第22話 狂戦士

 距離を詰めながら二本の刀を広げた酒呑童子だったが、途端に動きを停めた。見詰めるその視線の先には当然、九条が居て――流れ出た血がまるで狼を模した甲冑や鎧のように体を包み込んだ。


 異様な空気感を放つ九条に躊躇った酒呑童子が未だに立ち止まっていると、九条は獣のように四足を着いて飛び出した。


「酒呑童子様ッ!」


 虎が間を割るように飛び込むと、九条の腕を包んだ血の爪がその体を二つに分けた。


「虎っ――舐めるなぁ、よ!」


 酒呑童子が構えた刀は九条の爪によって砕かれて、振り下ろされた爪が体を斜めに引き裂いた。


 反撃する暇すらも与えない猛攻。圧倒的な力――俺では一ミリも勝てる気配が無かった相手を、まるで紙を破るかの如く倒してしまった。


「はっ……な、にがっ――」


 ただちょっと暴れたくらいで、何がビーストモードだ。俺のあれはただのお遊びで、九条こそがビースト――狂戦士だ。


「ハッ――ハッ――ハッ――アァアアア!」


「っ――」


 九条の叫び声がびりびりと体を震わせる。勝利の雄叫びではない。あれは……苦しんでいる? 少なくとも俺には苦痛の叫び声に聞こえている。原因はわからないが、止めなければいけない気がする。この場でそれが出来るのは俺だけだ。立ち上がることも、声を出すことも難しいが――俺だけだ。


「ごほっ……っ」


 なんとか血は止まったが、地面の血溜りが俺の体に戻るわけじゃない。それに、内臓は抉れたままだし、息も詰まる。全身を駆け巡る痛みが、否が応にも生きてることを実感させてくる。


 こんなのは俺じゃない。俺らしくないとわかっていながらも、多少は情が湧いてしまっている九条が苦しんでいる姿を見るのは忍びない。……いや、我慢ならない、かな。どっちでもいい。


「グッ、アア――アァアア!」


 苦しそうに声を上げる九条は、俺のことは認識できているのか徐々にこちらに近付いてきていた。


「っ……く、じょ……くじょ、う…………すぅ――くじょう! おまえはっ!」


 ……何と言うべきなんだ? なんて声を掛ければ九条を救うことができる? そもそも苦しんでいる理由がわかっていないのに、救えると思うなど烏滸がましいにもほどがある。忘れるなよ、手前はクズ野郎だ。クズにはクズのやり方ってものがあるだろう。


「――お前はっ――くっそど貧乳で! 口の悪い変人女だ! それでいて――たぶん、友人だ。だから……戻って来い。まだ……まだ……っ」


 無理に声を振り絞ったせいで、せっかく閉じたはずの傷口が開いて血が流れ出した。さすがにこれ以上の出血はマズい。再び傷口に纏を集中させながら、九条がどうなったのかと顔を上げると、すぐ手の届く距離まで来ていた。


「ア、アア……クズ、くん……」


 やっとこちらを見たかと思った途端に、握った拳を自らの顔面目掛けて振り抜いた。すると、血で作られた狼の仮面はボロボロと崩れ落ちて、涙痕の残る九条の顔が現れた。


「クズくん。あなた……ボロボロじゃないの」


「はっ、は……おたがいに、な」


「ちょっと待っていて。すぐに助けを呼ぶから」


 そう言って俺の腹に手を当てた九条の体を覆っていた血の鎧は崩れ落ちた。


 これでようやく休める。……いや、待て待て。惑わされるな。確かにここに来たのは俺の意志だが、どうせこの怪我ではまた数日間寝込むことになるんだ。つまり、病み上がりで戦って、また病む、と。そういうことか? こうなってくると俺が呪われてるというよりも、九条が不幸を引き寄せているって考えるほうがしっくりくるな。


「……どういうことかしら……?」


「どうした、九条。俺はそろそろ意識が飛びそうなんでな。問題が起きたのなら簡潔に頼む」


「問題と言えば問題かしら……どことも連絡が取れないのよ」


「……八重桜先生ともか?」


「ええ、澪ちゃんとも――」


 その時、俺と同じように九条も嫌な気配を感じたのか目を合わせた直後、同時にその方向へと視線を向けた。


 そこに居たのは――そこで起きていたのは、体が斜めに千切れそうだというのに刀を手に立ち上がろうとする酒呑童子を――八重桜先生が斬り殺すところだった。


「なんだ、酒呑童子。大口を叩いていた割にはあっさりと負けるんだな。ま、元々捨て石だ。むしろ、ここまでやった礼を言わないとな。ご苦労。おかげでようやく茉莉花の力を引き出せた。お膳立て、ご苦労様」


 その一撃で、酒呑童子の息は完全に止まった。


「……澪、ちゃん? いったい何を――」


「ん? なんだ葛城も生きているのか。予定とは違うが、支障もないし……まぁ、いい。茉莉花、力のほうは安定したのか?」


「ちょっと待って……ちょっと待って! 何を言っているの? ねぇ、澪ちゃん。言っている意味が……」


 ここに来て情報過多だ。九条じゃなくとも処理し切れない。かくいう俺も、すでに意識が飛んでもおかしくないほどの痛みと血を流しているわけだが……少なくとも一つだけはわかっている。


「っ……ぐっ……」


 足の先は冷たいし力が入らない。体を支える腕だってもう地面に触れている感覚すらない。それでもなんとか立ち上がって、無理矢理にでも体を奮い立たせて――九条の肩を抱くようにして、八重桜先生と向かい合った。


「はぁ……先生、なんかちょっと見ないうちに随分と悪役面が似合うようになりましたね。誕生日でも来ましたか?」


「私はな、葛城。元々こういう人間なんだよ。全ては茉莉花のため。ひいては全人類のためだ。だから、邪魔をするな。一般人」


「はっは……そうなんだよ。無関係なんだよな、これが。でも、そっちのいざこざには関係なくても、俺と九条は友人だ。ただ黙って、見ていられるはずがないだろう」


「……まるで私が悪人みたいな言い草だな」


「悪人だろ。鏡を見て見ろよ」


 九条は未だに状況を理解できていないのか頭を抱えている。俺だって同じだ。こうして八重桜先生と向かい合っているが、その真意はわからない。ただ漠然とよくないことをしているのだろうと感じる。そして、おそらくその考えは正しいはずだ。そうでなければ、九条がここまで狼狽えている理由にはならない。


「茉莉花、こっちに来るんだ。私があんたを正しく使ってあげる」


「……澪ちゃん……もしかして、ここ最近の化物の出現率の高さは――」


「ああ、それは私のおかげ。元は似た者同士の葛城を殺させて茉莉花の力を解放させるのが目的だったんだけど……結果は上々。いい仕事をしてくれた」


「ふざけないで! それじゃあつまり、澪ちゃんが――いえ、八重桜澪。あなたのせいで大勢の人が傷付いたということ。私は、それを許すことができないわ」


「あ~、はいはい。じゃあ、こういうのはどう? 茉莉花、あんたが私の言うことを訊かなければ無関係の大勢の人間を殺す」


「あなたは、そんなことができる人では無い」


 二人は鋭い眼光で睨み合うようにしていたが、八重桜先生は呆れたように肩を落としながら溜め息を吐いた。


「はぁ……そうだな。私にはできないかもしれない。それなら大量の化物を送り込もう。まずは都内から。徐々に範囲を広げて、男も女も子供も老人も関係なく殺してもらおう――化物に。そうすれば私自身は手を汚さなくて済む」


「あなたは……なんという……っ」


 優しさとは――弱さだ。


 身近で九条の優しさを見て感じてきたからこそ、その脆さをわかっている。迫られる二択に対して、俺なら簡単に出る答えでも、九条の弱さの前では難題になる。どころか下手をすれば答えを出すことすら適わない。


「さぁ、どうする? ああ、そうだ。じゃあ、こうしよう。まずは茉莉花の目の前で葛城を殺す。それから日本中に化物を解き放とう。どうだ? わくわくしないか?」


「っ――狂ってるわ」


「なら、私と――」


 そろそろ我慢の限界だ。


「だぁああ! うるせねぇな! よくわかんねぇんだよ! きっちり説明しろ! お前らはいつも説明責任を果たさねぇ。俺は部外者だ。わかるか? 勝手に納得して勝手に話を進められたら付いていけねぇんだよ! 今、はっきりとわかっているのは――お前は敵で! 俺は九条の味方、ってことだけだ! 九条はお前には付いていかねぇとよ。わかったらさっさと失せろ!」


 気が付けば、ついうっかり声に纏を乗せていた。とはいえ、真横にいる九条にも、視線の先にいる八重桜先生にも影響が無いように見える。


「……そう。じゃあ、三日だけ待つ。それまでに決断して、学校に来るんだ。ま、どんな決断をしようとも批判するつもりは無い。ただ、こちらの意にそぐわない場合は実力行使をするけどな」


 そう言って、八重桜先生は姿を消した。霞の如く、煙のように居なくなった。


「……澪ちゃん……」


 呟いた九条の表情を見ることはできない。そりゃあそうだ。本当にもう――我慢の限界だったのだから。


「えっ、ちょっと――クズくん?」


 九条はずるりと地面に倒れ込んだ俺を受け止めながら、座り込んだ。


「悪い……ちょっともう……ダメだ」


「ううん。ありがとう。私の味方になってくれて――友人だと言ってくれて、嬉しかったわ。あなたのことは絶対に死なせないから、今は休んで。すぐに助けを呼ぶから」


「…………はっは」


 何がシンドイって、これで気を失えばまたベッド生活に逆戻りってことだ。思い返してみれば俺、九条と出会ってからの半分はベッドの上で過ごしてんじゃねぇか? 全く本当に――厄介な人生だぜ。

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