第10話 王と、たぶん姫

 報酬の振り込みが翌月末だと聞いた俺のショックは措いといて。


 筋肉痛でガチガチの体に鞭打って登校したわけだが、こちらとしては無理矢理化物退治に連れて行かされたわけだから、多少の温情なりは欲しい。具体的には休みとか。もしくは遅刻しても良しとか。そうでなくても、せめて放課後の部活は無しでも良かったんじゃないですかね。


「……お前は疲れたりしないのか?」


 今日も今日とて九条は自らの血液を試験管に入れて、よくわからない実験を繰り返している。


「疲れ? そういうのは寝れば無くなるものでしょう?」


「はっ。そんなのはお前だけだ」


 案の定、参考にもならないバケモノだったか。


 あれだけの戦いをしたのだから、俺のように筋肉痛にならずとも疲れていて然るべきだと思うのだが。まぁ、戦いに関しては慣れなんだろう。


「……いくつか考えてみたんだが――いいか?」


「あなた、やる気が無い割には思いの外に前のめりよね」


「そりゃあ仕方がない。俺の趣味は思考と考察と謎解きだからな。前のめりとかじゃなく、ただの習性みたいなもんだ」


「奇行ね」


「ほっとけ」


 こちとらその趣味のせいで昨日の睡眠時間がどれくらい削られたと思ってるんだ。筋肉痛とも相俟って、二時間寝れたかどうかだぞ? 自業自得と言われればそれまでだが。


 ともかく、疑問は多い。


「まず何からいくか……そうだな。じゃあ、纏という力についてだ。九条の血液と、八重桜先生の竹光、そんで俺の力。三者三様なわけだが、つまりは地下十家の連中はそれぞれにまったく異なる力を持っているってことで良いのか?」


「良くは無いわね。私たちの力が纏と呼ばれるのには理由があるのだけれど、それは自分に馴染みのある物に力を纏わせて戦うから。故に〝媒介とし――〟という言葉を使うのよ。基本的には澪ちゃんのように元々武器として使える物で纏を行うもので、私のように人体の一部に媒介するのは稀なケースよ」


 幼い頃に養子にされるのはそのせいか。子供の頃から武術や武道を習わせて、力が使えるまでその身に武器を馴染ませる。合理的ではあるが、少なくとも人道的ではないな。


「九条が稀というのはわかるが、八重桜先生とかは馴染んだものでしか力を使えないわけか? 竹刀とか、他の竹光では?」


「無理ね。詳しい理由はわからないけれど、手に馴染まない武器、馴染みのある武器以外で纏に成功した例は無いわ」


「……うん? だとしたら、俺はなんだ? なんか、どんなものにでも纏を使えるようなんだが」


 純粋な疑問として問い掛けると、九条は眉間に皺を寄せてあからさまに嫌な顔をした。いや、そんな顔されたところでどうすりゃいいのよ。むしろ、よくわからない力を使ってここまで疲れている俺のほうが嫌な気分だ。


「あなたのそれには説明が付かない。私はそもそも興味がないけれど、澪ちゃんは頭を悩ませているようだったわね。考えられる可能性としては、纏を使えるようになったのが最近だから体が馴染むものを探しているとか。もしくは、あなた自身に馴染むような思い出のある物が無いか」


「然も有りなんって感じだな」


 思い出のある物が無い、というのは否定できない。過去には囚われないタイプだ、と言えば格好よく聞こえるが、その実ただ本当に思い出と呼べる記憶が無いだけだ。こういう性格だからな。自覚している分、やはり何とも言えない感情が込み上げてくる。


「まぁ、力についてはこれくらいでいい。最も疑問なのは化物についてだ」


「……もう話したと思うけれど。それ以上に話すことなんてないわよ?」


 それがやんわりとした拒絶だとわからない俺ではない。だが、こればかりは引き下がるわけにはいかない。何故なら死活問題だからだ。文字通り、俺の生死が掛かった問題だ。


「俺が訊きたいのは化物そのものについてじゃない。もっと単純に――牛鬼や大鬼、あいつらは三王の眷属の中でも相当上のほうの実力なんだろう? そんな奴らが、こうも続けて姿を現したのは何故だ?」


 投げ掛けられた九条は、徐に試験管を試験管立てに並べて嘆息した。溜め息を吐きたいのはお互い様だよ。


 そんなことを思っていると、こちらに近付いて生きた九条は羽織った白衣をバサリと捲り上げて、正面に置かれている椅子に腰を下ろし、脚を組んだ。


「正直に言うと、化物たちの出現については私も疑問が多いのよ。確かにこれまでもそこそこ強い化物――それこそ牛鬼や大鬼レベルが出てきたことはあったわ。けれど、それはあくまでも、その化物を退治することが依頼であって、前二回のようにアクシデント的なものでは無かった。……何かが起き始めているのは間違いないと思うわ」


 専門家である九条にもわからないとなると、おそらくは八重桜先生も同じだろう。とはいえ、第三者の俺だからこそ推測できることがある。……立ち位置が第三者で正解かどうかは別にして、思考し考察することはできる。


「何かが起きている、というより――俺にはあいつらの狙いがお前のように見えたけどな。理系の申し子さん?」


「どうかしらね。下手な勘繰りは惨めな思いをするだけよ? クズくん」


「いや、これでもそこそこの確信を持って言っている。考えてもみろ。嫌にピンポイント過ぎやしないか? まず最初の廃工場。そこに牛鬼がいたこと自体は良いにしても、入るときには居らず、出るときに居たのが引っ掛かる。そして二回目。まぁ昨日なわけだが……重要なのは俺たちが場所を移動したということだ。もっと正確に言うのなら化物たちを移動させたわけだ。つまり、大鬼が出現する場として正しいのは電車事故が起こった場所であって、高架下ではない。わかるか?」


「ええ。言わんとしていることはわかるわ。けれど、やはりその意見には賛同できない。何故なら、考えてもみなさい? そもそも化物がいつどこにどうして出現するのかという謎は未だに解明されていない。つまり――つまり……」


 想像して理解するまでには到っていなくとも、なんとなくの違和感には気が付いたって感じだな。そこまでくれば、もう言ってしまったほうが早い。


「つまり、化物たちはランダムに出現しているわけではない。今回の二回に限って言えば、九条。おそらくはお前に対して差し向けられたものだ、と思う」


「……どうかしらね。ここ二回とこれまでで違う点は、あなたが居たことよ? だとすれば、あなたが狙われた可能性もある」


「そりゃあ無いな。仮に俺を殺すつもりなら、もっと早く出来たはずだし、何より牛鬼や大鬼である必要が無い。お前が言っていたんだろ。力を使える前の俺ならゴキにすら殺されるって」


「それは……そうね」


 とはいえ、百パーセント俺が関係ないと断言することはできない。


 おそらくは牛鬼も大鬼も、それそのものが依頼であり九条が万端であったのならば苦戦したとしても勝てた相手だろう。だが、牛鬼の時は弱いゴキが相手だと踏んで昼間に血を抜いていたせいで死にかけた。大鬼の時は突然の依頼ではあったが、敵の多さと強さから充分に戦えるだけの準備をしていたが、それ故に終盤で出てきた大鬼に対しての力が不足していた。


 どちらにしても俺がその場にいなければ負ける可能性もあったわけで――逆言えば、むしろ良いタイミングだったとも言える。


「なんにしても、原因がわからない限りは対処のしようもないな」


 すると、正面に座る九条は目を伏せて視線を外す様にした。


「原因ね。心当たりがないこともないのだけれど……」


「ああん? なんだよ。だったら隠してないで早く教えろよ」


 八重桜先生といい、九条といい、説明を省き過ぎだし、言葉足らずが過ぎる。


「いえ、別に隠していたわけではなく、言うタイミングが無かっただけで……まぁ、いいわ。現状が不安定になっている理由は三王を監視する地の王の寿命が迫ってきていることと、おそらくは――私が次の地の王の候補だからよ」


「ああ……なるほど。なるほど、ね。……それが原因じゃねぇか!」


「っ! 突然大声を出さないでもらえるかしら」


「お前はなにっ――お前――このっ、バカかよ!」


 感情が言葉にならない。


 そんな重要なことをどうして今まで黙っていられたんだ。確かに、つい先日この世界に足を踏み入れた俺に話す意味は無いのかもしれないが、それでも王の候補だぞ? 言っておくべきだろう。


「つまり……なんだ? 今の地の王が死にかけていて、お前は次の王の候補――姫様みたいなことか?」


「ええ。そんなところかしら」


「姫ねぇ……またとんでもない世界に首を突っ込んじまっているらしいが、そもそも今の地の王ってのはどんな奴だ?」


「どんな? どんな人かしらね。会ったことはないけれど、少なくとも五百年? くらいは生きているんじゃないかしら」


「…………ああ、うん。そうか」


 ここまではなんとか呑み込めていたのに、途端にキャパオーバーになった。


 新たな事実が大き過ぎてついていけない。


 人間の地の王が五百歳で死にかけていて、九条が次の王の候補で姫様? 腹が立つのは目の前にいる張本人が澄まし顔でどうでもいいことのような雰囲気を出していることだ。


 普通に考えれば大事件で大問題だと思うのだが、おそらく九条はそういう感覚が欠落している。だから、自分がどれだけ重要でどれだけ狙われる立場にいるのかわかっていないのだ。……仮に理解した上での態度ならば、それもそれでネジが外れている。


 基本は部外者の俺ですら想定し得る最悪の展開が思い浮かぶ。


「…………?」


 凛とした表情で首を傾げる九条の姿は美しくもあるが同時に――歪であることの証明にもなった。

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