嫉妬と意地と

「ぐ……ぐぬぬ……」


 セヘルがどれ程もがこうと、アエッタの作り出した魔力のロープは切れる事は無い。

 そのままの態勢でも魔法を唱える事も出来ただろうが、締め付ける強さがそんなセヘルを牽制する。

 僅かでも魔法を唱えようとしたならば、魔力のロープはその締め付ける強さを一気に増し、セヘルの意識を刈り取ってしまうと彼には感じられたのだ。


 そして、それ以上に動けないでいたのはシルカとメルカであった。


 背後を取られて肩越しから見るレヴィアは、腕を胸の下で組み表情を無くして半眼で彼女達を見据えている。

 怒っている……と言うよりも、どちらかと言えば呆れている感が強い。

 それでも、シルカとメルカを捉えて離さないその視線を受けては、彼女達も迂闊な事は出来なかったのだった。


「3人共、そこまでよ」


 そしてその場にいる全員の視線を集めたのは、双方の間に割って入ったエルナーシャであった。

 その表情は……困っている様な、それでいて怒っている様でもある。


「今はこんな事で争っている場合じゃないわ。シェキーナ母様かあさまの為に、素早く野営の準備を済ませないといけないんだから」


 エルナーシャのその言葉で、その場に渦巻いていた戦いの気勢は急激に収束していった。

 彼女の言う通り、今は逸早く野営を整えてシェキーナの落ち着く場所を作り出さなければならない。

 更に言えば、周囲は急速に夕闇の色を濃くしている。

 完全に日が落ちるまでに、水汲みやら夕食の食材収拾やら……しなければならない事は多く、そして時間的猶予もあまりないのだ。


「し……しかし、エルナーシャ様! こ……こいつは、エルナーシャ様のことまで馬鹿に……。それに、エルナーシャ様達が率先して行っている野営の準備を泥臭いなどと……!」


 それでも、納得のいかないジェルマはエルナーシャにそう言った。

 セヘルとの対決をシルカとメルカに奪われはしたが、ジェルマの彼に対する蟠りがそれで消えた訳では無かったのだ。


「そんな事……気にしなくて良いのよ。私は、この旅で見る事全部に興味が尽きないし、する事の全てが面白いって思ってるもの。私が楽しんでるんだから、誰に何て言われても問題ないでしょ?」


 そんなジェルマの言葉に、エルナーシャは笑顔でそう返したのだった。

 その微笑は決して造られたものでは無く、心底朗らかである。

 本当に、セヘルの言った事など歯牙にも掛けていない風であった。


 主……何時かのであっても、そう定めた者がそう言っているのだ。

 それ以上、ジェルマに何かを言えよう筈も無かった。

 何よりも、ジェルマ自身もエルナーシャの言い様に毒気を抜かれてしまっていた。

 肩の力が抜けたのは何もジェルマだけではなく、先程まで臨戦態勢であったシルカとメルカも同様であった。

 少なくとも、に、もうこれ以上この事で争おうと言う気は無くなっていたのだった。

 

「さぁ、作業を再開しましょ」


 そんな空気を感じ取ったのか、エルナーシャはニッコリと微笑んで一同にそう告げた。

 それが合図であったかのように、一人を除いてその場の全員が動き出した。


 ―――勿論、除かれた一人と言うのは……セヘルだった。


 エルナーシャが作業へと移っても、セヘルは動こうとしなかった。

 いや……動き出せなかったのだ。


「……くそっ!」


 小さく毒づくセヘルは、二重の意味でショックを受けていたのだった。


 一つは、エルナーシャの行動と言葉。


 セヘルは実のところ、エルナーシャをこそ怒らせてみたかったのだった。

 明らかな行動の不協和は、エルナーシャの神経を逆撫でして彼女を逆上させたかったのだ。

 そうして彼女自らの怒りをセヘルへと向けさせ、それを気に一騎打ちへと持ち込み彼女の力量を図る。

 セヘルは、そんな事を考えていたのだった。


 如何に不遜なセヘルとは言え、難癖をつけてエルナーシャに問答無用の攻撃を加える事など出来ない。

 彼女は現魔王たるシェキーナの信頼も厚く、何よりもシェキーナの娘である。

 そんな立場にあるエルナーシャに、セヘルから何かしらのアクションを起こす事は難しい。

 それでも、彼女から攻撃をしてくれればその限りでは無い。

 セヘルはそう考えていたのだが。

 エルナーシャには、セヘルの考えは通用しなかった。

 いや……セヘルの考えなど、最初から問題にもしていない……気付いているかどうかも怪しかったのだった。


 そしてもう一つは……アエッタである。

 

 アエッタは、セヘルも気付かない程の速さで“魔力の極細ロープ”を形成し、瞬時に彼を拘束した。

 魔力だけで出来たロープ自体には、本来脅威は無い。

 属性の伴わない魔力は、属性を与えられた魔法によりすぐに防がれ、千切られ、霧散してしまうと言われているからだ。


「くそ……くそっ、くそっ!」


 それは、アエッタの作り出していた魔力も同じだと推察出来る。

 もしもあの場でセヘルが自己防壁の魔法なりを作り出せば、アエッタのロープはすぐにちぎれ飛んで消え去っていたしれない。

 しかしアエッタは、セヘルにそうさせなかった。

 あの場でセヘルが僅かでも魔法を使う素振りを見せれば、アエッタは即座に……そして何の躊躇いもなく、セヘルを無力化していただろう。

 それはそのまま、セヘルの命を断つ事も容易だと言う事だった。


 勿論、アエッタはそんな事をしないだろう。

 どれ程“嫌な奴”だと思っていたとしても、ただそれだけの理由で“仲間”の命を断ったりはしない。


 ―――もっともアエッタはセヘルの事など、様々な意味で何とも思ってはいないのだが。


 セヘルもまた、メルルの言う通りに魔力の深度を高める訓練は行っている。

 これが中々に難しく、一朝一夕でどうにかなると言う様な事では無い。

 それでも彼は、根気よくこの修行を続けている。

 日々の訓練、魔法の勉学、魔導部隊の指揮と多忙な彼であるが、それでも一見無意味に思えるこの訓練を彼は時間を作っては行っていた。


 それは偏に、メルルの指示であったからなのだが。


 セヘルの才能を逸早く見止め、そんな彼を軍の中枢に押し上げてくれたメルルを、セヘルはこの上なく尊敬し崇拝していた。

 更に人界においては右に出る者が居らず“大賢者”とまで呼ばれていたメルルを仰望していたのは言うまでもない。


 そんなメルルの寵愛を受け、彼女の後継者とまで囁かれていたアエッタにセヘルは……嫉妬していた。

 そしてその思いが、彼の対抗心を煽っていたのだった。

 2人共、今は無きメルルの残された“息吹”を最も受けていただけに、どちらがどれ程メルルの後継者に相応しいのか。

 セヘルにはその事こそが肝要であったのだった。


 言うまでもなく、アエッタはそんな事に目くじらを立ててはいないのだが。


 ショックを隠せないセヘルは、やはり野営の設営を手伝えずにいた。

 だがそれは、何かしらの策謀や考えがあっての行動では無く、ただただ受けた衝撃を処理する事が出来ずにいた故の結果であった。





 そんな“子供達”の様子を、シェキーナは少し離れた小高い丘に腰を下ろしながら、どこか微笑む様に眺めていたのだった。

 それはまるで、親が子供達の戯れ事を微笑ましく観覧している……様にも見える。

 

 もっとも……その内容は、到底「子供の行い」で済まされる様な争いではなかったのだが。


 それでもシェキーナは一切手を出す様な素振りも見せずに、その場の成り行きを静観していたのだった。

 彼等が、何をもって言い争っているのかは彼女にも想像できていた。


 事の発端は、恐らくセヘルだろうと言う事。

 そしてそんなセヘルの態度に、ジェルマ辺りが噛みついただろうと言う事。


 シェキーナの想像はだいたい的を射ていたのだった。

 

 問題は、誰がどの様に収めるのか。

 そして、その後はどの様な対処が行われるのか。

 シェキーナはその事に思いを馳せて、柔らかな風のそよぐ丘で一人、遠方に目を遣り夕暮れの景色を眺めていたのだった。


 シェキーナが出ていけば、兎にも角にも事態は収拾する。

 そんな事は、考えるまでもない事であった。

 しかし、シェキーナが何時までもこの世にいるとは限らない。

 また、エルナーシャが次代の魔王となれば、いつまでもシェキーナを頼る訳にもいかないであろう。

 

 今回の旅で問題はたた浮かび上がるであろうが、それらはシェキーナが画策せずとも露見して行く。

 そして、持ち上がる問題を自らの力で考えて処理して行って欲しい。

 若い彼等に、シェキーナはそれを実践してもらうために同行させたのだ。


 気付けば、ジェルマとセヘルから端を発したは収まっていた。

 シェキーナが此処から見る限りでは、彼等は何事も無かったかのように作業を再開していたのだった。


(まだまだ、問題は起りそうだな)


 小さく溜息を吐いてそう考えたシェキーナであったが、その表情はどこか楽し気な……やはり微笑を湛えていたのだった。

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