溝は溝のまま
戦闘を終え、横たわる
いや……イラージュの元へと自然に足を向けたと言う方が正しいだろうか。
「イラージュ、さっきは助かったよ。ありがとう」
真っ先にそう謝意を示したのはジェルマであった。
彼は満面の笑顔でイラージュの正面に立ち、今にも握手しそうな勢いである。
そんなジェルマの勢いに、イラージュはやや引き攣った笑顔を浮かべ数歩引き下がりながら答えていたのだが。
「ほんに―――」
「あんたはんが『神聖魔法』を使えて―――」
「ほんに助かりましたえ―――」
会話の矛先を変えようと気を使ったのか、シルカとメルカがやはり笑みを浮かべてそう声を掛けた。
イラージュも自然とそちらの方へと向き直り笑顔を浮かべた。
「あたしには戦闘の適性も無かったし、魔法も上手く使えなかったからね。もしもメルル様に導かれてこの能力を身に付けられなかったら、魔王軍を辞めるしかなかったところさ」
そして大まかな理由を話して聞かせた。
そんなイラージュの顔は、どこか誇らしげでもあり嬉しそうでもあった。
「なるほど―――」
「そやけどまさかあんさんが―――」
「うちらにその力を使うやなんて―――」
「思いもしまへんでしたえ―――」
それに対する双子の答えは、どこか意地の悪い言い様であった。
しかしそれも、今までの態度を見れば致し方ない事であった。
イラージュはこの“旅”が始まってから、ジェルマやシルカ、メルカと積極的にコミュニケーションを取るような事は無かったのだ。
セヘル程に彼等と反目をする様な態度はとらなかったものの、とても友好的だと言う雰囲気では無かったのだ。
「そりゃーそうよ。あたしが第一に考えているのは……シェキーナ様、アエッタ様。その他はあたしにとって、どうでもいい事だもの」
そんな厭らしい姉妹の言葉に、イラージュはシレッととんでもない言葉で返したのだった。
面と向かって「あなた達には興味がない」と言われれば、さしものレンブレム姉妹も言葉に詰まらされる。
そんな彼女達を見て、今度はイラージュの方がニヤリと笑みを浮かべたのだった。
冗談でも何でもなく、イラージュの優先度合いは1にアエッタ、2にシェキーナ。
その他の者の事は、本当についででしかないと考えていた。
更に言えば、それらの上には「メルルの存在」が居座っている。
既にこの世にはいないメルルだが、それでもイラージュにとって生前彼女の話した言葉や指示した事は何よりも重要度が高かったのだった。
先程シルカとメルカに答える際、僅かに言い淀んだのはその優先順位をどうするかで迷ったからだ。
曲がりなりにもジェルマ達はシェキーナの親衛隊。
そんな彼等の前で、まさかシェキーナをメルルやアエッタの後回しであると言えよう筈も無かったのだ。
更に言えばシェキーナは今代の「魔王」であり、魔王軍に所属している以上は第一に敬意を払わなければならない存在である。
それを、その臣下でしかないアエッタが最も大事だなどと言えば不敬を問われるかもしれないのだ。
「じゃ……じゃあ何で、俺達をその……助けてくれたんだよ?」
やや呆気に取られてはいたものの、イラージュの答えを聞いたジェルマが憮然とした表情で質問したのだが。
「はぁ? そんなの当然でしょ? 仲間が目の前で苦戦してるんだから、助けない方がどうかしてるわよ……ねぇ?」
イラージュはそれが然も当然であると言う風に答えると、彼女の斜め後ろでただ立っているセヘルへと顔を向けた。
そんなイラージュの視線と言葉を受けても、セヘルの表情には変化が現れなかった。
イラージュはそんなセヘルを見て溜息交じりの笑いを溢すだけであったが、ジェルマ達がそのやり取りを気に掛けている様子はなかった。
それはセヘルに興味がない……と言うわけでは決してなく。
イラージュの返答が、余りにも意外だったからだ。
仲間がピンチだから当たり前に助ける。
これは、同じ組織に所属していれば至極当たり前に浮かぶ思考である。
それでも、そんな組織内であってもそれぞれにグループや派閥、
こと魔王軍においては、絶対的な力を持つシェキーナの下で団結している様にも伺える。
それでもジェルマとセヘルの様に、あからさまに対立して協調性が皆無な者達もいるのだ。
そして魔族達は、その事に然したる疑問を持たなかった。
元々魔族は戦いに於いて、個々の力が高すぎて協力には無縁なきらいがある。
故に、集団として機能しない程度のいがみ合いならば誰も問題視しないのだ。
もっとも、それはただ単に集団を維持しているだけででしかないのだが。
そんな考え方が至極普通な中に於いて、イラージュの言う「当然」と言う主張に彼等は驚かされたのだった。
ただ彼女の言葉が、一同の心に温かいものを齎した事は間違いない。
ジェルマも、シルカとメルカも、知れずに柔らかい笑みを浮かべていた。
だからだろうか。
ジェルマはそのまま、セヘルにも声を掛けた。
「……セヘル。さっきはその……助かった……」
それはまさかの、まさかのセヘルに対する謝意を示すものだった。
セヘルに対してその言葉を使うのに、最も縁遠いと思われていたジェルマが言ったのだ。
その衝撃は双子の姉妹は勿論、イラージュも絶句する程であった。
「……何の事だ?」
それに対してセヘルは、一切表情を変える事無く……そして興味など全く無いと言った風に返事をした。
「さっきの……ドラゴンだよ。お前があいつを足止めしてくれなければ、俺達はあれ程簡単に倒す事は出来なかった。……感謝している」
そんなある意味神経を逆撫でする様な返事を向けられたジェルマだったが、そこで激高する事も無く更に言葉を続けた。
シルカとメルカ、イラージュの驚きは、今までの最高を大きく更新したのだが。
「……何か勘違いをしている様だが」
そんなジェルマに、セヘルがやはり表情を変化させずに返答する。
「俺はメルル様の言葉通りイラージュを守るために動いただけで、お前達などどうでも良かったのだ。もしもイラージュがあの場にいなければ、お前達が殺されようと食われようが……どうでもいいと今でも思っている」
そして返した言葉は、一同がやはりと思うもの……よりも、更に辛辣な物言いであった。
「なっ……なんだよ、その言い方はっ!?」
これにはさしものジェルマも、頭に血を昇らせない訳がない。
「こっちが素直に感謝してるんだっ! そんな言い方をする必要はないだろうっ!」
これはジェルマの方が正論と言って良かった。
セヘルはこの場で、わざわざジェルマに答える事も無かったのだ。
それが……例え本心であったとしても。
それをわざわざ口に出して答えるものだから、ジェルマがこの様に語気を荒げレンブルム姉妹の眼が鋭く細められる事になるのだ。
「はーいはい、ここまでここまで」
そんなある種、一触即発の様な雰囲気を霧散させたのはイラージュであった。
「こんな所で、いつまでも油を売ってる訳にはいかないでしょう? シェキーナ様を一人っきりでお待たせしておいていいの?」
イラージュのある意味殺し文句に、今にも飛び掛かりそうだったジェルマも、それに対していたセヘルもその鉾を収めた。
勿論、シルカとメルカも刺す様な気勢を発する事を止めている。
「そ……そうだな。早くシェキーナ様の元へと戻らなければ。……みんな、行くぞ」
ジェルマはこの隊を任せられた隊長として、一同にそう声を掛けると一直線にシェキーナの元へと駈け出した。
それにシルカとメルカが続き、その後をセヘルが追走する。
最後尾を行くにはイラージュであった。
彼女は、走りながら小さく溜息をついた。
もっともそれは、ジェルマとセヘルの仲が良くならないと言う事へのものなどではなく。
先程から……いや、ずっと胸中を占めている事を思っての事だった。
彼女の思考は既に……いや、最初から最後まで、反対方向へと向かったアエッタの安否にのみ傾いていたのだった。
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