第29話 最悪の最善手

 思った通り、黒煙の中から何食わぬ顔で歩いて出てくる木魚達磨の姿があった。良くて燻製になったってくらいか。どうやらゴム鉄砲は殴られた時に壊されたようだし……やはり最後に頼れるのは自分の体だけか。それでも、パワーとスピードその他諸々、圧倒的に負けているから羽衣でも勝てる気はしないのだが。


 とはいえ、やるしかない。爆発で吹き飛んできたのか落ちていた石を拾い上げて、徐々に走り出すと、達磨も同じようにこちらに向かって速度を上げ始めた。


 原点回帰。掴んだ石を思い切り投げ付ければ、達磨の頭に当たって砕け散った。


「っ――はっは!」


 羽衣をしたまま、振り上げた右腕に纏を集中させると、呼応するように木魚達磨も右腕を振り上げた。全身全霊――本気の殺意を拳に乗せる。


「っ――!」


 ガチッと歯を噛み締めて。


「ぬんっ!」


 走り込む勢いも加えたクロスカウンター。


 勝ったのは――木魚達磨だった。


 殴られた威力を殺し切ることができず、体は校舎まで吹き飛ばされて全身に衝撃を受けた。羽衣を纏っていたおかげで即死は免れたものの、落ちてくる小さな瓦礫すらも避けられないほどには深刻なダメージを負っていた。


「ぐっ……マンガかよ」


 まるでカメラのフラッシュを受けているみたいに視界が曇っている。血を吐き出して立ち上がろうとしても、さすがに力が入らない。体を動かすためだけに羽衣を纏って漸く動けるくらいだ。


「……ああ、くそっ」


 痛みを感じて後頭部に触れてみればベットリと血が付いた。血の量よりも、頭に深手を負ったことのほうが問題だ。傷は塞がるだろうが、衝撃までは無くならない。


 ここで気を失うのはマズい。感覚でわかる――今は、誰一人として俺に意識を向けていない。つまり、ただでさえ拮抗していた九条と天狗の下に、木魚達磨まで合流するということ。


 ふら付いたまま立ち上がり壁に体重を預けながら霞む視界の中に九条を捉えると、今まさに横から木魚達磨が攻撃を仕掛けたところだった。


 脇からの掌底に双刀の刃を合わせて防いだようだったが、その衝撃で吹き飛ばされていた。だが、俺とは違ってさすがに戦闘慣れしているのか即座に体勢を立て直して、天狗と達磨を相手に双刀で舞い始めた。あまりの剣戟の速さに目が付いていかない。それでも、確実に九条が押されているのはわかる。


「っ――クズくん!?」


 呼ばれたが、未だ頭には靄が掛かったようで言葉が出てこない。羽衣を纏って漸く這いずるように歩けるが、それ以上は体が言うことを利かない。


「ぬんっ!」


 木魚達磨の掌底が双刀を砕き、天狗の刀が太腿を切り裂くと九条はその場で膝から崩れ落ちた。


「はっ……はぁ、はぁ――っ!」


 迫ってくる二体に対して戸惑っていた九条だったが、深い呼吸を繰り返した直後――再び双刀を作り出すと、自らの手首を斬り裂いた。


 吹き上がる血は宙で留まると、今度は九条の体を覆うように降り注いだ。


 狼を模した血鎧を纏った九条は、四つん這いの状態から跳び上がると二体と距離を取った。


「グッ――オォオオオオオオ!」


 大気を震わせる咆哮が傷付いた体に鞭を打つ。とりあえず、込み上がってきた血を吐き出した。


 目を放したほんの一瞬の間に、九条は血爪を振るい、木魚達磨は掌底でその爪を受け流していた。酒呑童子ですら一撃で沈めたあの爪を、ただ受け流すことがどれほどの芸当なのか想像もつかない。だが、押している。確実に一撃を食らわないように立ち振る舞っている。


 横から斬りかかってきた天狗の刀を弾き返し、その隙に懐に入り込んできた達磨が攻撃を仕掛けてくる前に顔面に膝蹴りを食らわせて跳び上がった九条は、空中で回転しながら近付いてきた二体を殴り蹴り飛ばした。


「はっは……これは、いけんじゃねぇか……?」


 酷くくぐもった声だったが、今の状況を見た上での希望的観測だ。これで勝てるのなら、結末としては悪くない。


 そう思っていたのだが――間違いだった。


 威嚇しながら踏み出した九条の前に出てきた八重桜澪は抜いた刀を構えた。


「八重桜流剣術――霞桜」


 すれ違うように振った刀は九条の体をすり抜けたように見えた。だが、そんなはずもなく――互いの動きが止まったと思えば、九条の体を包んでいた血鎧はバキバキと剥がれ落ちていった。


「茉莉花も、葛城も、一つ大きな勘違いをしている。普通に戦っても、私はあんたより強い。隠していた理由は単純だ。茉莉花が九条家の養子になり能力を使えるようになったときに、すでに私の計画は始まっていたからだ。そして私は対化物戦で八重桜流剣術を使わないことにした。型ってのは一つの終着点なんだ。相手を殺すために特化した技の、ね」


 鎧が砕けた九条の背後から、八重桜澪はその脇腹目掛けて刀を突き刺した。


「っ――あっ!」


 狂戦士モードはただでさえ体力の消費が激しい上に、すでに天狗と達磨との戦闘で傷を負い血を流していたおかげで九条はその場に倒れ込んでしまった。


「くっそが――」


 ここで脚に纏を集中させれば九条のところには一瞬で辿り着けるかもしれない。だが、それまでだ。殺すようにと指示が出ている俺が行ったところで飛んで火にいる夏の虫。殺されて終わりだし、最悪の結末も変えられない。


 倒れたまま動けなくなった九条は今まさに八重桜澪の指示を受けた天狗に抱えられようとしていた。


 最悪の事態は何度も考えた。あらゆる可能性を想定した。ならば、その反対は――最善とは何か。それも当然のように考えた。今の状況で九条が求める、見知らぬ他人も傷付かない世界を実現するためには。


 その最善手は――


「クズくん! 私を――殺して!」


 もちろん、それは結論を先延ばしにするだけで、根本的な解決にはならないが――それでも。


 九条の発言を呆れたように笑う八重桜澪を横目に、取り出したボールペンを握り締めて、全身の纏を片腕に集中させた。羽衣を解いたことにより体に激痛が駆け巡ったが、そんなことはどうでもいい。俺のことなんか、どうだっていい。


「九条――受け取れ」


 巨大化させることもなく、ただ力任せにボールペンを投げると、九条の心臓目掛けて吸い込まれるように飛んでいった。


 その時――幻だったのかもしれないし、勘違いだったのかもしれないが、こちらを向いた九条の顔が綻んだような気がした。これだけ離れていて見えるはずもないのに、その口元が動いたのが確かに見えた。


「ありがとう」


 と、そう言っていた。

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