09

「茉莉乃の悩みで何かわかったことあるか?」


 僕は病室のベッド上に座り、一花に持ってきてもらったシュークリームを幸せそうな顔で、椅子に座って頬張るユラに訊ねる。

 ユラはしばらく口をもぐもぐさせた後、口の中の食べ物がある程度片づいたのか口を開いた。


「悩みについては全くわかりません……。ただ、一つ言えるのは日に日に霊気が濃くなっていっています」


「霊気が濃くなっていってる? 濃くなるとどうなるんだ?」


「病気が悪化します。このままだと非常に危ないです。最悪死に至たる可能性もあります」


 低能霊という存在に対してだろうか?

 ユラは一瞬だけ顔をしかめたように見えた。


「……そうなのか……。早くどうにかしないとまずいな……」


 どうすればいい?

 茉莉乃と出会ってもう二週間が過ぎようとしていた。

 最近になってようやく、小説の交換はもちろんのこと、下世話な話もできるようにはなっていた。

 しかし、たかが二週間の関係だ。

 悩みにおいそれと踏み込める関係ではない。

 せいぜい知人と言ったところだろうか。


 もちろん、そんなこと言っている場合ではないこともわかってはいたが、そもそも悩みに踏み込めるようなきっかけがなかった。

 いきなり、悩みないか?と聞いて答えるような人ではないこともわかってはいたので聞いていないのが現状だ。

 残念ながら、茉莉乃の性格がこのミッションを難しくさせている要因の一つであることは間違いなかった。


 だからと言ってそうも言っていられないので、とりあえず、いつもの時間になったことを壁にかけられている時計で気づいた僕はベッドから慎重に降りて、ユラに声を掛け、いつもの場所へと向かった。

 向かっている途中、さっきの話を聞いたからなのか、なんとなく嫌な予感がしていたが、その予感は見事に的中する。


「茉莉乃がいない」


 いつもそこにいるべき存在が今日はいなかった。

 僕はなんとなく、辺りを見渡そうとするが、今日は来ていないよと告げるかのように木々に生い茂る葉が風になびいて、僕は見渡すのをやめた。

 キョロキョロと辺りを見渡していたユラが言う。


「ほんとですね。どうしていないんでしょう?」


 この時間はいつも居るのになぜ今日はいないんだ……?

 まさか、僕にうんざりして場所を変えたのか?

 

 …………。

 いや、違うな。

 僕は遠い可能性から考えてはみたが、心の中で、もう結論は出ていた。

 来ていないのではなくここに来れない。

 ——やはり、いつも日課として来ている場所にいないというのは、間違いなく病気が進行していると思った方がいいだろう。


 別に雨が降っているわけでもない。

 もしかしたら、単純に何か用事がある可能性もあるが……。

 それだったら、もう少し前にそんなイベントがあってもおかしくはない。

 このタイミングで用事というのも今の僕には考えられなかった。


 とりあえず、一度病室をのぞきに行こう。


「ユラ。とりあえず一旦病室を見に行くぞ」


 そう言うと、ユラはうなづいて僕たちは病室へと向かった。

 茉莉乃の病室に着いた僕たちは中で話し声がしないことを聞き耳を立てて、確認し、ノックをして返事を待たずに中へ入った。


 すると、案の定、茉莉乃は病室にあるベッドの上で体を起き上がらせた状態で本を読んでいたのだが、こちらの様子に気づくとすかさず僕に言った。


「あら。病室まで突き止めてるとはもうそこまで来ると尊敬の念すら抱いてしまうわ」


「どうせ、『ストーカー技術に』とかでも言うつもりなんだろ」


「よくわかってるじゃない。あなたのその弱い頭でも私としばらく関わった事で学習したようね」


「あぁ。ありがとう、おかげさまでな」


 皮肉たっぷりに言ってやった。


「どういたしまして」


 皮肉たっぷりに言われた気がした。


 僕は改めて茉莉乃に向かい聞いた。


「どうしていつもの場所にいなかったんだ?」


 茉莉乃は僕の視線からほんの少し目線をずらし、答える。


「別に……。今日は行く気分にならなかっただけよ」


「いつも欠かさず行っていたのに?」


 僕は少しいやらしく……、嫌らしく聞いてみた。


「……………………」


「言いたくなければわざわざ言わなくてもいいけどさ……」


「……今日はちょっと体調が悪いだけよ……」


 嫌らしく聞いた効果があったのか、バツが悪そうに僕と目を合わせず、言った。


「そうなのか? 大丈夫なのか?」


「えぇ。一日安静にしていれば明日には回復すると思うわ」


「そうか。ならいいけど。これ。ありがとう。面白かった」


 そう言って、僕は茉莉乃に借りていた本を差し出す。

 これ以上、追い詰めても仕方がないと思った僕は話題を切り替えることにした。


「そう」


 これ以上の追求がこなかったことに安堵したのか、柔らかい表情をしてみせた。

 しかし、本を受け取ろうと伸ばした茉莉乃の手はいつもよりほんの少しだけ弱々しく見えた。


「今日は長ったらしく、本の感想を言わないのね」


 茉莉乃はぶっきらぼうに言った。


 いつもであれば、僕は本を返すときに必ず本の感想を言う。

 自分でも語りすぎだろと思わずツッコミを入れたくなるぐらいに。


 しかし、茉莉乃は違った。

 どんなに長くても最後まできちんと聞いた後に、自分が思っていることを言う。

 それが肯定になることもあれば否定になることもある。

 感想の交換程度になることもあれば、白熱した議論になってしまうこともあった。


 でも、僕はそれが楽しいと感じていたし、きっと茉莉乃も少なからず楽しんでいたと僕は思っていた。

 だからこそ、ぶっきらぼうに言ったのだとこの時思った。


 だからと言って、今、体調があまりよくない茉莉乃に感想を長々と語るのは悪いと思ったし、それにもし白熱した議論を繰り広げられる可能性が一パーセントでもあるというのであれば、それはきっと元気な時がいいと思った僕はとりあえず、ぐっとこらえて、


「どうせなら、茉莉乃が元気なときに色々語り合いたい」


 と言った。


 茉莉乃は、


「そう……。わかったわ」


 と一言だけ呼吸をするように静かに言った。


「じゃあ、今日はもう行くよ」


 そう言って、僕は重たい足を引きずるように動かして、病室のドアノブに手をかけた。

 すると、後ろから声が聞こえたので僕は振り向いた。


「あら。今日は本を借りていかなくていいの?」


「おっ。そうだった。忘れるところだった。危ない。危ない」


 そう言って、茉莉乃の近くまで行く。

 茉莉乃はベッドの横に設置してある棚の上に置いてある一冊の本に手を伸ばし、僕に手渡す。

 受け取った僕はありがとうと言って、踵を返そうとしたが、茉莉乃は言った。


「ねぇ、あなたは誰かを本気で好きになったことってある?」


 それはごくごく単純で誰にでも理解できる質問であった。

 言うなれば、幼稚園児がドラマの真似事をして、聞いてもおかしくないレベルの質問で、高校生がそれについて確認しあっても笑われないレベルの質問で、老人が昔を思い出すように語ってしまいたくなるようなレベルの質問だった。


 けれど、僕にはわからなかった。

 質問ではなくその答えが。

 自分自身に問いかけてはみたが、返ってくる答えはわからない、ただそれだけだった。

 だから、僕は素直にそう茉莉乃に伝えることにした。


「ごめん。……好きっていう気持ちがわからない」


「そう……。知っているなら、どういうものか教えてもらおうと思ったけど、あなたもわからないのね」


「あなたもってことは……、茉莉乃もわからないのか?」


 とっさに口から言葉が出た。


「えぇ。本を読めば何か理解できるかもしれないと思って読んでいるけれど、どれだけ読んでも何もわからないわ……」


「なるほど。それで、恋愛小説ばかり読んでいたのか……」


「まぁ、そういうことになるわね」


 その場に一瞬、静寂が訪れたが、僕はとりあえずその場をしのぐように、


「……それなら、今度友達が来た時に聞いておくよ。何かわかるかもしれないしな」


 と言った。


 茉莉乃は、


「じゃあ、お願いするわ」


 と一言言った。


「わかった。とりあえず、体調のほうだけは本当に気をつけろよ」


「あなたに言われなくてもわかってるわ」


 茉莉乃の余計な一言を聞いた僕は特に何か考えることもなく、踵を返して言った。


「じゃあな」


 すると、後ろから、


「えぇ。さようなら」


 その一言を聞くと、今度こそ、僕は、病室を後にした。



 自分の病室に戻ってきた僕はベッドの上に座り、ベッドの横に置いてある椅子に腰掛けたユラに聞く。


「霊気とかいうやつはどうだった? 昨日よりも濃くなっていたか?」


「はい。はっきり言って、浸食率が異常に早いです。あんなスピードわたしは見たことがありません」


「………………。なぁ、前から気になってたんだけどさ、霊気っていうのは人間にも見えるのか? というよりそもそもユラは誰にどんな守護霊が憑いていたりするのかわかるのか?」


「そうですね……。わたしは、天使見習いなので誰にどんな守護霊が憑いているのかはわかりません。なので、すれ違う人に守護霊がついていて、例えそれがわたしの知っている天使見習いでも地上にいるときは、力が弱まるのでわかりませんし、金ケ崎 茉莉乃にどんな低能霊がついているのか視認まではできません。まぁ、天使になればしっかり姿、形も見えるらしいのですが……。ただ、天使見習いでもそこそこの量の霊気を放っていれば感じ取ることはできます。ちなみに人間のいわゆる霊感を持ってる人たちは今のレベルだとまだ感じ取ることはできないらしいです。先輩が言ってました」


「ふーん。その先輩というのは、天使見習いじゃなくて、天使なのか?」


「はい。そうですよ。ちょっと癖のある先輩で……。多分、今も天界の図書館に引きこもってると思います」


「へぇー。天界の図書館か。なんか面白そうだな。本が好きな僕としては」


「天界の図書館はすごいですよー。天界での本はもちろん地上の本も全種類ありますからね。わたしが地上の事をある程度知ってるのもそのおかげです。」


「全種類が読み放題なのか? それって、借りてここに持ってこれないのか?」


「読み放題で貸し出しもやってますよ。まぁ、一部借りられないのもありますが……。一度に六冊までで、一週間借りられます。」


 リアルだった。

 この世界の図書館システムと同じだった。

 初めて、借りる時には、名前と住所を書くのだろうか?

 天界の住所って一体……。


「じゃ、じゃあ、なんか借りてきてくれないか? できれば、天界の本がいい」


「それはいいですけど、文字が違うので読めないと思いますよ」


「なるほど。とりあえずは言語学習用の本を借りてきてくれ」


「わかりました。今度天界に行くときに借りてきます。シュークリームは五個ぐらいでいいですか?」


 ……ちゃっかりしてるな……。

 普段はお前、天然だろって言いたくなるぐらい天然なのに。

 まぁ、でも普段読めない本が読めるのなら、シュークリームぐらいいくらでもくれてやると思った僕は、


「五個でも十個でもいくらでも買ってやるから」


 と言った。


「わーい。ありがとうございます」


「こっちこそありがとう。っと……。話がいつの間にか脱線してしまった。で、何か茉莉乃の悩みを聞き出すいい作戦は思いついたか?」


 ユラは少し考える素振りを見せたが、すぐに首を振って、


「……いえ、思いつきません。やっぱりもっと会話をしてなんとなく聞き出すしか方法はなさそうですね……」


「まぁ、やっぱりそうなるよな……」


 このやりとりを何回繰り返しただろうか?

 僕たちは未だに予想すら立てることができなかった。

 しかし、だからといってこのまま手をこまねいていても病気が悪化するだけだ。

 このあたりで何か具体的な作戦を考えないとな。


 ふと、ユラの方を見るとなにやらスマートフォンを取り出して、操作をし始めた。

 ……またゲームか。

 こんなことばかりやってて、本当に天使になれるのだろうか?

 まぁ、どうでもいいが。


「また、ゲームでもやってるのか?」


「違いますよ。ゲームじゃないです。なにかいい方法がないか探しているんです」


「ネットでか?」


「ネット? まぁ、インターネットといえばインターネットですけど、今は天界につながっています」


「天界? へぇー。天界にもそういうのあるんだな。まぁ、スマートフォンがある時点でだいたい予想はついてはいたけどな……」


「ちょっと、天界で返答率No,1の質問掲示板で聞いてみますね」


 ん?

 この世界で言う、ヤ○ー知恵袋のようなものか?


「まぁ、確かに……。聞ける人に聞くのはいい作戦かもな」


 そういえば、さっき好きって気持ちを聞いとくよって言った気がする。

 僕はさっきのやりとりをふと思い出していた。


 今度、誰かに会った時に聞いとかないといけないな。

 まぁ、夏休みに交通事故に遭ったのは不幸中の幸いなのかもしれない。

 夏休みでなければ成績が最悪なことになっていたであろう。

 ただ、そのせいで未だに妹と隣の家のおばさん以外、誰もお見舞いには来ていないのだが。

 そろそろ、誰かにはバレそうだな……。


「で、何て書くんだ?」


 僕のその質問に首をかしげながら、ユラは答えた。


「うっとうしい女の口説き方?」


「やめろ」


 そんな質問してまじめな回答がもし返ってきたらそれで僕にどうしろというんだ。


「じゃあ、クーデレちゃんの攻略法?」


「それもやめろ」


 残念ながら、まだデレてはいない。というより、クールかどうなのかも不明。


「それとも、ロリっ子と戯れる方法?」


「おい。ふざけてるだろ」


 結局、あれやこれや言いながら、天界に住む者たちが持っているスマートフォンのみが接続できる巨大質問掲示板に『相手の悩みを聞き出す方法を教えてください』と素直に投稿した。

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