02

 ある日曜日の昼下がり、僕は、リビングにあるソファーで横になりながら、ソファーの隣に置いてあるテーブルの上のスナック菓子を食べながら小説を読んでいた。


 僕はこの瞬間が一番好きだ。


 窓からは暑い夏の日差しが差し込むが、それを打ち消して、さらに涼しくさせるクーラー特有のにおいは僕に今日は休みなんだという安心感を与えてくれる。


 クーラーの冷風で少し体が冷えても問題ない。

 だって、薄い掛け布団が僕を守ってくれるのだから。


 しかし、そんな快適な休みを平気でぶち壊してくれるやつが家にいる。


 残念なことにやつの足音は僕から集中力というものを奪って行くので、僕はなかなか次のページが開けない。


 その足音はだんだんと大きな音になっていくのがわかる。

 そして、リビングの扉が開いた。 


「おにいちゃん、ごはん!」


 めんどくさいのが現れた。

 妹の一花いちかだ。


 一花のことがわからない読者のために説明すると一花は、僕の一つ下だ。

 今は、高校一年生だ。


 一花は正直言って、性格が悪い。

 反抗期が続いてるだけかと最近まで、思っていたが、どうやら根本的に悪いようだ。

 まだ、最近、小説で読んだ俺の妹なんちゃらの妹の方が百倍ましだったりする。


 正直な話、これで顔が不細工だったら、致命傷なのだが、どうやらクラスメイトが言うには、学校の中ではかなりいいということらしい。

 噂では、毎月誰かに告白されているとのことだった。


 実におかしな話だ。


 あんな、性悪女を好きになる男と対談をしてみたいものだ。

 みんな顔だけで判断しているのだろうか?


 僕より小っちゃいくせに態度はそれをカバーする以上にでかいときたもんだから、しょっちゅう喧嘩になる。

 まったくもって、平和主義の僕には悩みの種なのだ。


「「お・に・い・ちゃ・ん・ご・は・ん! 聞こえてる?」」


「聞こえてるよ! うるさいな!」


 一花が耳元で怒鳴ったせいで耳が痛い。

 さっきまでの快適な空間を一瞬でぶち壊しやがった。


 今この状況を見ている人はきっとこう思っただろう。

 あれ?

 平和主義じゃなかったのか?

 いきなりキレてるじゃないか……。

 しかも、妹相手に格好悪いと。


 ただ、これについては一言言わせてほしい。


 平和主義の僕ではあるが、一花に対しては喧嘩口調でかからないといけない。

 なぜなら、ナメられるからだ。


 それはまさに、飼い主とペットの関係と言っても過言ではないかもしれない。

 僕にとっては、一花と会話した瞬間から戦争なのだ。


 だから、できるだけ平和を望んでいる僕は考えた。

 今度、隣の家のゆみちゃんと交換してもらえないかということを。

 そうすれば、すべてが上手くいく。

 隣の家のゆみちゃん、本当にいい子だからな。

 おまけにかわいいし。

 全国妹選手権に出場したら、間違いなくトップ3に入るであろう。


 そんなことを考えていると一花の声が耳に入った。


「うるさい?」


 一花がほざきだした。

 なにか嫌な予感がする。


 もしかすると、僕は、白旗の準備をしないといけないのかもしれない。


 一花が一瞬ニヤッと笑った。


 僕はこの表情を見逃さなかった。


 なぜなら、この表情のあと僕はかならず負けているからだ。

 そして、一花は案の定、勝ち誇っているように見えた。


「あれ~? お兄ちゃん、私のポケットの中になんか紙が入ってた。なにこれ? わ・な・い・も・と。数学18点!」


「……………………………………」


 やられた。

 こいつ、最近僕が一花対策として、五万円投じた最新式の金庫の中に入れておいた期末テストの答案を……。

 ということは!?


「おまえ、もしかして……」


「ん~? もしかして、エッチなDVDのことぉ?」


「……………………」


 終わった。

 完全に終わった。

 妹に性癖までばれてしまった。


「時間よ。とまれ! シリーズだったけ? お兄ちゃん」


 もう、お嫁にいけない……(男です)


 とりあえず、ここで一旦話を切り替えないと相手の思う壺だ。

 僕は一度咳払いをして、ある疑問を聞いてみた。


「えーと……どうやって番号を?」


「え? だって、お兄ちゃん、絶対どんなときでもパスワード誕生日じゃん」


 どうやら、ぼくは、バカらしい。

 初めて知った。

 そういう設定だったんだ。

 へぇー。


 作者はなかなかひどいことをするんだなぁ。


 ——うそです。

 ごめんなさい。

 バカは元からです。


 というか、以前一万円の金庫が破られた時もそういうことだったのか。


 てっきり、安い金庫だから、破られたんだと思って、なけなしのお金で金庫買ったのに、完全に骨折り損の草臥れ儲けじゃないか。


「んで、お兄ちゃん、これどうする?」


 と言って、にやにやしながら、テストの答案を頭上でヒラヒラさせていた。


「か、返してほしいです」


 僕は悔しさを滲ませながら、顔を伏せた。


「返して欲しいの?」


 う、この顔……。


 人を見下して、面白いおもちゃを見つけたようなこの顔が実に憎らしい。

 しかし、憎む前にこの答案を返してもらわなければ……。

 それまでは平常心、平常心。


「……はい、お願いします」


 僕は頭を九十度、下げた。

 この世の中に、妹に頭を下げている兄はいったいどれくらいいるんだろうか……。

 なんか、そう考えると涙がでてきた……。


「あー、さっき、なんか『うるさい』って言われて、傷ついたなぁ。謝ってほしいなぁー……」


「……………………」


 仕方がない。

 テストを返してもらうためだ。

 謝るか。

 まぁ、こんなやつには、心のこもっていない平謝りでいいだろう。


「すいませんでしたー」


「あれ? あやまるときの態度とかそんなんだったけ?」


 くそ。

 昔から知ってたけど、こいつなかなかやるじゃねぇか。  

 けど、こっちだって負けるわけにはいかない。

 とりあえず、とぼけよう。


「あれー、お兄ちゃんはなんで悪いことしてないのに謝らないといけないのかなぁー?」


「は? 殺されたいの?」


 僕が悪かったです。

 素直にあやまります。


「あ、お兄ちゃん、土下座だよ。ど・げ・ざ」


 何だよ。

 そのウインクは。

 気色悪い。


 一つ思ったけど…………。


 こういうのって家庭内暴力って言うのではないだろうか?

 言葉の暴力はまた別のジャンルなのだろうか?

 まぁ、今回については、僕はもう大人なので早めに終わらせるために、僕が折れてやろう。

 感謝しろよ。

 お兄ちゃん、本気だしたら骨の一本折ることとかできるけど、今回は引いてあげるんだからな。 

 一花のことが怖いとかそんなこと絶対にないからな。

 僕は、床の上にひざをつき、体を前に倒した。

 土下座である。


「本当に申し訳ございませんでした」


 頭の上から一花のいつもよりほんの少しだけ低い声が聞こえた。


「よろしい」


 あーやっぱり、土下座しなかったらよかった。

 すごく、むかつく。

 絶対、今日の夜、隣の家のおばさんに相談に行ってやるからな。

 その前に、とりあえず、テスト返してもらおう。


「一花」


「なに? お兄ちゃん」


「謝ったからテストの答案返して」


「んーー、いや」


「「なんで!?」」


 このときの僕の表情は、みなさんのご想像にお任せしよう。


「だって、お兄ちゃん。返したら、隣のおばさんに相談しに行くでしょ?」


 こいつは、超能力者か。


 ちなみに最近の小説や漫画では親がいなかったり、夫婦で海外に行っている設定がよくあるが例外なく僕の家の両親も共働きで両方違う国に行っているのだ。


 いや、設定とかじゃなくて。


 しかし、その代わり、隣の家のおばさんが母親のような役目をしてくれていて、一花も何度か叱られているため、一花は少しめんどくさく感じているようだった。


 まぁ、僕にとっては、対一花対策としては、かなり頼もしい味方でもある。

 そして、一花はすかさず言った。


「しかも、返した瞬間調子に乗るからね」


「…………………………」


 いやー、わかってらっしゃる。


 やっぱり、長年一緒にいただけのことはある。

 実際、僕はテストを返してもらった瞬間こいつにバカとかあほとか言おうと思っていたところだった。


 いや、別に子供じゃないし。


 しばらく、黙ってると一花が話を切り出した。


「おにいちゃん、結局、ご飯ってあるの?」


「冷蔵庫の中にそーめんあるから――」


  一花の顔が少し曇ったように見えた。


「また、そーめん?」


「うーん」


 僕はテストがしばらく返ってこないとわかったので、小説の続きを読むことにした。


「おにいちゃん、さすがに三日連続はきついよー」


「仕方ないだろ……。そーめん、たくさん隣の家のおばさんからもらって余ってるんだから……」


 一花は少し悩んでいるように見えた。

 時間的に五秒くらいだろうか……。


 沈黙の後、一花がテストの答案を持っている手と反対側の手の拳を握りしめて一言こう言った。


「お兄ちゃん。――今から隣のおばさん殴りに行ってきます」


「いやいや、やめて」


 リビングの扉の取っ手に手をかけ、微笑みながら敬礼をした一花を僕は全力で止めた。

 一花は冗談みたいなことを本気でやろうとする奴だから困る。

 それがいい結果に結びつくときもあるのだが……。


 それにしても感謝をしなきゃいけない相手を殴りにいこうとは、なんとも失礼な話である。 

 実にアグレッシブな妹だ。


 たまには、きちんと考えて行動してほしかったりする。

 考えてこの結果だったら、僕は一花に病院に行く事を勧めよう。


 しかし、これじゃ、頭いいのか悪いのかわからない……。


 そんなことを考えているとまた一花が悩み始めた様だった。

 って言っても時間的にはこれまた数秒だけど……。


 そして、突然言った。


「お兄ちゃん、流しそうめんやろう。流しそうめん」


「流しそうめん?」


「そ! 流しそうめん! まぁ、結局、味は同じなんだけどね。雰囲気変わるだけでも違うかなぁと思ってさ」


「それはいい案だと思うけど、家に流しそうめんする機械あったっけ?」


「ないよ」


「んじゃあ、どうやってするんだ? さすがにどこにでも売ってるってわけじゃないだろ……」


 僕たちは残念なことにそんな都会に住んではいない。

 近くのショッピングモールには自転車で一時間ほどかかるのだ。

 しかも、そこに流しそうめんのできる機械が売っているとも限らない。


 一体、どういうことだろうか?


「お兄ちゃん、近くに山あったよね」


「まぁ、田舎だからな。徒歩で二十分ぐらいだったような――」


「オッケー。決まり。たけを取りに行こう」


「たけ?」


 はて?


 たけを取りに行くとはどういうことだろうか?

 確かに山の近くにたけという名前のクラスメイトが住んでいて、みんなからタケと呼ばれてはいるが……。


 一体、あいつを呼んでどうするというんだろうか?


「うん。たけ。なんか前にテレビでやってて少し憧れてたんだよね」


 ――わかった。

 ――竹か。

 確かその番組を一緒に見ていたことを思い出した。


 その番組では、山に取りに行くところから始めて竹を切り、加工して、洗った後に、最後にそうめんを流して、食べるというものだった。

 まさか、あれをやろうと言っているのだろうか?


 だとしたら、絶対反対だ。

 めんどくさい。


 それに、こんな暑い日に外に出たくない……。


「めんどくさいから、嫌。それに竹を切っても加工しないといけないから、めんどくさいと思うぞ」


「いいじゃん。きっと出来上がった時、感動するって」


「絶対に嫌だ。そんな面倒なことで感動を得るぐらいだったら、小説読んで感動してた方がまし」


「そういうのいいから早く行こう」


「嫌だ。絶対に嫌だ」


「絶対、面白いって。竹で流しそうめん」


「だから、さっきも言ったけど面倒だから嫌。めんどくさいことが嫌いなの知ってるだろ?」


「私もちゃんとやるから。めんどくさいことも二人でやればめんどくさくなくなるって」


 まぁ、やらなければそもそも何のめんどくささもないんだけどな。


「お兄ちゃん。一生のお願い」


 この一年で一生のお願いをもう十回も聞いているが、一体どうすればいいだろう。

 おまけに下手くそなウインクもしている。

 一瞬、やってもいいかなとも思ったがやっぱりめんどくさいので今回はあきらめてもらおう。


「まぁ、今回は申し訳ないけど、あきらめて――」


「テスト」


「お兄ちゃん、なんか竹で流しそうめんやりたくなってきたな。よし、一花。今から行くか」


「さすが、お兄ちゃん!」


 我ながら、情けないお兄ちゃんである。

 弱みを握られ思いのままに操られている。

 笑いたきゃ、笑え。


「んじゃあ、ちょっと出かける準備してくるね」


 そう言って、一花はリビングの扉を開けて、自分の部屋に行ったようだった。

 さて、とりあえず待ってる間、小説の続きでも読むか。


 そんなこんなで、とりあえず小説を読み進めていると、リビングの扉越しに、準備できたとの声が聞こえたので、僕は重たい腰を上げ、リビングから玄関に向かい、一花と一緒に玄関を出た。

 案の定、手を目の上でかざしても全く効果がないほどの外はかんかん照りで、蝉の音がうるさかった。


「あぁ、やっぱり暑い。家に戻ろうかな」


「テスト」


「流しそうめんのために一生懸命頑張ります!」


 もちろん、右手で敬礼した。


「よろしい」


 さすがに山に自転車で行っても竹を持って帰ることが大変なため、歩いて山へ向かうことにした。

 慣れない暑さでどちらもしばらく無言で歩いていたが一花がふと口を開いて言った。

 というよりも、この場面でここまで来たらこういう事を言うと決めていたようなそんな感じにも見受けられた。


「ねぇ、なんでこの世の中ってこんなにも不平等なんだろうね」


「そうだなー」


 そうだなーと言いつつも、違うことを考えていた。

 結局、あの後どうなるんだ?

 確か、主人公は戦艦を戦場に送りこむと言っていたし……。

 あぁ、気になる。

 あと無理矢理にでも十ページほど読み進めておくんだった。


 まぁ、そんなことを考えたりしながらも一花の問いの答えはしっかり考えていた。

 僕は、一花に兄らしいところを見せつけるために言った。

 もちろん、まじめな話にはまじめで返すのが最低限のマナーでもある。

 ちなみに、僕はまじめな話の時にふざけるやつが嫌いだ。


「いや、実は人間って不平等に見えて実は平等かもしれない……」


「……………………」


 妹はどういうこと?といった面持ちで僕を見た。

 こういうとき、ちゃんと聞いてくれるところは素直に好きだったりする。


「例えば、誰しもがお金持ちに憧れるだろ? しかし、そのお金持ちだってすごい苦労をしていたりする。それは、お金持ちだからこその人間関係かもしれないし、お金持ちだからこそのお金の悩みなのかもしれない。結局、人間っていうのは同じ時間を過ごしてる以上、どういう境遇に立たされても悩みはなくならないから平等だと思うんだよな。努力をすれば、報われるし、逆にしなければ、報われることもない。まぁ、だからといって努力すれば必ず報われるとも限らないけど……。よくラッキーとかそういった言葉があるけど、そのラッキーでさえもみんな数えていないだけで、実は人間みんなほとんど同じだけ経験していると思うんだよ。まぁ、ある程度誤差はあるかもしれないけど……」


「まぁ、そうだね」


 一花はあまり納得していなさそうだったので話を続けた。


「そういえば、人間は誰しも生まれたときに何かしらの才能を必ず持っている。なんてこと聞いたことない?」


「んー、前にそんなことちらっと聞いたことがあるような気がする」


「だから、その事例からすると、平等になるように人間は創られているはずなのに、けれどそれでも不平等という単語がこの世の中から消しさらないのは、人間が創り出したイメージというものかもしれない。いや、もしかしたらわざとイメージを人間にのせてつくったのかもな……。何の目的かは知らないけど。でも、一つ言えるのは目の前にいる幸せ者が生まれた瞬間から今までずっと幸せだったというのはありえない。ところどころでひどく挫折したりつらく立ち上がれないような不幸のどん底に落ちたりは絶対してるからな。もし、生まれた瞬間から今までずっと何事もなく今も幸せという人がいたら、その人は今が幸せすぎて過去を忘れているか、それとも人間が創りだしたイメージというもので違う人がその人と同じ人生を経験したらその人はこんな人生は嫌だと言うと思うんだよな……」


「まぁ、お兄ちゃんの言いたいことは何となく理解できたけど、その中で一つ疑問に思ったんだけど、例えばなんにも悪くない子供がいたとしてその子供が急に戦争なんかで銃で撃たれて殺された場合はどうなるの? そういうの考えたら、不平等じゃない?」


「………………」


 それを言われたとき、僕は何も言えなかった。


 確かにそうだ。


 人間のイメージからしても、平等・不平等の観点からにおいても、僕の理論をことごとく打ち崩してくれるいい例だったのだ。

 僕は、その後それについての答えが出せずに、一花に確かにそう言われてみれば、そうだなということしか言えなかった。


 兄らしいとこを見せつけてやろうとした。

 しかしそれは、失敗に終わった。

 けれど、僕はあとあと嫌でもこのことを思い出すことになる。

 僕の理論を補う存在がこの世の中にいることを知るからだ。


「ふぅー、やっと着いた」


 僕が考えごとをしてる間に山に着いていたらしい。

 僕は一花の一言で山に着いたことを知った。

 まぁ、いつまで考えても仕方ないし、今は竹を取ろう。


「おにいちゃんってこの山に来たことあるの?」


「いや、そういえば一度も来たことがない」


「そーなんだ」


「けどさ、一花」


「お兄ちゃんどうしたの?  一花がかわいくて仕方がないって?」


「うん。死んで」


「うわーん。おにいちゃんが死んでとか言ってきた。もう、おにいちゃんのテスト、コンビニで大量印刷して、学校中にばらまいてやる」


「すいませんでした!」


 コイツは本気でやらかすからな……。

 しかも、うわーんって棒読みだし。

 意味がわからん。


 さ、おもしろくない会話はここまでにして。


「んでさ、竹を見つけて切るまではいいとしてもさ」


 ここからが問題だ。


「どうやって家まで持って帰るんだ?」


「え? 別に普通に持って帰ったらいいじゃん」


「いや、普通って言われても……」


 確かに、方法はいくらでもある。

 竹を分割して持って帰るとか、知り合いを呼んで手伝ってもらうとかいくらでも方法があることはある。


 だが、一花の性格上、めんどくさいのが嫌いだ。

 そのあたりは、兄妹似ているのだ。

 そういったことを絶対にしたがらない。


 だから、ここでいう『どうする?』は『どういう方法でやるんだ?』というよりは、めんどくさいおまえは『一体全体何を考えているんだ?』という表現が正しいだろう。

 その上で、普通と言っているんだから何が普通かわからない。


「しつこいなぁ。だから、普通っていうのは、担いで持って帰えるってこと」


 一花がキレる寸前まできている。

 怖い怖い。

 言っとくけど、僕、何にも悪いことしてないよな?

 ここでひるむわけにはいかない。


「だからさ、おまえ、竹の長さとかわかってる?」


 一花は腕を広げて言った。

 長さは一メートルくらいだと思う。


「んーと、これぐらいでしょ? バカじゃないの?」


 うん。

 バカはおまえだよ。

 怖いから言わないけどさ。


「そんなんじゃ、できねーよ。最低でも僕の身長よりは竹が長くないと流しそうめんする意味がないだろ。まぁ、二人でやるからさすがに五メートルとかの竹は要らないけど」


 ちなみに僕の身長は高二の身体測定で百七十五センチだったと思う。

 一花は百五十センチはあるとちょっと前に言っていた。


「うっ……。確かにそう言われてみるとそうかも……。お兄ちゃんもたまにはすごいね」


「まぁな」


 僕は物知りなのだ。

 なんか、たまにと言う言葉に少し引っかかったが……。

 僕たちは、比較的早い段階で竹を見つけることができた。


「お兄ちゃん、竹あったね」


「うん。よし、早速切ろう」


「きろーう!」


 もう、なんだかんだ言って、二人ともテンションが高くなっていた。

 今の僕たちを止めるものは何もいない。

 走りたくなってきた。

 よし、走ろう!走ろう!

 ――ま、走らないけどね。


「どっち!?」


「ん? 一花、今なんか言った?」


「何にも言ってないよ―」


 ふむ。

 気のせいか。


 僕がのこぎりで竹を切り始めようと思ったとき、一花が急に僕の動きを止めた。

 ちなみにのこぎりは山の持ち主に流しそうめんをしたいからと言って許可をもらいに行ったときに貸してもらった。

 なんか、あのおじいさん、若いのに偉い。

 最近の若い者はどうのかこうのか言っていたな……。

 孫となんかあったのだろうか。


「お兄ちゃん、竹の中にかぐや姫がいるかもしれないから気をつけて切ってね」


「はいよー」


 一花のボケは全然面白くない。

 気にせずに切ろう。

 早く切って加工しないと今日中に間に合わなくなる。

 全くボケる暇があるんだったらお前が竹を切れよ。

 全速力で切ろう。


 おりゃー。

 僕は、無我夢中でノコギリの刃を往復させる。


「だから、気をつけろって言っとろうが!!」


 ドスっという音が静かな山を切り裂く。

 腹を思いっきり殴られた。

 痛い。

 本気かよ。

 ボケかと思ってた。


「いやいや、かぐや姫なんているわけないだろ。しかも光ってないし」


「だまって、気をつけて、さっさと切れ」


「……………………」


 鬼かこいつは。


 虐待ホットラインの電話番号調べといてよかったよ。

 かぐや姫についていろいろ考えようとしていると一花の一言で考えていたことが一瞬でかき消された。


「……まだ、切れないの?」


「…………………………」


 ちょっと、待て。

 お前が殴って、まだ三秒しかたってないぞ。

 ついでにさっきまでのテンション返せよ。


 仕方なく切っていると一花はだんだん落ち着きがなくなってきたように見えた。

 一花は何かを待つことがすごく苦手なのだ。

 以前、たまたま外で待ち合わせをすることがあったのだが、約束の時間の五分前に行ったら、遅いとキレられたことがあった。

 ほんとに腐ったやつだ。


 なぁ、みんなもそう思うだろ?


「早く―」(一秒)


「早く―してよ―」(一秒)


「まだ?」(一秒)


「もう切れたよね?」(一秒)


「いいかげんにしてよ」(一秒)


「「ちょっと黙れよ!!」」


 ふぅ。

 おもわずキレてしまった。

 まぁ、これは誰でもキレるだろう。

 普通だな。

 普通。


 一花ちゃん、だまちゃうかなぁ。

 だまっちゃうよねー。

 おにいちゃん、怒ったら怖いもんねー。


 すると、一花は


「テスト」


 と冷たく低い声で僕の顔を獲物を捕らえるような目で言い放った。


「…………………………」


 僕が黙ってしまった。

 なんとも見たくない図である。


 一花はひたすら僕を睨んでいた。

 怖すぎるったら、ありゃしない。

 何かいい方法はないだろうか……とか考えながら、竹を沈黙の空気の中、切っていた僕に天使が舞い降りた。


 一花の弱みを思い出したのだ。

 まさに、今が政権交代の時だ。

 僕は、竹を切りながらも言ってやった。


「一花ちゃーん」


「あー!?」


 一花は相変わらず、ヤ〇ザ顔負けの表情をぶつけている。

 そんな表情、お前誰から教わったのさ?


「一花さ、そういえば音痴だったよな」


 そう、一花は歌がすごく下手なのである。

 こんな弱みを駆け引きに出すのは兄として後ろめたさがあるのだが仕方がない。

 生き残るためだ。


「音痴だからなに?」


 ほーう。

 意外にしぶといな。


 ならばと、僕はポケットからスマートフォンを取り出して、片手に持ったのこぎりを動かしながら、データフォルダから一花の下手くそな歌を音量をめいいっぱいあげて、流す。

 一花が歌ってる歌声が山に響き渡る。


 ちなみに、このひどい歌は前に家族でカラオケに行ったときに録音したものだ。

 一花の顔が怒りから恐怖に一瞬で変わった。

 僕の勝ちだ。


「うわー。ひどい歌声だぜ」


 なんて言ってみると、


「うぅー。お兄ちゃんなんか嫌い……」


 一花は泣き出した。

 いい気味だ。

 泣いとけ。

 泣いとけ。


 まぁ、ちょっと、かわいいと思ってしまうのが尺だけど……。

 僕は、追い打ちをかけるように、一花にのこぎりを渡した。


「待つのが苦手なら自分でやりぁいいじゃん」


 弱みを握られ、冷静な判断ができないのかどうかはわからないが、一花は僕が渡したのこぎりを素直に受け取り、涙を流しながら、竹を切る。

 一花はときどき、手の甲で涙を拭きながら、けなげに切っているようにも見えた。


 ……誰だ?

 かわいい妹にこんなことさせるやつは?


 しばらくして、一花も泣き止んだぐらいに、


「お兄ちゃん、もうすぐ倒れそう」


「わかった。ささえとく」


 一花の涙ぐんだ声を聞きながら、僕は、倒れそうな竹を持ってこっち側に倒れないようにうまく反対側へ倒した。

 軽く一花とハイタッチを交わした。


 なんだかんだいって仲良しだったりもする。

 喧嘩するほど仲がいいとはまさしくこのことだ。


「後は、持って帰るだけだね」


「けれど、持って帰る方が難関だ……」


「お兄ちゃんが持ってよ。テスト」


 少し冷静さを取り戻した一花が言った。


「一花が持てよ。音痴」


 妹ごときに好きにさせないと決意を新たにした僕は言った。

 結局、兄である僕が分割した竹を紐でくくり、竹を持って山を下りた。


 その後、のこぎりの返却とお礼をしに、山の持ち主のおじいさんのところに寄り、山を後にした。


 そして、帰り道、お互い少し疲れたせいなのか、なんとなくどちらも喋ることなく一花と並んで歩いて帰っていると、遠くの方で反対側からガードレールの上を器用に歩いている少年を見つけた。 

 一花もその少年を見つけたようで、僕にこう言う。


「あの子、あんなところに登って、危ないな。ちょっと注意してくる」


 そう言って、僕のほんの少し後ろを歩いていた一花は、走って僕を追い抜き、その少年のところへ向かっていった。

 その少年に駆け寄った一花はその少年に何か言っているが、ここからでは何を言っているのかよくわからない。


 僕も少し歩幅を早め、少しずつその声が聞き取れ始めそうな時に、別の方向からかすかな車の走行音が聞こえたので、後ろを振り返ると、車がこちらに走ってくるのが見え、もう一度、前を振り向くと、一花と喋っていた少年が喋ったせいで集中力を切らしてしまったのかバランスを崩し、ガードレールから足を踏み外し道路側に倒れそうになっていた。


 僕は持っていた竹を投げ捨て、急いでその少年のところへ向かったが、その少年の場所へ向かうその数秒の間に少年は道路に倒れてしまった。


 危ないと思い、ガードレールを跳び越えその少年の元へ駆けつけ、急いで、その少年を道路の端に突き飛ばした瞬間、ボンッとものすごく鈍い音が体中に鳴り響き僕の視界がぐるぐると回った。


 薄れゆく意識の中で、お兄ちゃんと呼ぶ声と誰かの泣き声だけがかすかに聞こえてきた。

 僕は目の前に見えるかすかな顔の輪郭を手でなぞり、顔の頬を流れる光る水のようなものを拭った。


 そして、目の前が真っ暗になった。

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