第16話 ライン

「後悔しているか?」と問われれば悩むことなく一瞬の間もなく、


「後悔している」と答えるだろう。それほどまでに今の状況は普通と逸脱している。


 そして現状、またしてもベッドの上で動けない俺は自暴自棄に陥るには充分だった。


「あなた随分と無茶をしたようね。お医者さんが言うには約二十か所の骨折に、筋繊維はボロボロ、内臓までぐちゃぐちゃで、どうして生きているのか不思議だとか」


「はっは。纏のおかげだな」


「纏のせい、とも言えるかもしれないけれど。ともかく、今のあなたの体の中では自動で纏が行われていて体の治癒力を上げている。おそらくは三日もすれば動けるようになるでしょう」


 医者の診断を直接聞いてはいないが、ここが八重桜先生の家のベッドだということは、地下十家お抱えの医師が居るんだろう。


「……そういえば学校はどうなった? 無事か?」


「ええ、生徒は全員無事よ」


「いや、生徒じゃなくて校舎のほう」


「……あなたが壊した屋上はすでに修復済みよ。戦いの痕が残っていた校庭も、今は違和感なく使われているわ」


「そうか。何よりだ」


 地下十家の財力恐るべしだな。まぁ、バックに政府が付いていることを思えば当然か。


 時計は見えないが、窓から差し込む日の光の感じから、おそらくは十二時前後だな。


「なぁおい。俺はどれくらい眠っていた?」


「一日」


 つまりは、普通なら学校がある日ってことか。


「……で、九条。俺に何か話があるんじゃないのか?」


 問い掛けると、読んでいる振りをしていた本を閉じて、深く息を吐いた。


「そうね。正直に言うと、謝ろうと思っていたのよ。今回の件は完全に私の誤算だったわ。まさか、三王があれほどの戦力を同時に送り込んでくるとは思っていなかったから……怪我人が出なかったのは幸いだったけれどね」


「おい。目の前を見ろ。どう考えたって瀕死の重傷が一人いるだろうが」


「……酒呑童子の言っていたことは正しい。私では手を抜いた酒呑童子と張り合うのがやっとだったし、そんな中であなたに狒々の相手を任せたのには私に非があるわ。本当にごめんなさい」


 俺の言葉はガン無視か。別にいいけどよ。


「ま、結果が全てだろ。酒呑童子は逃したが、狒々は倒せたわけだし。プラマイゼロだって考えていいんじゃねぇのか? 俺の犠牲のおかげでな」


 犠牲と言いつつ死んではいないが、ある意味では死んでいたようなものだろう。思考停止は、死と同じ。


「感謝はしているし、謝罪の気持ちもある。けれど、わからないのよ。私の見立てでは、あなたは絶対に狒々に勝てないはずだった。にも拘らず、勝ててしまった。どうして?」


 勝ててしまった、って。随分な言われようだな。とはいえ、九条の見立ては間違っていないのが痛いところだ。任せたほうと任されたほうで意見が同じとは、また珍しい。


「どうもこうもだ。そもそも俺は狒々に勝ってない。忘れたのか? 最終的に止めを刺したのは九条と八重桜先生だっただろ」


「ええ、確かに。けれど、酒呑童子と違って、狒々の力技で真正面から向かって来られていたら私は勝てなかったでしょうね。相性、というのももちろんあるでしょうけれど、少なくともそれまでの戦いで狒々が消耗していたからこそ、私が止めを刺せたのよ」


「…………なるほど」


 拳同士を合わせて均衡を保っていると思っていたが、考えようによっては少なくともこちらは纏をした上で攻撃をしていたわけだから、その分のダメージがあったとしてもおかしくはないのか。だとしても、狒々は戦いを楽しんでいただけで俺の拳が効いていた気はしないのだが。


「私が言いたいのは、仮に羽衣を使えたとしてもまともに戦えるはずは無かったということ。地力が違うのよ。……ちょっと待って。あなた、どうして生きているの?」


「そりゃあ俺も不思議だよ。実際死ぬつもりだったし、何度も死ぬと思った。けど、こうして生きているってことは運が良かったってことなんじゃねぇか? 事実、いろんなことが重なっただろ。酒呑童子は九条の相手をして、狒々は俺との戦いを望んだ。その上で弄ぶように手を抜いて戦ってくれたおかげで瞬殺されることは無かったわけだ。ま、殺す気で来ていたのは確かだろうがな。……ん?」


 そう考えると引っ掛かるところが出てくるな。これまでの推測だと、三王の狙いは九条であり、九条に対して化物を送り込んでいるのだと思っていた。それ自体は間違っていないのだろうが、酒呑童子の発言を鑑みると今回の襲撃は九条を殺すためのものではなく、むしろ俺を殺しに来ていた気がする。いや、殺されかけたのは間違いないのだが。


「何か気掛かりでも?」


「この状況で違和感を覚えないお前のほうが気掛かりではあるが……おかしいと思わないのか? 俺のことではなく、化物たちの行動が、だ。目的がわからないだろう。俺のことを殺せた狒々に関しては『遊んでいたから』で説明が付くにしても、酒呑童子は? 二人掛かりでも倒せなかった奴だぞ? その気になればあの場で全員を殺せたはずなのにそうしなかった理由は?」


 俺の読みでは三王が結託して邪魔な地の王の次の候補を殺すつもりだと思っていたのだが……相応しい時期がある、とかか? 現・地の王が死ぬ直前に候補者を殺せば、地下十家は混乱する。しかし、だとするとこれまでの牛鬼や大鬼が説明できなくなる。


 考えられる可能性としては、


 一、主目的が変わった。例えば暗殺から現状維持及び把握に、とか。


 二、三王も一枚岩ではない。


 そのどちらかだろう。一なら単に殺すことから操ることにシフトしたとも考えられるし、二なら場合によっては王の誰かをこちらの味方につけることもできると思うが、ほぼ無理だと考えておいて良いだろう。


 現状での問題――いや、好都合なのは今はまだこちらを殺すつもりが無い、ということだ。それがいつまでなのかを把握したいところだが、そういうキナ臭そうな裏事情は九条よりも八重桜先生のほうが詳しそうだ。


「九条、お前は他の地の王の候補者には会ったことが無いと言っていたよな? だが、情報は入ってくるはずだ。他にも地下十家が直接化物に襲われたような話は無いのか?」


「それは……無いわね。私には当主以外の横の繋がりが無いから絶対とは言えないけれど、もしそんなことが起きていれば絶対に上から連絡が入っているはずよ」


「つまり他の地下十家にも今回の件は筒抜けってことか。あまり良い事とは言えないな」


「あら、どうして? 伝わればその分だけ警戒もできるし、何かあったときには協力要請もし易いじゃない」


「…………ああ、そうだな」


 九条の達が悪いところは、そんな絵空事を本気で思っていることだ。純粋さを可愛らしさと思えるのは小学生までだろう。この年にもなれば多少の駆け引きや裏読みをしなければ、取って喰われるだけだ。おそらく、これまでは八重桜先生が九条の露払いをしていたんだろうな。その過保護さが、今の九条を生んだと言っても過言ではない。


 どうにも良くないな。元より考えていた最悪の想定に近付きつつあるのは非常によろしくない。敵が化物だけなら未だしも――いや、化物だけでも充分に厄介ではあるが、そこに人間まで加われば間違いなく収拾がつかなくなる。


 終わりは来るだろうが、そこに誰が立っていて誰が残っているのかはわからない。だが、もしも敵味方がはっきりしないまま戦争を始めれば――結末は見えている。まずは俺が逃げ出す。次に世界の崩壊だ。


「九条。悪いが、俺はここまでだ。これ以上は関われない」


「……どういうこと?」


「知っての通り、俺は部外者だ。ある一定のラインで身を引くべきだろう。今が、そのラインだ」


 若干踏み越えてしまっているような気もするが、不可抗力というやつだ。こればかりはどうしようもない。


「どう、かしらね……私の正直な気持ちを言ってもいいのなら……本当に不本意ではあるけれど、可能ならば口に出したくはないのだけれど――残ってほしいわ。あなたの力を貸してほしい……クズくん」


 結局はクズのまま昇格は無しか。ま、言うなれば同病相憐れむ、みたいなものだろう。


「本音を言ってもらえたのは有り難いが、お前に俺は必要ない。むしろ足手まといだろうよ。別段、俺自身の何かが変わったとは思っていないが、俺とお前の実力差が天と地の差なのはわかっている。俺は弱くて、お前は強い。これまでだってお前一人でやってきたんだ。わかっているはずだろ? お前に、俺は必要ない」


 とはいえ、ベッドの上で動けないこの現状。俺には九条が必要なのだが。


 九条は眉尻を動かして険しい顔を見せた。


「そういうことを言いたいわけではっ……はぁ、もういいわ」


 諦めたように、そして何故か悲しそうに目を伏せた九条は閉じていた本を開いて、再び視線をこちらに向けることは無かった。


 ベッドの上から椅子までの距離は三メートル程度だが、これは決して触れられない距離で――俺と九条の距離感だ。これ以上に広がることはあっても縮まることは無い。それほどまでに絶対的で確実な溝で、飛び越えることなどできない大きな谷だ。俺に――飛び越える勇気はない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る