第20話 ブチ切れそうだ

 ……何が起きた? 鋏を手に駆け出したところまでは良かった。懐に潜り込んで刃を突き立てたとき、横から腕が伸びてきた。熊の手――爪か。そりゃあそうだ。虎に爪があるように、熊にだって爪がある。勝手に戦闘に使うのは大刀だけだと思っていた。何よりもあの反応速度と動き。刃を折った後に受けた一撃に伏したわけだが、こいつ……むしろ肉弾戦のほうが専門だな。


「なるほど……大刀自体が戦いを楽しむ枷だったということか」


「やはり鼠にしては頭が切れる。……名を訊こうか」


「はっは。お前らに名乗る名前なんてねぇよ。どうしても知りてぇなら頭でも下げて頼んでみろよ。考えてやらないこともないぞ?」


 すでに消しゴムに掛けていた纏は解けて元の大きさに戻っていた。つまりは、熊が大刀を手に取るのを防ぐ術は無い。三度の確認だ。厄介なのは、あの大刀――ならば、本気で折りに掛かろうか。


「鼠に興味を持ったのは初めてだったのだが、残念だ。お前はおまけのようなものだが標的には違いないからな。お望み通り――嬲り殺してやろう」


「はっ――やってみろ」


 羽衣(仮)の制限時間は三分だ。それくらいなら解いた後も動ける。ってなわけで、やろうか。


 全身に纏を行うと、熊童子が身構えたのがわかった。それだけ、この力が強いということだろう。


 鋏での攻撃が一度防がれていると言っても、先程までとは勝手が違う。今度こそ全力の拳だ。一発一発を本気で殺すつもりで打ち込むが、さすがは童子というべきなのか全て大刀で防がれてしまう。しかし、それでいい。もっと速く力強く的確に。大刀でギリギリ防げる速さで――殴りつける。


「こんなものか? 一発もまともに受けていないぞ?」


 それでいいんだよ。


 構わず殴り続けていれば、ようやく成果が出始めた。


 ビキビキと大刀にヒビが入り、最後の一撃で鉄刀は真ん中から弾けるように割れた。


「っし。三分」


「……これが狙いだったわけか。面白い」


 厄介だった大刀はこれで無くなった。


「面白いな、鼠。大口を叩くだけのことはある。もう煩わしいのは無しだ。全力で――狩るとしようか」


「こいつはヤバそうだな」


 さすがに笑いは出ない。狒々のときは最後まで本気を出すことが無かったから俺が勝つことができた。……まぁ、正確には九条と八重桜先生が倒したわけだが、本筋はそこじゃない。大事なのは、ちょっと勝ち目が無さそうだということ。


 これまでもそうだったが、今回ばかりは本気で勝てる気がしない。何故なら俺には羽衣(仮)以上に強い業を持っていないからだ。小出しの裏技は通用しない。だとすれば、俺は一つしか戦い方を知らない。正攻法しか、方法を知らないのだ。


 九条や骨の騎士を確認する余裕はない。熊童子から目を放すわけにはいかない。


「さぁ、大一番って感じか? 面白いか? 楽しいか? どうやらお前は知らないみたいだから教えてやるよ。窮鼠猫を噛む、ってやつだ。追い詰められた鼠ほど、何を仕出かすかわからないぞ?」


「だから良い。だからこそ、死の間際まで追い詰めるのだ。楽しむために――だが、大刀を折られたのは初めてだ。つまり、お前は極上の鼠だ」


 熊の舌なめずりには恐怖しか覚えない。食われるのだけは勘弁だな。


「そりゃあどうも。なら、鼠は鼠らしくちょこまかと戦うとするよ。ここからが本当の本気だ。……楽しもうぜ」


 羽衣(仮)を行い、熊の周りを飛び跳ねるように動き回りながら、死角を突いて握った拳を当てていく。一発、二発と当てて三発目――


「ッハ!」


 死角を突いたはずだったが、こちらの動きを読まれており、振り抜かれた拳が目の前にやってきた。


「っ――」


 防ぐことはできたが、さすがは殺し合い好きの戦闘狂だ。対応速度も半場じゃない。ならば、今度は力押しで行く。


 距離を取ったところから走り出して、ほぼ前方に跳び上がり熊の顔面目掛けて揃えた足を突撃させた――が、交差した腕で防がれた。そこから体を捻って回し蹴り。地面に着くまで三回ほど蹴りを食らわせたが、結果的には曲芸を披露しただけだった。


「……終わりか? ならば、今度はこちらの番だ」


 こちらに駆け寄ってくるスピードは速くない。これなら近寄られても真正面からなら充分に避けられる。そう思っていたのだが、振り被ってから振り下ろすまでの拳の速度が予想の何倍も速く、防ぐことが精一杯だった。


「重っ――」


 力×速度=威力、だ。


 しかも、力そのものがおそらくは狒々よりも上だろう。避けることはおろか、まともに防ぐことも適わない。羽衣(仮)の状態だから何とか受け切れているが、体勢を整えないことには纏も解けてしまう。


 纏を行っているから熊の爪で裂かれることは無い。……命を賭けるのなんて何度目かわからないし、今更だろう。ただ殺されるくらいなら、誰だって命くらい投げ捨てられる。


 熊の拳を防いだ後、腹に向かって伸びてくる爪に対して、わざと纏を解いた。


「っ……ごほっ」


 衝撃で喉を詰まらせて、爪は体を突き抜けたが、その瞬間に再び全身を纏で包み込んだ。


「なんだ、こんなものか?」


「はっは。がっかりさせて悪いな――だが、この腕もらうぞ」


 刺されたまま体を浮かせて熊の腕を脚で蟹挟みして、捻るように体を回せばバキンッと骨の音が鳴った直後、ブチブチと肉の切れる音がして――腕を引き抜いた。


「グッ――ハハハハハ! 腕、腕か! だが、腕一本のために随分と深手を負ったな」


「肉を切らせて骨を断つってやつだ。残念ながら、俺はこんなやり方しか知らないものでな」


 熊の爪を引き抜いて腹部に纏を集中させれば、すぐに血は止まった。しかし、熊童子の言う通りだ。腕一本を失ってもまだまだ楽しそうに殺気を向けてくる熊と、刺された腹を庇いながら深く息を吐き出すことしかできない俺。……採算が合わないだろう。


「だがな。まだ――まだ負けるわけにはいかねぇんだよ!」


 自分自身に気合を入れるのと同時に全身に纏わせて羽衣(仮)を行えば、熊童子はニタァと口角を広げて、ダラリと舌を出した、


「良い! 良いぞ、鼠! さすがは狒々を倒しただけのことはある! 楽しいなぁ、おい。なぁ? まだまだ行けんだろ!」


「はっは……この戦闘馬鹿が。テメェは森でハンカチでも拾ってりゃあいいんだよ!」


 睨み合って、互いに一歩踏み出した時――何かが間を抜けて吹き飛んでいくと、スタジアムの客席を破壊した。飛んできたほうに視線を向ければ、そこには酒呑童子と虎熊童子が居た。見回せば骨の騎士は崩れていて……つまり、吹き飛んだのは。


「九条!?」


 こうなっては熊と向かい合っている意味はない。


 駆け出して、崩れる客席に駆け寄れば、仰向けに倒れたまま頭から血を流す九条が居た。


「九条……お前……」


 酷く胸がざわつく。すごく嫌な感じがする。吐き気にも近い感覚だ。こんなのは柄じゃない。俺らしくは無いが、おそらくこの感情は――怒りだ。今の俺は、九条が傷付けられたことに対して怒っている? ……いや、違う。俺如きではどうしたって勝てないはずの九条が、目の前で倒れていることに対して怒りにも近い感情が湧いている。言葉で簡単に説明できるものではない。失望か? ……それも違う。


 流れ出る血を止めようと傷口に手を当ててみたが、そういえば九条の力は血液を操るもので、自らの意志とは関係なく傷口を塞ぐように血が固まっていた。目を覚まさないのは、受けた衝撃のせいだろう。それなら、俺が傍にいる意味も無い。


「……とはいえ、縋る相手がお前しかいないというのも事実なんだけどな」


 九条は俺よりも強いが、未だにその力を十全には引き出せていない。酒呑童子と熊童子と虎熊童子。この三体を相手取るには俺では力不足だが、こちとらすでに何度死んだかわからない身の上だ。少しくらい生き延びる手助けをしてやるよ。今の俺は少しばかり――ブチ切れそうだ。


 九条の下で膝を着く俺の背後に熊が近付いてきたのがわかった。


「なんだ、死んだのか? 参ったな、死なれると困る。とりあえずは連れて行くか」


「触るな」


 九条へと伸ばした腕を掴むと、熊と向かい合うように立ち上がり睨み付けた。


「……わかっていないようだ。三対一――勝てると思うのか?」


「勝つつもりは無い。殺すつもりだからな」


 腕を掴んだまま熊を持ち上げてスタジアムのほうへと投げ飛ばした。


 即座に全身を纏で覆い、待ち構える三体のほうへと跳び寄った。


 躊躇する必要も無い。全力で、殺しに掛かる。さながら、本能のままに暴れ回るケモノ――ビーストモードといったところか。


 熊と虎を相手に獣のように暴れ回れば、これまでとは違う力任せの戦い方に最初こそ怯んでいたが徐々に対応を見せて、殴り殴られのストリートファイトになった。


 熊の一撃を防いで、腹部に一発いれて。虎の爪を避けながらハイキックをお見舞する。だが、次のときには虎の爪で腕を裂かれ、熊の拳を顔面に受けて血を吐き出した。

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