第15話 決着

 痛みを和らげるために息を吐きながら体の力を抜いて狒々の拳をギリギリのところで避けていくが、微妙に服に掠っていて気が気じゃない。しかし、どこかに力を入れると痛みが増すし、今は――ちょっと待てよ。俺の能力はって?


「……はっは。なるほどな!」


 ガチンッと歯を食いしばって足を踏み出し、狒々と交差するように脇を通り抜けた。


 痛みはあるが、我慢が出来ないほどじゃない。俺の考えが正しければ、死ぬ確率を若干にだが下げられる。


 まずは大して役に立っていない飾りのように付けていたベルトを外して右手に巻き付け、左手には解いたネクタイを巻き付けた。化物退治の専門家である地下十家の奴らですら三割しか使えない羽衣を俺が使えるはずはない。だが、俺の能力ならどうだ? 何にでも纏ができる能力なら――腕を覆ったベルトとネクタイ、それに着ている服のすべてに纏を行えば、似たようなことは可能なはずだ。


「すぅ――はぁ」


 纏を行ったものは強度が増して、武器として使えるようになる。そのおかげなのかはわからないが、肋骨の痛みが和らいだ。こんなその場しのぎで勝てるとは思わないし、そんな大それたことを言うつもりは無い。今はただ死という選択肢を選ばずに、俺の役割を全うする。


「……はっは。いや――」


 今更そんな建前はいらないな。


 こちらを見据えて立ち止まった狒々は、大口を開けて笑い始めた。


「ヒッヒヒヒ! 楽しいよなぁ、おい。弱い人間が策を弄して勝つ気でいるのを、ただの力で殺される。勝てるかもしれない、と錯覚した人間を殺すのは堪らなく面白い」


「途端におしゃべりになったな、獅子舞野郎。そうだよ、その通りだ。人間は弱いから策を弄して、裏を掻いて、お前ら化物に勝とうとする。殺そうとする。だが、お前がこれまで戦ってきた連中と唯一違うのはな――俺は、別にお前に勝とうなんて思ってないんだよ」


「ヒヒヒ! お前は良い。お前は面白い。これまでの人間の中でもそれなりのほうだ。だが――結局は死ぬことになる」


 踏み込んだ狒々は一気に距離を詰めてきて拳を振り下ろしてきた。避けるか、防御するか――否、こちらも拳で向かい撃つ。


「っ――」


 拳が合わさると、まるで鉄同士がぶつかったような金属音が周囲の空気を揺らした。


 痺れるような衝撃はあるが、纏で服を包んでいるおかげか体にまでは痛みが来ない。


 次の拳にも再び拳を合わせると、狒々は驚いたような顔を見せた直後に不気味なほどの笑みを浮かべた。


 そこからは先程までと同じ展開だ。が、決定的に違うのは拳対拳で、今回は互いに地味にダメージが蓄積されていくことだ。


 ただ純粋な拳闘。八重桜先生のイジメ――もとい訓練で身に付いた反射神経と、九条の近接戦を見ていたおかげで狒々の拳の回転数にも付いていけている。


「ヒヒヒヒ!」


「はっはっは!」


 拳闘の読み合いで、間をすり抜ける拳が体に届いて衝撃が走るが、それは狒々も同じこと。確実に数発は喰らわせている手応えがある。だが、やはり体重差や体格差もある。徐々に圧されている感は否めない。


 今の俺は鎧を纏っているようなもので、拳自体のダメージは無いが受けた衝撃を逃がすことができずに体の中で蓄積されていくのがわかる。


「っ……ごほっ」


 込み上げてくるものを我慢しようと思ったのが堪え切れずに咳き込むと、口の中に鉄の味が広がった――血か。つまり、今の俺の口の端からは血が零れ落ちているのだ、と心の怯みが体に出た瞬間を狒々は見逃さなかった。


「ヒヒッ!」


 拳を合わせることが間に合わず避けることも適わず、狒々のラッシュを全身に受けると体勢を崩して意識が飛びそうになった。纏も切れかけていて全身に痛みがぶり返してくる。掠れる視界の先では酒呑童子を相手に刀を振る八重桜先生と、こちらを一瞥して心配そうな顔をするも手を休めることができない九条が見えた。


 思えば――初めてのことばかりだ。喧嘩なんて柄じゃないし、殺し合いなんて趣味じゃない。世界に犯行すると言いつつも、結局は何もせず何もしないことにそれらしい意味をつけて、それらしい理由を付けて何かをやっている気分になっていただけだ。本当は誰かの何かになって他人への影響を嫌う、ただの日和見主義なだけのクソガキだ。照らすのが嫌で、照らされるのも嫌いな昼行燈。わかりやすく言えば――クズだ。否定はできない、否定をするつもりも無い。自分のことだ。気が付かないわけがない。


 八重桜先生に連れられて、九条と遭って――ここにいる。事故みたいなものだ。


 知っているか? 走馬灯ってのは死の瞬間にこれまでの記憶と経験の中からなんとか生き残る方法を探すための行動らしいぞ?


 まぁ、そんなことはどうでもいい。今、この数秒間で走馬灯を見ているってことは死に掛けているってことだ。つまりは死んでもいいって脳が判断しているのだろう。何が言いたいか?


 ……勝手に死ぬことを選んでんじゃねぇよ。


「ヒヒヒッ、内臓をぶち撒けてカエルみたいに潰れろッ!」


 狒々の言葉で完全に意識を取り戻すと、その言動でどこを狙ってくるのかはわかった。


「っ――!」

 内臓をぶち撒けるつもりなら、まず間違いなく狙ってくるのは腹部のはず。だから、腹に力を入れて両腕を構えれば見事に拳がやってきて、辛うじて吹き飛ばされることは防いだ。


「ヒッヒ! 良い! やはり、お前は良いな! ――ん?」


 拳を掴んだまま力を込めると、漸く引けないことに気が付いた狒々は疑問符を浮かべた。


 考えればわかるだろ? 脳が死を受けて入れているんだ。それなら、死んだってかまわない。


「……ごほっ。おい、獅子舞野郎。良い事を教えてやるよ。俺は何にでも纏を行えるという能力を持っている。いろいろと実験すると、どうやら物だけでなく、生物にも有効らしくてな」


「このっ――放せっ!」


 残った腕で何度も殴られるが、こちらが腕を外すことはしない。どころかむしろ、より強く肉を千切り骨を折る勢いで握っていく。


「だがな、俺の手から離れれば三秒ほどで纏の効果は切れてしまって、夢に見ていた化物退治犬は儚く消えてしまったわけだ。まぁ、そんなことはどうでもいいな。今、重要なのは……俺の纏は生物かそうでないかは関係ないということだ」


 死ぬのは困る。が、何もせずに死ぬのは冗談じゃない。俺の纏は、対象の質量や体積によって体力の消費量が変わる。狒々ほどの大きさならどれほどの反動が来るのかわかったものではないが、今は後先考えている場合ではない。


「放せ――放せぇええ!」


「っ……」


 殴られながらも纏で狒々の全身を覆っていく。大前提として、俺が全身を包む服に纏を行うという発想が無ければ、狒々を纏わせるという考えは浮かばなかったし、こうやって全身に纏を行っていなければ、もっと前に死んでいたはずだ。だから――


「だからっ! 死ぬとか、殺すとか、殺されるとか――今更どうだっていいんだよっ!」


 血を吐きながらも、全身に力を込めて掴んだ腕を軸に狒々の体を持ち上げると、抵抗するようにジタバタを暴れ出した。だが、今や狒々の体は俺の纏に覆われている。だから、重いことには変わりないが、持ち上げること自体は苦ではない。


「ヒッヒヒ! 苦し紛れの愚策だ。お前には何も出来ない。お前は――ただ殺されるだけの肉だ!」


「はっは。そいつは、どうかな」


 原点回帰といこうじゃないか。俺の元を辿れば、石投げだ。この状況ではピッチャーでもなければ振り被れもしないが、それでも。


「っ――九条! 受け取れっ!」


 どんなものだろうとも俺の力を纏わせれば化物を倒せる武器となる。投げ飛ばした狒々の体は弧を描いて激しい戦いを繰り広げる九条と酒呑童子の下へと落ちていった。落下するまでおよそ二秒――コンマ数秒の判断が勝敗を左右する戦いの中に飛び込む弾丸だ。上手く使ってくれよ。


「クズくん!?」


 九条と八重桜先生は飛んでくる狒々を見て武器を構え直したように見えた。そして反面、酒呑童子はどうするべきかと動きを止めたが、すぐに触れられないことに気が付いたのか、その場から距離を取った。


「澪ちゃん!」


 すると、名前を呼んで目配せをした二人は酒呑童子を追うことはせずに落ちてくる狒々に居直って双刀と日本刀を構えた。


「ヒッヒヒ! 良い殺気だ!」


 狒々は空中で百八十度、体を回転させて落下しながらも二人に向かって拳を構えた。


 そこからは一瞬だった。八重桜先生は、確実に片腕を切り落とすために刀を振り下ろし、九条は舞うように片腕を切り刻みながら狒々の体を駆け上がっていくと、そのまま首元目掛けて双刀を突き刺した。


「ヒ、ヒヒヒヒ……良いな、実に良い。さいこー、だ」


 笑い声を響かせながら消えていく狒々の姿を見て、俺にも限界がやって来た。全身を覆っていた纏は切れて、体に力を入れることもできずにそのまま地面に倒れ込んだ。もう、立ち上がることもできないし、なんなら喉に詰まった血を吐き出すために横を向くだけで精一杯だ。


「っ……ごほっ」


 中々大量の血を吐いているような気もするが、今は残った酒呑童子の動向が気掛かりだ。


 視線の先で殺気立つ九条の正面に立つ酒呑童子は――構えた刀を鞘に納めた。


「ふん……ここまでだな」


「……どういうこと?」


「オレの役割は終わったということだ。お前らの実力はだいたいわかった。これ以上は無意味だ」


「無意味? これだけのことをやっておいて何を言っているのかしら。酒呑童子。あなたをこのまま帰らせると思っているの?」


「思うも何も、むしろ喜ぶべきだと思うが? ここまでの戦いで気が付かないわけがないだろう。お前はオレよりも弱い。仮にお前ら二人で掛かって来ようとも勝てることはない」


「……どうかしら。狒々は倒したわよ?」


「そいつはただの戦闘狂だ。故に油断もする。その結果が格下にも負ける現状であり、そいつの実力だ。わかるか? オレはいつでもお前らを殺すことができる。今はただ生き延びられたことを馬鹿みたいに手放しで喜んでいろ。焦ることはない。女、お前のことはいずれオレがこの手で殺してやろう」


 そう言うと、酒呑童子は炎に包まれるようにして姿を消した。


「…………」


 腑に落ちないように双刀を消した九条がこちらに向かって歩いてくる姿を見て、俺はギリギリで保っていた意識を飛ばすように瞼を閉じた。

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