第9話 無理無理無理無理
「避けなさい!」
横から薙ぎ払うように振り回してきた首切り包丁をバックステップで避けると、直後にできた隙を見計らって懐に忍び込んだ九条は双刀で舞うように大鬼の脚を数回斬りつけた。こればかりはゲームなんかと同じで経験と感覚なのだろう。俺には無理だ。
「幸いなのはスピードが遅いってことか……んで? 俺は何をすればいい?」
「遠巻きから私のサポートを!」
だろうな。素人に戦場を歩かれたら迷惑なのと同じだ。九条の間合いに入れば、気を散らせることになり、勝てるものも勝てなくなる。
大鬼は九条に狙いすまして首切り包丁を振るが、それを避けて懐に入り数回斬り付けて、また距離を取って大鬼の大振りを待つ。どれだけ大きくて強い生物だったとしても、仮に痛みを感じていなかったとしても、浅くとも斬られ続ければ血は流れるし、体の負担は増していく。
定石な戦い方のような気もするが……これ、俺のサポート必要か? そういえばいつの間にか残っていた骨の騎士は消えているし、そういう意味でのサポートなのかもしれないな。
「とりあえず――っら!」
九条が離れた瞬間に、持っていた斧を投げればくるくると回転しながら大鬼の脇腹辺りに突き刺さった。一応は頭を狙ったつもりだったんだが、見事に外れたな。
それなりにざっくりと刺さったはずだが、大鬼は気にすることなく九条に首切り包丁を振るっている。なら、今度こそは間違いなく急所に当ててやろう。……アレだよ。斧は形的に刃の部分が重くてバランスを崩したんだ。つまり、投げやすくてバランスが良く、加えて深手になるような武器が良い、と。
「……そんな武器ねぇだろ」
探しているときから薄々気が付いてはいたが、大抵の武器は細長かったり重さが均一じゃなかったりで投げるには適さない。そうはそうか。元より投げるための物ではないんだし。
じゃあ、どうするか?
「纏、ってやつか」
九条に言ったのは嘘でもなんでもなく、本当に体が筋肉痛になりつつあるのだが、この状況でそんな文句は言えまいよ。一度は実験をして化物の体を突き抜けているわけだから、上手くすれば大鬼にダメージを与えることもできるだろう。
投げるのは――高架下に落ちていた野球のボールだ。それも硬球。おそらくはどこかの野球少年の忘れ物だが、貸してもらう。
大事なのは投げるタイミングと、当たる場所だ。
「狙いを付けて……ピッチャー、振り被って――っ!」
先程と同じように、九条が距離を取った瞬間に殺すつもりでボールを投げた。すると、真っ直ぐに飛んだストレートボールは、大鬼の顔面に直撃した。正確には下顎辺りだが当たったから良し!
体勢を崩して倒れる大鬼を見て笑顔が漏れる俺とは対照的に、九条は倒れた大鬼に向かって双刀を構えながら駆け出した。
倒れた敵に追い打ちをするべきではない?
否。ここは戦場だ。相手に隙が出来れば、その間に殺す。そうしなければこちらが殺される。戦闘を間近で見るのはこれで二度目だが――ただの二度で、それを理解できるだけのものは見てきたつもりだ。
「ガァアアア!」
突如、大鬼は鼓膜を劈くほどの雄叫びを上げて、反射的に耳を塞いだ。
だが、九条は立ち止まることなく構えた双刀を振り下ろそうとすると、大鬼が振り回した腕に当たって吹き飛ばされた。
「九条!?」
既視感が強い。
「っ――来なくていい!」
その言葉に足を止めた。九条を見れば牛鬼の時とは違い、胸の前に出した双刀で腕を受けていたようで、直撃を食らったわけでは無さそうだ。
起き上がった大鬼は、持っていた首切り包丁を手放して九条に向かって拳を構えていた。まさかの拳闘スタイル? しかし、だとしたら拳対剣だ。こちらが圧倒的な優位に立つはず、なのだが――九条の顔色は悪い。どうやら俺は、良くない蓋を開けてしまったらしい。
片や拳を構え、片や双刀を構えながらじりじりとお互いの間合いに入るまで近付いていくと、瞬きをした一瞬で殴り合いが始まっていた。
殴り合い。
もしくは、斬り合い。
正しくは、殴って斬る異種格闘技戦。もしくは無差別試合。殺試合。もとい殺し合い。
「これ、は――」
シンプルな話である。早過ぎてよくわからない。
大鬼の拳が九条に当たったかと思えば、次の瞬間には殴ったその腕から血が噴き出している。そんなことが、繰り返されている。
だが、目に見えてわかる変化もある。明らかに、九条のほうが疲弊し切っているのだ。当然、大鬼が強いのもあるだろうが、九条は先に二十体以上の化物を倒しているから、その分だけ疲れているし、集中が切れかけていてもおかしくはない。
あの間合いには入れない。絶対に。だとすれば、やることは何一つとして変わらない。遠巻きから、化物が使っていた武器の棍棒を、殺す気で投げる。
すると、一直線に向かっていた棍棒に気が付いた大鬼がギロリとこちらに一瞥して、俺が体を強張らせると、九条との殴り合いの最中でも棍棒を叩き落として見せた。つまり、今現在、それだけの余裕があるということだ。
「あ~……もう、疲れたな」
体は痛いし、勝ち目は無さそうだし。高架下が死に場所ってのも、なんだか青春映画みたいで良いんじゃない? とか、思いだしてきた。
振り返ってみれば、八重桜先生は化物と戦っているし、視線を戻せば目の前で死闘が繰り広げられているし……さっきの様子を見る限り、俺の遠投じゃあ手助けにもならない。ここにある選択肢は二つ。残って死ぬか、逃げて生き残るか。どちらかを選ぶとしたら――どっちも気に食わない。
忘れたのか? この数日間で、理解の追い付かないことを目にし過ぎて、思考停止しているじゃねぇか。俺は――クズだぞ? 何も選ばないことを選ぶ、クズだ。だったら、差し出された選択肢以外を選ぶのがクズらしいだろう。それで死ぬなら本望だ。
「やるだけやるか。はぁ……九条!」
呼び掛けて、大鬼の意識がこちらに向くのと同時に手に握った砂利を殺す気で投げつけた。もちろん、殺す気であってもたかが砂利だ。防ぐまでも無く傷一つ付けることは出来ない。それでいい。目的は大鬼の背後に回ることだ。
しかし、背後に回ったからといって俺自身が何を出来るわけではない。他の化物たちの武器を使ったところで体を貫くことはできないだろうし、致命傷を与えることも出来ない。だが、考えてもみろ。奴は――大鬼は、首切り包丁を振っていた時よりも素手で戦っている今のほうが圧倒的に強い。巨大な鉈で戦うことが誇りなのか、はたまた自分に課した枷なのかは知らないが、これだけの力を押さえるほどの質量が、この首切り包丁にはあるということだ。
だから、俺の力で、殺す気で首切り包丁を使わせてもらう。
「っ~……んん」
と思ったのだが、如何せん重過ぎて持ち上がらない。さすがは文字通りの大物だ。俺のような普通の人間には持ち上げることすらできないか。身長百七十センチの人間が二メートル越えの、重さは優に百キロを超えている物質を持つことは難しい。
……あくまでも難しいだけであって、不可能ではない。それこそが肝であり――
「それだけでも――やる意味があるっ!」
あ~、ダメだ。無理無理無理無理。
これは持ち上がらねぇな。浮いても一センチかそこらだ。横には滑るんだが、持ち上げることは普通に不可能だ。……持ち上げるのは、不可能か。
首切り包丁と大鬼の位置を確認すれば、ちょっと手を伸ばせば届く距離だ。要は、俺も殺される間合いに入っているということだが、それは九条が注意を引いてくれているおかげでどうにかなっている。
俺が纏を発動するためには、殺す気にならなければならない。
それなら、本気で殺す気で――倒れたままの首切り包丁の柄を持ち、その場で円を描くように滑らせると、大鬼の足首がスッパリと切れた。
その瞬間に怒涛の殴り合いは終わりを告げて、足を失った大鬼は踏ん張りが利かなくなり地面に向かって倒れ込むのと同時に、九条は交差させた双刀で首を挟み込んで――大鬼の首を刎ね上げた。
「……勝った、でいいんだよな?」
「ええ。勝ったわ。あなたのおかげで、勝てたわ。正直、その鉈を持ち上げようとして諦めたときにはどうしたものかと思ったけれど……あなたのおかげなのは間違いないわね」
「お褒めに預かり光栄ですよ、九条様」
もっと素直に褒めりゃあいいのに。
「そっちも終わったか。茉莉花」
「澪ちゃん、そっちも無事だったみたいね」
八重桜先生は刀を納めつつ歩み寄ってくると、パンパンと服の埃を払った。
「ああ、問題なくな。私はこれから上に報告に行ってくる。二人は帰ってゆっくりするといい」
労っているようだが、そもそも大鬼とかいうヤバい奴と九条をマッチングさせたのは八重桜先生本人だ。
「……じゃあ、あとのことは澪ちゃんにお任せするわ。帰るわよ、クズくん」
「ああ。……その前に一つ訊いてもいいですか? 先生のそれ、本物ですか?」
「そんなわけないだろ。竹光だよ」
「……なるほど」
去っていく八重桜先生と、前を歩く九条の背中は似ているように見えてまったく違うものに見えた。別の人間なのだから違うのは当たり前だが、そういうことを言いたいわけではない。知る限りでは纏という力を使うのはこの二人だけで、性格こそ違えど似た部分はあるように思っていた。けれど、何かが決定的に違う。いや――欠けている?
視線を交えない二人の不自然さに対して、俺は何かを言える立場には無い。当然だ。たぶん、おそらくは俺もどこかが欠けている。何かはわからないし、知りたいとも思わないが――それでも、俺が何も選ばないことには変わりがない。
「あ~……しんど」
とりあえず言えるのは、前回に比べて体の痛みが来るのが早い上に、前回よりも痛みが強いということだ。割に合わねぇな。
「そういえば言い忘れていたけれど、クズくん。前の化物退治も、今回の化物退治も手伝ってもらったから、その分の報酬は支払うわよ。両方合わせると、そうね……八十万くらいかしら」
「……マジで?」
前言撤回だ。割に合うどころじゃない。最高だ。
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