第21話 敗者

 一進一退どころか、ここに加わってこない酒呑童子が気掛かりだ。仮にこの熊と虎を倒せたとしても、九条を倒した酒呑童子に俺が勝てるはずがない。とはいえ、それを念頭に置いて戦うなんて器用なマネは出来ない。それは……別に俺が器用じゃない、とかではなく、こいつらを相手取るのに余裕がないと言うことだ。


「グハハハ! 女か? 女が引鉄になったのか?」


「っ――何を、言っている?」


 片腕しかないのに随分と余裕のある熊だ。こちらとしては、三本の腕を捌くことすらシンドイというのに。


「気付いていないのか? 事前に聞いていたよりも、女が倒れているのを見てからのほうが数段は面白くなっているぞ!」


「んなの知ったことか!」


 理由なんてどうだっていい。今、重要なのは俺の体がどれだけ持つか、ということだけだ。羽衣(仮)は――わかり切っていたことだが体への負担が大きい。これで死んでもいいとしたって一体も倒せずに力尽きて嬲り殺しにされるのは困る。というか嫌だ。


 なら、羽衣(仮)に加えて、九条の双刀術だ。買っておいた鋏が一つだけなんて誰が言った? 予備は大事だ。


 左右から挟むように振り被られた熊と虎の拳をしゃがみ込むように避けて、分けた鋏を羽衣(仮)に加えた。もちろん、簡単に刃が通るとは思っていないが、獣の拳や爪なんかと素直に拳で対応するよりかはマシだ。


「おい、熊。そろそろお遊びは終いだ。我らは我らの使命を全うする」


 漸く虎が喋ったかと思えば、まさかの全力で殺しに来る宣言か。上等だ、相手になってやる。


「いや、ダメだ! もっとだ、もっと楽しませろ!」


「チッ――熊!」


 どうやら俺を挟んで意見が割れたようだが、それでも攻撃する手を止めないのは迷惑な話だ。


「久し振りの上物だぞ。虎よ、お前も楽しめ!」


「貴様とは違うのだ! 我は酒呑童子様に従うのみ!」


 戦闘狂と狂信者。さして違いは無い気もするが。とりあえずは互いの主張を攻撃に乗せてくるのはウザいな。いちいち威力が増して堪ったものではない。


「何が違う? お前だって同じはずだ! 自らが強者だと勘違いした鼠を力で捻じ伏せて泣き叫びながら命乞いするのを嬲り殺す。それが最高なんだろうがっ!」


 熊の――化物の戯言だ。人間じゃあない。気にする必要は無いが……それでも、俺の琴線を震わせるには充分だった。溢れ出した感情が全身を駆け巡り、持っていた鋏を握り壊した。


 掛かってきた拳を避けて、まずは邪魔な虎の腹部に向かって握った拳を思い切り振り被れば数十メートル先まで吹き飛んだ。……どうやら俺は想像以上に怒り心頭らしい。


「グハハ! なんだ、タイマンが望みか? いいだろう。相手をしてやる!」


「いや、俺の望みは――」


 振り下ろされた腕に対して、取り出した定規を刀のように振るってその腕を肩から切り落とした。叫ぶ間も与えずに、蹴り飛ばせば両腕とも無いせいもあり簡単に倒れ込んだ。そこから今度は振り向きざまに定規を放り投げて、立ち上がろうとしていた虎の鎖骨辺りを切り裂いた。


「ッ……ハハハ……よもや、ここまでとはな。……殺すのか?」


「ああ、殺す」


 言いながら、取り出したボールペンの芯を出した。


「そうか。もう少し楽しみたかった気もするが、仕方がない。ならば最後に一つだけ頼む。鼠――名を、教えてくれ」


「俺は……名乗るほどでも無い。ただのクズ野郎だよ」


 倒れた熊に馬乗りになって、その首にボールペンを突き立てた。何度も――何度も、これでもかというほど血と肉が飛び散って、首が千切れるまで何度も突き刺した。


 お前の望みなど知ったことではない。敗者の最後の願いを聞いてやるほどの余裕など俺にはないんだ。……知ったことか。どうだっていい――どうだっていい!


「っ――!」


 何十回目かのボールペンを突き立てたところで、背筋が凍るほどの殺気に飛び退いた。殺気を発しているのは――酒呑童子か。だが、それは俺に向けられているものでは無かった。もちろん、血を流しながらも立ち上がってこちらを睨んでいる虎でもない。ならば、と視線を辿れば、そこにいたのはスタジアムの客席からふら付きながらもこちらを見下ろしてくる九条だった。


「……無事だったか」


 だが、どうにも様子がおかしい。気も張っていないし、今にも倒れそうで危なっかしい。そんな状態なら、九条は立ち上がることもしなかったはずだ。体が動くようになって、戦えるようになって漸く、殺気を飛ばされる暇もなく血の刀を手に襲い掛かっていただろう。そうできなかった理由があるとすれば――血が止まったとはいえ体から血が抜けたことには違いない……意識が朦朧としているのか?


 九条の下へ駆け寄ろうと一歩踏み出したところで、当たり散らすようだった酒呑童子の殺気が鋭いものに変わって視線を向けると、腰に携えた二本差しの刀を抜いていた。その姿を見た瞬間に、何故か俺は踏み出した脚を酒呑童子に向けて走り出していた。


「っ――」


「ハァッ!」


 纏った拳は刀で防がれ、甲高い金属音が響いた。


「い~い、反応だぁ。まさか熊を殺すとは思っていなかったからなぁ。特別に相手をしてやる!」


「そりゃあ有り難い!」


 俺じゃあ酒呑童子に勝てないのはわかっている。だから、隙を見て九条を回収して逃げる。ここは戦略的撤退だ。足止め、目晦まし、何でもいい。考えろ――それくらいしか出来ないのだから。


 こちらがどれだけ全力で攻撃をしようとも、酒呑童子は涼しい顔をして受け流している。これが実力差だ。熊のような油断では無く、俺の後に九条を控えているからという戦略的な力の制限の下で、すでに負けている。ただでさえ相手に余裕がある中で、こちらが武器を取り出す隙は無い。かと言って奇を衒った動きをするには俺自身もダメージを負い過ぎている。


 俺の趣味は思考と考察と謎解きだ。その延長線上に推測がある。そして、俺の推測が正しければ――これからやろうとすることは何にでも纏を行える俺にしかできない。


「すぅ――ハッア!」


 喉に纏を集中させて、溜まった空気に声を乗せて吐き出せば推測通りに纏の声が周囲に響いた。


 間近で受けた酒呑童子の動きが一瞬だけ停まったの見逃さずに、ダメ押しの一発として振り下ろすようにその頭に目掛けて拳を握った。


「っ……はっは。これも何度目だよ。くそがっ――」


 怯んだと思っていた酒呑童子の刀が、俺の腹部に刺さっていた。


「まさか、声で倒せるとでも思っていたのかぁ?」


「いやぁ……どうだか……」


 だが、まだ刺さっているだけだ。九条を逃がすだけの時間を稼ぐことはできる。


 血を流しながら拳を握り締めれば、酒呑童子は刺していた刀をぐるりと回して体の外へと振り抜いた。


「っ――!」


 地面に倒れ込み、もう立つことも出来ない。流れ出る血が予想以上に多くて、体が生温い。ただの刺し傷なら纏の力で治るのかもしれないが、内臓まで激しく抉られては無理なようだ。最後の足掻きとして傷口に纏を集中させるが、何度目かわからない死を覚悟した戦いだったから別に助からなくても良い。だが、少なくとも九条が逃げるだけの時間は――


「なん、で……」


 倒れたまま視線を送れば、九条はまだそこに居た。だが、先程までとは違い、しっかりと立ってこちらを見詰めていた。そして、すでに痛みで震えている俺でもわかるほどに纏う雰囲気を変えた。それは九条から一度も感じたことが無い殺気のようなもので――おそらくこれまでの戦いの中で最も恐怖を覚えている。おそらく酒呑童子も同じなのだろう。抜いた刀を構えて九条のほうへと駆け出した。


「っ……んっ……」


 逃げろ、と声も出ない。

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