初陣
それから2週間……。
シェキーナ達は、然したる問題に直面する事も無く、旅の行程を消化していった。
それはまるで、単なる遠出か旅行と言った風情さえ感じさせるものだった。
勿論、小さく細かい問題は僅かばかり発生していたのだが。
そしてその殆どは、セヘルとジェルマによるものだった。
もっとも、セヘルの方もエルナーシャを挑発すると言う事が無駄だと知り、あからさまに言葉を以て彼女達を侮辱する様な事は無くなった。
それでも、その態度に苛立ちを隠せないジェルマや、今やセヘルを揶揄う事に面白味を感じ出しているシルカとメルカが口論を起こしていたのだが。
更に小さい問題として、アエッタがイラージュに付き纏われて辟易していると言う事も付け足しておくべきだろうか。
そんなある意味、穏やかで楽しい行軍も、いよいよ終わりを見せる。
シェキーナ達の眼前には、僅かに小高く鬱蒼と木々の生い茂った山があった。
山へと向かう道は真っ直ぐに一本。
それも、僅かに上った後には森の中へと消えている。
小さい山ながらも、そこから醸し出される雰囲気は「竜の住処」と呼ぶに相応しいものだった。
「此処からは馬を下りて徒歩で向かう。全員下馬して、森の入り口に馬を繫いでおけ」
真っ先に馬から降りたシェキーナが付き従う一同にそう指示を出すと、エルナーシャを始めとした全員がそれに倣った。
それを確認したシェキーナは、先頭を切って歩き出した。
魔王であるシェキーナが先陣を行くのもおかしな話なのだが、それでもこれは理にかなった行動とも言える。
エルナーシャ達に、探索行の経験は無い。
対してシェキーナは、エルス達との旅を行う間……特に森を行く時は先頭を任される事が多かったのだ。
如何にシェキーナの身を護る事が目的の護衛役とは言え、森の探索に不慣れな者が先を行くには不安があると言うものなのだ。
こうして、シェキーナが引き連れる形で龍の住処である「竜哭山」を進む事となったのだった。
そして、その効果はすぐに発揮される事となる。
森の中に入り歩く事……
何気なく無造作に……傍から見ればシェキーナは、本当に森を散策している様に自然体で歩いていたのが、突如その歩みを止め右手を上げて後続にもそうする様指示したのだった。
即座にそれに倣ったエルナーシャ達だが、何故シェキーナが止まったのかその理由が分からない。
「……まだ距離はあるが、
そしてシェキーナが、行軍を止めた理由を彼女達に告げた。
今の今まで……いや、そう告げられた今でさえその気配を探る事が出来なかったエルナーシャ達は、その言葉を聞いて一気に緊張の度合いを高めたのだった。
「あ……あの……
小声で、僅かに躊躇いながらエルナーシャがそうシェキーナに質問した。
随分と周囲に気を使っているエルナーシャであったが、対するシェキーナは未だに自然体のままだ。
「……ん? そうだな……言うなれば“空気”だろうか? 位置を特定して探るのでなければ、魔法も
普段と何ら変わらないシェキーナの物言いに、エルナーシャ達は幾分力を抜いてその話に耳を傾けた。
「……それならば……」
そう口にしたのはアエッタであった。
彼女は先頭に居るシェキーナより一歩前に進み出ると、静かに瞑目して集中を高めた。
「……シェキーナ様のおっしゃる通り前方……5分程歩いた先に……ロウアー・ドラゴンが2匹……そしてその先に……エルダー・ドラゴンが1匹……このまま進めば……遭遇します。……周囲には……当面、他の魔獣は感じられません……」
アエッタは、別段呪文を詠唱する事も無くそれらの事を察知したのだった。
勿論、アエッタは魔法を使った訳では無い。
極小に細めた魔力の糸を、前方に張り巡らせてそれらを知る事が出来たのだ。
「ふふふ……やるな、アエッタ。腕を上げたではないか」
それを見たシェキーナは、アエッタにそう賛辞を送った。
「は……はい……シェキーナ様……」
それを受けた彼女は、顔を真っ赤にして俯いたのだった。
この場ではシェキーナだけが、アエッタが何をしたのか分かったのだった。
「まるでメルルを思い起こさせる、見事な手際と規模だったぞ」
アエッタは、ただ単に前方へと向けて魔力の糸を放った訳では無い。
アエッタを中心にほぼ全周囲へと……しかも、かなり遠方までその糸を延ばしていたのだった。
索敵とは、目の前の脅威を発見すれば良い……と言う訳では無い。
眼前の敵を発見することも然る事ながら、その後方にも目を光らせなければ意味は無い。
アエッタは誰に言われるでもなく自分の判断でそれを行い、だからこそシェキーナに褒められたのだ。
勿論それを自然と気付けたのは、メルルから受け継いだ「知識の宝珠」に依るところが大きいのだが。
それでもシェキーナから褒められれば……ましてや「まるでメルルの様だ」と言われれば、アエッタにとってはこれ程嬉しい言葉は無い。
「……ふん」
そしてその光景を、どうにも面白くないと言った表情で見ている者がいた。
……セヘルである。
メルルを慕う彼にしてみれば、アエッタが「メルルの様だ」と褒められるのは、どうにも面白くない事だったのだ。
それでもこの場では、流石に噛みつく事など出来ない。
シェキーナには勿論だが、アエッタに対してもここで何かを言おうものなら、それはそのままシェキーナへの反論と取られ兼ねないからだ。
勘違いされがちなのだが、セヘルはメルルと同じ位にシェキーナにも敬意を払っているのだ。
アエッタの索敵結果通り、そこから数分ほど歩を進めた先に、それと分かる唸り声を一行は耳にして、再び緊張の度合いを高めたのだった。
「……ふむ。やはり2匹だけみたいだな。……よし、エルナーシャ」
明確にドラゴンの所在を把握したシェキーナは僅かに思案した後、後方に控えるエルナーシャに声を掛けた。
「はい、
「お前はレヴィア、アエッタと共に、左方向の
「えっ!?」
畏まってシェキーナの言葉に耳を傾けていたエルナーシャだが、シェキーナの指示に驚きの声を上げた。
咄嗟に声のトーンを抑えた事により、ドラゴン達がシェキーナ達に気付いたと言う事は無い。
しかしエルナーシャの受けた衝撃は、決して小さいものでは無かったのだった。
言うなれば、これはエルナーシャの初陣と言って良い。
以前は城内にてエルスやカナン、シェキーナに稽古をつけて貰っていた。
エルス達が居なくなった後も、シェキーナや親衛隊たちとの稽古に明け暮れた。
その剣の腕はメキメキと上達し、今や魔王城でも屈指の実力者となっていたのだった。
それでも生死を分かつ戦いに立つのは、これが初めてだった。
そんな初戦の相手が、選りにも選ってドラゴンなのだ。
エルナーシャで無くともその驚きは少なくなく、レヴィアやアエッタも絶句していたのだった。
因みに、初戦と言うのであればアエッタも同様であり、他の者には知られてい無い事ながら“戦闘”経験者と言えばレヴィアだけであった。
……もっとも、レヴィアもパーティでの戦闘と言う点では初めてなのだが。
「大丈夫だ、エルナ。お前には、ドラゴンを打ち倒すだけの力がある。今まで身に付けてきたものを、ほんの少し開放するだけで良いんだ。それにレヴィアとアエッタもいる。2人の声に耳を傾け、2人に声を掛ける事を心がければ、きっと勝てるはずだ」
「……はいっ!」
優しく諭すシェキーナにエルナーシャの瞳から不安の色が消え、代わりに強い決意の炎が宿った。
そしてゆっくりと振り返ったエルナーシャに、同じく決意の眼差しをしたレヴィアとアエッタが頷いたのだった。
「右のドラゴンはジェルマ、お前が対処してみろ」
「……はい!」
エルナーシャが意を決したのを見て頷いたシェキーナは、今度はジェルマの方へと目を遣ってそう告げ、彼もまた強く頷き返したのだった。
彼もまた、セヘルの言った通りこの戦いが初陣となる。
それでもジェルマが非凡で無いと感じさせるのは、その事に気負った様子が伺えない事だ。
強く決意を固めた視線を湛えているものの、血気に逸っている様子は伺えない。
「シルカ、メルカ。お前達もジェルマと共に行け」
「はい―――」
「お任せあれ―――」
次いでシェキーナが指示を出したシルカとメルカもまた、戦いを前にした緊張感は感じられない。
もっともこちらは、どちらかと言えば緊張感に欠ける……と言ったイメージなのだが。
「セヘル、イラージュ。ジェルマ達に付いて、援護を頼む」
「……はい」
「……はい」
最後にシェキーナは、セヘルとイラージュにもそう指示をした。
ただしこちらからは、エルナーシャやジェルマの様な気合の入った返事は返って来なかったのだが。
セヘルはどうにも相性の悪いジェルマのバックアップと言う役どころに不満を感じていたし、イラージュはアエッタと同行できない事に不服だったのだ。
「な……っ! シェキーナ様、ドラゴンなんぞ、私とシルカ、メルカだけで十分ですっ!」
だがジェルマは、反論をせずにはいられなかった様だ。
ジェルマの心情など、考えるまでもなく知る事が出来る。
イラージュは兎も角、セヘルが同行する事に不快感を持ったのだ。
「ジェルマ、これは命令だ。お前も隊を束ねる者ならば、どの様な陣容であっても最高の結果を出してみろ」
それでもジェルマの反論に、シェキーナは声を荒げる事も無く……しかし反論を許さない声音でそう告げた。
主であるシェキーナにこうも念を押されては、ジェルマにそれ以上反論する事など出来なかった。
「……畏まりました」
明らかに渋々と言った態だが、ジェルマは了承した。
「それでは、行け。この距離なら、互いの戦いに介入される様な事は無いだろう。私はこの位置にて、お前達の戦いを見ている。不都合が生じた場合は、即座に私が援護に入る。故に、思いっきりやってみろ」
「はいっ!」
そうしてシェキーナの檄が飛び、その言葉に一同は声を揃えて返事をすると、次の瞬間には矢の様にその場を飛び出して行ったのだった。
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