11
「おっ。もう、体調の方は大丈夫なのか?」
僕は、前に会った時と同じようにベッドの上で体を起き上がらせた状態で外を眺めていた茉莉乃に聞いた。
もちろん、状態がよくなっていないことを知っていた僕はそんなことがあるわけがないと思っていたのだが、次に会った時は体調がよくなっているという本人の言葉を信じてかすかな可能性にかけて聞いたのだった。
茉莉乃は僕の方を見ることなく、窓から見える緑の葉っぱが生い茂る木々の方を見ながら、口を開く。
「えぇ。すっかり良くなったわ」
窓に反射して映る茉莉乃の顔はとても苦い顔だった。
唇を噛み、ただただどこか一点だけを一生懸命見ようとしているように見えた。
僕はその時、よくなったと言うのはやっぱり嘘なんだと思った。
ただ、嘘を追求したところで何も意味がないと踏んだ僕は、
「そっか。ならよかった」
と一言、言った。
「………………」
茉莉乃はその言葉に特に反応を示すことなく、窓越しに見える景色を見続けていた。
気まずい空気が流れる中で僕は一旦話を切り替えようと、違う話題を振る。
「そういえば、あの質問の答え、聞いてきたぞ」
「あの質問?」
「あぁ。前に好きの気持ちがわからないっていう話をしただろ。覚えてるか?」
「えぇ。覚えてるわ。もしかして、何かわかったの?」
「実はあの後、知り合いに聞いてみたんだ。そしたら、どうやら好きっていうのは、いつも、その人のことばかり考えてしまって、その人の顔を見ただけでドキドキしてしまう感じらしい」
僕はゆみちゃんから聞いたことを一言一句違わずに言った。
「そう……。小説に書いてあったことはあながち間違いではなかったのね。でも、やっぱりそれを聞いたところで私にはわからないわ」
「なぁ、一つ気になったんだけどさ、どうしてそんなに好きって言う気持ちが知りたいんだ? 好きと言う気持ちを知れば、小説が面白くなるからか?」
「まぁ、それも一つとしてあるわね」
茉莉乃は少し微笑んでいるように見えた。
「じゃあ、他にもあるのか?」
僕は本音を聞き出すチャンスだと思い、すかさず聞いた。
しかし、茉莉乃は出かかった言葉を呑んで、急にそっぽを向いて一言言った。
「………………。あなたには関係のないことよ」
どうやら、まだ本音を言い合える仲だとは思われていないらしいと僕は察した。
しかし、ここで挫けてしまってはもう二度と聴けなかも知れない……。
どうしたものか……。
僕が少し悩んでいると、その様子を見ていたであろう、ユラは僕の背中をつついて、いまこそさっきの技を使う時ですよと言った。
茉莉乃に不審がられないようにユラに頷いて、僕はさっきの出来事を思い出すように、質問する。
「ちなみにそのもう一つは僕以外の人には言えることなのか?」
「……誰にも言ったことはないわね」
「じゃあ、その内容を初めて僕に教えてくれないか?」
「嫌よ。なんで最近知り合ったあなたに話さなくちゃいけないの?」
「でも、最近知り合ったやつぐらいの方がそういうのって話やすいと思うぞ」
「なんで、そもそも話すこと前提なのよ」
「………………。頼む。本当に教えてくれ。誰にも言わないから」
僕は、考えて発言しても、茉莉乃に負けてしまうと思ったので、無理やり押し切る戦法にした。
「誰にも言わなくても、あなたに言えばみんなに言うのと変わらないじゃない」
もっともらしいことを言う茉莉乃。
しかし、そんなことは僕にとってはなんの意味も成さなかった。
「お願いします! 教えてください。この通り」
しかし、茉莉乃は口を開こうとしない。
どうしようもなくなった僕はもう作戦などを考えることもなく、ただただ、頭を下げていた。
もはや、何がしたいのか自分自身もわからなかった。
そもそも言いたくないのだから、頭など下げても意味がないことはわかってはいたが、ここで引き下がるわけにはいかない。
それでも、一向に言う素振りを見せない茉莉乃に対して、しょうがないと思った僕は、松葉杖で体を支えながら、ゆっくりと床に膝をついて、土下座をした。
静寂な空間に秒針の音だけが響く。
何十回か秒針の音が耳の中へと入ってきた後、茉莉乃はわざとらしく、部屋中に響き渡るぐらいの大きなため息をついた。
「あーもー。わかったわ。言えばいいんでしょ。姉に言われたのよ。好きという気持ちを知った時にその意味がわかるって」
僕は、顔を見上げて、立ち上がり、さっきの言葉の意味を聞いた。
「ん? それってどう言うことなんだ?」
茉莉乃は上半身を倒して、枕に頭を置き、天井を見上げながら、口を開く。
「私と姉は年齢がかなり離れていて、姉はとても優秀だったわ。さすがに歳が離れていたのもあって、私と姉が比べられることはなかったけど、それでも今の私と当時の姉を比べたら、間違いなく当時の姉の方が優秀だと自分自身がはっきりと認識できるぐらいに姉は優秀だった。色々なトロフィーが家に所狭しと飾ってあった。そして、家族の仲もとてもよかったわ。だって、いつも笑いが絶えない明るい家庭だったから。でも、ある日、私がなかなか寝付けずにいると、リビングの方から大声が聞こえてきたの。気になった私はリビングの扉の隙間からその様子を覗くと両親と姉は私が一度も見たことのなかった表情で怒鳴りあっていたわ。その時、私は怖くなって急いで自分の部屋に逃げたの。そして、数日後、夜明け前に、姉は、寝ぼけていた私にこう言ったわ。『お姉ちゃんこれから遠いところに行ってくるからね。今はまだわからないかもしれないけど、きっと好きという気持ちを知った時にお姉ちゃんのこの気持ちを理解してくれると信じてるから』って、言って、家から出ていったきり、帰ってこなくなったわ。それで、これは後から知った話なんだけど、結婚に反対していたらしいの。私の両親が。でも、どうしても結婚したかった姉は家を出たらしいわ」
「それでその後はどうなったんだ?」
「それがきっかけで、父と母も喧嘩するようになって、両親は離婚したわ。その後、私は母親に引き取られた。母はそれまでまともに働いた経験がなかった。けれど、二人が暮らしていくためにはお金が必要だったから、母は朝から夜までずっと働いて、家事もしていたわ。でも、そんな生活も長くは続かなかった。もともと、あまり体の強くなかった母は過労で倒れてしまったわ。それで、何度か入退院を繰り返しては、働く生活をしていたせいで、別の病気も発症してしまい、そのまま亡くなってしまった」
「じゃあ、やっぱりきっかけになったお姉さんのこと恨んでいるのか?」
「えぇ、そうね。何度も恨んだわ。姉が出ていかなければ、両親が離婚することもなかった。母親が死ぬこともなかった。私がいじめられることもなかった。でも、それと同時に、きっかけにはなったかもしれないけど、直接の理由ではない以上、それは恨む理由にはならない。と思う私もいたわ。そんな葛藤の中で、私は日々過ごしてきた。だからこそ、私は知りたいの。好きと言う気持ちを。それを知れば、きっと何かがわかると思うから。それを知れば、きっと何かが変わると思うから」
「…………。ちなみにお姉さんとその後、会ったのか?」
「——いいえ。一度も会ってないわ。どこで何をしてるのやら——」
「じゃあ、お姉さんに会いたいとは思っているのか?」
「……どうかしら。半々と言ったところかしらね。色々、聞いてみたい思いもあるし、会ったところで今更っていうこともあるし……」
「そうなのか……。まぁ、いつか会えたらいいな。そして、色々聞けたらいいな」
「そうね……」
僕は、気休めにもならない言葉をかけた。
でも、その時、僕の心の中で確かな決意があった。
僕は、この決意をユラに話すためにも病室へと急いで戻りたかったが、急に戻って、怪しまれるのは避けたかったので、あくまでも自然な流れにみえるようにいつも通りの話題を会話が途切れたタイミングで僕は切り出した。
「そうだ。今日も何か小説を貸してくれないか?」
しかし、茉莉乃は僕に目を合わせることなく、ベッドの上にのせている左手を握りしめて、僕に言った。
「もう、小説の交換……、というより私と会うのは今日で最後にしてもらえない?」
僕に真剣な表情で茉莉乃は言った。
僕はすかさず言った。
「申し訳ないけどそれは無理だな。まぁ……、来たらダメな理由を話してくれるなら考えなくもないけど、どうする?」
僕は不敵な笑みを浮かべて言った。
「それは…………」
言いにくそうに俯いている茉莉乃に考えさせる暇もなく、僕は言った。
「じゃあ、僕はとりあえず病室に戻ることにするよ。じゃあな。また今度、来た時に本を貸してくれればいいから」
そう言って、僕は茉莉乃に答えさせる暇もなく、病室を後にした。
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