一触っ! 即……発……

 シェキーナが玉座を立ちその後をアヴォー老が付き従う形で、彼女は魔王の間を後にした。

 これから一刻2時間の後には、この魔王城“隠れの宮”を出立するのだ。

 大まかな準備は完了しているだろうが、細かな準備も残っているだろう事を考えての時間的猶予であった。


 しかし、シェキーナが魔王の間を後にしたからと言って、この部屋にわだかまる雰囲気が解消される訳では無い。


「……おい、どういうつもりだ?」


 先程、侮辱されたと受け取ったジェルマは怒りを抑える事が出来ずに、その原因を作った人物……セヘルにそう凄んだ。

 

「……どう……とは?」


 それを受けたセヘルは、ジェルマとは温度差のある声でそう返した。

 それは、どちらかと言えば冷めた……ともすれば馬鹿にしたような、恍けているかのような言い方である。

 そんな声音で言い返されれば、殆どの者が激高していたに違いない。

 そしてジェルマは、やはりと言おうか一気に顔を真っ赤にした。


「何や―――」


「おもろうなって来たな―――」


 そんな2人の対立を、シルカとメルカは面白そうに窺っている。

 セヘルに馬鹿にされた……と言うならば、この2人も同様である筈なのだが、シルカとメルカにとってはどこ吹く風……どこか他人事だった。


「俺達が役立たずってのは、どういう意味なんだよっ!」


 ギラギラと瞳を燃やすジェルマが、今にも食って掛かりそうな勢いで吠えた。

 そんな彼へ切れ長の瞳に冷たい光を灯しながら、更に僅かな笑みまで浮かべてセヘルは答える。


「先ほど言った通りですよ。僕が知る限りでは、あなた方は実戦などした事が無いでしょう? そんな“未熟者”が、シェキーナ様の護衛として随伴する事に問題があるって言ったんです」


 シレッとそう返し、セヘルはその黒く長い髪を右手で払った。

 男性であるにも拘らず、その黒髪は女性の物と遜色の無い程美しく、キラキラと煌めきながら彼の背中に落ち着いた。

 やや色素の薄い肌も相まって、余計にその黒髪は見た者に印象深く映る。

 そんなセヘルの言い様は、誰がどう聞いても喧嘩を吹っ掛けている様にしか聞こえない。

 エルナーシャは一触即発となりつつある二人を見ながら、不安な表情で隣に控えるレヴィアを窺った。


「レ……レヴィア……?」

 

 そして、そこでもギョッとしてしまう事になる。


 エルナーシャが視線を向ける先には、これ以上ないと言う程に表情の色を無くしたレヴィアが、ただジッと2人を……いや、セヘルを見つめていたのだ。

 なまじ喜怒哀楽を表現していないからこそ、今のレヴィアには迫力がある。

 レヴィアは、セヘルの発言がエルナーシャを侮辱したと捉えて、これ以上ない程に怒り心頭だったのだ。

 何処を向いても争いの火種が燻っている状況に、エルナーシャはアワアワと慌てだしたのだった。

 縋る様に頼みの綱であるアエッタを見るも、彼女はレヴィアとは違う意味で無表情であった。

 それは……この騒動に一切興味が無い事を意味していると、エルナーシャは即座に理解した。

 ただ一人、この場の雰囲気に慌てた様子を見せるエルナーシャを、更なる展開が襲う。


「セヘル―――っ! お前、さっきからアエッタ様を馬鹿にしてるよな―――っ!?」


 セヘルのすぐ隣で今の今まで沈黙していたイラージュが、怒りのオーラを発しながらそう叫んだのだ。

 怒髪天を衝く……とはまさにこの事。

 彼女の長く赤い髪は、その色が表す通りに燃え盛っている様だ。

 面立ちの整ったスタイルの良い彼女であったが、セヘルよりも長身と言う事もあり、怒り心頭で仁王立ちすると更に大きく見える程だった。

 その気勢はすさまじく、それまで相対していたセヘルとジェルマが息を呑み動きを止める程であった。

 正しく、猛獣を前にした草食動物然となった2人に、イラージュはズンっと1歩踏み出すも。


「……イラージュさん……シェキーナ様もおっしゃられました通り……出発の準備を致しましょう……」


 そこへ、タイミングを見計らったかのようにアエッタが声を掛けたのだった。

 アエッタの台詞は、この部屋に渦巻く雰囲気には到底そぐわず、イラージュの勢いを考えればとても引き止められるような声音でも無かった。


 ……のだが。


「はいっ、アエッタ様っ! 早速準備いたしましょうっ! このイラージュ、アエッタ様の準備のお手伝いをさせて頂きますっ!」


 クルリと反転してアエッタの方を向いたイラージュには、もう先程の気配など微塵も残っていなかった。

 満面の笑みに先程とは違う意味で頬を紅潮させ、驚くべき速さでアエッタの元へとすり寄った彼女の姿は、見た目は兎も角まるで子犬の様である。

 にじり寄られたアエッタはそんなイラージュを持て余しながら、エルナーシャに目で合図を送るとそのまま魔王の間を後にしたのだった。

 小柄な……と言うと語弊がある。

 アエッタは未だに11歳相当。体が小さいのは致し方ない事である。

 そんな彼女に、まるで抱き付くかのように密着して歩いて行くイラージュを見れば、何とも不可思議な光景だと思わざるを得ない。


 そして、そんな2人のやり取りに、セヘルとジェルマも完全に毒気を抜かれていたのだった。


 勿論、だからと言って振り上げた拳を納める……と言う程に、2人は出来た人格を持ち得てはいなかったのだが。


「隊長様―――」


「出発の準備を済ませた方が―――」


「宜しいんとちゃいますかいな―――?」


 そんなジェルマに声を掛けたのは、事の成り行きを面白そうに見守っていたシルカとメルカであった。


「……むぅ……」


 その様な横やりを入れられては、ジェルマとて喧嘩などしている場合では無いと気付かされる。

 自身の名誉を考えれば此処は引くに引けないと言えなくも無いが、そんな事よりもシェキーナの命に背いた挙句、集合に遅れては目も当てられないのだ。


「うちらは―――」


「先に行きますよって―――」


「早よした方がええ思いますえ―――」


 シルカとメルカはそれだけを言うと、ジェルマの事など待つ事も無く魔王の間を後にしたのだった。


「……くっ!」


 まるで置いてけぼりを喰った状況にジェルマも小さく歯噛みすると、エルナーシャの方を向いて小さく一礼し退室する以外に選択肢は無かったのだった。

 アエッタ、そしてシルカとメルカのファインプレーにより、シェキーナが闇の女王となって初めての遠征を前にして、仲間同士の私闘が行われると言う事態は回避されたのだった。


 そしてその状況により作り出された空気は、一人取り残されたセヘルがそのままその場に留まるには何とも居心地の悪いものだった。

 事ここに至っては、エルナーシャも彼に言葉を掛ける事は出来ない。

 そしてレヴィアは、セヘルを見つめたまま……動かない。


 もっとも、そのままセヘルとレヴィアで第2ラウンド……と言う事は無く。


「……ふん」


 セヘルもまた、そう鼻を鳴らすと魔王の間を去って行ったのだった。


 残されたのは……エルナーシャとレヴィアだけであった。


「……えーっと……レヴィア? 私達も、準備をしましょうか?」


 エルナーシャが隣のレヴィアへと声を掛ける。

 先程彼女が見たレヴィアは、明らかに……怒っていた。少なくとも、エルナーシャはそう感じていたのだが。


「……はい、エルナーシャ様」


 エルナーシャに声を掛けられたレヴィアもまた、先程までの表情は霧散し優し気な笑みを浮かべてそう答えたのだった。


 歩き出したエルナーシャは付き従うレヴィアを感じながら、この旅が一筋縄ではいかない事を感じずにはいられず、小さく溜息を吐いたのだった。

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