第14話 VS狒々

「立ちなさい。あなたはまだ負けていない。体が動かないのなら、動くように心を震わせなさい! こんなところで死ぬようなら――私が殺すわよ」


 気が付けば、体の硬直は解けていた。


「はっは。お前、無茶苦茶だな」


「あら、あなたには言われなくないわ。反抗期くん?」


「……いや、字が違ぇよ。俺は犯行鬼だ。同じ鬼なら、対抗し得るかもしれないぞ?」


「言葉遊びでしょう」


「確かにな。だが、ただの言葉でも、たかが遊びでも――縋るものが無いよりかは良い」


 とはいえ、九条が酒呑童子の相手をするとして、俺がナンバーファイブの狒々の相手をするのは無理がある。だから八重桜先生と立ち位置を交換したいのだが……先生がこちらを向かないことより、ずっと背中に感じている嫌な気配のほうが気掛かりだ。


「……なぁ、九条。もしかして――」


「ええ、その通りよ。どうやら狒々はあなたとの戦いを望んでいるようだわ」


 おかしいだろ。こういう強い奴ってのは同じレベルかそれ以上に強い奴と戦いたがるものだろう? 弱い奴と進んで戦うなんて、ただのイジメだ。……まぁでも、悪党ってのは大抵弱い奴を先に殺していくものか。そう考えれば妥当な選択だな。


「わかったよ。やればいいんだろ、やれば。ただし、後悔しても知らねぇからな!」


「ヒッ、ヒヒヒヒ、のぞむところだ」


 こいつ喋れんのかよ。いや、でも体は人型に近いし上から五番目の強さなら言葉を話せて当然か。


 くそっ――戦う相手が酒呑童子じゃなくなったとしても、体の震えが止まらない。


「っ――行、くぞ! オラァ!」


 俺の気合入れが合図になったのか、九条と酒呑童子は刀を弾き合うと速い動きでその場から姿を消した。他人を気にするよりも今は、振り下ろされた狒々の拳を受けることに全力を尽くす。一撃で伸されるなんて笑い話にもならないからな。


「っ――お、おおっ――!」


 巨大化した鋏の刃で受けることは成功したが、踏ん張りが利かずに吹き飛ばされた。


 幸いにも八重桜先生が戦っている位置から離れた校庭の地面に落ちただけだが、全身に受けた衝撃は強い。痛みを和らげるために息を吐き出すと、太陽を覆い隠すように狒々の姿が見えた。


 間髪入れずに追撃とか馬鹿かよ!


「く――そっ!」


 転がり避けて立ち上がれば、狒々の拳は地面に減り込んでいた。その威力なら吹き飛ばされたのも納得だ。問題は対抗し得る手が思い浮かばないこと。だが、九条のやり方を見て戦い方は心得ている。そちらの拳が鉄拳ならば――こちらはこちらで刃を使う。


「ヒッヒ!」


「……はっは。来いっ!」


 拳を受け止めるのではなく、斬るように受け流す。機械的に、来たものだけを受けて流す。八重桜先生のせいで鍛えられた反射神経を使って、同じ作業を繰り返しながら思考しろ。勝てないまでも――どうすれば生き残れるのか、方法を導き出せ。


 狒々の体は鉄のように硬いうろこ状でおそらく刃は通らない。ポケットの中には武器になりそうな文房具が入っているが、どれも通用する気がしない。俺の今の実力での勝率は限りなくゼロに近い。唯一救いだったのは、こいつが策を弄さず、奇を衒わない真正面からぶつかってくるファイターだったってことだ。そうでなければ、こうして俺なんかを相手にさせて拘束しておくのは不可能だろう。……まぁ、俺如きなら策を弄さずとも倒せるという自信の表れかもしれないが。


 ともかく、今の俺にできるのはギリギリ均衡を保てている振りをするくらいだ。狒々が俺に興味を持っているうちに勝率を上げる方法があるとすれば――今は待つことしかできない!


 最も可能性が高いのは八重桜先生が群がる化物たちを倒し終えて加勢に来てくれることだが、実力差云々ではなく単純に考えれば狒々よりも強い酒呑童子と戦っている九条のほうに向かうはずだ。次の可能性は九条が酒呑童子を倒して俺に加勢すること。ナンバースリーに勝てるのならナンバーファイブにも勝てるだろう。だが問題は、そもそもの前提条件が厳し過ぎることだ。そんな簡単に勝てるのならば、俺なんかに狒々の相手を任せるはずがない。


「こいつっ!」


 拳の威力と速度が増している。一発一発が、確実にこちらを殺す威力で向かってきている。受け流すだけで、腕が捥げそうだ。手首に肘に肩の骨と腕の筋肉に、と徐々にダメージが蓄積していくのがわかる。しかも、纏を使いながらだぞ? 


 ここまで来たら根競べだ。


「どっちが先に腕を止めるか――だっ、くそ!」


 完全に失念していた。俺の体よりも先に、狒々の拳を受け流していた鋏のほうに限界が来た。今まさに刃にヒビが入り、次の一撃で――


「っ――!」


 砕け散った。


「ヒヒヒッ!」


 防ぐものが無くなり、次の文房具を取り出すよりも先に、狒々の拳が俺の右脇腹を捉えて、再び吹き飛ばされた。おいおい、そうぽんぽんと人を飛ばすもんじゃねぇぜ。というか、今更だが人って本当に吹き飛ぶんだな。


 落ちたのは、またもや校庭の地面でどんどんと校舎から離れていく。


 呼吸が苦しい。……ただの打撲で済めばいいが、そうもいかないだろう。なるほど、これが俗にいう肋骨が二、三本折れたような感覚か。さっきみたいに追撃が来ないから狒々のほうを確認してみれば、こちらを見据えながら力を蓄えるように拳を握り締めて、ゆっくりと近付いてきていた。


「っ……」


 動けないことはない。が、さすがにシンドイな。


 ポケットに入っているのはボールペンが数本とステンレス製の定規のみ。とりあえず、狒々の狙いは俺だけのようだから、今はこの状態を維持しよう。まずは遠距離でも油断できないことを教える。


 校庭の砂利を掴んで纏をして、狒々に向かってぶん投げる。


「ヒッヒヒ」


 ダメージを与えることはできないし、腕で振り払われればそれまでだが、多少の目晦ましにはなる。


 無理矢理に体を持ち上げて、校庭に置かれているサッカーゴールに寄り掛かった。


「すぅ――はぁ」


 体の内側が熱を持って、ジンジンと痛みが増していく感じだ。


 徐々に近付いてくる狒々に対して、巨大化したボールペン三本を投げると、刺さりはしなかったが僅かに動きを止めることができた。


 とはいえ、このままでは次の一撃で死ぬことになるだろう。


 八重桜先生は――今も化物たちと一人で戦っている。


 九条は――酒呑童子と激しい剣戟戦を繰り広げている。


「……無理か」


 目の前にある選択肢は死だけか? 抗おうと抗うまいと狒々に殺されるのなら、自ら死を選んでみるか。死ぬ気になれば、何でもできる。要は、俺には出来ないかもしれないって思われていたことをやってみるってことだ。


 羽衣。


 これまでのことを考えれば、ぶっつけ本番かどうかは些末なことだ。普段は物に対して行っている纏を、体全身に――って、出来るか! 漫画の主人公じゃねぇんだぞ? 死に掛けのピンチだからって練習もしていないことがいきなり出来るはずがない。


「おっと、やっば――っ!」


 目の前まで迫っていた狒々の拳を避ければ、うっかり肋骨の骨が折れていることを忘れていて激痛が走った。くそ……九条なら体の中で自分の血を動かして多少は怪我の痛みを和らげることはできるんだろうな。


「はぁ…………あ~あ」


 そもそもが不公平なんだよ。剣術に覚えのある八重桜先生の武器は日本刀だし、九条のほうは使いこなせてはいないと言っても、自らの血液を自在に操れる汎用性の高い能力で。しかも、そのおかげで身体能力も高いときたもんだ。


 片や俺はどうだ? 二週間くらい前に突然訳の分からない世界の真実を知らされて、今も訳の分からない戦いに巻き込まれている。いやな? 確かに俺の力も汎用性は高いかもしれないぞ? だが、何にでも纏が行えるって、用途が広すぎて逆に困るってやつだ。まったく本当に……腐ってやがる。

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