのだった。


「あれは―――?」


「回復魔法やおまへんな―――?」


 流石にジェルマの負傷を目の当たりにして心配そうな表情の双子が、イラージュの放つ光をみてそう呟いた。

 その問い掛けとも言えない様な言葉に応えたのは、意外と言って良い人物……セヘルであった。


「彼女は……イラージュは、魔法とはまた別の手段で傷ついた者を回復する事が出来るのだ……それがどの様な外傷であっても」


 紡がれたその言葉に、シルカとメルカは驚きの表情を隠す事が出来なかったのだった。

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