05

 外を見るといつの間にか夜になっていた。

 なんだかんだで、途中からあまり考えても仕方がないと思った僕は、あのあと結局、小説を読んでいた。

 ちょうど一冊読み終えて、次は何を読もうか考えていると、その瞬間を待っていたかのようなベストタイミングで突如目の前にまばゆい光が輝きを放ち、一人の女の子が現れた。


 僕の横たわった体の上に。


「……おい。……僕の体の上に現れるな」


「あっ、ごめんさい……。着地に失敗しましたー。それよりも、そんなことよりも、聞いてください!」


 ユラの顔に目を向けると、さっき話したときよりも明るかったのは目に見えてわかった。

 僕にとっては初めて見る表情だった。


 おそらく何か天界でいいことでもあったのであろう。

 それよりも……。


 人の股間の上に乗っておいて『そんなこと』とはどういうことなのだろうか?

 天界の倫理は大丈夫なのか?

 それともこいつが特別なんだろうか?


 普通だったら(とは、言っても小説の)ここは『きゃー。エッチー。』と叫ぶシーンではないだろうか。

 もちろん、そんなことを叫ばれたところで動けない自分はどうすることもできないのだが。

 まぁ、別に軽いからいいんだけどさ。


 なんていうことを思っては見たけど、妙に意識が股間にいってしまう……。

 僕の上にまたがって、一体僕は何を聞けばいいんだろうか……。


「ぱんぱかぱーん! 実は、先ほど天界裁判の開廷日程が延期されましたー!」


 満面の笑みでユラは言った。


「はぁ……」


「なんと、天界からの任務をクリアすると無罪になって、おまけにポイントももらえるらしいんです。とりあえず、これを見てください!」


 そう言って、どこからか取り出したスマートフォンを僕に見せつける。

 そこには、なんて書いてあるかよくわからない言葉がぎっしりと並んでいた。

 はっきり言って、これを見せられてどういう反応をとればいいのだろうか?


 しかし、今の僕にはそれよりも気になることがあった。

 天界にもあるんだな、スマートフォン。

 

 ただ、それと同時に胡散臭いと感じた僕がいた。

 今までなんとなく信じてたけどここに来て、任務とかポイントとか……。

 実はどこかの宗教団体じゃないのか?と思ってしまっていた。


「ポイント五百ポイントももらえます!」


「…………………………」


 もはや、その五百ポイントがいいのか悪いのかすらも僕にはわからない。


「なので、すいません。さっき天界に行く前に協力してくれるっていってたの、あれお願いします。この任務は協力しないとできないと思うんです」


「……その任務ってのは……?」


 僕は、少しうんざりしながら聞いてみた。

 これで、犯罪のにおいがぷんぷんする内容なら、速攻で縁を切ってやる。

 切り方はいまいちわからないが。


「少女の救出です!」


 ……犯罪ではなさそうだけど……。

 なさそうだけど。

 多分、これめんどくさいやつだと思うんだよなー。

 僕のめんどくさいレーダーが一瞬で警戒モードに移行している。

 頭のなかで、ビビビッと警報がなっているのだ。

 やめよう。

 今すぐ、やめて断ろう。


「あぁ、ごめん。その件なんだけど気が変わった。めんどくさいからやめることにする」


「……えっ?」


「……んっ?」


「……………………」


「……………………」


「……いっ…………」


「えっ…………?」


 ユラは目から大粒の涙があふれ出し大声で泣き喚いた。


「――いやです。――いやです。――ゴキブリになりたくないです。おねがいします。おねがいします。――ゴキブリだけはいやです。――いやです――」


 と、泣きながらのたうち回っていた。


 僕の股間の上を。


 まさにその姿は殺虫剤を吹き付けられたゴキブリのようだ。

 おまえ、明日からゴキブリになれるよ。

 だって、完璧じゃん。

 動き。


「……ひっく……おねがい……うっ……します……ひっく……なんでも……いうこと……うっ……ききます……から……」


 めんどくさいのは嫌なんだけどな……。

 でもこいつかどうかはわかんないけど夢の中で助けられたしな……。

 んーどうするか……。

 まぁ、しょうがない。

 今回だけ助けてやるか。

 まだ、完全に信じたわけではないけど、仮にも自分の守護霊だしな……。

 それに、小説のネタにもなりそうだしな。

 守護霊を助けるというなんとも意味のわからない図式ではあるが僕は小さく深呼吸した。


「……わかった。そこまで言うんだったら協力するから……。とりあえず泣き止め……」


「……うー。……ありが……とう……うっ……ござい……ます……」


 結構、泣き虫なんだな。

 なんだか、良心の呵責を感じる。

 泣き止むために涙ぬぐってる姿見ると、かわいくていじめたくなる衝動も少し感じるが。


「冷蔵庫にシュークリームもう一個入ってたから、食べていいぞ」


「うっ……はい……」


 ユラは僕の上から降りて冷蔵庫に向かいシュークリームを取り出し、袋を開けながら椅子に座り、時折ぐすんぐすんと涙声を混ぜ合わせながら、うれしそうな顔をして食べ始めた。

 僕はそれを眺め、ユラが少し落ち着いたであろうタイミングを見計らって、何気ない話を切り出してみることにした。


「なぁ、天界にはどんな食べ物があるんだ?」


「食べ物ですか? そんなものはありませんよ」


 食べ終わったシュークリームの袋をゴミ箱に捨てながら、平坦な顔で言った。


「ない? それはどういうことなんだ? 何も食べなくても平気なのか?」


「はい。以前、トイレにもお風呂にも入らない話をしましたが、天使は食事を取らなくても平気です。でも、守護霊やってると思うんですよ。食べるってどういうことなんだろうって。ずっと、気になってました。でも、このシュークリームってものを食べてわかりました。食べることは、とても幸せな気持ちにさせてくれるんですね」


 そんなこと考えたこともなかった。

 物心ついたときから、何かしら食べていたからな……。


「ところで、さっきの話に戻るんだけどさ、少女の救出ってのは具体的に何をするんだ?」


「……はい。具体的に言うと、少女に取り憑いている霊を捕獲するというのが今回の内容です」


「それっていわゆる霊媒師とかが行うような成仏みたいなものなのか?」


「そうですね。少し違いはありますが、概ねそんなところです」


「そうか……。でも、なんでそんなことをする必要があるんだ?」


「もともとその少女には天使見習いがついていたんですが、あるとき新しい天使見習いと入れ替わる予定だったんです。まぁ、この世界で言うところの転勤ってやつですね。ただ、その入れ替わる時に一時的に少女の守護霊は不在になります。その少女の不在時によくない守護霊、いわゆる低能霊というものが、取り憑いてしまったせいで、新しい天使見習いがその少女の守護霊をつとめることができなくなってしまいました」


「なるほど。ちなみにその低能霊ってどんなやつなんだ?」


「一言で言うと、腐った魂。死に損ないのなれの果て。と言ったところでしょうか? 人間は死ぬとき、魂と肉体は無にかえります。しかし、あまりにもひどい死に方のせいで後悔が残ると魂だけが残ってしまう時があります。まぁ、自分はまだ生きているんだと死んだことを受け入れず、自分の体だと勝手に思い込み取り憑くってところですね。しかし、そこで取り憑いてしまうと次第にその霊に意識を乗っ取られてしまいます。ここまで来るともうわかりますよね……?」


「その少女の本来持っていた性格や価値観、アイデンティティーなどが低能霊と入れ替わるってことか……」


「茂塗さん、お見事です! 勉強のできないバカとは思えません!」


「ちがう! 僕は別に理数系が苦手なだけだ。ユラだって守護霊で僕のそばにいるんだから知ってるだろ」


 小説のおかげか僕は国語は比較的高得点をキープしている。

 もちろん、入れ替わるということも何かの小説で以前見たことがあるので、わかったのだ。


「冗談ですよ。ちょっとからかってみたくなっただけです。茂塗さんがすごい人だってことはわたしが一番よく知っています。――だって、守護霊ですから」


 ……普段あまり褒められることがないから、少し照れるな……。

 いや、多分この程度のことでうれしくなるから、僕はバカなんだろう……。

 そんなことを思いながら、ユラの顔を見るとなんだか少し照れてるように見えた。


「それで、どうやってその低能霊を捕獲? するんだ?」


「ちょっと待ってください」


 そう言って、ユラはポケットから虫取り網を取り出す。


「……今、どこから取り出した? その虫取り網」


 虫取り網についてもツッコミを入れたかったが、それよりもまずはポケットが気になった。


「え? どこって……。ポケットですよ……」


「いやいや、明らかにその虫取り網が入るような大きさじゃないよな」


「あぁ、このポケットですか? これは天界とつながっているポケットですよ。天界のものをいつでも持ってくることができます。まぁ、この世界でいうところのドラえ――」


 僕は急いでユラの口を急いでふさいで、言う。


「よーくわかった。もういい。その後の説明は言わなくてもわかった」


 今度から僕はポケットは見ないことに決めた。

 ポケットの描写がされてしまうとまずいからな。

 ユラは僕の手を口からどかし、法律的な何かですか? と言った。

 知ってるなら言うな。


「それでそんな網で捕まえられるのか?」


「はい。この網には特殊な加工がしてあるのでこれで捕まえられます」


「じゃあ、あとはその少女のところに行って、網で捕まえればいいだけなんだな」


「いえ、取り憑いている霊を捕まえることはできません」


「どういうことだ?」


「この網は憑依した霊が体から離れて、浮遊しているのを捕まえる網です」


「じゃあ、どうやってその低能霊をその少女から引き離すんだ?」


 ユラはその質問待ってましたかのように、右の人差し指を突き出して、左手を腰にあててポーズをとりだす。


「ズバリ! 少女の悩みを解決することです!」


 ユラの周りにはものすごい量の集中線が引かれてるように見えた。


「……悩み?」


「はい。悩みです。低能霊っていうのは同じ悩みを持っている体に取り憑く習性があります。おそらく今回も少女と同じ悩みを持っていた低能霊が少女に取り憑いたのでしょう」


「それで、その悩みっていうのは?」


「わかりません」


「え……?」


「なので、その悩みを茂塗さんが調べて解決してほしいんです」


「その……。会ったこともないやつのことをか?」


「そうです」


 ……さすがに、それは無理だろう。

 無茶苦茶にもほどがある。

 ただただ、小説が好きな普通の高校生だ。

 そんなことはカウンセラーなどがやることで、普通の高校生がやることではない。


 しかしだ……。

 やると言ってしまった以上はやらないといけない……。

 ここでやめてしまうと男が廃る……。

 どうするか……。


 ――まぁ、いいか。

 やるだけやって、駄目ならそれでこいつもあきらめるだろう。

 ゴキブリにでもなってしまえ。


「わかった。やるだけやってやろう。でも、失敗しても文句はなしだ」


「さすが、茂塗さん。ありがとうございます!」


「あと、願いごと何でも叶えてくれるんだろ?」


「はい! わたしにできることなら何でも叶えます。じゃあ、早速明日から行動開始ですね」


「待て待て。行動開始と言ったってまだ病院から出られないぞ」


 おまけに足もギプスなのだ。

 はっきり言って、自由に行動するなど今の自分にはほぼ不可能なのである。


「それなら、大丈夫です」


「……?」


「なぜなら、その少女は病院にいるからです」


「……なるほど。――同じ入院患者ということか」


「はい。なので今日はもうさっさと寝てしまって明日に備えましょう!」


「そうだな。少し早いけど今日はもう寝るか」


 僕はいろいろ不安も抱えていたし、聞きたいこともあったが素直に従うことにした。

 なぜなら、久しぶりに起きたせいなのか今日は特に何もしていないのに疲れて眠い。

 だから、今日は寝るとしよう。


「ところで、ユラ」


「はい?」


 そう言って、僕が寝ているベッドに上がってきて僕の隣で寝ようとしているユラに言う。


「もしかして、僕の隣で寝るのか?」


「……はい。もちろんですけど」


 ……何当たり前のこと言ってるんですか? 茂塗さん。みたいな顔で僕を見るな。


「ちなみに一年前から隣で寝ていたのか? というより、天使も睡眠取るのか?」


「もちろんです。いやぁ、茂塗さんの家のベッド、広かったので助かりました。ここのベッドはちょっとせまいですね。まぁ、寝れるだけましと言ったところですか。……それと天使も睡眠はとりますよ。寝ることで記憶が整理されますからね。あと、基本的には守護の観点から守護対象者と同じタイミングで寝るので、茂塗さんみたいにいつ寝るかわからない人が一番大変です。守護霊の生活リズムが狂いますからね。天界でも愚痴のベスト三に入るぐらいです」


「……なんかごめん。これからは少し気をつけるよ」


 ……気をつけないとな。

 まさか、守護霊に生活について注意されるとは思わなかった。

 というより、まさか一年以上もかわいい女の子が隣で一緒に寝ていたなんて……。

 いや、女の子云々以前に隣で誰かが寝ていて、いくら守護霊でも全く気づかないなんてことがあるんだな……。


 しかし、ユラの体に目を向けて少し思った。

 なんで今更こんなことを思ったのか自分でもわからなかったが、今ってユラの体を触ろうとしたら、触れるのか?

 それとも手がすり抜けるのか?

 なんだかすでに触れることを知っているような気もするのだが、とりあえず気になった僕はユラの胸の上に自分の手を置いてみることにした。


「あっ、触れた」


 ついでにちょっと揉んでみた。

 というより、手が勝手に動いた。


「……………………」


 ん?なんだか、ユラの顔がとても赤く見える。

 とくにほっぺたのあたりが赤い気がする。


 どうしたんだろうか?

 熱でもでたのか?

 その直後、バシッという音とともに僕のほっぺたが腫れたような気がした。


「茂塗さんのエッチ!!」


 どうやら、守護霊にも羞恥心があるらしい……。

 この後、ユラが口を聞いてくれなかったのは言うまでもない。

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