08

 翌朝、毎日の日課である検査を終えた僕は早速いつもの場所へと向かった。


 もちろん、彼女はそこにいるのが当たり前かの様にそこにいた。


「よっ! おまえから借りた本読んだぞ。ありがとう」


 僕はテンション高めに……、言うなれば、授業参観の小学生ぐらいに手を上げて、言った。


「……………………」


 一度、きちんと会話もしているから反応してくれるだろうと淡い期待を抱いてはみたが、非常に残念な結果で終わってしまった。

 慈悲の欠けらもない。

 まぁ、そんなものをそもそも彼女に求めるのがはなから間違っていたと言うべきかもしれないが。


「おい! 無視をするな」


 と、言ってはみたが、彼女は相変わらず、なんの反応も示さなかったので、寝ている生徒を起こす先生のように、僕は、軽く彼女の頭に本を当てた。


 すると、彼女は突然、視線を本から、僕の顔へと移して、不機嫌そうに言う。


「――気安く喋りかけないでくれるかしら。それに私、おまえって言う人が嫌いなの」


 なぜか、本を頭に当てたことについては何も言われなかった。

 というか、最初から聞こえてるなら反応しろよ……。

 一番、最初から聞いてるじゃないか。


「……じゃあ、何て呼んだらいいんだ? 名前を教えてくれ」


 もちろん、名前は知っていたが、ここで知っていると言うと、きっと面倒なことになると思ったので、とりあえずごまかしておいた。

 彼女は誰が見てもはっきりとわかるぐらいわざとらしく、落胆してみせた。


「……はぁ……。金ケ崎 茉莉乃。それが私の名前」


 落胆したのを見た僕は気にしないようにして会話を続ける。


「じゃあ、茉莉乃だな。僕の名前は和名井 茂塗。茂塗って呼んでくれていいぞ」


 僕は、なんとなく恥ずかしさを感じつつも胸を張って言った。


「遠慮しておくわ。名前なんか呼んだら蕁麻疹が出そうだから」


「蕁麻疹って……。考え方、子供か!」


「じゃあ、ストーカー男って呼ぶわ。あなたのプロフィール欄にはすでにストーカーというステータスがついているからちょうどいいわね」


「僕のプロフィールにストーカーなんていうステータスは載ってない!」


「あら? まだ載せていなかったの? SNSのプロフィールの職業一覧から早く選んでおきなさい。みんなが誤解してしまうわ」


 そもそもストーカーって職業じゃなくて、ただの犯罪歴だろ。

 そんなのが職業になってしまったら、怖すぎる。

 一体、どうやって、利益をあげるというのか。


「絶対に嫌だ。そんなことした瞬間、友達がいなくなるじゃないか」


「え……。ごめんなさい。あなたに友達なんていないと思っていたわ」


 ものすごく、悲しそうな顔で僕を見た。

 いや、そんな目で見るほど僕ははたから見ると友達のいない寂しいやつに見えるのか?

 今まで自分自身に特別、自信なんて感じたことはなかったが、だからと言って、ネガティブに感じたこともなかった。

 でも、本当は……、いやいや、待て待て。

 そもそも、茉莉乃の……、この女のはったりだろ?


「おい! 確かに、多くはないけど……。でも、友達はいる!」


「かわいそうに。それは勘違いというやつよ。あなたが友達と思ってるだけで、あちらは友達と思っていないわ。あなたの行動を見てればわかるもの。ストーカーで無理矢理、喋らせた相手を友達とは言わないわ」


 一度、やってしまった過ちはどうすることもできなかった。

 これが現実なのである。

 なんだか、ここ最近現実を受け入れなければならない場面に頻繁に遭遇している気がした。

 後ろにいるユラのことといい、目の前にいる茉莉乃のことといい、受け入れて前に進んでいる僕を誰か褒めてはくれないだろうか?


「………………。と、とりあえずストーカー男って呼ぶのはやめてくれ」


 僕は、茉莉乃の顔に……、いや、目の奥に届くように必死に訴えかけた。

 すると、その願いが通じたのか、茉莉乃はやれやれといった顔をした。


「仕方ないわね……。百歩譲ってくずって呼んであげるわ」


 残念ながら、なんの願いも通じていない……。


「どこから百歩譲った!? 二歩ぐらいしか譲ってないよな!」


「くずストーカー男」


「譲るどころか貰ってる!?」


 百歩貰う。

 もはや、意味不明。

 少しの間、沈黙が続いた後……。


「わかったわ。呼べばいいんでしょ……茂塗」


 ものすごく嫌そうな顔で茉莉乃は言った。


「まったく……。名前呼ばせるだけでこれかよ……。とんだ、ツンデレだな」


「私をそこら辺の低俗女と一緒にしないでくれる? しかも、私はデレないわ。ツンツンよ」


「――今のちょっとかわいかった」


「……殺すわよ」


 思いっきり睨まれた。

 ライオンも怯んでしまうのではないかというぐらいに……。 

 大人しくなったライオンのように僕は一言小さく、


「――すいません」


 と言った。


「ところで、その本返しに来たんでしょ?」


 茉莉乃はそう言うと、目線だけをその本に向けた。

 それを感じとった僕は、


「あぁ、ありがとう。でも、一つ聞きたいんだけど、この本のどこが気に入ってるんだ?」


 と言って、借りていた本を返す。


「別に気に入ってなどいないわ」


 僕がなんとなく想定していた返答と違っていたので、少し驚いてしまった。


「え? だって、何回も読んだって言ってたからさ。二人の愛とかに感動したってことだろ?」


 すかさず、茉莉乃は言う。


「それはちがうわ。恋だとか愛だとか私にはわからないからそれを理解したくて何回も読んでいたのよ。まぁ、あなたのおかげで、ストーカーというものはわかったわ」


「それはどうもでした。ってちがーう! 何度も言うが、僕はストーカーじゃない!」


「そんなくだらないノリツッコミよくやる気になったわね。さすがストーカー男。せいぜい来年のストーカー大賞の授賞式でそのくだらないノリツッコミを披露すればいいと思うわ」


 ストーカー大賞なんていうものがほんとにあったら、カオスでしかない。

 『僕は金ケ崎 茉莉乃をストーカーしたことでこの賞をいただくことができました』

 うん。

 あほだな。

 もはや、滑るどころかとまってしまう。

 刑務所に。


「話を戻すけど、恋や愛がわからないというのは、経験がないということか?」


「そうね。誰かと付き合ったこともなければ好きになったこともないわ」


「そうなのか」


「先に言っとくけど、私に惚れるのはやめてよね。告白を振るのめんどうだから」


 あれ、労力なのよねといわんばかりの表情と態度をとる茉莉乃。


「別に告白なんかするつもりねーよ。というか、よくそんな事、真顔で言えるよな。茉莉乃なりの冗談か?」


「いえ。本気よ。あなたみたいに寒いギャグを言うほど私の心は荒んでいないわ。まぁ、私モテるから」


 胸に手を当てて、上目遣いをする茉莉乃。

 それにしても、このいちいち余計な一言を挟み込んでくるのはどうにかならないのだろうか。


「じゃあ、告白とかされるのか?」


「えぇ。一ヶ月に何回もされるわ」


「そりゃ、すげえな」


「まぁ、この美貌だからしょうがないわね」


 確かに、可愛いとは思う。

 本人には、その気はないのだろうが、自分自身の背丈やスタイルを考えて、ツインテールなのであればすごいの一言に尽きるだろう。

 これで、もし普段の私服がワンピースであれば、男ウケを狙った完璧な格好かもしれない。

 まぁ、残念ながら、入院中の茉莉乃はこの時、パジャマではあったが。

 ただ、まぁ……。


「いや、茉莉乃がすごいんじゃなくてさ」


「え?」


 茉莉乃はほんの一瞬だけ、僕がまだ見たことのなかった、きょとんとした顔をしてみせた。


「その告白した人たち。まだ、少ししか茉莉乃と話していないけどきつそうな性格だなって感じたからさ。付き合った後のこととか考えているのかな? って思ってさ」


「なんだかむかつく言い方ね。まぁ、いいわ。そんなのあんな猿どもが考えてるわけないでしょ。かわいい彼女というステータスが欲しいだけよ。誰も心なんて見ていないわ」


「そうか? そんなことないと思うけど……」


 とは言ってみたが、まぁ、いるだろうなそういうやつ……。

 僕はそういう人間ではないと思いたいが。


「それで話は終わり?」


 相変わらずの不機嫌そうな顔で僕に尋ねる。


「あぁ」


「そう。じゃあ、この本。……ありがとう。不本意ではあるけど、ストーカーのあなたにしてはいいセンスだったわ」


 そう言って、差し出しされた本を受け取る。

 それにしてもこいつはもっと素直に人を褒められんのか。

 ……おっと、そうだ。

 今日読む本がないんだった。


「なぁ、頼みがあるんだけど。茉莉乃の小説また何か貸してくれないか? 病院にいると本読むぐらいしかやることないんだけど、病室にあんまり本なくてさ……」


「嫌よ。あなたに貸しても何の得もないもの」


「頼むって。こっちも本貸すからさ」


 少し悩むような仕草を茉莉乃は見せたが、小さくため息をつき、僕に持っていた本を渡す。


「……しょうがないわね。……じゃあ、この本貸してあげる。本、舐めないでね」


「誰が舐めるか!」


 おまえはいちいち一言多いぞ。

 まぁ、そんなこと言ったら、二言目が飛んできそうだから言わないけど。


 僕は受け取った本に目を落とす。

 ん?

 これは……?

『君が笑った日』?

 何だろうか?

 恋愛小説のようなタイトルだな。

 また、恋愛系なのか……?

 まぁ、読めばわかるか。


「とりあえず、ありがとう。早速、戻って読んでみるよ」


「えぇ」


「じゃあな」


 そう言って手を振って庭から去った僕は昨日と同じように病室に戻って借りた本を読んだ。

 そして、病室に戻った僕は早速本を読んでみたが、案の定恋愛小説だった。


 おそらく茉莉乃が言っていた理由から察するに恋愛に対しての知的好奇心で読んでいるのだろうということはわかった。

 だが、次の日、また同じように茉莉乃から嫌みを言われながらも借りた本は恋愛小説だった。

 本を借りて読むたびに心の中にひっかかる何かが大きくなっているのを感じてはいたがそれがなんなのかは全くわからなかった。


 その後も僕たちは小説を交換し続けた。

 それはまさに僕と彼女の交換日記……。

 もとい、交換小説であった。

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