メルルの残照

「くっ……はぁ……はぁ……」


 下位龍ロウアー・ドラゴンの攻撃で強かに打ち付けられたジェルマは、痛む脇腹を押さえながら立ち上がった。

 彼の目には火炎に晒されながらも何とか耐えている、シルカとメルカの苦戦している姿が映っていた。


 双子ならではの息の合ったコンビネーションにより、変幻自在の攻撃が彼女達の持ち味である。

 そんな姉妹が炎により足止めを受けて只管に防御を強いられては、活路など見出せるはずもない。

 ジェルマは即座に動き出し、ドラゴンの意識を逸らそうと試みたのだが。


「……ぐはっ!」


 動き出そうとした途端に、吐血して再び片膝を付いてしまったのだった。

 先程の攻撃により、ジェルマは内臓を傷つける重傷を負ったのだ。


 それでも彼は、何とか立ち上がろうと膝に力を込めた。

 如何に傷つき戦闘能力が低下していようとも、これまで共に鍛えてきた仲間を見捨てるなど彼には出来なかったのだが。


「少しの間動かないで。これ位なら、回復できるから」


 その時、ジェルマの背後からイラージュが話しかけた。

 それと同時に、彼の身体が淡い光に包まれたのだった。


 イラージュは、魔界でも珍しい「神聖魔法」の使い手である。

 使い手……と言ってもそれ程高位の魔法が使える訳では無く、せいぜい中級魔法程度が関の山であった。

 それでも、その回復魔法は有用であると言えた。


 魔族は高い魔力を有している。

 そしてその殆どの者が、攻撃魔法や攻撃補助魔法に特化していたのだった。

 強靭な肉体と身体能力を持つ魔族は、回復や防御よりも戦闘向きの魔法を覚える者が大半だった。

 正しく、「殺られる前に殺れ」に重きを置いていたのだ。


 それはある意味で間違いでは無い。

 ただしその弊害として、回復防御魔法を覚える事に時間を割く者が皆無となっていたのだった。


 そんな中でイラージュは、回復系……「神聖魔法」に適応していた。

 メルルの強い勧めもあり、イラージュは回復防御系魔法を習得していたのだった。

 そして今、その事が効力を発揮していた。


「おおっ! 傷みが引いて行くっ! ありがとう、イラージュッ!」


 徐々に傷みが引いて行く感覚に、ジェルマは思わず歓喜の声を上げた。

 彼の視線の先では、シルカとメルカが未だに苦戦を強いられている。

 現状は前線に立った2人がドラゴンと戦っているのだが、どう見ても劣勢であった。


「あっ、ちょっとっ!」


 イラージュの制止を振り切って、動けるまでに回復したジェルマは姉妹を加勢する為に駈け出していったのだった。





「まったく……まだ完治してないって言うのに……」


 そんな彼の背中を、イラージュは呆れた様な笑みを浮かべて見送った。


 回復魔法とて万能では無く、その効力は術者の能力に大きく左右される。

 以前エルスと戦いを繰り広げた「暁の聖女」アルナならば、驚くべき速さで傷ついた者を回復する事が出来るだろう。

 勿論……怪我の度合いにも依るのだが、それでも彼女程の術者ならば最上級の回復魔法も使いこなせ、瞬く間に大抵の傷を癒す事が出来る。


 だがイラージュ程度の使い手では、怪我人を回復させるには時間が掛かる。

 また重傷ともなれば、回復させる事は出来ないのだった。


「……イラージュ、あまり前に出るな。お前が傷ついても、誰も回復させる事なんて出来ないんだからな」


 そんな彼女の背後に近づいて来たセヘルが、溜息交じりにそう声を掛けたのだが。


「あら、私は回復役……それこそがメルル様に見出された能力なんだから。傷ついた仲間を回復させないで、何をしろって言うの?」


 イラージュは誇らし気に笑ってそう答えたのだった。

 そして彼女の顔を見たセヘルは、再び深い溜息を吐いた。

 メルルの名を出されてしまっては、セヘルとて反論など出来る訳は無いのだ。


「さあ、セヘル。次はあの双子よ! 回り込んで、接近するわよ」


 セヘルの答えを聞く前に、そう告げたイラージュが移動を開始する。

 先程からセヘルの口からは、溜息ばかりが洩れ出していたのだった。


 言うまでもなくイラージュ同様、セヘルもまたメルルを尊敬している。

 そしてそのメルルからは、くれぐれもイラージュを守る様にとの指示を受けていたのだった。

 すでにこの世には居ないメルルではあるが、2人にとってその存在も、その言葉も未だ大きな影響力を有している。

 2人共、今は亡きメルルの言葉を忠実に守っていたのだった。





 元気を取り戻したジェルマがドラゴンへと躍りかかり、その意識がシルカとメルカから僅かに逸れる。

 その間隙を突いて、イラージュとセヘルが姉妹へと接近する。

 再三ドラゴンの火炎に晒された二人は、所々火傷を負っていた。

 深刻なものは殆ど無いとはいえ、腕と言わず足と言わず顔と言わずにダメージを受けていたのだった。


「少しの間、じっとしてて」


 そんな彼女達に、イラージュは早速回復魔法を掛けた。


「これはこれは―――」


「あんたはんが、回復魔法の使い手やったとは―――」


 癒しの光に包まれた双子の姉妹が、感嘆の声を溢す。

 普段ならばここで憎まれ口の一つも言いそうなものだが、今の彼女達はそんな余裕など無い。

 先程の苦戦は、彼女達にとって冗談でも何でもなかった。

 受けたダメージも、想定内などでは無かったのだ。

 戦闘と言う点においてはドラゴンに先手を取られており、このまま戦いを続ければ苦闘は免れないのが本当の所だったのだ。


 しかしイラージュの回復魔法により、そんな劣勢を覆すチャンスが訪れたのだ。

 シルカとメルカは勿論だが、ジェルマも少なからず感謝していたのだった。


 もっともイラージュが彼女達を回復させる間、ドラゴンの方が気を使ってジェルマしか相手をしない……等と言う事は無い。

 ジェルマがドラゴンの攻撃による圧力に気圧された一瞬、ドラゴンが背後に集結するイラージュたちをその視界の端に捉えた。


「まずいっ! セヘル、何とかしてっ!」


「……ちっ!」


 イラージュたちに気付いたドラゴンが、ジェルマを放っておいて彼女達の方へと体を向ける。

 明らかに人数が多く、一塊となっているイラージュたちの方が脅威だとドラゴンも感じ取ったのだ。


「暗雲に蠢く天の雷槍っ! 我が敵を貫きその動きを縛れっ! 雷縛槍ライトニング・バインドッ!」


 ドラゴンがイラージュたちに対して敵対行動をとる前に、セヘルは謳うように淀みなく魔法を唱え切った。

 そして彼が手にする杖を掲げると同時に、ドラゴンの頭上より無数の雷槍が降り注ぎドラゴンを貫いたのだった。


「ゴ……ゴアアアァァッ!」


 そしてドラゴンが咆哮を上げる。

 ただしそれは、稲妻の槍に貫かれた事による痛みからではなく。

 強制的に動きを奪われた事による怒りからだった。


「これで回復までの時間は稼げるだろう。イラージュ、とっとと治癒を済ませろ」


 ジェルマ達が手こずっていたドラゴンをいともあっさりとその場に縫い止めたセヘルだったが、その事に歓喜する事も高揚する事も無く、ただ淡々とそう告げた。

 セヘルの力を目の当たりにしたジェルマ、シルカ、メルカは、目を丸くして彼を見つめたのだった。


「……ほんっと……その性格は兎も角……腕だけは確かよね―――……」


 苦笑を溢しながら、イラージュはその手を止める事無くそう呟くと。


「あの拘束……どれくらい持ちそうなの?」


 セヘルにそう問いかけた。


「ふん……あと一刻2時間過ぎたとしても、あのドラゴンは此処から動く事も出来ないだろうよ」


 そしてセヘルは、憮然としてそう答えたのだった。


「くっくっく……」


 そんなセヘルの態度が可笑しかったのか、イラージュは押し殺した笑いを溢した。

 一時、先程の激戦とは全く違う空気が流れ、ジェルマ達は唖然と2人のやり取りを見つめていたのだが。


「さぁ、回復したわ。あんた達、ドラゴンを殺るなら今がチャンスよ」


 シルカとメルカの背中をバンと叩いたイラージュがそう発破をかけた。

 そしてその言葉で我を取り戻したのか、ジェルマ達が改めて武器を構えドラゴンと対峙する。

 ……と言っても、相手は動く事の出来ない下位龍ロウアー・ドラゴンだ。

 今のジェルマ達でも、倒す事は実に容易い事であった。


 そうしてそう時間を掛ける事も無く、ジェルマ達はドラゴンの息の根を止める事に成功したのだった。


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