第26話 過去

 指定された場所が学校だったのもあって他の生徒がいないか心配ではあったが、どうやら手を回しているようで杞憂だった。校内には人っ子一人居らず、まるで無理矢理に静寂という言葉を嵌め込んだように静まり返っていた。


「はっは……これはこれで不気味だな」


「帳が落とされているのよ。上位の化物だけが使える結界のようなものね」


「もうなんでも有りだな」


 いや、かなり前から気が付いてはいたが。無秩序とは言えないまでも、電車を脱線させたりビルを破壊したりと、こちらからは触れられないはずの奴らが好き勝手し過ぎだろう。


「というか、結界が張られている? そんじゃあ、相手はすでに交戦モードだと考えて良さそうだな」


「……そうかしら」


 疑問形じゃないのなら言葉を返す義務はない。


 校内を進んでいき、校庭へと出る直前の校舎の角で息を殺した。


「九条、敵は感じるか?」


「いえ、今のところは校庭の真ん中にいる澪ちゃんしか感じないわ」


 だが、少なくとも化物が使える結界があるということは、この場に居るということ。余程隠れるのが上手いのか、それとも――


「とりあえず、先生が一人なら好都合だ。話し合いと行こうじゃないか」


 おそらくは交渉ごとに関して言えば限りなく私情が無い俺のほうが適任だ。だから多少、命懸けでも俺が前に出る。


 校庭のど真ん中に一人、背を向けて立っている先生の下へと警戒しながら歩み寄っていくと、こちらに気が付いて振り返った。


「ん? なんだ、お前も来たのか。別にあんたに用は無いんだがな」


 不遜、って感じだな。


「そいつは失礼。だが、こっちには有り有りでね。世界をどうこうするって言われちゃあ無関係を決め込んではいられないんだ」


「へぇ……そんな殊勝な感情があったんだな。お前に」


「いや? 俺は俺が可愛いだけだけど?」


 これは本心だ。事実、先生が起こそうとしていることに俺が巻き込まれないのなら静観どころか無関心を決め込んでもいいのだが、勝手に殺させるよりかは面と向かって殺されるほうがマシだ。


 話を進めることなく視線を合わせていると、先生は不意に瞼を閉じて鼻で笑うように肩を揺らした。


「ふっ――自分が可愛い、か。それはそうだよな。葛城春日」


「……何が言いたい?」


 手にはボールペンを握ったまま、横に立つ九条もいつでも血を出せるように片手の爪をもう片方の掌に当てて臨戦態勢を整えている。


「いや、なに。教えてやろうと思ってな。葛城、お前を選んだ理由を」


「…………理由?」


 嫌な記憶が甦り、ほぼ無意識にボールペンに纏を行った俺に対して、九条は諭すように手に触れた。


「澪ちゃん、そんなこと今更どうだっていいわ。それに前に言っていたじゃない。クズくんを選んだのは変人だからだ、って」


「問題はその経緯のほうだよ、茉莉花。そいつはな、人殺しなんだよ。それも二人――父親と、母親をな」


「っ――」


 言葉が出てこない。真実だから反論できないし、久し振りに突き付けられた過去に対して、あまりにも心が無防備過ぎた。まさか、それを知っている奴がいるなんて思わなかった。


「どういうこと? クズくん、あなたは――」


 九条がこちらに視線を向けている気がするが、こっちは呼吸を整えるのに必死でそれどころではない。なるほど、これがフラッシュバック――トラウマってやつか。そんなつもりは毛頭なかったのだがな。


「どうもこうも無い。シンプルでわかりやすいだろう? そこにいる葛城春日は、その手に持っているようなボールペンで、両親を数百回以上刺して殺したんだ。現場は随分と凄惨だったらしいな? 血肉に内臓まで飛び散って、お前自身も血塗れで」


「そんな――そんなわけない! クズくんが……か、葛城くんが、そんなことするはずないわ!」


「いいや、事実だ。だろう? 葛城」


 痛みを感じているのは所詮、心だ。体の痛みなら耐えられる。心の痛みなら――気の持ちよう次第だ。


「ああ……俺は、両親を殺した」


「なんっ……どう、して? 何か理由が――」


 俺の口からは語れない。そういう約束だ。絶対に破ることができない、自分自身に打ち込んだ楔だ。こればかりは、言葉にすることができない。


 それを察しわけではないのだろうが、口角を上げた先生は口を開いた。


「茉莉花のことだ。本当にわからないんだろう。……簡単な話だよ。子が親が殺す理由――それは耐えられなくなったから、だ。日々続く虐待に、父親は殴り、母親は見て見ぬ振りをする。父親は蹴り、母親は気にすることさえしなくなる。虐待と育児放棄を受けた葛城は、寝ている両親の首元目掛けてボールペンを振り下ろした。何度も――何度もな。死体を発見したのは両親が死亡してから三日後のことだったらしい。白かった布団は赤黒く染まり、葛城が保護された時は――首と体が離れた両親の間で眠っていた、と。血を浴びて固まったその手には血肉のこびり付いたボールペンが握られていて、本人の証言もあって犯人は確定。事件の背景を重く見た警察は報道規制を敷いて葛城のことも、ましてや事件のことも公になることは無かった。いや、事件そのものが無かったことにされた、と言うべきだな」


「それは……どこまでが真実なの?」


 わかり易いくらいに嫌なものを見る眼だ。気持ちはわかる、それほどまで現実感の無い話だし、本当に嫌な話だ。


「全て事実だよ。何一つとして間違っちゃいない。俺は――お前が思っている以上にクズ野郎だったってことだ」


「そんなこと――」


「ある。だろ?」


 顔を見ればわかる。それは嫌悪感を覚えている表情だ。仕方のないことだと思う。よく言うだろう? 世界の三大禁忌、人食い、近親相姦、そして――親殺し。どこかの阿呆が子を殺す親は居ても、親を殺す子はいないなどと宣っていたがそんなはずはない。この世に存在している限り、すべての可能性はすべからく、ある。だが、それにしても何が目的だ?


「で、それがどうした。今更そんな事実を言われたところで何も変わりはしないぞ? 俺はお前を止めるだけだ。八重桜澪」


 狙い定めるように立てた人差し指を向けると、先生はパキパキと首を鳴らしながら腰に差した刀の鞘に手を掛けた。


「ああ……まぁ、お前はそうだろうな。だが――」


 顎でしゃくられたほうには俯いたまま動かない九条が居た。


「九条? ……おい、九条!」


「っ――いやっ!」


 肩に手を振れた瞬間に、思い切り弾かれた。


「……九条?」


 体を震わせながら、畏怖するような眼光で俺を見詰めてくる。確かに、俺の過去はそれなりにショッキングなものだとは思うが、そこまで拒否反応を起こすようなものではないはずだ。


 ならば、何故?

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