07

 次の日。


 僕は昨日と同じ、彼女がおそらくいるであろう病院の中にある庭へと向かった。

 現在、絶賛歩行困難中である僕は、庭に向かうだけでもかなり大変だ。


 なんとか楽に移動できる方法はないかと、考えていたのだが、ふと思いついた。


 そうだ。


 天使がいるじゃないか。

 正式には天使見習いだが。

 見習いといえども少なからず能力はあるだろうと思った僕は横を歩いているユラに聞く。


「なぁ、ユラ。僕を運んでくれないか? 天使って空を飛ぶことができるんだろ?」


 いつ読んでどんな題名かも忘れてしまった小説で天使が空を飛ぶ描写がされていたのを思い出したのだ。

 ユラはスマートフォンに視線を落としたまま、


「……確かに、飛ぶことはできますけど……。今のわたしじゃ、誰かを運ぶほどの能力はありません……。所詮は、見習いなので。それに茂塗さんが仮に浮いているところを誰かに見られると大変なことになるので、どっちみち厳しいですね……」


 と言った。


「そうか……」


 どうやら作戦は失敗のようだった。

 非常に残念ではあるが、仕方がない。


 僕は、真面目に一歩ずつ松葉杖で体を支えながら進んだ。


 ただ、そんなときだからこそ、やっぱり何も支えを使わずに歩いているのが羨ましいと思ってしまう。

 人間というのは勝手な生き物だ。

 普段は当然だと思っていても、いざ、なくなると欲しくなるのだ。


 ないものねだり。


 もちろん、僕の後ろをついてきているユラにも羨望した。

 ユラはスマートフォンを見ながら、後ろをついてきていた。

 残念ながら、まともに歩くことすらもできない僕にはそんな高度な芸当などできない。


 だから、こんな今の状況だからこそ言える。

 歩きスマホをしているやつは全員、痛い目を見ればいいんだ。

 そんなことを考えて……、いや、願っていた僕だった。

 すると、どこかの心優しい天使が願いを叶えてくれたのか、すぐ後ろの方から、


「ふぎゃぁー!」


 と変な声と鈍い音が聞こえたので、少し動作に戸惑いながらも後ろを振り向くと、ひっくり返っている守護霊がいた。


 どうやら、建物と建物をつなぐ長い廊下にある屋根の柱にぶつかったようだった。

 本当に間抜けだった。

 目を回して、倒れている。

 右手にはしっかりとスマートフォンを持って、ゲームオーバーの文字がでている。

 今までいろんな小説を読んできたが、こんな間抜けな守護霊はどこにも登場しなかった。


 しかし、これが現実なのだ。

 犬も歩けば棒に当たる……。

 もとい、守護霊も歩けば柱に当たるか。

 僕は思った。


 歩きスマホ、絶対ダメ!


 そんなこんなで昨日と同じ場所へと行くと僕の考えは、見事に的中した。

 彼女は昨日と同じ場所のベンチに座って、本を読んでいたのだ。


 木々に囲まれた空間でページをめくる音だけが聞こえてきそうなぐらい静かな場所で僕はあえて彼女に気づいてもらえるようにまっすぐと足音と松葉杖をつく音を鳴らして彼女の方へと向かった。

 しかし、そんな音にも彼女はなんの反応も示さない。

 そんな、様子に少し心配しつつも、それならばと思い、僕は堂々と彼女に話しかけることにした。


「こんにちは。今日も本を読んでるんだな」


「……………………」


 彼女はなんの反応も示さず、黙々と本を読んでいる。

 おいおい、本当に大丈夫か?

 僕も小説に集中するタイプではあるので、気持ちはわからなくもないが、いつか何かの犯罪に巻き込まれるんじゃないのか?


 仕方がない。

 僕は、もう一度呼びかけることにした。


「あのー、すいません!」


「……………………」


 あっ、これわざとだ。

 わざと無視している。

 おそらく面倒臭いから無視しようということなのであろう。


 そう思った僕は仕方なく……、本当に仕方なく、彼女に反応してもらうために、今日もツインテールだった彼女の頭を撫でながら顔を覗き込んで言った。


「かわいい。お嬢ちゃん。どんな本を読んでいるのかな?」


 彼女はすぐに視線を本から僕の方へと向ける。


「あら、昨日の気持ち悪いストーカーさん」


「ぐふっ。まぁ、確かにそれは認める。昨日は悪かった」


 結局、昨日第三位の台詞を言ったあと、『気持ち悪いから消えてくれない?』と言われた僕は怒らせてしまったと思い、妹のせいで一切することに抵抗のない土下座をして、なんとか許してもらったのだった。


「それで何か用? 見ての通り私は今、小説を読むのに忙しいの。用がないなら私の視界から早く消えてちょうだい。まさか、私の頭を撫でるためだけに来たの?」


 ………………。

 正直、なんの作戦も考えていなかった僕は何も言い出せずにいた。

 何も上手い言葉がみつからなかったので、とりあえず昨日から気になっていた本についての話題を切り出すことにした。


「い、いや。——用ならある。君のその読んでいる本が気になって。僕も小説が好きなんだ」


「あら、そう。あなたと趣味がかぶってしまったことが本当に残念でならないわ」


「それはすいませんでした」


 もはや理不尽でしかない。

 趣味が被っただけでこの有様だ。

 しかし、彼女のもともとの性格はあるかもしれないが、間違いなく最悪な第一印象がそうさせているのだと思った僕は理不尽でありながらも受け入れるしかなかった。


 しばらく、間が空いた後、彼女はため息をつきながら、


「『カスター家の日常』」


 と、一言、言った。


「カスター家の日常? それは読んだことないな。どんな内容の本なんだ?」


 その小説が純粋に気になった僕は反射的に本の内容を聞いていた。

 しかし、彼女は、


「そうね……。いいわ。説明が面倒臭いから貸してあげる」


 そう言って、読んでいる本をパタンと、かっこいい女教師が教科書を閉じるように、片手で本を閉じて、僕に差し出した。


「いいのか? 今君が読んでいる本じゃないのか?」


 僕は、首を傾げた。


「別にいいわ。この本はもう何回も読んでいる本だから。それに貸さないといつまでも視界から消えてくれないんでしょ?」


 なんだかこれを聞き続けていると、何かのレベルが上がりそうな気がしたが、とりあえず……。


「そうか。ならありがたく借りるよ」


 と言って、僕は本を受け取った。

 すると、彼女は僕の方をみて、ゾッとした顔をする。


「……借りたそばから私が触っていた場所ををいやらしく舐めないで!」


「舐めてない!」


 嘘をつくな!


 信じてしまった読者が感情移入できなくなるだろ!

 そんなことしてたら本当にただの気持ち悪いやつじゃないか。


「まぁ、いいわ。用も済んだでしょ? 速やかに視界から消えてちょうだい」


 彼女は、僕を追い払うように手で合図する。


「あ、あぁ、わかった……。でも、その前に本を貸してくれたお礼に、僕からも本を貸すよ。この本読んだことあるか?」


 そう言って、僕は入院してしばらくたってから妹に家から持ってきてもらった小説の内の一冊を彼女に差し出した。

 検査の合間の待ち時間に読もうと持ってきていたのだ。

 彼女は僕が差し出した本を覗き込んで言う。


「いえ、この本は読んだことないわ」


「じゃあ、ちょうどよかった。これ結構おもしろいから」


「別に興味がないからいいわ。それにあなたの汚い手垢のついた本なんか読みたくないし」


 僕は彼女の余計な一言にいちいち取り合わないことに決めた。

 多分、彼女はいちいち余計な一言を言わないと気が済まない病気なのだ。

 病気は医者に直してもらえばいい。

 僕が感知することではない。


「いいから。いいから。黙って借りとけ」


 そう言って、僕は彼女に本を無理矢理押しつけた。

 彼女は、何か言いたそうに本の方を見ていたが、

 すぐに僕の方を見て言った。


「ところで、ストーカーさん」


「ん? なんだ? って僕はストーカーじゃない!」


 ツッコミも虚しく、なんの反応も示してくれない彼女は表情一つ変えずに僕に言う。


「いつまで頭を撫でるつもりなのかしら?」


 ………………。

 全然、気づかなかった。

 どうやら、僕はずっと彼女の頭を撫で続けていたらしい。

 ストーカーではないが、間違いなく犯罪者予備軍であった。


 

 その後、僕は彼女に軽く手を振って、その場を後にした。

 自分の病室へと戻る途中、僕は他人に聞こえないように十分に注意して、ユラに聞いた。


「なぁ、一つ思ったことがあるんだけどさ」


 僕にはどうしても不安に思っていることがあった。


「はい。なんでしょう?」


「はたから見ればこれってナンパってやつになるのか? でも、最初に喋りかけてきたのはあっちの方だよな?」


 僕はなんとなくそれが気になっていた。

 いわゆる世間体というやつだ。


「ナンパ……。ちょっと待ってくださいね」


 そう言って、ユラは慣れた手つきでスマートフォンを操作する。


「……………………」


 僕はその様子を見ながら、一歩一歩丁寧に前へと進む。

 操作し終わったユラは僕の方を見て、笑顔で言った。


「あっ、わかりました。ナンパとは、公共の場で知らない異性に話しかけることを言うんですね! なので、多分ナンパには該当しないと思います! あっちから、喋りかけてきたので!」


「だよな! だよな! あぁ、よかった!」


 クラスのチャラ男と同じくくりになってしまわないようにいつも気にしていた僕は軟派野郎ではないことに胸をなでおろした。

 別に硬派でありたいわけではないが、なんとなくクラスのチャラ男のそう言う部分にはいいイメージを持たない僕は常に中硬派でありたいと思っていた。

 ……中硬派。

 そんな言葉があるのかはわからないが。


「え? ナンパというものはなにかよくないものなんですか?」


 ユラは不思議そうな顔をした。


「まぁな。見ず知らずの人にいきなり喋りかけるのはあまりよくないとされているんだ」


「そうなんですか?」


「うん。だって、街を歩いてて、いきなり知らない人に喋りかけられたら迷惑だろ?」


 少し間があった後、ユラは俯いて答えた。


「……いえ、私は……。誰とも会話できない辛さを知っているので、喋りかけてもらえるだけでも嬉しいと思ってしまいます……」


 ……そうだった。

 ユラは僕が事故に会うまではこの世界でひとりぼっちだったな。

 やっぱり天使といえども誰とも喋れないのは辛いのか……。

 その時のことを思い出しているのか、ユラはずっと、俯いたままだった。


 まぁ、だからといってこの世界でみんながナンパを肯定することは一生ないと思うが。

 でも、この時少なからず僕はユラに対してはもう少し積極的になってもいいかなと思えた。


「そっか。じゃあ、今はもう辛くない?」


 僕がそう聞くと、ユラは嬉しそうな顔でこっちを見た。


「はい! 辛いどころか、幸せです! 最初こそ、戸惑いましたけど、でも今は茂塗さんと喋ることができるので! 本当に会話できるのってすごいです。だって、こんなにもわたしの心を暖かくさせてくれるので!」


 僕は、ユラに微笑みかけて、ゆっくりと自分の病室へと向かった。



 さ、特に何かすることがあるわけでもないし、早速読むか。

 病室に戻って来た僕はベッドに横になるとすぐに本を開いた。

 すると、私も読みます。と言って、ユラが僕の肩に手を乗せてきたので一緒に読むことにした。


 しばらく読み進めてわかったことは、どうやらこの本は、カスター家の家族である、姉と弟、妹が中心の物語のようで、姉と弟が禁断の恋に落ちるのだが、その異変に妹が気づき、妹が親にそのことを伝え、引き離れそうになった姉と弟が駆け落ちをするというなんとも言いがたい内容となっていた。


 さらに、読み終えたことでわかったことは、まだ十分大人になっていなかった二人は生活するのが苦しく、その日生き延びるだけでも苦しい状況だった。

 さらに追い打ちをかけるように、姉の妊娠。

 駆け落ちがきっかけとなり家庭崩壊をおこしてしまったカスター家の妹の復讐にあう中でもなんとか二人の愛だけを信じて乗り越えるそんな物語だった。


 彼女はこれを読んだとき一体何を思い、何を感じたのだろうか。


 二人はあまりにも無謀で幼稚だと思ったのか?


 それとも、愛というものがいかに深く大切なものであるかと感じたのだろうか?


 それは僕にはわからなかったが、でも素直に感想を聞きたい、そう思った。

 まぁ、素直に言ってくれるかはわからないが……。


 というより、……なんか僕の後ろですすりなく声がする……。


「うっ……。うっ……。愛って……素晴らしいもの……うっ……です……ね」


「はい。ティッシュ」


 僕はベッドの横に設置してある棚の上に置かれたティッシュを手に取り、渡す。


「……ずびばせん」


 愛は素晴らしいか……。

 こんな僕にもわかる日が来るのだろうか。

 もちろん、愛がどういうものなのかはわかるが、こればかりは実際に感じてみないとわからないのかもしれない……。


 愛……、いや恋ですらまともに経験したことのない僕にいつかそんな日は訪れるのだろうか?

 彼女は、愛や恋などを経験したことがあるのだろうか?

 そんなことを考えながら、泣いているユラをなだめ、明日感想を聞くために今日は眠ることにしたのであった。

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